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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十五章 忘却の夢迷宮
  第六話 それぞれの決意

 
前書き
  

 


 ―――ッワアアアアアァァァァァァァァっ!!


「っ、な―――何事っ?!」 

 その日、ルイズたちトリステイン一行の目覚ましとなったものは、可愛らしい鳥の鳴き声などではなく爆発のように湧き上がった歓声であった。
 窓際のベッドで寝ていたルイズは、突然耳に飛び込んできた歓声に飛び起き、慌ててビリビリと震える窓を開けた。
 すると、開放された窓から倍以上に膨れ上がった歓声が飛び込んできた。何千、何万もの人間が声の限り上げる叫びが合わさり、物理的な力をもってルイズの全身を叩く。

「ちょ、な、え? な、何がおきたって言うのよ?」
 
 一瞬にして意識を覚醒させたルイズは、寝起きで霞む目を擦りながら窓の外へと視線を向けた。
 ルイズたちが泊まっている宿は、リネン川を一望できる崖の上に出来ている。そして崖側にある部屋にルイズは泊まっていた。窓から顔を出したルイズの視界に飛び込んできたのは、草原に展開したロマリア軍が歓声を上げている様子であった。
 
「おいおい、何があったってんだよ?」

 隣りから聞こえてきた戸惑った声に視線を横に向けると、自分と同じく窓から顔を出しているマリコルヌたちの姿があった。ルイズが何気なくぐるり首を回すと、ギーシュたちだけでなく、寝起きのままの姿で窓から顔を出すティファニアやキュルケたちの姿もあった。

「なに? まさか本格的な戦闘が始まったわけじゃないわよね」
「……あ~、どうやら違うようだよ」

 “遠見”の魔法を使っていたレイナールが、ズレた眼鏡を整えながらキュルケの問いに応える。

「何か見えたのか?」
「ああ、ほら、あそこ見えるだろ。ロマリア軍の真ん中にある祭壇? みたいなやつ」

 レイナールの横から顔を出したギムリの問いかけに、レイナールは腕を伸ばしてロマリア軍の中心を指差した。皆の視線が一斉にそちらへと向けられる。確かにレイナールの言う通り、ロマリア軍の中心には、ぽっかりと穴が空いているかのように開けている場所があった。そしてその中心には、大きな櫓が、祭壇のようにも見える何かの姿があった。

「……まさか演劇でもやるつもりなのか?」
「流石にそれはない。いくら何でも杖や銃を突きつけ合っているこの状態でそんな事はしないだろ」

 ギムリが寝起きで油の浮いた頬を撫でながらポツリと呟くと、隣の部屋の窓からマリコルヌと並んで顔を出していたギーシュが首を振った。

「じゃあ、何だっていうのよ?」
「―――待ってくれ」

 寝癖を手櫛で整えながらキュルケが苛立った声で誰に言うでもなく文句を口にすると、“遠見”の魔法でロマリア軍を見つめていたレイナールから鋭い声が上がった。

「何よ?」
「どうかしたのか?」

 口々に周りから疑問の声が上がる。しかし、レイナールはそれに応えることなくじっとロマリア軍を見つめていた。

「ちょっと―――」
「教皇聖下だ」

 反応しないレイナールにキュルケが文句を言おうと口を開いたが、それはレイナールの抑えた声により閉じる結果となった。

「教皇聖下?」
「え? 教皇聖下がどうしたの?」
「あそこに教皇聖下がいるってのか? 何だ、説法でも始めるのかな?」

 口々に疑問の声が上がる中、いち早く窓から顔を引っ込めたルイズが未だ戸惑いの様子を見せるギーシュたちに声を掛けた。

「何かはわからないけど、間違いなく何か起きているわ。ほらっ! さっさと準備して行くわよっ!!」

 手早く着替えを済ませたルイズがマントを翻しながらドアへと向かう中、隣室から悲鳴やら怒声が響き始めた。

「うっそ……やめてよね。化粧する時間ないじゃない」
「え、えっとお洋服は……っきゃ、は、早くしないと……」
「ちょ、それぼくのだ―――って破れたッ!! どどど、ど、どうすんだよギムリッ!!」
「だ、大丈夫だ。ほ、ほら、そんなに破れて……あ、股間が……ま、いっか」
「ちょ、マリコルヌ早く着替えろって。あ~ッ!! いいか、脱がすぞ、しっかり踏んばれっ!!」
「ぎ、ギーシュ待てって、い、痛たたたたた、ちょ、乱暴に―――あ、駄目だ、気持ちよく……」

 部屋から飛び出したルイズは、廊下を走りながらある部屋へと向かっていた。それは、先程の騒ぎで姿を現していなかった者の部屋。あれだけの騒がしくしていたのに、窓から顔を出した者の中で姿が見えなかった者が何人かいた。その中の一人の部屋へとルイズは向かっていた。目的の部屋はルイズに用意された部屋から二室しか離れていない。直ぐに目的の部屋の前へと辿り着いたルイズは、未だ続くドタバタと騒がしい他の部屋から聞こえる音を背中に、勢い良く扉を開いた。

「―――シロウッ!! 何してるのよっ。ロマリア軍、が……え? ―――いな、い?」

 勢い良く開いた先に部屋の主―――士郎の姿はなかった。
 ドアの取っ手を持ったまま立ち尽くしていたルイズは、不意に不安が湧き上がりぶるりと一つ身震いした。

「っ、何よ……本当に、何が起きてるっていうのよ……」










「っ、は、ぅ……ったく、本当に……何だってい、うのよ」

 カルカソンヌの街から草原へと至る階段を駆け下りたルイズたちは、衰えるどころかますます大きくなるロマリア軍の歓声を前に立ち尽くした。息を切らしながらも状況を確かめようと周囲を見渡していると、壇上に掲げられた聖具を黒字に白く染め抜いた聖戦旗の隣に翻る別の旗に気付いた。

「あれって、まさかガリア王の旗?」
「そうね。間違いないわ……でも、どういうこと? なんでガリアの旗が……」

 二本の交差した杖が描かれた旗を見上げながら、ルイズとキュルケが疑問の声を上げていると背後から近付いてくる影があった。

「あら、随分と遅かったわね」
「っ、あなた―――」
「……事前に何も聞いてなかったから仕方がないじゃない……で、この騒ぎって結局何な訳? あなたは何か知ってるのかしら……ミス・トオサカ?」

 突然背後から掛けられた声に慌てて振り返ったルイズたちは、腕を組んで不敵な笑みを浮かべる凛の姿を見て苦々しい顔つきになった。自分の姿を見て顔色を変えるルイズたちを面白そうに眺める凛の後ろには、鎧に身を包んだセイバーの姿があった。セイバーは凛を睨み付けるように見るルイズたちに苦笑を浮かべると、凛とルイズたちの間にさり気なく身体を割り込ませた。

「おはようございます。ルイズ、キュルケ……これで全員揃ったようですね」

 ルイズたちの後ろにいるギーシュたちを見渡したセイバーは、小さく頷くと凛に目配せをした。

「そのようね―――っふあ……あ~全く、なんでこんな朝早くにやるのかしら。こっちは朝はもっとゆっくりしていたいってのに……」
「リン、はしたないですよ」

 大きな欠伸に対するセイバーの小言に、凛は片手をひらひらと振って応えながらルイズたちをぐるりと見渡した。

「ま、色々と聞きたいことがあるだろうけど、もう少し待ちなさい。説明しなくてもどうせ直ぐにわかるから……ただ、まあ覚悟はしておきなさい」
「覚悟?」
「って言うか全員? 何言ってるのよ? シロウがいないじゃない。それにタバサも。二人は何処にいるのよ?」
「だから直ぐにわかるって言ってるでしょ」

 詰め寄るルイズたちを凛が適当にあしらっていると、延々と続いていたロマリア軍の歓声がやんだ。

「え?」
「なに?」
「……始まるわね」
「そのようです」

 ルイズたちが戸惑う中、凛とセイバーは直ぐに突然歓声が止まった原因へと顔を向けていた。直ぐにルイズたちも凛とセイバーの様子に気付き、二人が顔を向ける方向へと視線を向けた。

「え? もしかしてこの集まりって臨時のミサ? 何よ人騒がせね」

 ルイズたちの視線が向かう先には、壇上の上で手を挙げているヴィットーリオの姿があった。先程までの五月蝿い程の歓声とはうってかわって黙り込み祈りのポーズを取るロマリア軍の姿に、キュルケが非難がましい声を上げた。
 そうこうしているうちにヴィットーリオの口から朗々と祈りの言葉が流れ始めた。どうやら正解のようだと溜め息を吐いたキュルケが、警戒して損したとばかりに苛立たしげに鼻を鳴らし凛に鋭い視線を投げかける。

「そう早合点しないほうがいいんじゃない?」
「何よ?」
「いいから、もう暫らく様子を見てなさい」

 余裕の態度を崩さない凛の様子に不満であると態度で大いに露わにしながらも、キュルケは素直に凛の指示に従い様子を見守っていると……。

「ほら、どうやら始まるみたいよ」
「え? 何が?」
「黙ってルイズ。……っもう、なんでこうも嫌な予感がするのよ」

 三十分程続いた祈りが終わり、壇上の上で両手を広げるヴィットーリオの姿に何処からとなく湧き上がる苛立たちに声を荒げるキュルケ。皆の視線が壇上へと集まる中、その中心に立つヴィットーリオの声が響く。

「本日、わたくしは敬虔なるブリミル教徒の皆さんにお話があります」

 ヴィットーリオの声は何らかの魔法が関わっているのか、ロマリア軍の後ろにいるルイズたちの耳にもはっきりとその声は聞こえていた。そしてそれは勿論向かいの岸に展開しているガリア軍にも、確実に届いているだろう。その証拠に、ヴィットーリオの視線は目の前のロマリア軍ではなく、川向こうのガリア軍へと視線を投げかけているのだから。

「今から話をするものは、是非とも狂王に従うガリア軍の皆さんに聞いていただきたい」
「説教でもはじめるともりかっ?! 間に合っているぞっ!!」
「神への祈りなんて聞き飽きてんだよっ!」

 対岸から向けられる野次に対し、にっこりと笑ってみせたヴィットーリオは、ますます笑みを深くして川向こうにいるガリア軍へと微笑み掛けた。

「そう、狂った王に従うしか他のないあなた方にこそ、です」

 ヴィットーリオの言葉に、対岸にいるガリア軍から戸惑いの声にからくる(どよ)めきが起きる。
 
「何故ならば、あなたがたが王と仰ぐ人物は、正統なるガリアの王ではないのですから」
「「「―――ッ!!?」」」

 声にならない悲鳴が、ルイズたちの口から上がった。
 反射的に駆け出そうとするキュルケの腕を、何時の間にか伸ばした凛の手が掴んだ。

「ッ―――離してっ!」
「どうせ間に合わないわよ。それに、例え間に合ったとしても、あなたにはあの子を止める事はできないわ」
「何であなたにそんな事がわかるのよ!」

 引き止められたキュルケが、険しい顔で凛に噛み付く。しかし、今にも殴りかかってきそうなほど激高するキュルケに対し、凛は微笑ましいものを見るかのように軽い笑みを向けるだけであった。

「わかるわよ」
「―――何をッ!!?」

 一番の親友であるタバサの事をさも当然とばかりにわかっていると口にする凛を睨みつけたキュルケ。しかし、自分を見つめる凛の瞳に宿る真剣な光に気付き、限界まで高まっていた怒りがスッと抜けてしまう。

「落ち着きなさい。親友の一世一代の晴れ舞台をそんな顔で見るつもり」
「あなた……」

 戸惑うように自分を見つめるキュルケの背中を、バンっと凛は強く叩いた。
 よろめくキュルケの頭を乱暴に撫でながら、凛は教皇が何者かを迎え入れようとする壇の上を指差す。
 凛が向ける指の先へとルイズたちの視線が向けられる中、教皇が差し伸ばした手の先から小さな影が姿を現した。

「……っ、やっぱり」

 周囲から響くざわめきが一層大きくなる中、ヴィットーリオの自信に満ちた声が響き渡る。
 
「あなた方が忠誠を捧げる男は、真に忠誠を捧げるべき人物ではありません。何故ならば、かつて時期王と目されたオルレアン公を虐し、王座を奪いとった男なのですから。しかし、そんな事は皆さんも分かっていることでしょう。それをわかっていながら、忠誠を捧げなければならなかった事をわたしたちは理解しています。そんなあなた方に、わたし達は救いを与える事が出来ます」
「ロマリアに降れって言うつもりかッ!!」
「今度はお前たちが王の座を奪おうというつもりだろッ!!」

 対岸から向けられる怒声に、ヴィットーリオの浮かべた笑みは一ミリも崩れなかった。
 向けられる怒声に笑みを向けながら、ヴィットーリオは壇の下から向かい入れた人物を前へと連れ出した。

「あなた方の心配は無用です。何故ならば、わたし達はただあなた方に正統な王をご紹介するだけなのですから」

 前へと進み出た人物へと手を向けながら、ヴィットーリオは宣言する。

「ご紹介しましょう。亡きオルレアン公が遺児―――シャルロット姫殿下です」

 萎縮することなく堂々と壇上へと立つタバサは、いつも着ている魔法学院の制服ではなく、豪奢な王族が着る衣服を身に纏っていた。服だけでなく、トレードマークとも言える眼鏡を外した顔には薄く化粧が施され。無表情という仮面により隠されていたタバサの高貴さが露わとなり、誰もが見とれる美しき姫を造り上げていた。
 
「タバサ……」

 壇上のタバサを見上げるキュルケの口から、力なくタバサの名前が溢れる。
 不安気に揺れるキュルケの姿を痛ましげに見つめていたルイズは、拳を握り締めると皆と同じく壇上を見上げていた凛を怒鳴りつけた。

「何でタバサがあそこに立っているのよッ!!?」
「…………」
「ちょっとっ!!」

 チラリと視線をよこしただけで何も答えない凛の態度にルイズが更に詰め寄る間にも、事態は進行する。
 想定外にも程がある状況に混乱する中、ヴィットーリオが偽物を用意したのだと考えたガリア軍の一部の者が、中洲で抗議の声を上げていた。
 それも仕方のないことだろう。
 何年もの間死んだと言われていた人間が生きていると。それもこのタイミングで現れる等、誰であっても偽物を疑うだろう。何十、何百、いや、何千もの疑いの視線と言葉が向けられる中、しかしヴィットーリオは堂々たる態度で渦中の人物―――タバサを指し示すと言い放った。

「お疑いは至極当然の事です。ですから、どうぞこちらに来ていただき、その目で確かめられてください」

 ヴィットーリオのその言葉に、戸惑いながらも幾人かの貴族たちが名乗りを上げた。彼らはかつてオルレアン公と縁がある貴族であり、幼い頃のタバサ―――シャルロットを知る者達であった。その中には以前士郎と中洲の決闘で戦った仮面を被った男の姿もあった。用意された小舟でロマリア軍の陣地まで連れられてきたガリアの貴族たちは、壇上に引き上げられ両軍の視線が集中する中、タバサと相対した。
 壇上に上がった十人のガリア貴族たちは、ヴィットーリオを一瞥する事なくタバサへと近づくとその顔を真剣な様子でじっと見つめ始める。
 一分か十分か、長い間タバサを見つめる中、貴族の中の一人が“ディテクト・マジック”を唱える。
 次の瞬間、タバサを見つめるガリア貴族たちが一斉に膝をついた。
 膝をついた一人のガリア貴族がタバサを仰ぎ見ながら、身体を震わせ喘ぐように声を上げた。

「お懐かしゅうございます―――シャルロット姫殿下ッ!!」

 涙に濡れ歪んだ声は異様な程周囲に響き、一拍を置いてガリア軍から響めきが沸き上がった。
 動揺と驚き、そして歓喜の声が上がる中、タバサの前で膝をついていた鉄仮面を被った男―――カステルモールは立ち上がると仮面を引き剥がし対岸のガリア軍へと振り返り叫んだ。

「故あって傭兵に身をやつしていたが、わたしは東薔薇騎士団団長バッソ・カステルモールであるっ!! ここにおわすのは間違いなくシャルロットさまご本人。ならば我らがすべき事は唯一つ。あの狂王を王座から引きずり下ろす事であるっ! そのための義勇軍をここに結成するっ! さあっ、我こそはと声を上げる者はここに―――シャルロットさまの下へと集えっ!」

 天へと拳を突き上げ叫ぶカステルモールに、ガリア軍は揺れた。
 目まぐるしく展開する事態に、ガリア軍の殆どがついていけないでいた。元から戦いの大義がないも同然のガリア軍であったが、それでも容易に立場を変える事など出来る筈がない。しかし、流れは確実に変わっていた。既にガリア軍からロマリア軍―――タバサの下へと駆け出す者の姿があった。
 それを後押しするかのように、ヴィットーリオの声が揺れるガリア軍に響く。

「さあ、忠義に厚く、勇敢なるガリア軍の諸君。選択の時は今である。きみたちが選ぶのはどちらの王か? この旧き由緒ある王国に相応しき王はどちららが相応しいか選ぶのです。実の弟を殺し王座を奪い、堕落に耽る無能王か? それともここにおられる、このわたし―――聖エイジス三十二聖自らが戴冠の儀を執り行う美しく未来ある若き女王か?」

 ヴィットーリオは両手を広げ、対岸で未だ惑うガリア軍に語りかける。

「よく考え、選びたまえ。時間はまだあります。しかし、無限ではありません。今ここに両用艦隊が向かっています。王となったシャルロット女王陛下をお乗せし、王座に居座る強盗からリュティスを奪い返し、この真の国王を王座に座らせるために。この場で留まるのはあなた方の自由ですが、その時は賊軍の汚名を被る事を覚悟しておきなさい」

 ブリミル教の頂点である教皇ヴィットーリオの言葉が、最後の一押しとなった。
 まばらだった兵士や貴族の流れが、堰が崩れるように一気に増加した。ガリア軍のあちらこちらで議論の声が発生するが、一度傾いた流れは変える事は出来ない。中には杖を抜いてまで引きとめようとする者もいたが、どちらが優勢かは火を見るよりも明らかであった。
 凛に詰め寄る事を忘れ怯えるように震えながら、その様子をルイズは見つめていた。
 一体誰が、どのような手を使ったのかはわからない。
 はっきりしているのは唯一つ。
 誰がどうやってかは知らないが、何者かがタバサの変心を引き出したに違いない。
 このままでは確実に、間違いなくガリア軍は全て義勇軍へと変わってしまうだろう。そして、全てはロマリア教皇の思い通りに事が運ぶのだ。
 そうなれば、聖戦は止まらない。
 女王陛下―――アンリエッタが止めようとした聖戦は一気に加速する。
 これで―――。

「―――もう、誰にも止められない」

 ぐっ、と噛み締めた口元から一筋の血が流れる。
 そう、最早流れ出した勢いを止める術は誰の手にもない。
 転がり始めた巨岩を受け止めることなど、誰にも出来はしないのだから。
 どれだけの血が、涙が流れるか想像し、ルイズは血を吐く思いで呟かれた言葉は、

「大丈夫なんじゃない?」
「大丈夫です」

 楽しげに笑う声と、穏やかな、優しげに聞こえる柔らかな声に受け止められた。
 
「え?」

 はっと顔を上げたルイズを、二つの視線が迎え入れる。
 一人は悪戯っぽく何かを含んだ笑みを。
 一人は力付けるような笑みを。
 ルイズに向け頷いて見せた。

「安心しなさい。あなたの友達は大した女よ」
「ど、どういうことよ」
「ルイズ。つまりタバサはあなたと同じということです」
「あ、アルトも―――もうっ! 一体なんだっていうのよっ!?」

 む~っ! と怒ってみせるルイズに背を向け、凛は南西の空から姿を現す大艦隊を物珍しげに見つめながら、ひらひらと背中越しに手を振ってみせた。
 
「つまるところ―――」

 くるりと肩越しに振り返った凛は、怒っていたルイズも思わず見とれる程の、花が咲いたような魅力的な笑顔を向け断言した。

「―――恋する女は強いってことよ」






 

 

 一国の運命の変動に揺れるカルカソンヌを、遥か彼方から眺める者達がいた。
 小型のフリゲート艦に乗り込んだジョゼフたちである。甲板に立つジョゼフの隣にはミョズニトニルンが控えており、その後ろには、魔除けの像としてよく見られる悪魔の形をしたガーゴイル型の魔法人形が立っていた。

「どうやら両用艦隊が到着したようです」
「ふむ。それでは早速試してみるとするか」

 空の向こう。
 米粒以下の大きさにしか見えない両用艦隊の姿を、どのような手段かはわからないが、ミョズニトニルンが主であるジョゼフに両用艦隊の到着を伝えると、ジョゼフは楽しげに笑い懐から赤い石を一つ取り出した。それはまるで炎を凝縮して出来たかのように紅く輝いているようにも見える石であった。
 それはエルフの手によって作り出した“火石”と呼ばれるものであり、今から地獄を造りだそうとするものであった。

「―――一体何をするつもりですか」

 それまで黙ってジョゼフたち主従の会話を聞いていたアンリエッタが、低い探るような声を上げた。
 ガーゴイルの背後には、後ろ手に縛られたアンリエッタとアニエスの主従の姿があった。

「なに、言ったであろう。“地獄を造る”のだと」
「……それを聞いて黙っていられるとお思いですか」
「いくら喚こうが叫ぼうがもう止められんよ。お前には見ているだけしかできない。ははっ、悔しいか? なあ、憎いか? 今から地獄を造り出そうとする男を止める事ができないのが、残念でならないか?」
「貴様―――ッ!!」

 呵々と笑いながら振り返り、アンリエッタを見下ろすジョゼフに、アニエスが激昂し飛びかかろうとするが、二人を監視しているガーゴイルの一体に取り押さえれてしまう。
 ジョゼフたちが乗るこのフリゲート艦には、実の所この場にいる者しか人間はいなかった。船を動かしているのは人間の水兵などではなくガーゴイルであった。数十体にも及ぶ数のガーゴイルが、どのような手を使ったのか、まるで何十年も船で過ごしてきたかのような熟練の水夫の動きで船を動かしていた。
 
「ええ、悔しいですし、憎いです」
「……気に入らんな」
「何がですか」

 感情を爆発させるアニエスとは違い、何処までも冷静な姿を見せるアンリエッタを、ジョゼフが戸惑う、というよりも不審な目つきで睨みつけた。

「何故そうも冷静でいる。もしやおれが言っているのことが全てハッタリだと思っているのか?」
「違います」
「では、何故そんな態度でいられるのだお前は?」

 静かな、しかし強い詰問の言葉に、アンリエッタは一度瞼を閉じると数秒後ゆっくりと瞳を開いた。

「そう、ですね……それは、多分わたくしが信じているからでしょう」
「……一体何を信じていると言うのだ?」
「彼を―――シロウさんを、わたくしは信じています」

 両手を縛られ、更に周囲にはガーゴイル。自由を奪われ、何も出来ない状態であるにも関わらず、アンリエッタは堂々とした態度でジョゼフと相対していた。

「……ふんっ。結局は人任せと言うことか。女王と言っても所詮は女だな。気楽なものだ。信じている。信頼している。きっとあの方なら何とかしてくれる。それで全部放り投げておけばいいだけなのだから。良かったな女で。男の背中に隠れ、終わるのをただ待っているだけで全てがすむのだからな。その報酬は何だ? 金か? 地位か? それとも既にその顔と身体で誑かしでもしていたのか?」

 挑発するように顔を近づけながら侮蔑の言葉をかけてくるジョゼフに、ガーゴイルに取り押さえられたアニエスが憤怒の顔で暴れる横で、当の本人は軽く目を見張った後、小さな笑みを口元に浮かべるだけであった。

「残念ながらまだお手つきになっておりませんわ。わたくしなら何時でも歓迎いたしますのに」
「で、殿下っ?!」

 アンリエッタがくすくすと笑いながら口にした言葉に、怒声を放ち暴れていたアニエスから詰まった悲鳴の如き声が漏れた。
 ジョゼフもまさかそんな返事が返ってくるとは想定外だったのか、呆気に取られた顔をしている。

「それに、気楽と言っておりましたが、随分と見当違いな事を口にされるのですね?」
「……何がだ?」

 アンリエッタの笑みを含んだ声に、警戒する様子を見せるジョゼフ。これまでの経験から、こんな様子を見せるアンリエッタは色々ととんでもないことをジョゼフは知っているからだ。

「男と女の違いはありますから仕方がないところもあるのでしょうけど……それでもこれだけは知っていただきたいですわ」

 ずいっと一歩前へと歩を進めたアンリエッタに、ジョゼフは身体を微かにだが、後ろへと下げてしまった。
 それは周りにいる者でも気付かない程の些細なものであった。
 別に怯んだわけではない。
 何か仕掛けてくるのかと警戒したわけではない。
 ただ、気付けば身体が下がっていたのだ。
 当の本人であるジョゼフ自身が困惑していた。
 
「ッ―――……もう良い。別に知りたいとも思わん」

 小さく舌打ちをしたジョゼフは、逃げるようにアンリエッタから顔を離すと、隣に控えるミョズニトニルンに目配せをした。
 何かぼうっとしていたミョズニトニルンは、ジョゼフの視線に気付くと何時もの余裕を何処かに置き忘れたかのように慌ただしい動作で近くのガーゴイルを一体ジョゼフの前へと移動させた。
 ジョゼフは先程取り出した“火石”に杖を突きつけると、朗々と呪文の詠唱を始める。 
 甲板に朗々と響き渡るあまり耳慣れない、しかし、かつて一度耳にしたことがある呪文に、アンリエッタはジョゼフの正体を知った。

「……そう、ですか。あなたがガリアの虚無の担い手だったのですね」

 ジョゼフの唱える呪文を耳にしたアンリエッタが、呟くようにそう口にした。
 アンリエッタの言葉に、当の本人であるジョゼフは何の反応も見せずに呪文の詠唱を続けている。アンリエッタはジョゼフの詠唱を聞きながら、かつて耳にした呪文を思い返していた。

「唱える者が違うだけで、こうまで変わるものなのですね」

 いつか聞いたルイズの詠唱は、力強く、明日への希望に満ちており、困難に立ち向かおうとする勇気が感じられた。
 しかし、今聞いているジョゼフの詠唱は違う。
 憎しみや怒り、悲しみに満ちているわけではない。
 ただ、そう、ただ、何もないのだ。
 何も、感じられない。
 いや、一つだけ、あえて上げるのならば―――“絶望”、その感情だろうか?
 何かを諦めたような、底のない暗い穴を覗き込んでいるようだ。
 
 アンリエッタが答えのない思考を巡らせている間に、ジョゼフの呪文が完成した。呪文を完成させたジョゼフは、杖とは逆の手に持つ“火石”に向かって杖を振るった。
 ジョゼフが唱えた呪文の名は“エクスプローション(爆発)”。
 威力を調整された“エクスプローション(爆発)”は、決して破られる筈がないエルフの強固な結界に小さな亀裂を入らせた。
 直後、ビチチチチ―――と甲高い音が鳴り響き、火石が細く震えだした。
 “火石”に押し込まれていた“火の力が溢れだそうとしているのだ。
 全員の視線が“火石”に集まる中、ジョゼフは感情の読めない冷めた目つきでそれを無造作にガーゴイルに向かって放り投げた。
 放物線を描く“火石”を、ガーゴイルは見事にキャッチし、そのまま甲板から飛び立っていく。
 ミョズニトニルンに操られたガーゴイルは、通常のガーゴイルとは比べ物にならない速度でカルカソンヌへと向かう両用艦隊へと飛んでいっている。
 既に見えなくなったガーゴイルを思いながら、ジョゼフは間もなく起きるだろう出来事を思い、願った。
 今度こそ自分は泣けるのだろうか、と。
 涙を流すことが出来るのだろうか、と。
 間もなくこの場に地獄が顕現する。
 万物を焼き潰す炎が全てを燃やし尽くすのだ。
 何千、何万もの命が灰になるだろう。
 あらゆる命が、抵抗する事も出来ず無為に消えていくのだ。
 それを見て、自分は悲しみを感じられるだろうか?
 心の奥では無理だと分かっていながらも、期待してしまうのだ何故だろうか?
 未練がましく縋るように無いに等しい可能性に期待しているのは、何故なのだろうか?
 チラリと、何とはなしにジョゼフは視線を動かす。
 視線の先にはガーゴイルが向かっていった先であった。
 ふと、今から起きる光景を見て、この女がどういった反応を見せるのか興味を抱いた。
 何千、何万もの兵士たちが死ぬ光景を見て、この女はどんな顔を見せてくれるのか?
 その澄ました顔が、どのような形相になるのか?
 死者が出ないようにと、戦争を止めるため奮闘してきたこの女が、一方的に消される兵士たちの命を思えば、一体どんな顔を見せるのか?
 『信じる』、そんな言葉だけで全てを他人に任せた結果起きた惨劇を前にして、この女はどうなるのか?
 そんな事を取り留めなく考えていたからか、知らぬ間にジョゼフの口は動いていた。

「……お前がいくらあの男を信じていたとしても、結局何も変わりはしない。これから起こる事を、誰にも止める事ができんのと同じようにな」
 
 嘲笑する混じりのジョゼフの呼び掛けに、アンリエッタはカルカソンヌへと向けていた顔をジョゼフへと移す。
 その顔は、何処までも穏やかであった。
 
「―――ッ」

 瞬間、何故か―――言いようのない苛立ちをジョゼフは感じた。
 焦るような、もどかしい鈍い気持ち。
 それは何故か、かつて、何処かで感じた気がする。
 言葉に出来ない苛立ちが頂点に達し、何も考えずに何かを口にしようとしたその時であった。
 

 
 ――――――ッッッ!!!!



 まずは光だった。
 目を潰さんばかりの莫大な光が甲板に立つジョゼフたちを覆い尽くした。
 次に音。
 光の後、一拍を置き爆音が轟いた。小型のフリゲート艦とはいえ軍艦がまるで津波に揉まれる小舟のように揺れた。
 最後にきたのは熱波。
 下手をすれば身体が焦げ付きかねない熱波が、甲板に転がるジョゼフたちの身体を舐めた。
 
「っぁ―――く、何が起きたぁッ!!?」

 甲板を拳で殴りつけながら立ち上がったジョゼフが、顔を手で押さえながら大声を上げた。
 ジョゼフが乱雑な手つきで目元を揉んでいると、霞んだ瞳は次第に像を結んでいく。
 
「……一体、何が起きた」

 自然とこぼれ落ちる言葉。
 ジョゼフの視線の先、巨大な炎の玉があった。
 太陽の如く赤々と燃える炎。
 ジョゼフは突如現れた炎の玉に驚いたのではない。
 それが現れる事は知っていた。
 驚いたのは、その炎の玉が出現した位置があまりにも近かったからだ。
 予定では、カルカソンヌの南西から現れるガリア両用艦隊の中心で現れる筈であった。
 それが、一体……。
 信じられないものを見るように、地獄を造り出す筈だった炎の玉を見つめていたジョゼフは、視界を過ぎる炎ではない紅に気付いた。

「あれ、は?」

 遥か天空に輝く星のような小さな赤い光は、段々とその輝きを大きく―――

「―――ッな?!」
 
 みるみるうちに紅い光は鋭く尖り、極光となって甲板へと向かってきた。
 そして、それはまるで意志があるかのように紅い光で出来た線を中空に描きながら甲板の上を翔け、アンリエッタたちを取り囲んでいたガーゴイルを全て貫き破壊した。

「まさか―――これはッ!!?」

 直感的にそれが誰の仕業か感じ取ったジョゼフが、慌ててカルカソンヌの方角へと顔を向けた時、急速に萎んでいく炎の玉の向こうから、飛んでくる竜の姿が見えた。
 まだ竜のシルエットしか見えなかったが、それでもその背中に乗っている者がジョゼフにはわかっていた。



「エミヤ―――シロウッ!!」



 
 

 
後書き
 感想ご指摘お待ちしています。

 ……あと二話で終わるかな? 
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