白梅
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5部分:第五章
第五章
「そう言われております故」
「そうした者がまことにいるならば」
徐は自分の心と言葉を包み隠しながらまた述べた。
「伝えて欲しい」
「何を」
「今度しくじれば命はないとな」
忠告だった。
「だがそれでも。やるのというのなら止めはしない」
「左様ですか」
「そうだ。それを彼に伝えて欲しい」
「わかりました」
物乞いは徐のその言葉に頷くのだった。
「それではそのように」
「会えばな。その者に」
「この世は広いもの。会えるかどうかはわかりませぬが」
ここでも。やはり話は表には出されてはいなかった。だがそれでも話されるのだった。
「会えば伝えておきましょう」
「頼むぞ。それではな」
「はい」
こうして二人は別れた。市中での話だった。それからまた暫くして。趙が馬車に乗り供の者を大勢連れて橋を渡ろうとした時だ。不意に馬達が橋の前で動きを止めてしまった。
皆それを見て怪訝な顔になった。
「はて、これは」
「面妖な。一体何が」
「そうか」
趙は馬達が動きを止めたのを見てすぐに橋の下に目を向けた。そこにあるものを見ていたのだ。
「橋の下を探せ」
そのうえで周りの者達に命じた。
「あの男がいるぞ」
「あの男と申しますと」
「まさか」
「そうだ」
周りの者にはっきりと答える。
「豫譲だ。いるぞ」
「まさか」
「あの男は姿を消したのでは」
「死んだとも」
世間ではこう言われていた。しかし趙はその話を信じてはいなかった。だから今もはっきりと彼の名前を出したのである。
「よいから探すのだ」
あらためて命じる。
「わかったな」
「そこまで仰るのでしたら」
「それならば」
周りの者もそれに従うのだった。そうして橋の下を調べると。一人の粗末な物乞いが姿を現わしたのであった。
「この者が豫譲ですか」
「まさか」
誰も彼の姿を見て彼が豫譲だとは思わなかった。趙以外は。
趙はその物乞いを馬車の上から見ている。険しい顔で。その険しい顔で言うのだ。
「違うというのだな」
「お言葉ですが」
そのうちの一人が彼に答えた。
「どう見てもこれは」
「豫譲では」
「香らぬか」
しかし彼はここでこう言うのだった。
「香り!?」
「そうだ、香りだ」
彼は香りを言う。
「これは梅の香りだ」
「むっ」
「言われてみれば」
趙に言われてようやく気付いた。確かに梅の香りが漂っていた。しかもその香りは一見みすぼらしく病んでいるその物乞いから香っていた。
「梅だ。これで言い逃れはできぬぞ」
趙はあらためて物乞いに対して告げた。その険しい顔で。
「豫譲、そうだな」
「おわかりでしたか」
観念したのか物乞いはこう答えてきた。やはり彼は豫譲だったのだ。
「まさかとは思いましたが」
「梅を放さなかったのが迂闊だったな」
趙が指摘したのはやはりそこであった。
「もっとも。気配は感じていたがな」
「御見事です。流石は趙襄子様」
素直に彼を褒め称えて頭を垂れる。趙はその彼に対してさらに言う。
「豫譲」
また彼の名を呼んだ。
「聞きたいことがある」
「何でしょうか」
豫譲は趙の問いに顔を向けた。漆でかぶれ病にしか見えないその顔で。
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