妹の結野アナを護るため、全ての責任を負うため巳厘野衆へ行った晴明。
その彼を追わんと銀時と外道丸は駆け出したが、直後ある人物に呼び止められた。
それは無表情に縁側に立つ双葉。
「熱烈なファンとは知っていたが、ここまでだったとはな。だが物事には限度があるぞ」
空から降る雨と同じくらい冷たい眼で、双葉は銀時と外道丸を見下ろした。
いや、双葉の瞳に映るのは銀時だけだ。
「もうファンが口出しする領域をとっくに超えている。術も使えない兄者が行ったところで何の勢力にもならないと思うが」
「術なんざいらねーさ。俺は汚ねーケツにブチこめる
木刀がありゃ充分よ」
「
戯言ばかり言っていると血の雨を浴びるはめになるぞ」
双葉は瞳に銀時を捉えたまま冷徹に言う。
「これは奴等がまいた種だ。奴等がどうにかすればいい。苦しもうが堕ちようが、そんなのは自業自得だ」
両家の争いを見せつけて他者が口出しするのを散々拒んでおきながら、やっぱり困ったから助けてくれ――なんて虫の良すぎる話だ。甘いにも程がある。
誰かに協力してもらうのを悪いとは言ない。人はお互いに支え合ってこそ手を取り合って生きていける唯一の生き物だから。
だが外道丸達は兄に
縋ろうとしているだけだ。
こんな無意味な戦いに、無関係なはずの兄が巻きこまれるのがどうしても許せない。
それで傷ついてしまうようなら尚更だ。
そんなの馬鹿げている。
「兄者が血の雨に濡れる
謂れはない」
鋭い瞳が銀時を刺す。
銀時もまたその視線から逃げず妹を見据える。
重苦しい沈黙が流れる。雨音だけが二人を包む。
そんな鳴り止まない雨の中で、銀時が静かに口を開いた。
「結野衆の陰陽師は幕府おかかえのエリート中のエリートだが、そいつは血の滲むような修行をして陰陽道を極めた奴にしかなれねェ。なのに結野アナはエリートコースを自ら降りた。俺ァなんでお天気お姉さんなんかになったんだって聞いたんだ。そしたら結野アナ、なんつったと思う?」
「さぁな」
興味なくあっさり吐き捨てる。
何を突然言い出すのかと思えば、あの天気アナの動機などどうでもいい――と、今の双葉に響くものは何一つなかった。
だが次に銀時から語られたお天気お姉さんの想いは、ほんの少し……ほんの少しだけ風向きを変える。
「『将軍や
幕府のためなんかじゃない。市井の人々の笑顔のために力を使いたいから』、だとよ」
その一言に冷徹な眼差しが消え、代わりに当惑の光が宿る。
そんな双葉の瞳を見据えて、銀時は苦笑混じりに――何かを懐かしむように――言った。
「
他人の笑顔のために動くなんたァ酔狂な話じゃねーか。……あと言っとくけどなぁ双葉、俺はとっくの昔から泥に濡れてんだ。今更何に濡れようがどうだっていいんだよ」
無数の滴を浴びながら、銀時は冷たい雨が降り注ぐ空を見上げる。
「ましてやこんな天気だ。血に濡れようが雨に濡れようがたいして変わりゃしねーだろ。春雨だろーが秋雨だろーが血の雨だろーが濡れて参ってやるよ。……だが――」
「女の涙に濡れんのだけは、ごめんだ」
* * *
銀時達が走り去った後も、双葉はその場に立ち尽くしていた。
――馬鹿げていたのは私か。
止めたかった。
攘夷戦争で兄はずっと戦ってきた。
生き別れた後だって何度も戦ってきただろう。
それゆえに失ったモノも兄の身にのしかかる負担も多く、今も辛いはずだ。
だからできることならもう戦わせたくない。
これ以上重荷を背負わせない為に、止められるものなら止めたいと思っていた。
……ただの独りよがりだった。
兄はこれっぽっちも気にしていない。
どんなに重荷がのしかかっても、立ち上がって歩いて行こうとしている。
理由なんか無くったって、兄は戦うことを選ぶだろう。
自分の為でも何でもない。
大切なモノを護りたい想いだけで刀を振るえる。
どんな苦境でも決して諦めず、己の信念を貫き通す。
火の中でも飛びこんでいくような、後先考えない無鉄砲なバカ
兄。
それが『坂田銀時』だ。
――やはり兄者は強いな。
――いつも誰かのために兄者は戦っている。
――誰かのために闘える。
――……なら私には何ができる?
――私は坂田銀時の妹だ。
――けれど、それだけだ。
――重荷を背負えるほど、私の背中は大きくない。
――兄者の妹として情けないな。
時々、自分は本当に銀時の妹なのか疑う時がある。
兄妹だからって同じじゃなくて当たり前だが、どこか違和感がある。
兄が戦うのを止めたいと思っていた。しかしそれは結局自分が傷つきたくなくて、心配するフリをしていただけだ。つくづく自分勝手で我儘な奴だと自分が嫌になる。
そんな器の小さい人間が誰かのために何かできるだろうか。
――兄者は誰かのために闘っている。
――駄メガネも酢昆布娘もそうだ。
――あの……天気アナも……。
お天気お姉さん・結野クリステル。
輝かしい笑顔で朝の顔として人気を博していたが昨年のスピード結婚・離婚騒動、そして不調続きのお天気予報でついに降板にまで追いこまれる、という芸能界のスキャンダルなどどうでもよく聞き流して気にもしていなかった
まさかその裏に政略結婚と一千年以上渡る両家の因縁というとんでもない事実が隠されていたとは。
しかも結野アナがお天気お姉さんをしていた
理由は――
――……やはりダメだな。私は自分のことしか見ていない。
――いや誰も見ようとしてなかっただけか。
――最初から決めつけて、嫌って、それで終わっていた。
――見なければ何も見えてこないのに。
偏見でしか見れない自分に嫌悪しつつも、双葉は先ほど銀時から語られた言葉を思い出す。
『市井の人々の笑顔のために力を使いたいから』
「笑顔……『笑顔』か……」
うわ言のように双葉は呟いた。
『笑顔』がどれほどのチカラを持っているか、双葉は知っている。
彼女もかつて大切な仲間の『笑顔』を護るために戦っていた。だから自分以外にも誰かの笑顔のために動く奴がいたなんて、正直驚きだった。
『笑顔』――それはあるだけで人々を幸せにさせる不思議なチカラを持っている。
いいや、そんなチカラがなくても双葉は純粋に『笑顔』が好きだった。
寺子屋で暮らした仲間の笑顔には、何度も励まされ、それは大切なモノの一つになっていた。
自分の記憶に残る『笑顔』を見つめる中で、双葉はふと思い出す。
笑顔をふりまいて暗く沈んでいた仲間達を明るく照らした少年を。
『岩田光成』。
その少年はいつも笑っていた。
笑顔を絶やさずみんなを笑わして、戦争で苦しんでいた仲間を元気づけていた。
そんな大それたことをしていると本人は気づいてなかっただろうが、だから岩田の周りにはいつも笑顔が溢れていた。
――本当に不思議な奴だったな。
――能天気でふざけてばかりで、おまけに変なこと言い出して。
――でも嫌いじゃなかったさ、アイツの笑顔は。
――アイツの笑顔は……。
『お前が潰した』
――!
どこからともなく聞こえる声。
黒い空と黒い雨が広がる世界。
轟く不気味な艶めかしい笑い声。
真っ赤に染まった手。
血まみれの刀。
そして。
斬り裂かれた少年の笑顔。
「や…め…!」
突然過去の映像が連鎖的に広がり、激しい頭痛に襲われる。
よろめく双葉は壁に大きく頭を叩きつけ、荒げた呼吸を吐く。
たびたび起こる記憶の衝動。
昔を思い出すような生やさしいものじゃない。
目の前に広がる光景は、現実とさえ錯覚してしまうほど押し寄せる幻影だ。こんなの尋常ではなく明らかにおかしい。
しかし、罪悪感の念が真っ先に双葉を蝕んだ為、今の彼女に考える余裕などなかった。
何もついてない自身の手を物憂げに見つめる双葉の心に、後悔の嵐が吹き荒れる。
――私が……アイツの笑顔を消した。
目に焼きついて離れない。
忘れたことなんてない。
血まみれの無惨に崩れた少年の笑顔を。
――岩田……私がお主から笑顔を消したんだ。
――こんな私をお主は許してくれないだろう。
――いや。私は絶対許されてはいけない。
――この手で大切なモノを消した私に、何かを護る資格なんてないのに。
――こんな私が誰かを護るなんて……。
『そやかてヘコんどったってしゃーないやん。気ィ重うなって泣いてばっかでええことあらへん』
『せやけど笑っとると胸が弾んでみんなとごっつう楽しく過ごせてええことずくしや』
遠い過去の言葉が沸き上がる。
屈託のない岩田の笑顔が眼に浮かぶ。
自らの手で消してしまった笑顔を思い出すだけで苦しくなって、罪悪感に潰されそうになる。
……そのはずなのに、押し寄せた衝動が薄れていく。
これも『笑顔』にある不思議なチカラのおかげだろうか。
それとも、昔語られた岩田の想いがそうさせたのか。
――どっちにしろ私はまだアイツに支えられてる。
――へこんでたって仕方ない、か。確かにお主の言う通りだよ。
――……私はずっと立ち止まってる。
――戦いで大切なモノを失っても兄者は前へ前へと歩いてるのに。
――でも私は兄者のように強くない。
――私は何もできない。
どんどん卑屈になっていく心に、ふとある言葉がよぎる。
『何もできねェ、どうしようもねェって突っ立ってたらそれでシメーだ』
――………。
――私は他人の重荷を抱えるような器は持ち合わせてない。
――何もできないかもしれない。
――けど、だからって何もしないままでいる気か?
――そんなの違うだろ。
ずっと後ろ向きだった双葉の心は、少しだけ前向きにズレた。
今は双葉の中にある少年の笑顔と兄の存在が彼女を支えてくれるだろう。
そう、今はまだ。
双葉はつけっぱなしのテレビを見る。
そこにはいつもと変わらない笑顔で天気予報を告げる結野アナが映っていた。
批判にも罵倒にも負けずに結野アナは笑顔をふるまってお天気アナとして戦っている。
彼女の笑顔に救われた人は何人もいると兄は言っていた。
それが本当なら、『笑顔』で人々を幸せに導ける結野アナは自分よりよっぽど立派な女性だろう。
だが今は……。
――ヘラヘラ笑ってるだけだ。
* * *
江戸には雨が降り続いていた。
傘を差す街の人々が溢れる中、女が一人雨に身を濡らして歩いていた。
そんな彼女を気遣う者は誰もいなく、また本人もそれでいいと思っている。
『今日の天気は晴れ』と見事に予報を外したお天気アナが悪い。この雨を降らせた原因は自分にある。
その女――お天気アナ・結野クリステルは、雨に浸りながら街を歩いていた。
すると電気屋のガラス窓に背を預けて、
佇んでいる銀髪の女がいた。
雨が降ってるのに傘も持ってない。かといって雨宿りしてるようにも見えない。
なぜならその銀髪の女も、自分と同じように雨に濡れていたから。
「あの風邪ひきますよ。傘忘れたんですか?」
気になって結野アナは声をかける。
自身も雨でびしょ濡れであり
他人の事は言えないが、心配で声をかけずにはいられなかった。
できることなら傘を手渡してあげたいが、あいにく持ち合わせていない。
それなら雨宿りできる場所まで案内しようかと思っていると、銀髪の女が静かに顔を上げた。
その顔には見覚えがあり、ハッと目を見開く。
「あなたは確か万事屋さんの……」
「打たれるだけか?」
銀髪の女――双葉の突然の問いに結野アナは困惑する。聞き返そうと口を開くが、それを制するように双葉の声がかぶさった。
「当たれば皆の笑顔と共に祝福し、ハズレれば雨に打たれ己を罰する」
的を射抜くような発言に、結野アナは自然と口が閉じてしまう。
それとは逆に双葉は冷徹な眼差しで淡々と言う。
「貴様は誰かの手なしでは笑えないのか。自分から笑うこともできないのか」
――……そんなことない。
――私はずっと笑顔でお天気をお届けするって決めたんだから。
「貴様、察しているのだろ。この雨が止まぬ理由を」
――……。
知らないといえば嘘になる。
陰陽術で天気を操りこの雨を降らせているのは結野衆を、自分を憎んでいるあの黒き陰陽師。
毎日天を走りめぐる二つの光柱。
あの光はきっと――
「この雨が止むまで、誰かがこの雨雲を晴らすまで、そうやって打たれている気か?」
「……お天気占いが終わるその時まで、私は笑顔でお届けするだけです」
――それが今の私にできる唯一のこと。
――市井の人々の笑顔のためになるなら私は……。
声に出さず静かに決意する結野アナ。
そんな彼女の心を知ってか知らずか、双葉は尚も無表情に見据え――そして力強く告げた。
「雨に打たれても、嵐に打たれても、笑っていたいなら笑っていろ――
=つづく=