運命の悪戯
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1部分:第一章
第一章
運命の悪戯
外見はそれ程悪くはない。かといっていいわけでもない。
黒い髪に青い目をしている。背はまあ普通位だ。体格は長い間軍にいたわりには細くそのせいで小柄にも見えるが実際は決して低くはなかった。
ただ眼光が異様に鋭い。小さくした髭のせいであまり目立たないが実に鋭い目だった。だがあえて目立つといえばそれだけで他はこれといって目立つ外見の男ではなかった。
「何でも美術大学に落ち続けたらしいな」
「そんなの誰でもだろ。よくある話だ」
そしてこのことも周りから見ればこんなふうだった。本当に誰から見てもごく普通の平凡な男であった。
だが彼はとある政党に入った。その政党は党員といっても本当に数人しかいないごく小さなものであった。この御時世に雨後の筍の如く出て来た社会主義的な政策を掲げる政党の一つだった。
「我々の社会主義は他の社会主義とは違う」
この主張もよくある主張であり斬新なものもない。
「国家主導の社会主義だ」
国家主導でない社会主義もまあないのでやはり斬新でもない。社会主義とは必然的に大きな政府でなければならずそれが為に国家主導になってしまうものだからだ。
だが彼はとりあえずその政党に入った。これが紛れもない事実であった。最初はそれだけだった。
ところがある日のことだった。この政党が街頭演説を行うつもりでその演説するメンバーも決めていた。そのメンバーが急に出られなくなってしまったのだ。
「彼は無理か?」
「ああ、無理だ」
「どうしても外せなくなったらしい」
「参ったな」
みすぼらしい地下室に置かれた党の本部の薄暗い灯りの中で顔を見合わせて深刻な話になっていた。皆頭を抱えてしまっている。
「折角街頭演説ができるまでになったのにな」
「だが。彼は無理になった」
「どうする?」
「中止にするか?」
「いや、それは駄目だ」
中止の考えはすぐに否定された。
「それは。折角ここまでこぎつけたんだぞ」
「そうだな。それは絶対にやらないといけない」
「我々の偉大な政策を知らしめる第一歩だからな」
「しかしだ」
彼等の中の一人が言った。
「彼に任せていいのだろうか」
「彼にか」
「不安だ」
こう言うのである。
「やはりな。それは」
「ううむ、言われてみれば」
「それはあるな」
この不安が出されると多くのメンバーもそのことについて考えざるを得なかった。何人かは実際に腕を組んで俯きだしたのであった。
「新入りだしな」
「しかもだ。話すのが上手いとは思えない」
「確かにな」
次々と意見が出るのだった。
「やはりそれを考えると彼では」
「荷が重いか」
「いや、それでも彼しかいないぞ」
また意見が出された。今度はいささか現実的な意見であった。
「やはり。今動けるのは」
「仕方ないか」
「そうだ。何を言っても我々はまだ人がいない」
人どころか金も力もない。泡沫政党にはよくあることだ。
「だからだ。ここは何があっても挽回できるようにしておいてな」
「今は彼に任せるか」
「そういうことだ」
結局のところこれしかないのだった。今の彼等には。
「彼に行ってもらおう。いいな」
「そうだな。やはりそれしかないな」
「それならな」
こうして演説には彼が代わりに行くことになった。党員達はその彼を表面上は恭しく演説に行かせるのだった。その考えはあえて隠して。
「では頼むぞ」
「君の力を頼りにしている」
「わかった」
わかったと答えながらも彼にも然程自信があるようには見えなかった。軍隊で勲章を手に入れ優秀な下士官として評価されていたらしくある程度は自信らしきものは感じられないでもなかった。だがそれでも自信満々の英気溢れる人物には到底見えはしなかった。
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