Impossible Dish
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第一食
前書き
料理食ったときのリアクションとかどうすればいいんだろうと悩みながらも投稿。
第二話まで読んでみた方が面白いと思いますので、どうぞ。
裕福な家庭なんだな、と一目見れば解るほど上品な内装で整えられた一室。その中央に備えられた品が感じられるテーブルに着く少女と少年。
片や、長い金髪を輝かせ、瞑目していながらも絶世の美女であることを窺わせる整った顔立ちを持つ少女。彼女の前には白磁の皿にこじんまりと盛り付けられた料理があり、その脇にナイフとフォークが置かれている。盛り付けの一部が欠けていることから、どうやら一口食したらしい。
片や、短く切り立った黒髪が特徴的で、こちらも万人に聞けば万人が綺麗だと評する美少年。金髪の少女の真正面に座る彼だが料理は出されておらず、むしろエプロンを着用していることから少女に料理を振舞っているのかもしれない。
慎ましくも高級感の漂う部屋に、見目麗しい少年少女がテーブルに向かい合っている。この場面を絵にすれば、どこかの国の貴族の日常風景のように見えるだろう。
ただ、少年の顔色は優れていないせいで、平和的な絵画になることはありえなかった。端整な顔に脂汗を浮かべ、口角は緊張のあまり強張って変な角度に吊り上っている。心なしか切り立った髪が萎れてたりする。少年の目線は咀嚼を終えたばかりの少女の口元に固定されており、さながら死刑宣告を待つ囚人のようであった。
事実、死刑宣告が下された。
「まずい」
うっすらと目を明けた少女は、ただその一言を冷淡な声音で言い渡した。少年の料理を食した彼女の顔も氷のように冷たく、どこまでも無表情だった。
己の傑作を一言で一蹴された少年はがくりと首を落とし、申し訳なさそうに皿を下げた。
「ごめんなさい……。出直してきます……」
これが、薙切えりなと薙切なおとの始まりである。
◆
「今日から薙切家の一員になる子だ」
それが薙切家当主仙左衛門からによる薙切なおとの紹介だった。たったそれだけで紹介を済まされてしまった薙切インターナショナルの重鎮を始め、えりなの母レオノーラすらも呆けた。我を取り戻した彼らは更なる説明を要求したが仙左衛門は頑として詳しく答えず、ただ「養子として引き取った」とだけ返した。何と言おうと当主の決定なので最終的にはなおとを薙切に迎え入れることになった。
養子ということなので苗字は薙切、しかも名前は仙左衛門が直々に付けたなおと。引き取った当時はまだ首も据わっていない赤ん坊である。最初は一体なぜ前触れもなく養子を取ったのかと疑問に首を傾げたが、仙左衛門ほどの人がわざわざ引き取るほどなのだからきっと世界に名を馳せる料理人の息子なのだろうと勝手に宛てを付け、なおとの成長を期待するとともにどこへ出しても恥の無い超一流の料理人に仕立て上げるべく教育の準備を始めた。
しかし、そんな彼らの期待は呆気なく裏切られることになる。
なおとが二歳になり、いざ料理の勉強を受けさせたのだが、全くと言っていいほど反響が無かった。つまり、どこまでも凡の域を超えることは無く、才能の欠片すら感じられないものだったのだ。
超一流の料理人の息子だからと言って、それイコール天才少年ということは決して無いのだが、やはり仙左衛門がわざわざ目に付けたほどなのだから我々を驚かす何かを持っているはずだと思い込む彼らはあれこれとなおとの秘めた才能を探すものの、結果として全く無。凡人ここに極めりだった。
包丁を握らせてもすぐ指先を傷つける。食材の目利きもろくに出来ない。調味料の名前や味も覚えられない。挙句の果てに一日前に教えたことを半分以上忘れている。
薙切の苗字を持つ者とは思えないほど平凡である。
それに打って変わって、なおとと同年代のえりな。彼女には神の舌とまで呼ばれる優れた味覚を備えていた。ついこの間なんか目隠しして利き塩を行い、名称を全て言い当てるという離れ業すら披露して見せた。加え料理人としても文句無く、一を教えれば十を学ぶ、天才児に相応しい才能の持ち主である。
なおとがどうなるかは目に見えていた。
最低限の教育は施されてもそれ以上は何もされず、以前までは料理の勉強もあったのに仕舞いには教室に呼ばれることもなくなった。屋敷の中で誰かとすれ違うたびにゴミを見るような目を向けられ、影から聞こえがよしに皮肉られ、食事もえりなとは時間をずらし同席は許されず、出される料理は粗雑な物ばかり。事あるごとにえりなと天秤に掛けられ、解りきっていることなのにわざわざ本人の前で屑と吐かれ。
およそ子供相手にするような態度ではなかった。虐待と言っても過言ではない環境だった。それが三歳のなおとの人生だった。
しかし、なおとは諦めなかった。
勿論周りの大人の対応に自閉症寸前まで精神的に追い込まれたなおとだが、そんな彼を唯一見捨てなかった人がいた。
仙左衛門だった。彼だけはなおとを見捨てなかった。それが養子を引き取った人としての責務だったのか、人情が働いたからなのか、それとも仙左衛門にだけ見えるなおとの才能を気遣ったのかは解らない。ただ、仙左衛門だけはなおとにしっかりとした教育を施し続けた。
「狭い厨房だが、ここは君専用の厨房だ。いついかなる場合でも、ここの使用権は君にある。好きにするといい」
教育だけでなく、料理の勉強も面倒見た。薙切家としては狭い厨房だが一般的な目で見れば十分な厨房だ。それを他でもない、自分のためだけに与えてくれた。追い詰められたなおとにとって、それだけで良かった。それだけがなおとの生きる指標だった。
専用の厨房を与えられた幼いなおとは、それからというものの劇的に変貌した。
どうせこの人たちも僕のことを邪魔だと思っているんだろうな、と思いつつおざなりに受けていた一般教育を積極的に取り組み、毎度行われる確認テストも日に日に成績を延ばしていく。隙間時間に欠かさず勉強をし続けた。
時間さえあれば与えられた厨房に篭った。幸い学校で習うような教育はすべて薙切の屋敷内で行われることだ。一日中屋敷内にいられるのだから、ちょっと空いた時間があればすぐに厨房に入ることが出来た。
仙左衛門の厚いバックアップもある。料理に関する参考書に隙はなく、一流の料理人になるために必要なあらゆる事項を取り揃え、同時に限られた時間だが仙左衛門が直々に指導した。
一言で言えば過酷だった。それはおよそ四歳児が送って良いような日課ではなかった。だがしかし、当のなおとの顔は四歳児に相応しい、光輝いた笑みを浮かべていた。
確かに凡人だ。味を超精密に分析したり、それを表現できるなんて事は出来ない。でも、努力は出来た。努力をすれば才人に近づくことが出来た。
確かに追い越せないかもしれない。追いつけないかもしれない。でも、努力を怠る理由は無かった。今までのようにただ薙切の恥として生きるくらいならば、自分を見下す人たち全員を見返せるような腕を目指して励みたかった。
そして五歳になった。なおとの誕生日の昼に、仙左衛門がなおとの厨房を訪ねてきた。いつもなら忙しいから夜遅くに指導しに来てくれるはずなのに、と思いつつも仙左衛門を快く迎え入れ、彼が指導するときに愛用している椅子を引いてきてそこに座ってもらう。
長く蓄えた雄雄しい髭を一撫でしつつ、威圧的な外見に朗らかな笑みを浮かべながら礼を述べ着席した仙左衛門がふむと前置きを入れた。
「調子はどうかね」
「基本徹底の半ばです。教えてもらった通り、丁度今習ってきた全ての復習を終えたところです」
五歳児なのに大人びえた口調で答えたなおと。一般教育の中に作法もあり、それをきちんと身に付けていることの証明なのだが、これはなおとが仙左衛門のことを衷心から敬っている現われでもあった。
因みに与えられた数多の参考書には入門、基本導入、基礎徹底、応用導入、応用徹底、発展の六段階が設定されており、なおとはその二段階までをこの一年で完璧に習得してみせたのだ。加え調理理論、栄養学、衛生学、栽培概論、経営学といった料理人として必要な事項それぞれの参考書全てだ。それを成し遂げた印は、この厨房にある。
ちょっとした大きな部屋くらいの厨房には、あらゆるところに紙が貼られていた。壁だけと言わず床にも天井に届きうるほど積み上げられており、その一枚一枚にはびっしりと文字が書き込まれている。料理の実習をするためのスペースはきちんと確保されており、そこだけ理路整然と掃除されているせいか逆に不自然に映った。
調理台の上に並んでいる沢山の皿も然り。一つ一つは料理人として当然のものばかりだが、逆に言えばなおとは基礎を完璧に物にしてみせており、午前から正午に至るまでに習得した全てを復習として表現したのだ。その手際の良さたるや、凡の五歳児がちょっとやそっとで出来るレベルではない。
この厨房に詰め込まれたもの全てが、一年間のなおとだった。すぐ足元に落ちている料理に関する知識が隙間無く書き込まれた紙も、壁じゅうに貼られている料理時の注意や自分に対する戒め文句が書かれた紙も、たった一年で幼児特有の柔和だった手も硬くなったのも、文字通り一年間余さず努力し続けた結果である。
仙左衛門以外の誰かがこの厨房を見れば、部屋中に満ち溢れる何かに呑み込まれてしまうだろう。それだけなおとが真剣になっているのだ。
なおとの報告にうむと頷いた仙左衛門は持ち前の威厳を取り戻し、真剣な顔持ちで見つめてくるなおとを見据える。
「よろしい。今年のうちには応用徹底まで完璧にしなさい」
「はい!」
「それでは続けなさい……と、言いたいところだが、今日からは君に新しい課題を出そうと思う」
遂に本題が来たか。日本の料理界を牛耳る仙左衛門から下される試練とは、と言い渡されるその瞬間を緊張と共に待った。
そして、仙左衛門は瞳をかっと見開いて、幼い少年に下した。
「えりなに美味いと言わせなさい」
一流の料理人でも成せない課題が、凡人のなおとに課されたのだった。そして、えりなのことを良く知るなおとが呆然としている目の前で、威厳ある料理界の魔王は快活に笑って見せた。
「誕生日おめでとう。これが君への誕生日プレゼントだ」
とんだプレゼントがあったものだ。
◆
そして冒頭に戻る。
仙左衛門から与えられた課題をクリアすべく初めて料理を作って出したものの、当然のことながら神の舌を唸らせることは叶わず一蹴されたなおとは、修羅の如き一年を過ごしたという自信もあって淡い幻想を砕かれ、今自分が直面している課題がどれだけ無謀さをかみ締めていた。
今日一番の出来を冷淡な一言で断ぜられとぼとぼと部屋を出て行くなおとの背を無表情で見送ったえりな。その数秒後、盛大に顔を顰め、自分の口元に手を当てる。さながらすぐにでも吐きそうな顔色である。
「想像を絶する不味さにリアクションすら取れなかったわ……」
一流の料理人が出した料理さえ不味いと判断する神の舌は、なおとの料理を乗せた途端悶絶してしまっていた。えりなの独特な感性による味の表現を発することすら叶わないほどのたうち回った神の舌は、とにかく不味いと訴えそのまま力尽きた。ある意味舌が唸った。
まぁまぁな夕食を食べた後にこの始末のため気分最悪のえりなの耳にノックが届く。返事をする気力も無く黙ったままだったが、ノックの主も返事を待つつもりもなかったようでその後すぐに入ってきた。
「お、おじい様……」
「その様子だとなおとの絶望具合も容易に想像できる」
仙左衛門はついさっきまでなおとが座っていた椅子に腰掛け、口の中に広がる災厄と戦うえりなを眺めつつ言った。
「お前もこれを毎日耐えられるか心配でな」
「まっ、毎日!? おじい様、それは話が違います!!」
なおとの料理を食べる前に、仙左衛門がえりなに一回だけ食べてやってくれと頼んでいたのだ。子供の、しかも凡人が作った料理を食べた暁に一体どうなってしまうかと思い拒否したえりなだったが、祖父の顔が真剣な上に数少ない頼み事でもあったため渋々承諾して事に至る。
一回だけ、という約束だからこそ引き受けたのに、それを毎日。えりなにとって地獄に等しかった。
が、仙左衛門はえりなの悲痛な悲鳴に聞く耳を貸さず、言及を無視して自分の言葉を繋げる。
「逃れたければ、なおとの成長を促せ。何が悪かったのか、何をしなくてはならないのか、はっきり伝えなさい。それが最短の道だ」
言葉を重ねるほどに仙左衛門の威圧が増していく。幼いころから大人が作った料理に容赦無い酷評を下してきたえりなは、少なくない数の大人の圧力を受けてきたが、こればかりは耐えることは出来なかった。
反対の言葉を言う口は自然と縛られ、小さな手は膝の上で握り締められる。それは怒りからではなく、単純に仙左衛門に圧倒されたからに他ならない。
孫娘を黙殺した仙左衛門は裾から一枚の切れ端を取り出すと、それをえりなの前に置き席を立った。部屋を出る直前に、しゃべることを出来ずにいるえりなに一言告げた。
「文句は全てそこに行って言いなさい」
えりなの眼前に置かれている紙切れには屋敷の内部と思われる簡素な地図が書かれていた。そして一箇所に●が書き込まれていた。毎日屋敷で過ごしているえりなだが、この●が書き込まれている場所に心当たりが無かった。
その場所に一体何なのがあるのかを想像するよりも、これから先この地獄が続くのかと思い辺り絶望するえりなは頭痛を訴える頭を抱えるのだった。
後書き
なおと:努力が生きがいの凡人。あと七年でえりなに美味いと言わせないといけないという絶望的状況。
えりな:可哀そうな犠牲者。あと七年以内になおとを超進化させる且つ耐えないといけない絶望的状況。
【薙切なおと】
本作の主人公。現時点では出自不明。凡人。薙切家に養子として迎えられたは良いものの、勝手な期待を押し付けられ勝手に失望されてしまい虐待を受けるも、仙左衛門により料理人として努力する。
次回があれば良いな(白目
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