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乱世の確率事象改変

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幕間 ~二人の道化師~

 日中の木陰は何故こうも心地いいのか。
 のんびりと過ごすのも悪くない。そう思いながら秋斗は街の広場でいつもの通り休憩を取っていた。
 この街で、というか彼が過ごしてきた嘗ての街でもそうであったが、のんびりというのは彼の場合は人とは少し異なる。

「さて、次は誰かね?」
「じゃああたしー!」
「ぼくだよ!」
「えー? 私がいいなぁ」
「俺だってば!」

 群がる子供達を相手に遊びながら過ごす、それが彼の過ごし方である。
 幾つかの鉢を使って行うその遊びは子供達には大盛況であった。
 ぐ……と拳に握った道具に力を入れる。指と指の間に挟んだ紐は外さぬように力強く、それでいて全身から無駄な力を抜いた理想の状態。

「クク……じゃあ次は四人で順番をずらして一気に来い。俺の独楽は最後まで負けんぜ?」
「うっそだぁ!」
「さすがに負けると思うけど」
「本当さ。さあさ、やってみようか」
「じゃあいっくよー!」

 独楽である。それも木を削って作っただけの簡易なモノ。
 準備は万端。勝つ気は満々であるが、子供に華を持たせてやるのもいい。本気でやり過ぎると飽きてしまうモノだ。強さを示しつつ程よい所で落としどころを、と。

「れでぃ……すりぃ! つぅ! わんっ! ごぉ――――しゅぅとっ!」

 愛らしい掛け声を合図として、彼は絶妙な力強さで独楽を回す。
 くるくる、くるくると良く廻る独楽は真桜と作った特別製。他愛ない遊び道具であるが、官渡で兵達の暇つぶしにもなった素晴らしい遊びである。
 さすがに現代の某四聖獣が飛び交ったりするアニメの掛け声を教えるのはどうかと思うが、彼としても楽しくて仕方ない様子。
 一人目は即座に叩き落とされた。二人目は少し粘ったがやはり弾きだされた。三人目ともなれば長く続いたが……やはりダメ。そして最後の四人目の所で……彼の独楽は遂に回転を失った。
 子供達も上手いモノで、教えて練習をすれば直ぐに上達したのだ。戦っていた四人は一番の手練れで、さすがの彼であれど勝てなかった様子。

「おおう……さすがに四人はきついか」
「うー……なんでそんなに強く出来るの?」
「そりゃあ大人と子供の差って奴だ。回し方の筋はいいんだ、次やる時には一対一でも分からねぇぜ?」
「でも教えて貰ったどんな遊びも勝てないよー?」
「クク、大人になりゃ勝てるさ」
「……大人ってずるい!」
「むぅ、私もはやく大人になりたいなぁ」

 他愛ない会話が為されていた。他の所の子供達は独楽に熱中している様子でわいわいと騒ぐ声が聴こえる。
 良い日だ。表情も自然に綻ぶ。仕事の合間にこうして子供達と遊ぶことは、彼にとって癒しである。
 そんな場所に、近づいてくる影が一つ、二つ、三つ。

「あ!」
「てんほーお姉ちゃんっ!」
「ちーほーだ!」
「れんほーちゃんもいるー!」

 たたっと駆け出す子供達の方を振り向けば、三人の少女が目に留まった。

「元気に遊んでるか悪がきどもー! って、あ!」
「いい子にしてたかなー? あ! 秋くーん!」
「……これは……あ……」

 三者三様の声を発しながら、彼女達の目にも彼が留まる。
 絡む視線に、彼は居辛そうにがしがしと頭を掻いた。

「うっわ! 秋斗!? 何してんの!?」
「秋くんがサボって遊んでるー」
「……報告しないと」
「うっせ。休憩中だよ」
「あーあ、いけないんだー♪」
「はぁ……お前さんは知ってるだろがよ。それより眼鏡はどうした、天和?」
「置いて来たよ? だってもう必要ないもーん。秋くんがどんな人か分かったから」
「……まあ、深くは聞かないでおくけどさ」
「ふっふー♪ ありがと秋くん♪」

 この三人の少女は、この街でも有名な歌姫三姉妹である。
 華琳の領地内で舞台を行い、店長の店を宣伝したりもするのだが、如何せん彼とは時機が合わずに三人とは顔を合わせずに居た。
 とは言えど、一人だけ彼と事前に知り合っていたモノは居た。

「姉さんが子供と遊びたいって言うから来てみたけど……こういうこと?」
「うん♪ 秋くんとは結構此処で遊んでたんだけどね。大きな戦も終わったし顔合わせもしたから三人でもいいかなって」

 宴の時に驚いたのは彼である。天和は彼が誰かを知っていたが、秋斗は彼女のことを知らずに居た。
 戦の前もこうして子供と遊んでいたわけだが、天和は街を散策している時に彼と出会い、正体を隠して一緒に遊んでいたのである。
 一応、顔が売れているモノ同士が一緒に居ると何かと面倒なことがある。彼が男である以上は、役満姉妹のセンターポジションである彼女はそういった気遣いも見せねばならない。

 現代のアイドルに近しい役満姉妹の在り方を読み取り、そんな天和の心遣いに秋斗の方も気付いている。というか、宴会で顔を合わせて正体を知ってしまえばそのくらいは読み取れた。
 三人で来ているのなら、別に眼鏡で変装せずともよい。役満姉妹が子供と遊んでいると宣伝出来るのだから。
 其処に偶然、彼が居合わせただけ、下世話なゴシップ記事などにもならない為、それでいいのだ。

「皆で遊ぼうよ!」
「うん! お姉ちゃん達も一緒がいい!」

 口ぐちに同意の声を上げる子供達を前にすれば、秋斗の表情が綻ぶのは当然で……しかしながら、彼としては長いこと時間を使いすぎるわけにも行かない。

「あー、すまんが俺はそろそろ仕事に戻らなきゃならん」
「えー! 徐晃様も一緒がいい!」
「徐晃様も一緒じゃないといやー」

 当然、帰ると言えばごねられる。楽しい時間を一緒に過ごせば名残惜しくもなろう。
 ぽりぽりと頬を掻いている彼に、地和と人和は呆れたため息を漏らし、天和はクスクスと慎ましく笑う。

「ちょっとくらいいいんじゃないの? だって夜にも店長の店で仕事するんでしょ?」
「あのなぁ、夜に仕事があるから昼の仕事を終わらすんだよ」
「忙しいんですか?」
「程々に。作業中の現場の進行具合確認と商業区画の長への書類提出、警備隊の各詰所での経過報告をまとめつつ街の治安状況も書かなきゃならん。移動の時間がもったいねぇが……自転車の完成にはあとひと月くらい掛かるからなぁ」

 ため息を一つ。
 歩きでは何かと不便である。馬を使えばいいことなのだが、街の中で忙しなく馬で動き回るのは余りよろしくないと彼は思っていた。
 請け負った仕事の数が数だけに、此れからはどうにかしなければなと考えてもいる。実はもう、真桜に移動時間短縮の絡繰りは手配済みである。
 ネジやチェーン一つ彼が提案すれば真桜は改良を施せて、完成品の見た目が頭に入っている彼がその概要を説明すれば、彼女の豊かな想像力からすれば完成までこぎつけられる。

「あ、そういえば……お前さんに渡したいモノがあるんだった」

 忘れてた、とばかりに彼はポンと手を叩く。
 官渡で過ごした数か月の間に作り上げたモノは多い。小さなモノから大きなモノまで、休憩を使って真桜自慢の工作兵達と共に遊びを追及していたのだ。
 ゆったりと木陰の隅に向けて歩く彼に首を傾げる天和。木に立てかけてあったモノを見つめて、より一層不思議そうに首を捻った。
 カチリ……開かれた特製の鞄から取り出されたモノは、一つの楽器であった。

「吟遊詩人かなんかかと思ってたからさ、歌いながら弾けるモノをって思って。弾き方は……まあ、後で教えるよ」

 渡すのは時間が空いている時に作れるかどうかを煮詰めていたモノの一つ。この街に帰ってから真桜と工作兵達が作ってくれた、生きていた時代では有り触れていて、この時代では有り得ない楽器。
 似たようなモノがこの時代には有ったから弦の数とカタチ整え、音階を判断しつつどうにか出来上がった。琵琶よりも大きなそれは……何処からどうみてもギターである。

「ギターって言ってな。六つの弦で音を出す楽器なんだ。試作品だから音の質までは保障しかねる」

 目を真ん丸にして誰も言葉を発せずにいる所に、彼はすとんと腰を下ろして座り込む。
 抱えたギターに硬貨を添えて、ゆっくり、ゆっくりと音を奏でる。一つ一つを耳で確認して頭の部分の金具を弄った。絶対的な音感を持っているわけでは無くとも、曖昧ではあるがチューニングは整えられた。

「あんまり上手くはないけど、俺の知ってる曲でいいんなら歌ってもみるが……聴くか?」
「聴きたい!」
「徐晃様のお歌聴かせてー!」

 目をキラキラさせて寄ってくる子供達の輪の中心で、彼はふっと微笑んだ。

「ふふっ、今日は逆なんだね」
「お前さんの歌は好きだけど……たまにはな」

 合えば歌を聞いていた。しかし今日は彼の番。

「琵琶に似てますね。何処の国の?」
「さあ? 吟遊詩人が使ってたもんだから分からんよ。概要を絵に描いて出来たから本物とは違うだろうし」
「秋斗って……なんなの?」
「楽しいことが好きなだけだ。遊んでばっかりってわけでもねぇが」

 わくわくと目を輝かせる天和に、知性の光を宿した人和、地和は彼の不可思議さに驚愕を抑えず。
 質問をゆるりと躱して、彼はにへらと笑った。

「さて、お集まりの皆さま方、黒の道化師が想いを重ねし曲を一つお届け致しましょう。拙い歌にございますが、どうかご清聴にて御観覧をば頂きたく」

 一言口上を述べて、左手のカタチは一つのコードに。
 自分が弾ける曲の中から何がいいかと考えて、選んだのは子供のころに好きだったアニメの歌。

 つま弾く弦の音が幾重。鳴らされた音の重なりと彼の喉から放たれる歌声は、子供達の耳を擽り彼女達の胸に響き始めた。







 曲が終わり、最後の一音が力強く響く。
 ところどころ失敗したが、それでも歌い切った後は心地いいモノである。
 久しぶりにその曲を歌ったこともあってか、彼の胸も少しばかり燃えるように暖かくなっていた。

 少年少女が異世界に跳んで大冒険を繰り広げた有名なアニメの主題歌。いつか自分だけの相棒を伴って大冒険をしたいと……彼もデジタルな世界に想いを馳せた一人である。
 さすがにソロは弾けずとも、コード進行での弾き語りくらいは練習したことがある。ギターを買った若い青年にありがちなご多分に漏れず、彼も好きな曲を練習した口であった。
 現代ではカラオケなど有り触れていたし、歌の練習の場所など溢れかえっていた。人付き合いでも友達付きあいでも何度も訪れていたから、聴ける程度には彼もそこそこに歌える。
 哀しいかな、この世界でこの曲で盛り上がってくれる人物など一人もいないが……それでも彼は満足げだった。

 ほう、と感嘆の吐息を漏らして子供達は目を輝かせる。拍手喝采、街を歩いていた人々もはたはたと脚を止め、彼の演奏に歓喜を送る。
 歌詞に分からぬ単語があろうとも、音に言の葉を乗せるだけで想いは伝わるモノだ。

「か、かっけぇ……」
「徐晃様すごーいっ」
「……ずるい、こんなの」
「ぼ、ボクにも、出来るかな?」
「きっと出来るさ。歌うことに縛りは無いし、楽器だっていつか手軽に買えるようにするつもりだからな」
「でも知らないお歌だったよ?」
「普通の歌とも違ったよねー?」
「お姉ちゃん達のお歌と似てたかもー!」

 前列に居た子供達の頭を撫でて、彼はそっとギターを置いた。
 やんややんやと騒ぐ横では、三姉妹がそれぞれに表情を変えている。

「ホントなんなの秋斗って……」
「店長になんでも出来る人だって聞いてたけど……」
「うんうん♪ ばっちりだったよ秋くん♪」

 驚愕に頭を押さえている二人とは対照的に、天和だけは弾けるような笑顔を浮かべて居た。

「ってなわけで……天和にやる」
「……本当にいいのかな?」
「ああ。お前さんが一番似合う。良かったら子供達と遊ぶ時にでも使ってやってくれ。この街ではそれが許されるんだからさ」

 渋る天和であったが、彼がすっと肩に掛けてやると……一つ弦を弾いて音を出した。
 治安もよく、どんな歌であろうとこの街では許される。ギターが一本あるだけで、この街ではどこでも彼女のライブ会場に早変わりだ。
 駅前で歌を歌っていた若者達のように、錆びれたシャッターの前で自分の存在を示していた歌姫たちのように、彼女にも自由に歌を届けて欲しい……そう、彼は思っていた。
 歌とは本来、何者にも捉われずに歌うモノだから。

「ふふ、ありがと秋くん♪」

 演奏中も彼の指をじっと見ていた天和は、カタチを真似してコードを一つ。
 一番簡単なコードの音が綺麗になった。明るく、楽しげに。
 おー……っと子供達が称賛の吐息を漏らし、天和は気恥ずかしそうに可愛らしく笑う。

「姉さんだけとかずるいんだけど?」
「クク、地和の身長じゃギターに弾かれてるみたいになるからよ」
「なんですってぇ!?」
「まあまあ、ちぃ姉さん。秋斗さん、ありがとうございます」

 小さな喧嘩になりそうだった所を人和がゆるりと諌めた。ちょいちょいと、彼女は地和の肩を叩いて示す。
 視線の先、愛おしそうにギターを抱き締める天和の頬は緩みっぱなし。しょうがないわね……とため息を零すしかない。

「じゃあ店長に口聞いといてよ? “みるくれぇぷ”でいいわ」
「私は“ふるぅつさんど”で」
「はいよ、ありがと二人共」

 触らせてーと寄ってくる子供達と戯れる天和を見つめながら、三人は緩く笑みを零す。
 この平穏な時間は、誰であっても大切な宝物。陽だまりの中で皆には笑顔があった。





 †




 私と秋くんの出会いは突然だった。
 世に謳われる英雄の一人。悪を断じる黒き麒麟。冷酷にして非情。人の命をゴミのように扱い、己が命すら投げ捨てるように戦う将……それが黄巾の時に噂で聞いていたモノ。

 その跳躍に逃げ場無し……燕の如き少女は遭遇するだけで恐ろしいと誰もが言っていた。
 美麗な舞いは頸を対価に……軍神と呼ばれる麗人と出会えば諦観に賦するしかないと皆が恐れていた。
 しかし誰よりも、その軍では黒麒麟が怖ろしいと皆が言っていた。

 たった一人で三万を撃退した呂布は絶望でしかなかったが、その次に恐れていたのは……劉備軍の中でも黒麒麟の部隊。
 黒麒麟の剣閃は紅い華を咲かせる。己が命を賭けて行われる舞は死線上の演舞にして、命を喰らい合う原初の舞台に移り変わらせる狂気の宴が始まる。
 たかだか義勇軍のはずなのに、押し寄せる熱量は精強な曹操軍に勝るとも劣らなかった。否……あの熱量は曹操軍さえ凌ぐ。死に臆することなく寡兵であれど突撃してくるあの部隊には、誰しも恐怖を持たずにはいられない。
 私達が狂気に沈めた黄巾の人達と全く同じ在り方のモノで、それさえ超えていた異端な兵士達を歌も歌わずに創り上げていたのだから。

 どれだけ冷たい人なんだろう……そう思っていた。
 店長に出会ってからは普通の男の人ですよと笑われて、連合が終わった時には英雄の一人だと謳われていて、私の中に疑問が浮かんだ。

 敵として、私は敵の大将として黒麒麟の噂を聞いて来た。華琳様の所に来てからも警戒する敵としての話を聞いて来た。
 だから怖いとずっと思ってた。
 連合でもそう。徐州での戦の話を耳に挟んでもそう、幽州を見捨てたことを理解してもそう……私は黒麒麟が怖くて仕方なかった。

――民の為にと戦う黒麒麟が振るう弾劾の刃は、必ず私達に向くはずだと思っていたから。

 真実を知れば、きっと黒麒麟は私達を殺すはず。そんな確信があった。
 罪は確かにあるのだ。私達は巻き込まれたなんて甘いことはもう言えない立場にある。
 逃げることだって出来たはずで、それでも戦うことを選んだのは彼らに想いがあったからだ。
 天の塗り替えなんて本当は思ってなかったけれど、どうしようもなくなった大陸を変えれる力が私達と彼らにあったから……私達は戦った。
 私の命が消えることが怖かったんじゃない。
 私が死ぬことで、其処にあった想いを台無しにされてしまうのが……怖かった。

 どうして歌を歌った?
 始まりは自分達の為だった。好きだったから歌って、三人で楽しく旅をしていた。
 でもいつしか私達が歌に乗せた想いは、人の心を救いたくて仕方なくなった。

 理不尽は嫌だと、歌に乗せた。
 私達は生きていると、歌に乗せた。
 この想いを知ってくれと、歌に乗せた。

 一人ひとりが弱くても、きっと皆で幸せになれるから……元気づけようと歌い続けて膨らんだ想いは、刃を取らせた。
 悪徳の太守に耐えきれない人達が抗った。私達の歌に勇気を貰って。解放された人達は涙を零して笑顔を浮かべた……手を血で汚そうとも、自由が欲しかったのだ。
 一つ始まれば二つ三つと、四つ五つと繋がればもう止まらない。

 人が死ぬ。幾人も死ぬ。死体の山が積み上がって行った。私達は救いたかったはずなのに、多くの人が死んでいく。
 重圧につぶされそうな夜を幾重も越えて、私達はそれでも歌を歌い続けた。だって歌うことでしか、私達は誰も救えない。
 人和ちゃんは一番頭が良かったから、精神が壊れそうになった。地和ちゃんは明るく振る舞っていたけれど、夜に泣いていたのを知っている。
 だから私はずっと……ずっと笑って歌った。笑顔で歌わないと、私は誰も救えないから。

 道化師のように笑って……それで誰かが笑ってくれたらいい、と。
 怒られても、喚かれても、悲しまれても、私には笑って歌うことしか出来なかった。

 華琳様に捕まってからは……失った命をこの背に乗せた。何十万という人の命はもう戻らない。しかしそこにあった想いを穢すことだけは……歌に想いを乗せる私には出来るはずもなかった。
 利用してあげる、と華琳様は言った。死んだ命に懺悔し贖罪を届ける事は永遠に出来ないとも。
 この身を世界に捧げても足りない。死んで贖うことなど許されない。ただ、他に言ってくれたことは一つ……一緒に大嘘つきになってあげる、と。

 世界を騙す私達は、それでも前を向くことを選んだ。もう間違わないように、幸せになりたかった人達の想いを無駄にしないように。
 死んだ人達の望んだ世界は、私が華琳様と一緒に必ず作り出す。そう決めた。
 だから私達は歌い続ける。喉が張り裂けて死ぬまで笑顔で歌うこと……それが私達の贖罪の仕方。

『自分には何も出来ないけれど、せめて言葉で伝えたい』
『何か一つでも力になれたなら、それはどれだけ幸せでしょう』
『愛してくれた感謝を込めて、あなたの幸せを祈っていいですか』

 私達三人しか知らない。
 幽州で歌ったあの歌は、黄巾の時に兵士達に歌っていた歌なのだ。
 私達は何も出来ないから、せめて抗う彼らに幸せを。平穏を望んだ人々全てに幸せを。どうかあなた達が幸せに暮らせる世の中を。

 皆が思い描く大切な人の為にと、私達が言の葉を乗せた歌。
 狂気の始まりで、ずっと歌わないと決めていたモノ。

 なのに何故歌ったのか……あの大地が、優しすぎたからだ。
 潜り込んで、旅芸人として話を聞いた。
 幽州で仲良く暮らしていたはずの人達が、どれだけ一人の王を愛しているか。そして……黒麒麟がその王とどれだけ仲が良かったか。
 狂気は容易く伝播した。

 あの歌が、あの歌が、あの歌が、あの歌が……また人を殺めた。しかし……彼らの主を救い、彼らの心をも掬い上げた。
 私達の喉は血に塗れている。誰にも知られず舞台で踊る道化師として笑顔を振りまきながら、この罪深さはずっとずっと背負っていく業だろう。

 私達が帰ってきた時の店長の哀しみと怒りは誰にも言えない私達だけの秘密。
 あの大地を黄巾と同じに落としたと報告して……店長は私達に、ありがとう、と言ったのだから。
 昏い瞳に輝いていた絶望の光は一生忘れない。アレは……私達が奪った命の怨嗟に等しい。

 だから、というのもあるだろう。
 黒麒麟の絶望が怖ろしくて、私は正体を明かさずに彼に近付いた。記憶を失っているのは聞いていたけど、もし記憶が戻ったら殺されるかもしれない、と。

 私の中にある恐怖は、歌で人を救えないことに対するモノ。私達が歌うことで幸せになる人がいるから歌うのを止めない、止められない。私達が歌うことを止めたら、止めさせられたら、今まで失わせた命が全て無駄になる。

 まだ夢を見る。人の死が、人の声が、人の涙が、人の怨嗟が……頭を支配して止まらない時がある。
 強迫観念で歌っても想いは乗らない。涙を知っているから、私はもう……人を救いたくて救いたくて……歌えないことが嫌になった。
 心の底からの想いは誰にも理解されないだろう。
 此れは偽善だと誰かが言うかもしれない。

 でも……救わせて欲しい。一人でも多くに希望の光を。一人でも多くに生きる歓びを。一人でも、絶望に屈さない力強さを。
 きっと私は狂っている。もう、狂っているんだと思う。
 人の死に触れた私には、他者の生を望まずに居られない。
 あなた達が生きていることが素晴らしい。そして……私を生かしてくれた命に感謝を込めて、私は私の生を生きられる。

 故に、弾劾の刃が怖ろしくて、彼を試した。

 子供達と遊ぶ彼に近付き、街娘の振りをしていた。月ちゃんが隣に居ない時を狙って探りを入れていた。
 黒麒麟がどんなモノなのか。そして秋くんが……どんな人なのか。

 探っていた時からも、仲良くなってからも分かったのは一つだけ。

 この人も黒麒麟も……私と同じく、舞台上で笑って踊る道化師だった。








 ゆっくりと盃を傾ける。
 仕事をしながらお酒を飲む彼に、おかわりをそっと注ぎたしても気付かない。
 娘娘で夜遅くまで仕事をする彼は、どうやら店長と二人でお酒を飲みながらしていたらしく、今日は私も参加してみた。
 といっても、私がすることは何も無い。秋くんに貰った“ぎたぁ”で“こぉど”を練習するくらいしかない。
 筆を走らせていく彼と、帳簿を付けて行く店長。どちらも出来た男の人で、私が音を鳴らしても何も咎めることは無かった。

「秋くーん」
「んー?」
「“えふこぉど”が難しいよー」
「慣れたらすぐに弾けるようになるよ。反復練習が大事なんだ。頑張れ」

 くつくつと喉を鳴らして仕事の手を休めない。蝋燭の明かりに照らされながら、彼の真剣な横顔に少しドキリとした。
 また、しばらく音を出していた。
 想いを乗せる為には、この楽器を使いこなさないと。
 大切な愛しい人達の笑顔を想えば心が温かくなる。観客の全てが愛する人で、皆に幸せになって欲しいと思う。

 店長と私は同じ。料理と舞台の違いはあれど、方法が違うだけで想いは同じ。
 華琳様も同じ。命のやり取りというだけで、想いのカタチは全く同質。

――そして……秋くんも。

 自分の為だけど自分の為じゃない。そんな変な人達が此処には集まっている。
 華琳様にしても、店長にしても、秋くんにしても、私にしても。
 ちぃちゃんや人和ちゃんはちょっと違う。彼女達はまだ私程は狂っていない。其処にあるのは罪悪感が大きくて、本当に人間らしいと思う。

 ぼーっと彼の横顔を見ていた。
 彼女達のように罪悪感に包まれたのならいっそ楽なのに。彼はそうならずに狂っていく。人の命を救うことが嬉しいから、罪悪感を幸せと同化させる術を身に着ける。
 話に聞いた黒麒麟と同じように、このままだと秋くんもそうなって行くだろう。

「ん……よし、終わった」
「こちらも終わりました」
「お疲れさん」
「ふふ、お互いに」

 ふう、と一息ついた二人は互いに杯を鳴らした。
 はっと潜っていた思考から抜け出した私は、二人の笑顔に少しばかり見惚れる。
 男の子の友情って……なんか羨ましいな。

「天和もお疲れ。遅くまで起きててよかったのか?」
「え? あ、うん。大丈夫。たまには夜更かししてもいいかなって」
「美容にはよろしくないですが……」
「睡眠不足はアイドルの敵だぜ?」
「あいどる?」

 私に話を向けられて、秋くんから不思議な単語が出た。
 あー、と言い淀んだ彼から判断するに、また異国の言葉なんだろう。

「舞台で歌って踊る人のこと。天和も地和も人和もアイドルってわけさ」
「へー……あいどる、かぁ……」

 何処かいい響きだった。可愛らしい表現が少し気に入った。

「ただその言葉の本来の意味は……“偶像”なんだが……すまんが取り消すよ」

 一寸だけ思考が止まる。偶像……と言われて。
 ぽりぽりと頬を掻いた彼はバツが悪そうにため息を吐いて私の目を真っ直ぐに見やって……緩く笑う。

「地和や人和はまだしも……似合わないんだよ。お前さんは偶像ってより道化師だから」

 それは些細な違い。彼にとっても、私にとっても。
 どちらも作っている自分でありながら、其処に本心があるかないか。

 この胸にある想いは嘘じゃない。私は私の為だけに笑ってるんじゃない。作った笑顔はもうなくなった。戦ってきたあの時から、私は偶像じゃなくなった。
 こんな考え方に気付くのは同じ道化師だからだ。
 其処に本心が無いと、彼は笑いもしないだろう。

「あなたも同じでしょうに……まったく」

 くすり、と店長が笑った。似たモノ同士なのは私と彼で、店長は其処には入っていない。
 きゅきゅっと盃を一つ拭いて、店長はコトリと机に置いた。

「私はもう寝ます。いつも通り鍵は放り込んでおいてください」
「早いな、どうした?」
「そろそろみゅうがうなされる時間です。暇を見つけては貧民区域に連れて行って勉強させてましたからね、飢えの恐ろしさを直視して堪えているんでしょう」
「そうかい……順調そうで何よりだ」
「まだ全然足りませんよ。裏切らないようになるにはしばらくかかります。最終試験は……張勲と出会ってからですし」
「なら問題ない。好きにしていい」
「ええ、ではごゆるりと」

 去り際の表情は笑っていながらも、瞳に宿る憎しみの感情は抑え切れていない。それでいて厳しい父親のようにもなりつつあるのだから救われない。
 呪い呪われの関係で繋がるみゅうちゃんとの関係でも、人を幸せにしたい店長は辛く当たる事は出来ない。
 なんて……

「残酷な呪いだ……とか考えてるだろ」

 横からの測るような声に振り向くと、彼はグビリとお酒を喉に流していた。

「普段は厳しいのにふとした時に優しさを見せられるとそれに縋っちまうもんは多い。店長は遣り切れなくて本心からやってるんだが……みゅうにとっては甘いお菓子と一緒。
 依存しちまったらもう無理だ。強制的に学ばされているみゅうはその甘いお菓子を求めずに居られない。甘やかされて育ったからこそ辛い時に受けた、二律背反の感情を抑えて与えられる優しさが頭から離れなくなる。店長も優しいからみゅうを捨てられなくてどうしようも無い。確かに残酷なやり方だ。中身を知ってるもんからしたらな」

 ふぅ、とため息を一つ。
 机に並べていた書簡を整えながら、秋くんは横目で私を見やった。

「外から見ちまうと止めたくなるだろ? 依存なんて言葉を使うとたちまち悪いように聞こえるんだからよ」
「……そうだね。もっとお互いに分かり合えるって……言っちゃいそう」

 其処にある想いを無駄にして。
 当事者の悩みに第三者が介入することは良い時があっても悪い時もある。
 今回は後者。敢えて秋くんは悪いように言って、私を試してる。

「言わないけどね」
「へぇ……そりゃまたなんで?」

 少しあげた口の端。大人びた笑い方が普段よりも映えていた。
 ぎたぁのこぉどを一つ鳴らす。
 音のカタチは“びぃまいなぁせぶん”。なんとなく、この音がいい気がした。哀しみの中に熱さがあるような、そんな音に聴こえた。

「他の人が何か言っても二人の中にナニカが残ると思うから。時間と一緒に溶かして行かないとダメな時もあるんじゃないかな?
 それが例え利用されてるって分かってても、みゅうちゃんにだけ甘く接するわけにはいかないもん」

 そう。私達が描く理想のカタチなんかは押し付けでしかない。
 結果的にいいようになるかもしれなくても、私はそれを絶対にしたくない。
 秋くんは当事者同士で解決することを望むクセがあるから、私と同じ気持ちなんだと思う。

「……天和ってさ、なんつーかやっぱりお姉さんなんだな」
「むぅ、どういう意味ぃ?」
「クク、普段はほわほわしてるのにって思ってさ」
「もう! バカにしてるでしょ!」
「すまんな、クク」

 頬を膨らまして不足を示すと、また彼は苦笑を一つ。
 からかうように話をずらすのも秋くんの悪いクセだ。次に言う提案することを考えて嫌になってるんでしょ?

――だって秋くんもお兄さん気質で放っておけない人だもん。だから私に手伝って欲しいって思ってる。そして……冷たい計算の上では“染め上げて欲しい”、とも。

 嘘つきなあなたは嘘を重ねて行くしか出来ない。
 いつか一人になるって分かってながらも、欲しいモノの為に関係を壊しかねないこともする。
 分かってるよ。私もあなたと同じで、大嘘つきなんだから。

「秋くん、店長達のことは任せてくれていいよ? 私もみゅうちゃんとしたい事あるし、私達の目的の為に店長を利用するつもりでいるから」

 一寸だけ、彼の目が大きくなった。バレたことに驚いているらしい。
 ダメだよ秋くん。女の子はね……男の子が思ってる以上に計算する生き物なんだからさ。特に、愛しいモノの為なら、女はなんだってする。

――好きな人の想いを尊重する時以外は、だけどね。

 私の愛しいモノはお客さんの全て。その為に秋くんと同じように店長を利用して、何かしらの対価を払うことになるだろう。店長が嫌いな政治事になるかもしれないけれど、私は繋ぐ想いの為に説き伏せなければならない。
 ただ、戦場に向かう夫を見送る妻のように、想いを大事にしなければならない時もある。それについては……今は置いておくけど。

「……お見通しってか。怖いな、女ってのは」
「ふふっ、秋くんに言われたくないかなー?」

 自分勝手に進む秋くんも怖いから、とは言わない。

「そんならお互い様ってことで。まあでも、頼りにしてる」
「素直でよろしい♪」

 言いながらゆるりと、彼の頭を撫でてみた。
 黒髪がさらさらと指を通った。任せるままに、彼は目を瞑る。

「……頼る側ってのはかっこわりぃなぁ」

 なんだかやるせないような表情になって、でも無理矢理払いのけたりしない。
 友達を利用するのは嫌だろう。私の考え付かないような策を思い描いている彼は、嫌だからと避けたりはしない。
 欲しいモノが何かを見失ったら乱世は越えられない。欲深く全てを手に入れようとすれば、きっと何かを失ってしまう。

 だからこうして、偶には素直になればいい。私はあなたと同じ道化師だから、その笑顔の裏にある涙を知っている。意地っ張りなあなたに対して出来るのは、話を聞いて読み取るくらい。
 華琳様達や月ちゃんや詠ちゃんや雛里ちゃんの前ではこんな姿は見せられないはずで、店長のいるこの店くらいでしかきっと見せることも無い。

 黒麒麟の場合は……自分で諦観した友達の側でしかこんな素は見せなかったって店長も言ってた。
 あの大地を離れた時から、黒麒麟に安息は無かったんだ。

――かっこわるくていいよ。それでも笑顔でいられるあなたは、黒麒麟みたいに壊れないんだから。

 笑って、笑って、笑って。道化師になったあなたは耐えられる。
 踊らされるくらいなら自分から踊ったらいい。けれどあなたの演目は、この店でだけはしなくていい。

 ゆっくりとぎたぁのこぉどをまた変える。
 組み合わせは何がいいかな? “でぃ”、“えー”、“じぃ”、“しー”。四つのこぉどを順番に。組み合わせを変えたりしてじっくりと。
 中々合わせやすい。いい歌が歌えそうだった。
 でも止める。またこぉどを探し始める。一番あの歌に合うこぉどを。

 目を瞑った秋くんは音が心地いいようで、楽しげに頬を綻ばせていた。
 トクトクと注いだお酒をまた飲んで、この空間に酔いたいというように。
 乱世じゃなくて、こういう場所を作る方があなたは向いていると思う。
 しかし想いを繋ぐから戦わずには居られなくて、あなたは乱世を駆け抜ける。

――もう、黒麒麟もあなたも怖くないよ。私と同じ想いだって分かったから。

 自分の為に戦っても、あなたは兵士達を狂気に落とすことは出来なくて、
 自分の為に歌っても、私の歌は力を宿すことが無い。

 誰かを想う剣だから、あなたの元には“皆”が集まって、
 誰かを想う歌だから、皆が生きる渇望を手に入れてくれる。

 届ける想いは誰かの為に。私もあなたも道化師だから。それが力の源で、私達の幸せでもあるんだよ。
 だからね……

――戦乱の舞台はあなたに任せる。その代わり私は、あなたがしたくても出来ない平穏な舞台で踊って歌おう。

 彼がしたい事は私もしたい事。
 命を使うか、使わないかの違いだけ。

 生きていく全ての人を幸せにしたい私と、生きていく全ての人を救いたい秋くん。
 戦う舞台が違って、目指す世界はただ同じ。

 もう二度と、理不尽が強いられることの無い世界に。

 私は喉が張り裂けるまで歌を歌い続けよう。
 あなたは、その命が燃え尽きるまで人を救い続けて。

――でも……今だけは、ゆっくりしていってね。せめて……私っていう道化師が代わりに歌う今だけは。

 あなたに歌を歌おう。
 私と同じ想いを宿しているあなたに。

 あなたは兵士と同じだから、やっぱりあの歌を歌いたい。

 皆の笑顔の為にと戦ってくれるあなたに……



 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

官渡の前に三姉妹のお話を書くかお聞き致しましたがご意見が無かったので今回このようなカタチに。
書いてない所でも話は続いていたのでお許しを。

自分の為に歌うだけでは、きっと三姉妹の歌は黄巾の乱を起こせないと思うのです。死体の山が出来ていく中で、天和ちゃんはきっとこんなふうに変わっていったのではないかなと予想を立ててみました。

お姉さんだから責任感もあって、神輿でいたから人を慈しむ王としても成長していて、それが余計に彼女の役者としての力を引き上げたりと……。

真桜と天和と店長と秋斗のせいで魏の娯楽特化がやばい。
余談ですが、彼が歌った曲は初代デジモンのOPでございます。


次は物語が進みます。
ではまた 
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