異界の王女と人狼の騎士
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第三話
真っ黒な着衣に足元のブーツも黒。対照的に彼女肌の色は白く、ほとんど真っ白なため、その黒さが余計に目立つ。髪は金色。金色というか黄金色と言っても良いくらいだ。ゴールデン・ブロンドっていう色なんだ。そして、彼女の大きな碧い瞳はその奥底から光を放っているようにさえ見えた。
少女は、もはや単なるグロテスクな肉塊な存在でしかない俺に驚くことも怖がることもなく、歩いてくる。
側まで来るとしゃがみ込んで俺の顔をマジマジと見つめる。吸い込まれるような瞳になぜかドキドキする。血流が早まって出血する。うはー。
でも……よく見たら、まだ子供だ。子供だから体のバランスは悪く、そのせいか古くさい表現だけどホント人形のように見える。
「どう? わたしの声が聞こえる? 」
「もちろん、聞こえるよ」
俺はそう答えたが声にはなっていないようだ。口がパクパクしているだけだ。すぐに戻しそうになって慌てて口を押さえる。それでも言いたいことは彼女には聞こえたようで、頷いた。
「違う違う。そんなことどうでもいいんだ」俺は性急に喋った。声にはならないけれどもね。
「君が何でここにいるか、どこから来たか? 君が何者かとかいろいろ気になるところはあるけど、いちいち聞いている暇は無いからこれだけは言わせてくれ!! ここは危険なんだぞ。俺のこの姿を見たら分かるだろう? 人間をこんな風にするバケモノがさっきまでここにいたんだ。そしていまも付近を徘徊しているんだ。そいつは窓から外に飛び降りてどっかに行ったけど、何時戻ってくるかわからない。君みたいな子供がこんな処にいちゃいけないんだ。とにかくここは危険だから逃げるんだ」
と、とりあえず捲し立てるように喋った。喋ったというか俺の中では怒鳴り散らした感じだ。
現在のこの場所がいかに危険か、ここに少しでもとどまり続けることがどれほど危険かを知らさなければならないんだ。奴が戻ってきたらこの少女も蹂躙されて殺されるに違いない。これ以上目の前で人を死なせたくない。しかもこんな子供を……。
「大声で喚かなくてもお前の言いたいことは全て分かっているわ。だから喚かないで。……お前はわたしの話を聞いて選択をすればいいのよ」
少女はうんざりしたような口調で話す。
そんな喋り方はガキっぽいんだけど、彼女の雰囲気は年齢にそぐわない落ち着きがあるし、なんだか威厳さえも感じられる。その辺のガキじゃあなさそうだ。
「お前、……名前は何という? 」
お前呼ばわりか。ヤレヤレ、何か偉そうだなと思いながらも、
「俺は、月人柊だ」と、答える。実際には言葉にはなってないけ。口を開いたらゲロゲロと血が混じった内蔵物が戻ってきそうなんだ。実際嘔吐いたから必死で飲み込んだけどね。胃酸が苦くて気持ち悪い。喰った物が少し残っていて飲み込むとき喉を刺激してまたその感触が気持ち悪いんだ。
「そう、名前はシュウね。じゃあ、シュウ、言うまでもないでしょうけど、このままだとお前は死ぬわ」
そんなの分かってますって。こんな生けるグロテスクな存在、生存の可能性なんて無いよ。むしろ、この状態で今も生きていることが不思議。
「そうね。……でも一つだけお前が助かる方法があるわ。興味ある? 」
「そりゃ俺はまだ死にたくないけど、そんなの可能なの? 」
少女は頷いた。
「でも、今の状態で生き延びるだけだったら意味がない。そんなんなら、むしろ死なせてくれ」
とワガママ言う俺。
「ふん、こんな状態で生き延びられてもわたしにとっては迷惑よ。当然、もとの状態に戻してあげるわ。潰れてるけど手みたいなものや、その千切れた足も元に戻るし、空洞になってる眼も復活する。それから派手に切り開かれてはみ出してる内蔵も腹の中に戻り傷口も塞がる。傷痕さえ残らない。……残念ながら不細工なお前の顔は治らないけどね」
少女の言葉はまるで原稿を読み上げるように淡々と話しているように感じる。軽いジョークが混ぜられているようだけど反応できない。そして少女のその姿に、なんだか俺は夢を見ているような感覚に囚われてるんだ。そう、まるでリアルなゲームの世界の中にいるような感覚だ。自分自身も体の感覚が遠くに行きかけている。あんなに酷かった全身の痛みも今じゃかなり薄れちゃってる。ボロボロになった肉体も目の前の少女の話していることさえも遠い世界の出来事のようだ。眠さを堪えてやっているリアルなRPGな感じがする。意識が遠のくというか猛烈に眠いというか。
……やばい、これって死にかけているんじゃねえか。
「ただし、条件があるわ……」
うんうん、そうだよね。うまい話には必ず裏がある。それでもなんかあんまりに出血しすぎたためか意識がどんどんぼやけていくんで、なんか深く考える気にもならないんだ。なんもかもめんどくさい。少女が話している事も、あの触手の化け物がここに戻ってくる可能性すらなんだか遠い遠い場所のお話しみたい。
「わたしと契約をすれば命は助かる。けれどそれは期限の無い契約。お前はわたしの下僕になり、わたしを護りわたしと共に生きなければならない。お前の命はわたしの手の中にあり、わたしが死ねばお前も共に死ぬ宿命を背負うことになる。……それはこのまま死んで行く方が遙かに楽かもしれないわ。さあどうするの? おまえには選ぶ権利があるわ……」
そう言って俺を見みつめる。
寧々のいる世界に旅立ちかけている俺にとって、少女の提案にあまり魅力は感じなかった。これまで受けてきた苦しい思い、痛い思い、悲しい思いをするのは嫌だった。逃げられるものなら逃げてしまいたかった。今の俺は柵の世界の拘束具が外れた状態。すぐにでも旅立てる体になっているんだ。楽になれるなら楽が良いに決まっている。
俺の心は決まった。決意を表明するため目の前の少女の顔を見た。
まだ子供のあどけなさの残る少女の碧い瞳。その瞳を見た途端、様々な映像が流れ込んでくるのを感じた。そこからは絶望・悲しみ・怒り・諦め・恐怖・不安・孤独といったネガティブな要素がごちゃ混ぜになったものだった。それは目の前の少女が見てきた感じてきた世界なんだろうか。そこにあるのはまるで砂漠のような世界に悲しみだけを背負わされ、たった一人行き先もわからぬまま歩かされているだけ。もしそうだとしたらとても一人では耐えられるもんじゃあない。そんな世界をこの少女は生きてきたのだろうか。そしてこれからも生きていかなければならないのだろうか……。そう思った時、俺は遠のいていく意識の奥底から這いだしていくような感覚を覚えた。
孤独と悲しみだけの世界にこんな小さな子を置いてけないな。
それに俺にはやらなければならない事が少なくとも一つある。寧々を殺した奴をぶっ殺すこと。あんな酷い事をした奴は許せない許さない。
にわかに意識が活性化するのを感じた。
「死なずにすむんなら俺は君と契約する。この先にどんな事があったとしてもこのまま死んでいくよりはましな気がするし……」
少女は頷いた。自分の腰に右手を回したかと思うと、小さなナイフを取り出していた。左手の手首に刃先を当てたと思うと、思い切りよく横に引いた。ツーっと彼女の白い手首から、深紅の血が垂れる。
「……さあ、わたしの血を飲み契約を交わしなさい」
俺は言われたとおり彼女の手首から落ちてくる血液を口に含もうとするけど、僅かに上を向くだけで精一杯で体はちっとも動かない。ペタペタと俺の頭に降り注ぐ。考えるまでもなく、もう俺には指すら動かす力が残ってなかったわけ。
「まったく世話が焼けるわね……」
端正な容貌に僅かに苛立ちを表しながら少女は呟いた。
汝、我と契約し、我が騎士となれ。
絶えることなき永遠の時を我とともに歩み、我を護り、我とともに死すことを誓え。
重々しい言葉が脳内に響いた。
誰が喋ってるの?
俺はなんだかわからず、
「は、はい。誓います」
と、答えた。もちろん脳内で。
少女は左手を高く上げ、自らの手首から垂れ落ちてくる真っ赤な血をその口へと導く。その姿はなんだか凄く妖艶で美しくずっと見ていたい気がした。
唐突に彼女は左腕を下げると、両手で俺の顔を掴んだ。
刹那、彼女の顔が近づいてきたかと思うと、自分の唇に柔らかい感触を感じた。口を舌で押し開けられる感覚がしたと思うと、俺の口の中にしょっぱくて鉄の味がする液体が流れ込んできた。
一瞬驚いて彼女の顔を見る。すぐ側に少女の綺麗な顔があった。目を閉じている。ああ、そういやキスの時は眼を閉じないとね。そう思い、俺も眼をとじた。
ああ、これが彼女の血の味なんだ。なんだ俺のとかわんないな。普通じゃん。そんなことも考えたりして。
少女は口づけたまま俺の顔を上に向けてくれる。彼女の血を嚥下しやすいようにしてくれているわけだ。……彼女の血を飲まなきゃいけないことを思いだし、がんばって飲み込もうとする。この有様でなければ何のことはない動作なんだけど、その飲み込むという動作をするだけでもかなり苦戦した。それでもおそらく少女の口に含まれていたであろう血液は、なんとかすべて飲み込んだはず。胃の中へと暖かいものがゆっくりと流れ込んでいくのが実感できた。
確認したのか、彼女も僕から唇をゆっくりと離していく。俺は目を開いた。見えた光景は、お互いの唾液が絡み合って糸を引いているところ。なんだか凄くエッチいよね。
俺から離れた少女は服の袖で唇を拭った。少し恥ずかしそうだ。
……なんやかんやと想いが巡るが特に体がには変化がない。少し眠くて遠くに行きそうになる感覚だけが収まった程度。全然駄目じゃんって言おうとした。
ズン!
まさにそんな擬音が相応しい衝撃が来た。いきなりのビッグウエーブが背後から俺を突き飛ばしてくるような感覚だ。体は一ミリも動いていないのに、なんだこれは凄い衝撃だ。同時に全身の毛穴が開いて髪の毛とか全ての体毛が逆立つような感覚。
何もしていないのに鼓動が高鳴る。どくんどくん。それがドンドンという音になり、そのリズムもどんどんと小刻みになっていく。それに合わせるかのように体が熱くなってきた。特に怪我をしている箇所が熱いというか燃えているように感じるレベルになっている。ふと思えばずっと感じていたはずの痛みというものが消えていた。
出血は完全に止まり、動かなかった四肢も意識すれば動かせるようになっている。顔も動かせるから自分の体の状態も把握できる。
へし折られて骨が飛び出し、不自然な方向に曲がっていた右手がまるで風船が膨らむように形を変え、元の形へと戻っていく。そしてついには完全に元通りになりおまけに動かせるようになった。左頬から耳にかけて焼けるように熱く感じる。そっと触ろうとする。
「触ったら駄目。今、お前の耳と頬は再生をしようとしてるわ。触ったら変な形になるわよ」
不意に少女に指摘され、動かそうとした左手を慌てて止めた。
まあ治るんならそれでいいや。
俺は醜く切り裂かれた腹部を見た……。腹部は焼けるような高熱を持ち続けたままだ。傷口と少しはみ出した腸の一部を見て気持ち悪くなる。傷口はまるでオキシドール消毒された箇所のように白い小さな泡を吹きながら、徐々に塞がっているように見える。
俺は慌ててはみ出した腸を腹の中へと押し込んだ。これで大丈夫かも。
「これもくっつけたら? 」
そう言って少女が俺の脚を差し出す。グシャグシャに潰れた切断面をこちらに向けているのでまたまた気持ち悪くなる。自分の体なんだけどね。
「ああ、ありがとう」
俺はそれを両手で受け取った。なんと複雑骨折してたはずの右手はもう完全に治癒していておまけに普通に物を掴むことさえできるようになってる。
ズシリと重い。まだテロテロと血が垂れている。
千切れた部分にその脚の切断面を当ててみる。肉と皮膚と骨とよくわからないものが引っかき回されたようになっていて本当に元に治るのか疑問に感じる。それでもこの体の変化を見る限りでは治るんだろうなあ。そう思いながら押し込むような感じで両方の切断面をくにくにと動かしながらうまく合うように合わせてみる。
すぐに反応が起こった。シュワシュワ音を立てて泡立つ切断面。本気で燃えているように熱くなる。
「あちち」と声を出してしまう。そして、あっと驚く。いつの間にか声が出るようになっているんだな。これも回復の現象の一つなんだろう。
治癒中の箇所は猛烈に熱くなるみたいだ。現在、左眼球、左耳及び左側頬、右手首、腹部、脚の付根が燃えるように熱い。まあ全身もなんだか熱っぽいけど。裂傷や擦過傷は瘡蓋に覆われるとすぐに治癒し、剥がれ落ちていく。まるでフケみたいだ。
再び脚の付け根を見てみるともう殆どくっついているのがわかる。ぐちゃっとなっていた切断面は瘡蓋に覆われ、それがぱらぱらと剥がれ落ちていくともうそこには傷すらついていないフレッシュな皮膚になっている。思い切って脚を動かしてみる。
……動いた。最初は少しぎこちなかったけど、ちゃんと思い通りに動くようだ。
「信じられないな……」
俺は呟いた。
「ほぼ完治したみたいね。……さあ、立ってみなさい」
言われるままに起き上がってみる。少し蹌踉けるがすぐに感触が戻る。軽く腕を回したり屈伸したりしてみる。全く問題ない。痛みもない。……なんということだろうか。本当に治ってしまった。これはまるで魔術だ。夢のようだけど現実なんだよな。すると前にいるこの金髪の少女の下僕になったっていうのもこれまた現実なんだな。……ちょっとおっかない感じだけどそんなに悪い奴に見えないから、まあいいけど。
「左眼はまだ完治してないみたいだけどそれもすぐに治るわ。……のんびりしてられないわね。じゃあ行くわよ」
そう言って彼女は歩き出す。
「え、逃げるのか? 」
彼女は振り返り呆れたような顔をした。
「お前、まさか戦うつもりだったのか? だとしたら、お前はまったく救いようのない馬鹿ね? 自分の力の限界をあれほど見せられたばかりなのに。……せっかく治ったのにまたバラバラにされるつもりなのかしら。残念だけど、わたしは何度もそんな気持ち悪い物を見たくない。それに、わたしはあんな下等で愚かな生き物に殺されてやる道理はないんだけど」
「いやぁ〜、このありえないくらいの回復力、それとなんかみなぎる力感。もしかしたら超人的な力が宿るなんてことは無いのかなって思ったんだけど……」
「ただ傷が元に戻っただけで、お前はなんら変わってないわ」
「それを早く言ってくれよ!! 」
俺はそう叫ぶと、少女を抱き上げ、一気に走り出した。彼女は思ったよりずいぶんと軽かった。大あわてで階段を駆け下りていく。
てっきり超人的な力を得たんだと思いこんでいた。普通そうだろ。危機的状況で現れた存在と契約を結ぶとき、悪と戦う力を与えられるのはこの世のルールじゃないの? 元の体に戻ったのは嬉しいけどあの化け物はまだ生きている。戻ってくるとも言っていた。再会なんかしたらまた喜々としてぶち殺されそうだ。それ以上に思ったのはあいつがここからいなくなったのは何かが来たからだ。それはいま抱きかかえている少女のことを言ってるんじゃないのか? うん多分間違いない。やつのターゲットは、きっとこの子だ。
急がないと!
俺は階段を駆け下り駆け下り、踊り場を突っ走り下へ下へと走る。
再生した体は以前より力強く、スタミナもあるようだ。小学生くらいの女の子を抱きかかえてるのに、荷物を持たない状態で駆け下りるのと変わらない感覚。
上の階で派手にガラスが割れる音がした。同時に壁だか扉だかが派手に壊れる音がして、複数の足音がもの凄い速度で近づいてくるのがわかった。
「ドラドラドらおら〜」
先ほどまで聞き慣れた声が誰もいない校舎に響き渡る。
「急ぎなさい、あいつが帰ってきたわ」
「言われるでもないよ」
奴が帰ってきたんだ。そして階段を駆け下りて来ている。切迫した状況。
何で足音が複数なのかはわからないけど。
一階のフロアへと出た。玄関まで数十メートル。あと少しだ。
そう思った時、転がるような勢いで人であらざる形の生き物が駆け下りてきた。壁を一気に走り、俺たちを追い越したかと思うと激しくブレーキをかけて停止した。板張りの壁が派手に捲れあがり、ガラスも飛び散る。
———如月流星だった———。
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