戦国村正遊憂記
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第壱章
七……血ノ色魔ノ色生ノ色
戦場では歪んだ笑みを湛え刃を振るう。自軍の為に、自分の空腹を満たす為に。その姿を見た敵兵は、口を揃えてこう言った。
「妖刀の化身が現れた」と。
「まあ……それも強ち間違っちゃないんだけどさ」
いつもの通り、刃を振るって血を吸う。怯えきった表情の敵兵は息の根を止めるだけにして。恐怖に染まった生の味など、どんな料理下手の料理よりもまずい。味わいたくもない。
ふと、ふわりと漂う覇気の香りを感じた。
村正はその様な甘美な香りには未だ出会った事がなかったので、その香りには惹きつけられた。
香りを伝って、木の間を抜ける。邪魔な草は刃で切り刻んだり踏みつけたりした。その度に草木に懺悔をして。
「ああ……いい香りだ……こんな香り、滅多に出会えないぞ……」
「誰だい、そこにいるのは」
思わず呟いた言葉に気が付いたのか、白いくせっ毛の髪と衣の男がこちらを見た。紫色の仮面がよく似合っている。
村正は観念した様に姿を現す。
「どうも、はじめまして。僕は村正。驚くでしょうが、あの妖刀村正の化身です…………妖孽血刀」
血吸い刃を仕舞う文言を言った瞬間に、その男は驚きに目を見開く。
「……どうやら、道化ではない様だね」
「それは勿論。……で、君は?」
「僕は、竹中半兵衛。豊臣の軍師を……げほッ!」
半兵衛は突然血を吐いた。慌てて近寄る村正。片膝をついた半兵衛に肩を貸してやる。
「君、病人だろ? 病人がどうして戦うんだ、どうして時間を無駄にする!?」
「秀吉の天下の為さ」
しれっと答える半兵衛に、村正はそんな、と声を漏らす。他人の天下の為に、消えかかった命を燃やすのか。いや、それがこの世の常識か?
村正には、わからなかった。
「……ところで、君があの甘美な香りの生の持ち主ではないとすると、恐らく秀吉という男がその香りの持ち主だと思うのだけれど……会わせてくれるかな?」
「甘美な生の香り?」
「そうだ」
説明も程々に、村正は半兵衛の案内を受けて、豊臣秀吉に会うこととなった。
進む度に強くなる甘美なる香り。その血はどれだけ美味なものか、と涎が出そうになる。
進んで進んで、ようやく着いたようだ。
村正も身長が低くないのだが、その比にならない程の巨躯。強烈な覇気。
この男が豊臣秀吉だと、ひと目で分かった。
「秀吉、君に会いたがっていた人だよ」
「お初にお目にかかります、村正と申す者です」
「村正か。何用だ?」
咳払いを一つ、村正は慎重に言葉を選ぶ。
「あの……宜しければ、貴方様の血を、一滴だけでいい……味あわせてくれませぬか?」
場は騒然となった。騒ぎの中、「あれが妖刀の化身だ」という恐れる声も聞こえた。
黙れ、と秀吉の一声。一瞬で静まり返った。
秀吉は村正の前に立ち、見下ろす。
「それは、我に死ねと申しておるのか?」
「そうじゃないんです。血を一滴抜いた所で、命には何の影響もありませんから。事実、私が過去に血を頂いた猿飛佐助も、今では何の問題もなく活動している様ですし」
「何故我でなくてはならない?」
「貴方様の生は覇気に満ち、とても甘美な香りを放っていたからですよ!」
村正は半ば興奮しながら語る。村正の紫色の髪が揺れた。
秀吉の答えは。
「……良いだろう」
その瞬間、村正は赤い目を宝石の様に輝かせた。
秀吉の肩に乗り、首に少しだけ刃を入れる。その時。
「秀吉様……!? 貴様ァ!!」
「三成君、落ち着きたまえ!」
銀の髪の青年が、村正に斬りかかろうとした。村正は秀吉の首から滲む血を指でひと掬いし、ペロリと舐めてからその刃を素手で受け止めた。
「なっ……!!」
「悪いけど、君の血は美味しくなさそうだね。少なそうだし」
近くの木に飛び乗り、ニコリと笑って軽く手を振る。
「秀吉さんの血、美味しかったですよー! 宜しければまた味あわせて下さいねー!」
右手を胸にあて、軽くお辞儀をする。そして、何処へともなく去って行った。
それを見て、誰かが呟いた。
「信長公以来の魔の者だ」と…………
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