奇跡はきっと
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3部分:第三章
第三章
「裕二郎ちゃん。子供の頃からずっと」
「旦那が死んだのはあの子が二十になった時だったね」
「そうそう。穏やかだったねえ」
「あの時お葬式が終わってから私とあの子で茄子の漬け物を食べたのよ」
「茄子?そういえば今はないね」
「今作ってるんだよ」
マチは今度は家の右手に顔をやった。台所がそちらにあるのである。そこに何があるのかはもうサクもわかっていることであった。
「あの子が今帰ってきても食べられないけれどね」
「じゃあ帰って来るのは食べられるようになってからの方がいいね」
「そうだよ。折角苦労して手に入れた茄子なんだよ」
この時代食べるものがとにかくなかった。だからマチも今はお粥に梅干なのだ。実際に餓死する者さえ出ており危機的な状況であったのだ。
「それを食べてもらわないとね」
「そうだよね。本当に」
「帰って来たら一緒に食べるんだよ」
またその台所の方を見ての言葉であった。
「二人でね」
「その時は待ち遠しいね」
「全くだよ」
マチは我が子が帰って来ることを確実だと思っていた。そうして毎日家で食事を作りながら彼が戻って来るのを待っていた。しかし周りの人はそうは思っていなかった。
あの復員兵服とカストリを買っていた若者は今は屋台をやっていた。随分と粗末な今にも壊れてしまいそうなその屋台ですいとんをやっていた。客達にそれを売りながらそのうえでマチのその家を見てそのうえで話をしていた。
「なあ」
「何だ?」
復員兵服はそのままだった。服も碌にないから当然だった。その彼に若者が声をかけてきたのである。
「マチ婆さんの息子だけれどよ」
「ああ。あの人がどうしたんだ?」
「生きてるのかね」
若者は丁度客にすいとんを出しながら言うのだった。かなり薄い汁の中に小麦粉の団子が何個か入っているだけである。それがすいとんであった。
「本当に。どうかね」
「さあな」
復員兵服は相方の言葉に首を捻らせるだけであった。
「生きていればいいけれどな」
「インパールだからな」
その九割の参加兵力が消えてしまった戦いである。後に球界において知将の名を欲しいままにした三原脩もここで死線を彷徨っている。
「果たして生きているかどうか」
「わかったものじゃねえよな」
「イギリスの連中に捕まったんじゃねえのか?」
復員兵服はこうした予想も立ててきた。
「ひょっとしたらよ」
「イギリスにか」
「相当酷い連中だって聞いてるけれどな」
復員兵服の男の言葉は真実であった。イギリスの捕虜収容所では日本兵は人間とさえ思われていなかった。虐待もありまた赤痢菌の入った蟹だけがいる島に置かれそれを食べて死ぬに任されるといった仕打ちまで受けていた。捕虜になってもそうした有様であった。
「どうなるやらな」
「わからないか」
「駄目なんじゃねえかとは言いたくねえけれどな」
復員兵服の男は首を捻り難しい顔をしだした。
「けれどよ、インパールでしかもそんな相手だぜ」
「ああ」
「やばいだろ、どう考えても」
この言葉を出さざるを得なかった。
「戻って来れるのはよ」
「そうか、やばいか」
「露助に捕まった連中とどっちがひでえかな」
当時は何が行われていたのかよくわかっていない部分があった。それに加えてとある新聞社がソ連を賛美する記事を書き連ねておりソ連という国家に対する認識がおかしくなっていた時期である。なおこのおかしくなっていた時期というのはソ連崩壊までである。
「本当にな」
「けれど婆さんは信じてるぜ」
若者はこのことを話した。
「今でもよ。息子さんが絶対に帰って来るってな」
「そりゃ俺だって帰って来たらいいって思ってるさ」
復員兵服は今度はすいとんのその団子を作っていた。流石にこれがなくてはすいとんではない。まさにそれがなくてはであった。
「それはな」
「しかしそれでもかよ」
「御前も死んでるなんて思いたくねえだろ」
「当たり前だろ。生きていてなんぼだぜ」
それはこの若者とて同じであった。やはり彼も裕二郎に生きていて欲しかったのだ。彼にしろ復員兵服の男にしろ決して悪人ではないのだ。底意地が悪くもなかった。
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