三人の神父
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8部分:第八章
第八章
「どういうことでしょうか」
「それはですね」
アレクセイが彼に述べてきた。
「人は変わりますね」
「はい」
一旦その言葉に頷く。
「それはわかっているつもりです」
「それは死んでからも同じなのです。正確に言えば死ぬ時に」
「変わると」
「そうです。ですから」
アレクセイはさらに言う。
「私は確かにあの時恨みました。何故死んだのか」
ここで俯く。
「この街の人達を救おうと隣町の間に入って。そして」
その時のことを思い出す。目が悲しくなっていっていた。
「誤って流れ弾に当たって。そのせいで」
彼が死んだのは銃撃が行われているその時に間に入ったのだ。そうしてその中で流れ弾に当たり死んだのだ。そのことは死んだ今でも覚えているのだ。
「死んだのですから。死んだ時にこのことを恨んだのは事実です」
「それでどうして」
ベネヴィクトは彼に問うた。
「今こうして穏やかな顔に」
「私は死に埋葬されることになりました」
キリスト教においては土葬だ。これはカトリックも正教も同じである。吸血鬼伝説もこれが元の一つになっている。生ける死体こそが吸血鬼だからだ。
「しかしそこで見たのです」
「何をでしょうか」
今度はグレゴリオが問うてきた。
「街の人々が。私を囲んで」
「貴方を」
「はい、泣いていたのです」
そう言って静かに微笑んできた。やはり穏やかな笑みであった。
「私の死に対して」
「そうだったのですか」
「この街の人達だけでなく隣の街の人達も」
「なっ」
ベネヴィクトはそれを聞いて思わず声をあげた。
「隣街はセルビア人の街ですよね」
「そうです」
ベネヴィクトの言葉に頷く。
「そして彼等は」
「正教徒です」
またベネヴィクトの言葉に応える。これはベネヴィクトにとってもグレゴリオにとっても驚くべきことであった。思わず言葉を失う程だった。
「その彼等がです」
「まさか」
これにはグレゴリオも信じられなかった。首を傾げて横に振るばかりであった。
「そのようなことが」
「ですがこれは本当のことです」
驚きを隠せない二人に対してまた言った。
「私はこの目で見たのですから。私の亡骸を囲んで泣いてくれている皆さんを」
「そうだったのですか」
「そうです」
また答える。
「だからこそ私は」
「吸血鬼にならなかったと」
「奇跡でしょうか」
「いえ」
ベネヴィクトとグレゴリオのその言葉にも首を横に振る。
「それは決して奇跡ではありません」
「違うのですか」
「そうです、ただ。人の心に主が心を打たれただけです」
アレクセイはそう述べる。
「それで私を」
「主が魂を留まらせて下さったのですね」
「そういうことです。それで私は」
「今までここにおられたと」
「そうです。街の方々を怖がらせはしましたが」
しかし彼は決して人を襲いはしなかった。そうしてにこりと笑うのだった。
「私はここで待っていたのです」
「待っていた!?」
「そうです」
また答える。
「貴方達が来られるのを」
述べるのであった。
「ずっと待っていました」
「私達をですか」
「このことを。ずっとお伝えしたいと思っていました」
笑みは次第に神々しいものになる。そうしてそれは二人にも伝わった。
「貴方達に対して」
「そうして」
また言う。
「ここにいたのです。このことを伝えたくて」
「貴方のその心を」
ベネヴィクトはそれを今知った。
「おわかりでしょうか。私はできると考えているのです」
顔を上げる。澄み切った顔で。
「何時か。ここでも平和が訪れると」
「このバルカンにですか」
グレゴリオはそれを聞く。
「平和が」
「そうです」
今三人の心にバルカン半島のことが思い浮かんだ。それまで戦乱に覆われ飽くなき殺戮が繰り返されてきたこの半島を。今思い浮かべたのである。
「確かに人は悲しい存在です」
ここで一旦悲観的な言葉を口にした。
「ですが。それ以上に」
「それ以上に」
「私は期待します」
こう言うのだった。
「人の心を。これはあらゆるものを越えて」
「民族も」
「全てを」
「そう、そうしたものの垣根を全て越えてお互いを理解できて」
「それは可能でしょうか」
ベネヴィクトはその言葉に俯いた。
「果たしてそんなことが」
「できます」
しかしアレクセイは言うのだった。
「私はそれを見ましたから」
「きっとですか」
「残念ですが私は生きてそれを見届けることはできません」
それは認めるしかなかった。既に彼の肉体はないからだ。それは既に地の底だ。こうなってしまえばもうどうこうすることもできはしない。
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