とある幻術使いの物語
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
二話:罪悪感
古ぼけた教会の一室に二人組の親子がいた。
息子の方は腰を下ろしまだあどけない顔を真剣な表情に変えてイメージを描いていた。
イメージするのは自身の姿だ。しばらくすると、鮮明な子どもの姿が浮かび上がってくる。父親は黙ってそれを眺めていたがやがて何を思ったのか集中している息子の肩を強めに叩く。
息子は予想していなかった衝撃に驚いて飛び上がり幻覚を消してしまう。
父親はやはりまだまだかと思いながら息子に評価を下す。
「幻覚のリアリティに関しては大分上達したな。だが、少し集中力を乱されたぐらいで幻覚を消していたら話にならないぞ」
「でも、突然のことだったし……」
「でも、じゃない。そんなことだと実戦じゃ役に立たないぞ」
「……はい」
文句を言う息子を一喝して黙らせる。息子、柊也は父親に怒られたことにションボリとしながら顔を俯かせる。
少し、厳しかったかと思いながら父、藤原恭弥はバツが悪そうに頬をかく。
恭弥は自分が神父という職業柄もあってどうにも説教臭くなってしまうのを自覚していた。
柊也がまだ物心つく前に妻が居なくなってから息子を強い男に育てようと決めていた。以前は幻術など教えずに普通の子供として育てようと思っていたがある出来事が切っ掛けで愛する者の消失を間近に感じ恐怖を抱いてしまったのだ。
神父と言えど人生においてはまだまだ若輩者だった恭弥は愛する者の消失に対して達観した心を持つことが出来ずに柊也にいざという時に身を守れる力を、ひいては大切な誰かを守れる力を身に着けさせようと決めてしまったのだ。
今ではそれは息子に自分の願望を押し付ける行動だったのではないかと若干後悔している。
だが、幻術という特別な力に幼い柊也はのめり込んでしまったので引くに引けない。
自分の裏の職業である悪魔祓いに関しても教えてしまったので、もう息子は表だけでは生きてはいけない。
息子の未来を狭めてしまった事に罪悪感を抱きながらも、とにかく生き残れる力を付けさせようと焦るために結果的に厳しく当たってしまうのだ。
流石に肉体を鍛えるのはまだ早いと思っているので戦闘訓練はさせていないが、じきに始めるだろう。
それまでは少しでも子供らしいことをさせてやろうと思い、未だに俯く柊也の自分によく似た、くせでぼさぼさの髪を不器用に撫でる。
「今日はもう終わりだ。遊びに行っていいぞ」
「分かった!」
嬉しそうに笑い部屋から飛び出していく息子の姿に思わず微笑みながら恭弥も部屋から出て行く。
柊也はどこに行くのかと問われれば山としか答えない。
だが、恭弥は息子が猫又の姉妹に会いに行っているのを知っていた。
なぜ知っているのかと言うと、以前に明らかに一人分以上のお菓子を持って山に出かける姿に怪しんで追ったことがあるからだ。
その時は幻術で自身の姿を隠してから追ったので三人には気づかれていない。
もっとも、彼女達の母親である琴音には気づかれたので姿を現して挨拶はしている。
妖怪である猫又に思うところがないわけではないが子供らしく笑っている息子の姿を見れば近づくなと言えるはずもなく、黙っていることにしたのである。
「全く……子育てというのは本当に難しいな」
不器用ながらも愛情深い彼は、ここにはいない妻に語り掛ける様に呟きながら恭弥は仕事に戻るのであった。
柊也は何故か自分に鋭い視線をむける黒歌と向き合っている状況に困惑していた。
何か自分が怒らせることをしたのかと首を捻るが思い当たる節は無い。
いつもなら白音が黒歌の暴走を止めてくれるのだが生憎お昼寝中なのでここにはいない。
困惑している柊也をよそに黒歌は何やら意味あり気に笑うだけだった。
「えーと……黒歌、何をする気なんだ?」
「ふふふ……今日は生意気なトーヤに仙術の力を見せてあげるにゃ!」
これでもかとばかりに仙術という部分を強調しながら告げる黒歌。その顔は何故か活き活きとして輝いていた。
柊也は黒歌の言葉にそう言えば前にそんなことを言っていたなと思い出す。
以前に聞いたときは琴音の監視の元でなければ使ってはならないと言っていたが一人で使うという事はマスターしたのだろうかと目線で問いかける。
しかし、彼の目線は気まずげに逸らされた。黒歌の明らかに挙動不審な仕草に柊也は思わず溜息を吐いてしまう。
「危ないんじゃなかったのか?」
「だ、大丈夫にゃ! 今まで失敗したことなんかないから大丈夫!」
「まあ……それなら大丈夫か」
「そういうこと、それじゃあすぐに私の方が凄いことを証明してあげるにゃ」
未だに自分を差し置いて柊也が白音に褒められたことが許せないのか対抗意識をあらわにしながら告げる黒歌。
柊也はそれに対して苦笑するしか出来ないが止めようとはしない。
周りの子供と比べれば父親の影響からか、少し大人びているが根は子供なのだ。
珍しい物があるなら見てみたいし、やってはいけないと言われればやりたくなるものだ。それに、自分が頑張った成果を誰かに見て貰いたいという気持ちも強い。
彼が学校の友達よりも二人と遊ぶのも二人になら自分の幻術を見せられるからである。それ故に黒歌の行動を止めようとはしないのだ。
「それじゃあ、始めるにゃ」
黒歌の尻尾が一本から二本に増える。
そして、少し集中するように目を瞑ったかと思うと背後に紫色の魔法陣の様な物が現れる。黒歌は一端、目を開けて柊也にしっかりと見ておけと言わんばかりに目配せをして魔法陣から青白い光を溢れさせる。
それを右手に移し球体を作りだすと近くにあった岩に向けて飛ばす。
球体は勢いよく岩に飛んでいき、ぶつかるといとも簡単に岩を砕いてしまう。
「………すごいな」
「ふっふっふ、もっと褒めるにゃ。黒歌様は天才美少女って言ってもいいのよ」
「それは嫌だ」
唖然とする柊也の様子に得意げに胸を張って笑う黒歌だったが、天才美少女と言うのは拒絶された。
唖然としていたのにも関わらずに即答されてしまったことが頭にカチンときたのか黒歌は次はもっとすごいのを見せてやると意気込む。
柊也の方もこのまま黒歌を褒めるだけで終わるのは釈然としなかったのでもし出来たら今度から黒歌様と呼んでやると挑発する。
「その言葉、すぐに後悔させてやるにゃ」
「出来るんならな」
「ふん。今度は仙術と妖術のミックスを見せてやるにゃ!」
魔法陣から先程とは比べ物にならないエネルギーが溢れ出し、黒歌が真剣な表情になる。
そもそも仙術は扱い方を誤れば暴走を引き起こす危険な物なのだ。だからこそ、琴音は自身が傍に居ないときは使うなと言いつけている。
黒歌も暴走はしないように十二分に気を付け、もう暴走する心配ないという自信があったからこそこうして披露しているのであるがやはり膨大なエネルギーとなると難しいらしい。
だが、今回はなんとか無事に収束させることに成功した。
ニヤリと笑い、賭けに負けたと悟りしかめっ面をする柊也に目配せをする。
そして、魔法陣から直接、膨大なエネルギーを放射する。
そこで黒歌はもう大丈夫だと気を緩めた。その行動が暴れ馬の上で手綱を離すのに等しいとも知らずに。
「黒歌!」
「え?」
目標地点よりも遥かに近くで弾けるエネルギーの塊。暴発だ。
これがただの失敗であれば笑い話で済んだだろう。だが、弾けた力は衝撃波となり、地面が砕けたことで飛び散る岩石と共に二人に襲い掛かる。
呆ける黒歌の前に柊也が女性は守りなさいという父の言いつけを思い出しとっさに飛び出す。次の瞬間には二人は重なり合うように吹き飛んでいた。
「いたた……ちょっと失敗したにゃ。トーヤ、大丈夫?」
軽く打った頭を擦りながら重なるように飛んだために自分の上に覆いかぶさる柊也を叩く黒歌。
平時であれば押し倒されたとからかうところだが今回は状況が状況なのでそんな真似はしない。
小さなうめき声と共に柊也の顔が上がる。
大丈夫みたいだとホッと息をつく黒歌だったが彼の顔見た瞬間、頭が真っ白になる。
「トー…ヤ…っ!」
「黒歌……どうしてか、左目が―――見えない」
見えないと訴える左目は岩石が当たった影響でつぶれて血が流れ出していたのだ。
衝撃波自体は幸運にも二人を傷つけることは無かった。しかし、それと共に襲い掛かって来た岩石は別だった。
衝撃波により撃ちだされたそれは弾丸に匹敵する威力で柊也に襲い掛かったのだ。
しかも、運の悪い事にそれは眼球に当った。
黒歌はそんな事態にどうすればいいか分からずパニックに陥りそうになるがとにかく母親の元に行こうと判断して柊也の手を取り駆け出していった。
気がつくと柊也は黒歌達の家の布団で眠っていた。頭の上にはおしぼりが置かれており誰かがさっきまですぐ傍に居たのだと伝える。
外を見ると既に日は暮れており、ボーっとした頭で漠然と家に帰らないと怒られると思い、布団から抜け出ようとする。
だが、その瞬間にズキリと左目が痛み思わずうめき声を上げる。
その声に反応したのかある人物が彼の眠る部屋に入って来る。
「起きたか、柊也」
「父…さん?」
どうしてここに父がいるのかと混乱する柊也に恭弥は門限を破ったことに怒るでもなく、言いつけを破ったことをしかることもなく静かに口を開く。
「柊也……落ち着いて聞きなさい」
「……はい」
柊也は父がこの言葉を言うときは大抵自分になにか悪いことが起きた時だと理解していた。
最も覚えているのは母にはもう二度と会えないと告げられた時だ。本来ならそれがどういう意味かも理解できない年齢であったにも関わらず、父は何かを押し殺すような表情をしながらも今のように真剣な眼差しで伝えてくれた。
例えそれがどんなに残酷ことだったとしても父は自分には決して嘘をつかないと彼は無条件に信じていた。
「お前の左目は―――永遠に光を失った」
「わかった……」
だからこそ告げられた過酷な事実も冷静に受け入れることが出来た。
そっと左目に手を当ててみると包帯が巻かれていた。そこであの後、何が起きたのかを思い出す。
家に連れてこられた自分は琴音により治療を受けた。
しかし、必死の治療のかいなく、左目は永遠に光を失ってしまったのだ。
柊也はどこか他人事のように考えながら恭弥に気になっていたことを訪ねる。
「父さんはどうしてここに?」
「お前が帰ってこなかったので迎えに来たのだ。場所に関しては前から知っていた」
「……じゃあ、二人に幻術を見せたことも?」
「勿論だ」
告げられた言葉に思わず顔を伏せる。
結局の所、自分の父親は全てを知ったうえで自分を信頼して見逃していてくれたのである。
それにも関わらずに自分はこうして怪我をして心配をかけている。
柊也は子どもながらに申し訳なさで胸が一杯だった。恭弥はそんな息子の様子に叱ればいいのか、慰めればいいのか分からずにただじっと見つめることにした。
それが不器用な彼にとっての精一杯の選択だった。
気まずい空気が流れるがそれは一人の女性により破られた。
「トーヤ君、お父さん喉は乾いていませんか?」
「琴音さん、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
琴音が、話が終わったのを見計らったのかお茶を載せた盆を手に部屋に入って来る。
これ幸いとばかりに二人はお礼を言って琴音を迎え入れる。
軽く咳き込みながら、琴音は二人の前にお茶を置く。そして、正座をして二人に深々と頭を下げる。
「本当にごめんなさい。私があの子にしっかり言い聞かせていなかったばかりに」
「……いえ、これも主が息子に与えた試練なのでしょう。この子は必ずや乗り越えます。ですから、頭を上げてください。寧ろ、危ない所だった息子を助けてくださってありがとうございます」
「それこそ、気になさらないで下さい。私はそれしか出来なかったのですから」
お互いに頭を下げ合う大人の様子を不思議そうな顔をしながら柊也は見つめる。
父の言うようにこれは主が自分に与えた試練なのだろう。
少し生活が不便になるかもしれないが、悲観することは無い。
と、考えている彼の瞳にふすまの隙間からこちらを覗く金色の瞳が映った。
「黒歌…?」
「っ!」
彼が呼びかけると瞳はすぐに消えてしまうが、しばらくすると再び不安げに揺れる瞳を覗かせてくる。
琴音は彼女の様子に少し溜息を吐きながら入って来るように促す。
母親の声に従い入って来た黒歌はいつもの快活さは息をひそめていた。
大人二人は示し合せたかのように部屋から出て行き子供二人だけを残して行く。途中、黒歌がすがるような目で琴音に視線を送ったが、琴音はそれを無視して黒歌の後ろについて来ていた白音を抱きかかえて消えてしまう。
残された柊也と黒歌はしばしの間、無言で目も合わせることなく固まっていた。
もっとも、目を合わせないのは黒歌の方だけなのだが。
一分が一時間にも感じられる沈黙の末に酷く小さな声が遂に沈黙を破る。
「………ぃ。……ごめんなさい。本当にごめんなさい…っ!」
俯き、ただひたすら謝り続ける黒歌の足元にはポツポツと水滴が落ちていた。
彼女は今までに感じたことのない後悔に襲われていた。自分が母親からの言いつけを破ったが故に起きた事故。
自分の身勝手のせいで大切な友達の光を奪った。おまけに原因たる自分は彼に庇われたおかげで無傷だ。
いっそ、自分が傷つけばこんなにも苦しまなくてすんだのにと彼女の幼い心はぐちゃぐちゃになりこうして涙を流してしまうのだった。
だが、それに慌てたのは柊也の方だった。
彼女が泣いているところなど今まで一度も見たことがない上に女性には優しくしろと言われているのだ。
このままにするわけにはいかないと彼は慌てて慰めにかかる。
「止めなかった責任は俺にもある。それに挑発したのは俺の方だ。黒歌のせいだけじゃない」
「でも…っ。トーヤは目が…っ!」
「大丈夫、これは神様からの試練。俺なら乗り越えられるさ。それに左が見えなくても右がある」
そう言って笑ってみせる柊也に黒歌は泣き止み心の靄は少し晴れる。
しかし、次の瞬間に行われた柊也の何気ない行動により一気にどん底に陥ってしまう。
泣き止んだことにホッとした彼は喉の渇きを覚えて先程、琴音が持ってきた湯呑を手に取ろうとした。
だが、彼の手はその湯呑を押し倒してしまった。まるで―――もっと先にあるはずだと錯覚したかのように。
「しまったな……黒歌、悪いけど雑巾持ってきてくれないか? ……黒歌?」
「っ! う、うん。分かったにゃ」
顔を青ざめさせて固まっている黒歌だったが、すぐに雑巾を取るために部屋から出て行く。
彼女は、ある知識を思い出していた。
人は両目で見ることで立体的に物を認識し、正確な距離を測ることが出来るのだと。
つまり片目では正確な距離を測ることは出来ない―――先程の柊也のように。
しばらくは苦労するが慣れれば日常生活を送るぶんには大丈夫だろう。
だが、彼女にとっては自分の罪をまざまざと見せつけられたようで耐えられなかった。もう、元には戻らない。これから一生、彼は傷を背負い続けていくだろう
いっそ、自分を罵倒して欲しい、傷つけて欲しい。その方が楽になれるだろう。
しかし、彼が自分を悪くいう事は決して無い。
彼女にとってはその事が何よりも―――辛かった。
――罪悪感というものは優しくされるほどに、許されるほどに、積もっていく呪いだ――
後書き
ここからはシリアス多めになってきます。
ページ上へ戻る