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トワノクウ

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トワノクウ
  第三十二夜 明野ヶ原に花開く(一)

 
前書き
 父親 の 妹 

 
 同じ頃。くうもまた梵天が囚われたのと同じ空間にいた。

「梵天さん? 露草さん! 空五倍子さん!」

 呼んでも声は返って来ない。
 自分は今、まぎれもない独りなのだ。

(ただ閉じ込めておきたいだけ? それとも私を傷つけるようなことをする? どこか遠くへ攫う? だめ、情報が少なすぎて、現状を確定できない)

 くうが途方に暮れていた時だった。

 かろん――軽い音。下駄が鳴った音だ。

「だ、誰か、いるんですかっ?」

 かろん。かろん。下駄の音、つまり足音は、徐々にくうに近づいてきている。
 敵か味方か。人か妖か。
 くうは身構えて待った。

 ついにくうの可視域にその人物が入った。
 少女だった。健康的に日焼けした肌。水干に烏帽子と、明治からしても時代がかった衣裳で男装し、手だけが鶏の足先のように鋭い鉤爪だった。

「私の思い通りに動いてくれて本当に嬉しかったよ。さすがはお兄()()()()()()。持つべきものは家族ね」

 思考の全てを吹っ飛ばされた心地がした。

「あなたは、一体……」

 身体が震える。無邪気な少女が恐ろしい。

 答えはすでに頭の中に出かかっている。

 それを割り砕くように、暗かった空間がガラスのように幾重にも割れた。とっさに頭を押さえてしゃがんだ。

「くう! 無事か!」
「露草さん! 梵天さん!」

 ここを砕いたのは、恐らく梵天が手に持つ攻撃用の羽毛だ。
 驚くと同時に、嬉しさが込み上げた。天座の彼らがくうなどを助けてくれた、その現実が。

 くうは立ち上がって彼らのほうへ駆け寄った。

「やれやれ。無粋な介入ね。自分だって昔は同じことをしてたくせに。ねえ、梵天?」

 露草がくうを錫杖の後ろに庇ってくれた。

「おい、梵天。こいつが何者か知ってんなら教えろ。昔みてえにごまかそうとしたら、ただじゃおかねえ」
「今さら口を噤むものか。――くう、よく聞け。この小娘は篠ノ女(めい)。君の父親、篠ノ女紺の実の妹だ」


 梵天は厳しい表情を浮かべて夜行を――明を見据えている。あの梵天が緊張している。

「夜行が篠ノ女の妹? んなふざけた話があってたまるか! こいつが今日までどんだけの非道を重ねてきたと思ってんだ。ただ死体を集めて狂いを撒き散らすだけの外道じゃねえか!」
「ふざけていようが事実は事実。もっとも、俺がこいつの正体を知ったのは、六年前、全てが終わった後だったが」

 夜行の態度は変わらず悠然としたものだ。まるで梵天と露草の会話を映画のワンシーンのように、そう、鑑賞している。

「何なら君が璃々さんと〝私〟を相討ちさせたことでも話してあげようか? ああ、だめか。あの時の(たい)は鳩羽のモノだったから、実感が湧きにくいよね。そういう意味じゃ坂守神社戦もだめかあ。あ、じゃあ、今様と中村屋の時にしよっか」
「っ……てめえ!」
「ふふ。怒ってる君、好きよ。とてもいい木の香りがするから。――君はどうかしら、梵天。どう揺さぶれば激昂してくれる? そうなった時の君って、羽毛がいっぱいお日様の光を吸収した匂いがして、気持ちいいの」

 表情だけを見れば、純朴な田舎娘なのに。

 震えが止まらない。聞いてはいけない。理解してはいけない。篠ノ女空の根幹がそう訴えている。

「私の言ってることの意味も分からないって感じね」
「耳を貸すな。奴の言葉には狂気しかない」

 梵天に鋭い制止を投げかけられ、くうはびくりと震えた。

「明おばさん……」

 夜行はきょとんとした顔になり、次いで腕組みして肯いた。

「おばさん、かあ。言われるとキツイと予想してたんだけど、姪っ子相手だと意外と効かないなあ。うん、いいね、『明おばさん』。家族って感じがして」
「どう、して。あなたは遠い田舎に暮らしてて、会うこともないって、お父さんが」
「そう――未だにあたしに会う気がないんだ、お兄ちゃんは」

 夜行が鈴を鳴らした。すると一瞬にしてまた風景が塗り替わり、昏い空間にくうは立っていた。
 ひらり、ひらり、と水面に舞い落ちるのは、椿の花びらだろうか。

「狭間の場所。梵天が造るのと同じ、天の耳を遮断する結界よ。梵天と露草はいちいち煩そうだからね。強化版で。――ここで叔母さんが教えてあげる。気持ちいい呼び方をしてくれたお礼にね。この雨夜之月の生い立ちと、貴女と、貴女のお母さんと叔父さん、千歳の血を引く者達の因縁を」






「全ての始まりは二十年以上前。君の叔父さん、千歳緑が誘拐に遭って、その時の怪我が元で全身不随になったことに端を発するわ」
「緑……おじさん」
「知ってるのね」

 くうはためらいがちに肯いた。
 母に聞いたことがある。若くして没したという母の弟。顔も知らない叔父の、悲しい人生の、断片。

「緑さんの体を治すために、君のお母さんの萌黄さんは苦労に苦労を重ねて、何とか緑さんの意識だけは自由に動かせるような仕組みを造れた。それがここ、あまつき」
「――え?」

 唐突に彼岸とあまつきが結びつき、理解が追いつかなかった。

「あまつきとはね、跡取り息子のために千歳コーポレーションが造った脳内ホスピスで、ターミナルケアシステム。要するにバーチャルリアリティなの」
「この世界が……バーチャル? うそ。だって、あんなに痛かったのに、苦しかったのに。ショックオンリーなんかじゃない、本当の痛みだったのに!」
「ここはショックオンリーが開発導入される前に造られたプロトタイプだから。――痛い想いをしたのね。かわいそうに」

 明は何のためらいも見せずにくうに歩み寄り、くうを抱き寄せた。あまりに自然な動作だったので、振り解けなかった。

「元は緑さんのための疑似世界。でも研究規模が広がるにつれて、緑さんさえ実験体の一人に過ぎなくなっていった。しまいには実験場だった病院の患者全員が、あまつきのアバターになった」
「私、は?」

 明がくうを離した。

「私も、梵天さんや患者さん達みたいに、どこかで昏睡してて、この『私』はアバター、なんですか?」
「ここに来る直前、君はどこで何をしてた?」
「アミューズメントパークで、体感型ゲームに、薫ちゃんと潤君と一緒に……あっ」

 きっとその時だ。くうの意識があまつきに転写されたのは。セットプレイだった薫と潤も、だから。

「大丈夫。あたしが保証する。告天の権能がある今のあたしなら、そのくらいのことは分かる。君はちゃんと篠ノ女空だよ。誰かが設計した、現実世界にはいない電子キャラクターじゃない」
「明おばさん……」
「またそう呼んでくれた。やっぱり嬉しいなあ。お兄ちゃんに感謝しなきゃ。家族を増やしてくれてありがとうって」
「帰ったら伝えますっ。絶対、伝えます!」
「いい子だね。くうは」

 明は、笑った。

 母・萌黄は、笑わないではないが、寂しげな笑みを浮かべていることのほうが多い。
 だから、留意なく笑う明に対し、くうの中の敵意は徐々に鳴りを潜めつつあった。

「――梵天が妖を暴走しないように躾けて、時代の移ろいによって妖を信じる人も視る人も減ってきた。けれどしょせんは継ぎ接ぎプロトタイプ。銀朱と真朱を中心として、あまつきはゆっくり壊れていった」

 想ったのは梵天と菖蒲だった。〝この世の本当のこと〟を知っていた彼らはどんな想いで崩れゆく世界で生きていたのか。想像すると切なかった。

「ギリギリ薄皮一枚で保ってた世界に、最後の爆弾になったのが君の『鴇先生』。六合鴇時っていう、お兄ちゃん――君のお父さんの友達」
「鴇先生が……帝天になったから?」
「そう。あの人が帝天の権能で、雨夜之月を再構築したから。――ここはプロトレプリカ。プロトタイプのバーチャルをさらに劣化コピーしたのが、この世界なの」

 劣化コピー。
 壊れた継ぎ接ぎをさらに継ぎ接ぎにした。
 プロトレプリカ。

「あくまで鴇時さんが覚えてる範囲での再構築だから、プロトレプリカにはプロトタイプ以上の綻びがある。それでも鴇時さんは、自分が知ってる〝あまつき〟をどうしても存続させたかった。あの人は、〝あまつき〟の人と妖が大好きだったから」

 分かる。鴇時はくうの師だ。六合鴇時なら必ずあまつきの維持を望むに違いないと、分かった。

「ここまでのこと全部理解できるまで、君っていう姪っ子が産まれるくらいに時間がかかっちゃった。叔母さん、君のお父さんと違って頭悪いから」

 明は困ったような笑みを浮かべた。やはり、この人の笑顔には血が通っている。

「以上が、君のお母さんと叔父さんが造って、見続けた夢の世界のお話でした。おしまい、おしまい」

 くうは明に吊られて笑みかけ――思い出した。

「じゃあ、どうして潤君と銀朱さんのココロを追い込んだんですか?」 
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