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女傑

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6部分:第六章


第六章

「宜しいか」
「奥方様にか」
 城壁にいる兵士がそれに問うた。
「そうだ」
 男は答えた。
「是非共」
「そう申しておりますが」
 その話はすぐにカテリーナに伝えられた。彼女はこの時胸当てに抜き身の刀を手に城塞の中を駆け回っていた。その彼女に伝えられたのであった。
「私にですか」
「はい」
 兵士はそう伝える。
「どうされますか」
「誰なのでしょうか」
「そこまでは言ってはいないのですが」
「ふむ」
 だがそれがかえってカテリーナの関心を誘った。そうした意味では男の行動は当たっていたと言えるであろう。
「それでは奥方様」
「会いましょう」
 カテリーナはその関心を自分でも拒むことはなかった。それで応えた。
「それでその者のいるところは」
「正門のところです」
「わかりました。それでは」
 こうして彼女は正門に向かった。そしてそこにいる男を見た。彼を見てすぐに気付いた。
「貴方は」
「はい」
 まずは会釈をした。馬から下りていた彼はまるで舞踏会のそれのように優雅な会釈をしてみせた。カテリーナもそれに返したがそれはまさに舞踏会の挨拶のようであった。
 男はにこりと笑って彼女に応えた。何とそこにいたのはチェーザレであったのだ。
「お久し振りです、伯爵夫人」
「以前御会いした時はまだ子供だったというのに」
「憶えておられましたか」
 チェーザレはその言葉を聞いてにこりと笑ってきた。
「私のことを」
「勿論です」
 カテリーナは城壁の上に立っていた。そこからチェーザレを見下ろしての話し合いであった。
「忘れる筈もありません」
「それは光栄です」
「かつてはまだ枢機卿にもなっていなかったというのに」
「あれから長い月日が経ちましたからね」
「そうですね」
 カテリーナはチェーザレの言葉に頷いて応えた。
「あの小さかった坊やがここまで」
「だが貴女は変わるところがない」
 チェーザレは顔を見上げてこう述べた。
「お美しい」
「有り難うございます」
「そして昔馴染みとして申し上げます」
「何をでしょうか」
「貴女のことは私も知っております」
 チェーザレはカテリーナを見上げながら言ってきた。
「ですからここは」
「何をされるおつもりですか?」
「私としても知った顔と剣を交えるつもりはありません」
 話をそれとなく本題に入れてきていた。カテリーナもそれを受けていた。
「ですからここは」
「公爵様」
 だがカテリーナは悠然とチェーザレを見下ろしたまま述べてきた。
「私はスフォルツァの者です」
「はい」
 チェーザレはまずはその言葉を受けた。
「無論それは存じております」
「ならばおわかりでしょう」
 その整った顔に微笑みさえ浮かべて述べるのであった。
「運は勇気ある者を助け臆病者を見離すものです」
 カテリーナだからこその言葉であった。彼女はその言葉のままに生きてきた。それだけに言葉には有無を言わせぬ強さがそこにはあった。
「私は恐れを知らなかった者の娘、如何なる不幸に襲われても断固として自分の人生の終わりまでその不幸の跡を歩んで参る所存です」
「最後までですか」
「そう、最後までです」
 毅然としてチェーザレを見据えていた。
「私も国の運というものがどれだけ移ろい変わるものであるのかはよく存じております。ですが私は私の全てである祖先の名を汚すつもりはありません」
「スフォルツァの名を」
「そうです」
 彼女はまた言い切った。
「私には自分を守るだけの力はあります。貴方もそれに対抗出来ない方ではないでしょう」
「ほう」
「チェーザレ=ボルジアとして」
「ふむ」
 チェーザレはその言葉を聞いてカテリーナにまた言った。
「それでは剣を抜かれるというわけですね」
「その通りです」
 今正式に宣戦布告が為された。そのうえでカテリーナはさらに述べるのであった。
「スフォルツァ家の名誉を以って今貴方の御好意に報わせて頂きます」
「わかりました」
 チェーザレはそれを受けて頷いてきた。
「それではそれで」
「はい」
 二人の間に今風が通った。その風は見えはしなかったがそれでも二人の間を確かに通り過ぎ何かをもたらしたのであった。それは確かに二人も感じた。
「ですが申し上げましょう」
「何を」
 さらに言うチェーザレの言葉に顔を向けてきた。
「貴女は私の腕の中に収めると。今ここに申し上げます」
「願ってもない御言葉」
 カテリーナはその言葉を受けて笑った。今度は女としての笑みであった。
「それでは次は剣で」
「ええ、それで」
 カテリーナはチェーザレの言葉を今度は受けた。そして互いにそれぞれの場所に戻り戦いに備えるのであった。今戦いは幕を開けた。
 戦いは誰もがチェーザレの勝利に終わると見ていた。傭兵達もそう思ったいたからこそチェーザレについたいた。これはフランス軍も同じである。しかしカテリーナはやはり剣に生きる女であった。
 手強かった。易々と陥ちると思われた城は中々陥落しなかった。そしてそのまま二週間が過ぎ三週間が過ぎた。カテリーナはそれでも粘り戦い抜いていた。流石はスフォルツァの者と賞賛する声もあればチェーザレの力量を侮りだす声も出て来ていた。
 それをチェーザレの家臣達は敏感に感じていた。それでフォルリの街に本陣を置く彼にそれを伝えてきた。
「それはわかっている」
 その報告に対するチェーザレの言葉は至極落ち着いたものであった。平然としてこう返してきたのだ。
「驚くことはない」
「そうなのですか」
「そうだ」
 彼は悠然と言った。
「まだ陥落する気配はないな」
「残念ながら」
 こちらの報告も本来なら彼にとって実に不都合な筈である。だがそれでも彼は落ち着いたものであった。
「フランス軍も傭兵隊もその士気を低下させてきております」
「中には持ち場を離れようとする者も」
「出て来ているというのだな」
「はい」
「憂慮すべきことかと」
 この時代の兵士達は金で雇われた者達ばかりである。特にこのイタリアではそうであった。その為彼等は戦利品がない場合や敗北が明らかな場合には容易に寝返った。時には大規模な略奪を働き街に多大な損害を及ぼすことさえあった。後に神聖ローマ帝国とローマ教皇が対立した時にはドイツの傭兵隊によってローマが灰燼に帰している。ドイツの傭兵達はその趣味の悪い服装でも有名なランツクネヒトであり三十年戦争においても悪名を轟かせている。マキャベリはそうした傭兵達を見て市民軍の設立を唱えていた。これは後に各国で実現されることになりチェーザレもそれを徐々に導入していったのである。
「そうか」
 だがそれを聞いてチェーザレの様子は変わらなかった。
 
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