黒魔術師松本沙耶香 紫蝶篇
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5部分:第五章
第五章
「奥様」
「奥様なんていいわ」
しかし鶴はその呼び方に不満げであった。それを目と言葉で出す。
「名前で呼んで」
「では智子さん」
沙耶香は彼女の名を呼ぶ。
「宜しいですか」
「ええ。一人より二人の方がいいわ」
「そうですか。では今宵は」
「来て」
智子は言う。
「そのまま私のところに」
「わかりました。それでは」
グラスを宙に浮かして首のネクタイを取る。しゅるっと音がして外れる。白い首がそこに現われる。スーツの上を脱いで智子のところに来た。
「こうなったのは何時からだったかしら」
「さて」
智子の言葉にすっと笑ってとぼける。既に顔を彼女の顔のすぐ前にやり目と目を合わせている。じっと黒く濡れた目を見詰めながら笑っていた。
「ただ。貴女を知るということは私にとっては素晴らしいことでした」
「私の身体が?」
「私は身体だけを味わうのではありません」
また述べる。
「贅沢ね」
その言葉を聞いて笑う。悪い気はしていない。
「けれどそれがいいわ」
「そうです。悦びとは贅沢であるもの」
沙耶香もそれに応えて言う。
「だからこそこのまま二人で」
「久し振りね。二人になるのは」
「御不満ですか?」
「貴女が教えてくれたのよ」
智子はそう返す。
「女というものをね」
「どうですか?女というものは」
沙耶香はその黒い目で智子の目を覗き込んでいた。熟れた果実を今将にその手の中に収めんとしていた。
「悪くないものでしょう」
「だから。いいわね」
「はい、このまま」
智子の唇に自分の唇を重ね合わせる。そのままその椅子を場所として。二人は深い背徳の交わりの中に互いの身を浸すのであった。
それが終わった二人は夜の闇の中にいた。沙耶香が白い光を手から放ち部屋を照らし出すとそこには裸身の智子が椅子の上にいた。見事に歳を重ねたと言うべきであろうか。衰えのない美しい身体をしている。
その身体を味わった沙耶香はもうスーツを着てベッドに腰掛けている。しかしそのネクタイは首にかけたままでシャツも大きくはだけている。豊かな胸が露わになり黒く長い髪が下ろされたままであった。
「素敵でしたよ」
その白い朧な光の中で述べてきた。
「普段からは考えられない程」
「こんなのではなかったのよ」
智子は横のテーブルに置かれていたワインを口に含んでから答えた。満足しきった顔をして沙耶香を見ていた。
「今までは」
「女もでしたね」
「そうよ。知らなかったわ」
そう答える。
「世の中には知ってはいけないとされるものがあります」
「そのうちの一つなのね。これは」
「そうです。女が女を愛する」
宙に指で十字を描く。するとそこに白い十字架が浮かび上がった。沙耶香はその十字架を見てシニカルな笑みを浮かべてきた。馬鹿にした笑いであった。
「この十字架の下では背徳とされていますね」
「私はキリスト教ではないわよ」
智子は沙耶香が浮かび上がらせた十字架を見て述べる。
「言っておくけれど」
「わかっていますよ。かつて我が国ではこうしたものは何でもありませんでしたが」
日本においては同性愛は罪ではない。男同士でも女同士でもだ。しかし智子が罪を感じているのはそれだけではないのだ。
「主人もいるのに」
「御主人ですか」
しかし沙耶香はその言葉にもシニカルな笑みを以って答えた。
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