乱世の確率事象改変
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幕間 ~幸せを探すツバサ~
自分でも驚くことだが、秋斗は久しぶりに良く眠れた。
失われた記憶が関係しているのだろう。他人に起こされるまで気付かない程に熟睡することなど、今の秋斗が目覚めてからは無かったのだ。
乱世のことを毎日考えれば寝る間さえ勿体ない。記憶が無い不安と焦燥は眠気を追い遣る。確かに、現代で残業ばかりの毎日を送っていたので少々の寝不足など慣れていたが、それでも異常な程に働きづめではあった。
「お、おはようごじゃいましゅっ」
目覚めはおずおずと億劫な声音で掛けられた挨拶によってだった。
ゆっくりと目を開けて現状を確認、柔らかいモノに両側を挟まれている事に驚愕と疑問を宿すも、そういえば昨日は四人で寝たんだったと気付いてどうにか飛び起きず、首を横に向けるだけで済んだ。
目が合うと、あわわと呟いた雛里は急いで顔を彼の胸に埋めた。恥ずかしさが込み上げるのも女の子であれば詮無きこと。
「ん、おはようひなりん。あ、えーりんもおはよう。すまん、本気で寝ちまってたらしい」
「案外疲れが溜まってたんでしょ」
いつもなら先に起きているはず、と詠は付け足し、失言だったと口を噤んだ。別に比べられても秋斗は気にしないが、彼女としては気にするらしい。
机にでも向かって仕事をしていたり、朝だぞと声を掛けたりと、間違っても誰かが先に起きるまで寝過ごすようなことは無かった。
コホン、と詠は咳払いを一つ。一応、それぞれ衣服が乱れていないか確認はしているらしく、秋斗が見る限り昨日の夜のまま変わりない。
身体を起こしている詠とは対照的に、未だ彼の横で添い寝しているモノは、二人。
「月、あんたもいつまでも固まってないで起きなさい」
「へ、へう……」
不思議に思って隣を見た。其処にいるのは、うるうると見つめる子犬のような少女だった。先に寝てしまった月はまさか彼の隣で寝ているとは思わなかったのだ。
朝起きて見れば彼に抱きついていたわけで、素っ頓狂な声を上げるよりも固まってしまった。記憶を反芻しても何が起こったか分かるわけが無い。
何より彼女を混乱させた理由は、顔が近いこと。跳ねる鼓動を抑え付けながら、誰にも気付かれないようにちらちらと覗き見て、そしてやはり動くに動けない。
そのまま、ぐるぐると回る頭を抱えて悶もんと過ごして今に至る。
「おはよう、ゆえゆえ」
「あ……おはようございます」
恥ずかしいから目を逸らしながら、彼女は朝の挨拶を口にする。随分と穏やかな朝に感じられた。
枕と首の間に伸ばしていた腕を抜き取った秋斗は、ゆっくりと上半身を起こしてから伸びを一つ。ただ、やはり他人に起こされては眠いらしく、大きなあくびが出た。
――なんだろ、こんなゆっくり寝たの久しぶりだからかも……マジで眠い。
華琳の命令は四人で過ごせ、だ。たまには自分も頭をからっぽにしてみようと、彼はふと思った。
「……なぁ、ちょっと贅沢してもいいかな?」
「贅沢? 何よ」
目を擦りながら子供のような仕草で、彼はポスッとまた寝転がった。
「二度寝させてくれ。せっかくの休みだけど」
仕事に疲れた父親のような言葉を言い放って目を瞑る。
目を真ん丸にして、三人は彼を見つめた。こんな事を言い出すことは今までなかったのだ。誰よりも早く起きて何かしら動いていたはずなのだから。
「ちなみに華琳の命令だと四人で過ごさないとダメらしい……ってことでお前さんらも一緒に二度寝してくれ」
眠いからだろう。昨日のように恥ずかしがることは無い。鈍い頭が、ただ眠りたいと訴えていた。
「えっ、ちょ、ちょっと待って? あんた、ど、どうしたの?」
「眠い。それだけ。あと十五分でいいから」
「十五分って何!?」
「おやすみぃー」
「ちょっと秋斗!?」
「あわわ……で、では私も寝ましゅ」
構わずに何も答えなくなった彼に対して、雛里だけがくっついた。
珍しいわがままの類。これから出かけるはずなのだが、それよりも寝たいと彼は言う。予定を決めて進める事を最善と置く秋斗がそんなことを言うなど今までは無かった。
雛里は別に気にしない。何処にいかずとも、此処で一日中過ごしてもいい気がした。彼の腕の中に潜り込んでまたきゅうと抱きつき、ふにゃりと幼さの残る笑みを浮かべて目を瞑る。
上半身だけ起こしていた詠は彼を見つめ続ける月を見た。どうしたらいいか分からない。このまま寝てしまおうかと思っても、別にもう眠くは無いのだ。
そんな詠とは違い、月は穏やかな笑みで雛里と秋斗を眺めていた。雛里が自分で選んで秋斗と共に過ごそうとしているのが、やはり嬉しい。
――良かった……歪んじゃった雛里ちゃんの心は、彼を求める事で戻れたんだ。
月はこの光景を望んで今まで彼の側に立っていた。次第に寝息を立て始めた彼と雛里を見ると胸の中がじわりと暖かくなった。
――敵わないなぁ……やっぱり。
そう心で呟いて直ぐに、頬を伝うのは一筋の涙。
「ゆ、月……?」
「……あれ?」
急いで涙を拭った。もう一つ溢れて来た。だからまた拭った……その暖かくて、冷たい涙を。
「どうして、かな……詠ちゃん。涙、でちゃう」
「うれし涙でしょ。だってほら……雛里がこんなに幸せそうなんだもん」
苦笑と一緒に、言い聞かせるように詠は言葉を紡いだ。
――あんたって子は……優しすぎるのよ、バカ。
その内側にあるものをひた隠しながら。
「……うん。嬉しい。だって雛里ちゃんが自分で幸せになろうって決めてくれた」
「でもまだ早いわよ。あの大バカを戻すって仕事が待ってるんだから」
「うん、うんっ!」
綺麗な微笑みを浮かべて、月は元気に声を出した。涙がきらきらと光って美しいその表情がどのようなモノかは、詠だけが心に刻み込む。
――月……あんたって、やっぱり秋斗と似てるのね。
彼女の涙はきっと哀しみ。ずっと隣に居ても秋斗に選んで貰えなくて、心が流した悲哀の涙。
二人を想っているのは間違いない。けれど月は自分の恋が一番に届かない事の悲哀その吐き出し方が分からない。
だからせめてと、詠はそれをうれし涙だと言って聞かせた。まだ恋は終わっていないと思わせたくて。もしかしたら自分もと……一番になれずともいいと期待する淡い心もあったから。
眠っている彼の顔を見ながら、少しだけ彼女は思うことを口に出したくなった。
「ねぇ、月。ボクさ……こいつのこと……」
「……詠ちゃんも?」
まだ言っていない恋心を、半身のような彼女に告げる。彼女はそれを分かった上で、詠も、と言った。
「うん。こいつってバカだけど、ボクの方がバカになっちゃったみたい」
「ふふ……一緒だねっ」
子供のような寝顔を見つめながら、二人の恋する乙女は一歩だけ進んだ。
二人共が、これからこの恋心を大切にしていこうと実感した、優しい穏やかな朝だった。
†
戦が終われば日常が其処にある。街の民は血生臭い戦場のことなど知らないが、赴いていた者達にとっては全くの別物。
いつも通りに今日も今日とて変わり映えのない毎日を過ごすはずの民達ではあるが、この昼下がりは少しばかり違った。
街を歩いているのは、おめかしをした少女が三人と、仕事のときとなんら変わらない黒づくめの冴えない男。彼の隣には月だけが侍っていたはずで、新しく二人が加わった事に疑問を持つものが大多数。月と秋斗の、まるで恋仲か兄妹のような仲睦まじさに和やかな気分になっていたはずが、女の子を三人も侍らせていればさすがに苦笑を隠せない。
そんな民の視線の意味を分かってか分からずか、秋斗はため息を零すことなく発展し始めている街並みを笑顔で歩いていた。
女の子とのデートである。ため息を零すのは拙い。いくらやっぱりというような生暖かい視線を向けられようと、其処は気にしていないというように見せて耐えるのが紳士のマナーであろう。
これが春蘭達のような将なら、仕事の付き合いだと人々も思うだろうが……彼女達は見た目が幼い。噂と相まって彼を見る目は自然と悪い方に向く。
特に月は、いつもの侍女服では無く可愛らしく着飾っているのだ。これをプライベートな男女の逢瀬だと思わずしてどうする、と。
「さて、ゆっくり寝て皆で朝飯作って食ってたら昼下がりになっちまったわけだが……どうしようかね」
皆が仕事に動いている最中ではあるが、休日ならばと四人で朝ご飯を作って食べてからが今である。
中途半端な時間ではあるがお腹は空いていない。このままのんびりと街を視察していくのも悪くないだろう。
「服でも見る? あんたって似たような服ばっかり着てるし」
「一応変装用に民の服は持ってるぞ?」
「そういう意味じゃないんだけど」
「ってか俺の服見て回ってどうすんだよ。可愛いお前さんらが着ればさらに可愛く見えるような服を買いに行った方が世の為、人の為だ」
「あわっ」
「へうっ」
「っ! あんたって奴はっ! 直ぐにそういうこと言わないの!」
「いてぇっ」
べしっと肩を叩かれる。褒めただけなのに……と零すが、惚れた側としては堪ったモノではない。
赤い顔で睨む詠と、恥ずかしくて俯く雛里と月。通りを行く人で彼を知っている民の幾人かは、そんな彼の様子に少し噴き出していた。
「ふはっ、徐晃様は尻に敷かれてんですかい?」
「さすがの黒麒麟も可愛い女の子には勝てませんわなぁ」
若い男達が数人、声を掛けた。力仕事の一人、商店の息子の一人、警備兵の一人などなど多様な職種の仲間内。
彼に対して堅苦しい空気はいらない。畏敬を置かず好きに話し掛ければいい。そういった価値観が街には染み渡っている。
そも、子供と遊ぶのが好きなこの男は、口を開けば案外軽いのだ。威張り散らすこともないし親しげに話し掛けてくる。下らない冗談で笑って欲しくていつもバカをする。男達にとって憧れの対象であるのは戦場の黒麒麟で、街で暮らす彼はまるで友達のように感じていた。
にやにやと茶化す時の目のカタチは徐晃隊のバカ共と変わらない。こういう時『あ、やばい』と思った時には遅いのがほとんどである。
「んでんで? この子達とは何処まで行ってんです?」
「そりゃお前、徐晃様はほら……な? こんな可愛らしいようじ……女の子達に囲まれたら我慢なんざ出来ないさ」
「うわー、鬼畜っすね。徐晃様が街の広場で子供達と遊んでる時の警戒人数多くしなくちゃなんねぇな」
口ぐちに言いたい放題だった。彼らとて話題に飢えている。娯楽が少ないこの時代、例え彼の異端知識でいろいろとこの街での遊びの幅が広がっているとは言っても、噂話は極上の娯楽。特に彼の場合は。
男達のノリに困るのは少女達。手を出されていないとは言えないし、手を出されたと嘘をつくことも出来るわけが無く、ただの友達だと言うのも嫌で、恋仲だと言うのも間違い。まさに、どうすればいいのか分からない状態だった。
「お前ら……暇なんだなぁ」
呆れのため息をついて、彼はがっくりと肩を落とした。
「この子達は前の軍からの旧知でな、ゆえゆえ以外は他の場所に仕事で赴いてたからさ、旧い絆を暖めるのも大切だって曹操殿が休みをくれて一緒に街を廻ってんだ。ゲスの勘繰りはやめてくれや」
「またまたぁ! んなこと言っていっつもゆえゆえちゃんと一緒に居たじゃないっすか!」
「てっきり恋仲なんだとばかり……でもこの子って……おお、鳳統様だ! 帽子かぶってないから分かんなかったっ」
「んじゃこっちの子も文官様なんで?」
やいのやいのと盛り上がる。彼の言い分などおかまいなしに。
これだけ目立てば次第に人が集まってくるのは自然なことで、彼はうんざりと言ったようにため息をまた一つ。
「休日なんだからゆっくりしてぇ。イロイロと今度答えるって事で勘弁してくれ、な? そん時は出店のお菓子でも食いながらでどうよ」
「マジ!? じゃあ娘娘のくれぇぷで頼む!」
「俺も俺も!」
「俺はあいすがいいなぁ」
「おごるなんざぁ誰が言ったよ? クク、もちろん食うもんは自腹だバーカ」
「うげ……じゃあ食事街の団子屋でいいや」
「えー、そりゃないぜぇ」
「偶には奢ってくれよ徐晃様ぁ」
「却下だ。そうさな、お前さんらが出世したら考えてやんよ」
「お、言ったな? 絶対だぜ?」
「まあ、女の子と一緒に時間を邪魔すんのも野暮だった。すまねぇ徐晃様」
「構わんよ。お前らも休日なんだろ? ゆっくり休めよー」
「あいよ。んじゃまた、ウチの店を御贔屓に」
「警備ん時はよろしく頼むぜ」
「現場に使えそうな若い衆の斡旋もよろしくなー」
口ぐちに言って、笑みを浮かべながら手を振って離れて行った。見送り呆れながらも楽しそうな彼は、男達との会話を楽しんでいたのだと分かる。
彼は鼻歌混じりに歩みを進める。いつもそうやって楽しげに、否、先程のことがあってか、今日はより一層楽しそうだった。
彼女達としては少しばかり面白くない。
「……相変わらず楽しそうね」
彼が男と一緒の方が楽しそうだと思う。せっかくの休日なのだ、彼もより楽しい方がいいのではないかと考えてしまうのも、徐晃隊と過ごす彼を見てきた彼女達としては当然で。
「ん? あー……まあ、男の方が話しやすいってのはあるかな。女の子も女の子同士の方が話しやすいだろ?」
「それは、そうですが……」
煮え切らない。
些細な嫉妬だ。楽しそうな笑顔を向けられるのが自分達でもあって欲しいと、それだけのこと。
男同士で笑いあう姿を隣で見ればそういった欲求が湧くのは普通で、恋をしている女の子にはありがちな思考である。
ふっと、彼は小さく笑った。
「お前さんらとこうして歩いてるだけで楽しいって言ったら……信じてくれるか?」
流し目で悪戯っぽい笑顔は子供のよう。心臓が跳ねたのはソレを向けられた詠であった。
――その言い方ってずるくない? なによ、秋斗のくせに。
認めてしまった恋心のせいだ。バカなことばかり考える彼に悪態が出てくる。
詠とて分かっている。自分の浅はかな欲求なのだ。彼から、徐晃隊に向けるような笑顔を向けて欲しいと思うのは。雛里でさえそんな笑顔は向けて貰えない。
ただ、本来はそんな欲求を抱かなくてもいい。
三人の中で気付いているのは雛里だけ。より多く彼と触れてきたから、それぞれにいろいろな笑顔を向けると、彼女は知っている。
詠と姉と弟のようなやり取りをする時の彼は、詠にだけしかその時の笑顔を向けない。
月と穏やかに街を散策する時の彼は、月にだけしか緩い空気に浸り切った微笑みを向けない。
雛里には……言わずもがな。
何も言わずに、彼女は秋斗の手を握った。
驚いた彼は彼女を一寸見るも、もはやクセになってしまった苦笑を一つ。
「クク……ひなりんには敵わないなぁ」
彼がこの言葉をいう時で、嬉しさがにじみ出ているのは雛里に対してだけ。
何故だか咎める気も霧散してしまい、詠はまあいいけどと言ってそっぽを向いた。
そんな彼女の様子が可愛くて、月はクスクスと小さく笑った。
「詠ちゃん、私達も手を繋ごうよ」
「ぅ……わ、わかったわよ」
二人ずつで並んで歩く。街を行く四人は皆に笑顔を向けられて、四人でも楽しそうに談笑しながら歩いて行った。
穏やかな一日はまだ半分も過ぎていない。
†
一つの露店が目に留まり、三人はピタリと脚を止めた。
最初に止まったのは雛里、続いて二人も、その店に熱の籠った視線を向けていた。
行儀は悪いが、どうせなら食べ歩きをしようと桃まんを齧りながら歩いていた彼は不思議そうに彼女達の方を振り向いた。
「どうした? おー……すげぇな、これ」
彼女達の視線に気付いた秋斗は、ゆっくりと歩み寄って行き、その商品達を吟味していく。其処にあったのは、美しく磨き上げられた銀細工であった。
「いらっしゃい」
「調子はどうよ?」
「あがったりさ。太客みぃんな死んじまったらしいから。ま、露店で売るもんじゃねぇんだがこの街は安全だし、娘娘ってぇ店があるから立ち寄る金持ちがぼちぼち買ってくれらぁな」
ジトリ、と店主は彼を睨んだ。秋斗が“何”であるかに気付いたのだ。ほんの少しの憎しみの視線に、秋斗もどういう意味か理解する。
ぶしつけな態度は稼ぎ処を奪われた結果から。店主は、袁家で儲けていた商人で間違いなかった。
自分が為したことで少なからず被害を受けるモノがいる。分かっていたことだが、その事実に少しだけ胸が痛む。しかしそれよりも、堂々と新しい利を得に来た商人の在り方に称賛の吐息を一つ落とした。
「強かなことで。一流の商売人ってわけだ」
「言うだけタダの言葉を頂いても腹は膨れないんでね、黒麒麟さんよ。ま、商売に恨み事を持ちこんだら痛い目を見るのは自分だ。儲けて楽しめりゃそれでいい。悪いもん勧めることもしねぇしぼったくることもねぇから、見て行ってくんなせぇ」
彼も謝ることは絶対にしない。商人も感情的になったりしない。商売とは利と信用が何よりである。個人の感情は有効利用できることもあるが、多くの商談に於いては邪魔な異物になることがほとんどである。
何処まで行っても利を優先するのが商売魂。例え太客の皆殺しを命じた男であろうと、人との付き合いがモノをいうこの時代で、その商人は利を得る為の方法を間違えなかった。
感情をぶつけるくらいなら新しい金づるになって貰おう、悪く言えばこう。良く言えば……新たな商売筋の開拓の分岐点であろう。
少し怯えつつ、自分達が敷いた理不尽に罪悪感を覚えつつであった三人も、害意は無いと理解して商品に目を通して行った。
じっくりと一つを丁寧に観察しつつ、彼はほうとため息を吐いた。
「いい仕事してるねぇ……あんたが作ったのか?」
「いんや、それじゃ効率が悪い。弟が作って俺が売る。売れなきゃ俺が悪いって感じよ。生憎俺には言葉を乗せる舌と人を見る目しか取り柄が無くてね」
「クク、それは誇っていい武器だよ。職人も大変だけど、営業マンってのも大変なんだから」
懐かしい、というように彼は目を細めて笑った。過去を思い出して、よれたスーツを着て駆けまわっていた自分を懐かしく思い返していた。
聞きなれない単語に、店主は首を傾げた。
「営業まん? なんだそれ?」
「あー、営業マンってのは異国の言葉であんたみたいな人のこと言うんだ。商品を誰かに売り込む人。昔は俺も駆けずり廻ってたんだが……モノを一個売るってしんどいんだよなぁ」
「え……あんたって商人だったの!?」
過去を聞いたことのない三人は、それぞれに驚愕から目を見開いた。
「……旅を続けるには金が必要だろ? 一番手っ取り早いのはモノを売ることなんだ。香辛料とかは凄く役に立ったぞ」
内心でしまったと思いつつ、どうにか平静を装って誤魔化した。
知識として、調味料や香辛料は手に入りにくい国ではバカ高いと彼は知っている。この大陸に於いても胡椒は高いのだ。その代わり、その土地独自の香辛料を安く買って他の場所で売れば、それだけ儲けが出るのは当然。保存が効くモノで一番理由付け出来るモノであった。
智者である詠と雛里は特に騙される。月も、おいしい味付けをしっかりと為されている料理は金持ちしか食べられないと知っているから彼の言葉を信じた。
「なるほど……嵩張らないで腐らない、持ち運びし易くて欲しい人が必ずいる。大量発注じゃなくて個別に売り込めば、例え他より安く売っても利益分で代わりの品と旅用の資金が満たされる……考えたわね」
「まあ、そんな感じ。例えばこの腕輪の宝石……金剛石だけど、外ではダイヤモンドって呼ぶ国があったりする」
「だ、だいあもんどっ」
「だいあもんど……」
「へぇ……だいあもんど、ねぇ」
新しい響きを心に留めて、光を反射してキラキラ光る宝石を三人はじっと見つめた。
ほっと一息。こればかりは嘘を付き続けるしかない。完全に調べられたらアウトである。今はこれでいいのだと言い聞かせながら、自分のクズ具合に嫌気が差し落ち込む。
「長いこと商売やってきたが初めて聞く名だぞ?」
「国によっていろんな呼び方があるからな。産出地は南の方が多いけど、こういった光モノを買う奴は何処の国でも大抵金持ちだ。美しいモノとか高価なモノってのは力を示すためにも魅力を示すためにも需要があるだろ? 見たとこ宝石商じゃなくて銀細工の商人みたいだし、店主の弟さんのこの造りならきっと大陸の外でも売れると思う」
「へへ、いいこと聞いたぜ。この大陸で目ぼしい客が消えたら外も行って見るかなぁ……」
「あ、それはオススメしない」
「あん? なんでだ?」
ぴしゃりと言い切る彼に、不機嫌そうに店主はジト目で見た。
「護衛とか今まで通りじゃ無理だから。言葉も通じない、右も左も分からない、そんな場所で宝石とか銀細工を売るなんて……鴨が葱しょって、おまけに鍋まで担いで来るようなもんだ」
「……わけが分からねぇ」
「賊だけじゃなくていろんな人間から狙われるって事だよ。個別に専属契約先を見つけて卸売り……あー、繋がれる商人仲間を見つけて手伝って貰うならまだマシだけど、それでさえ横領……持ち逃げされたら終わりだ。契約書も誓約書も口約束も異国人ってだけで不履行がまかり通ったりするし、まず真っ先に法が違うから裁くのにも捕まえるのにも問題だらけだ。信用なんざ大陸内だから大きな力を持つわけで、太い金づるを捕まえときたい商人だけじゃねぇのは分かってるだろ? そん時は泣き寝入りするしかねぇな。
後はな、こんな感じに商品持って行って選んでもらうってのは特に止めとくべきかな。今までも気に入ったもん買って貰う為に全部の商品持ってったんだろ? 商品だけじゃなくて命まで奪われるのがオチだよ。大陸の外で発展してるとこ行くまでにどれだけ荒れてる土地があると思ってやがる。だいたい分かったが、袁家に売り込むのもお前さんの命の保証も交渉対価に入ってたんだろうに。その交渉の舌は評価できるが、慢心すれば死ぬぞ」
「う……すげぇな、あんた」
すらすらと口が良く廻る。知識から思考をフル回転させて注意を並べただけだが、店主にとっては耳に痛い言葉だったらしい。
漸く大陸は安定してきた所で、店主は袁家という太い客の庇護下にあったから生き永らえていたのではなかろうか、と彼は当たりをつけていた。実際その通りだったようで、言い当てられた店主は頬を引くつかせている。
そんなやり取りの最中、秋斗の商売知識に驚きを隠せないのは詠と雛里だった。
「ねぇ雛里。秋斗ってホントなんなの?」
「わ、わかりません。専属契約に卸売り、それに法関係での問題点まで……大量生産する職人さんとお店でよくある関係ですが、まさかこんな簡単に問題事案を上げられるなんて……」
土地が違って法が違うことの問題など、歴史では有り触れている。社会人として過ごせば契約など耳にたこが出来るほど聞いている。この時代と現代では、あまりに知識の幅が違い過ぎた。
そして、彼が街でどういった仕事をしているかは完全に把握しきれていない。幽州の娘娘での商人との交渉事は彼の分野であったし、平原でも徐州でも報告は上がれど結果の数値報告くらいしか書類には起こされない。
そも、朱里が内政のほとんどを担当していたのだし、商人との細かい繋がりは把握しきれていないのだ。詠であっても、政治分野を手広くまかなっていたが、広いが故に一分野で重点的ということはなく。
どの時代でも商人だけのネットワークはあるが、この時代の為政者のほとんどは商人をそこまで重視せず、深い関わり合いを持って改善していこうとする人物は少なかったりする。
その分野で化け物と呼ばれるモノの一人を、詠も雛里も知っている。そして秋斗は、その人物を最重要として華琳の為に生かす道を選んでいたりする。
――秋斗が張勲をどうしても生かしたい理由はコレか。
袁家の半分を動かしていた影のモノは、情報分析と些細な気付きに関して特に群を抜いている。
今も昔も、国を回すのに必要なのは人と金である。必然、七乃はその分野に重きを置いて動かしやすくしていたのだ。
「秋斗さん凄いなぁ……」
ほわほわとした空気を漂わせながら、月がそんな言葉を漏らした。
照れた秋斗は、頬を指で掻いてなんとも言い難い表情で口を開いた。
「ま、まああれだ。この街とか周辺、あと洛陽なんかも商業分野に力を入れてくらしいからさ、その時は声かけるよ。よかったら店とか出して欲しいんだ」
「お、おう? 罪滅ぼしの同情なら要らねぇぜ?」
いきなりの勧誘に面喰った店主ではあるが、彼の目を見つめて心の中を推しはかろうと探りを入れる。
「ちげぇよ。ちょっと銀細工の指輪を広めたくてさ。装飾系に詳しそうな曹操殿やら袁麗羽にお前さんの弟の商品の価値を見極めて貰ってそれからになるけど」
特に麗羽であれば大丈夫だろう。高級品に馴染み深い彼女の目利きは誰よりもずば抜けているのだから。
「エンゲージリングっつってな。とある国では婚約する時に、男が女に指輪を贈って契りを交わす習慣がある。そんで結婚指輪って言って……結婚した後にお互いが同じカタチの指輪を付け続けたりもする。それを流行らせたい」
「おお! 面白そうだな、それ! そういうことならよろしく頼む!」
楽しそうに笑う店主とは違い、驚き見つめる三人の少女が送る眼差しは真剣そのもの。秋斗はその力強さに少し圧された。
彼女達は食い入るように銀細工の品々を見つめ出し、身体を寄せて小声で何やら語り出した。
(えんげぇじりんぐ……い、いいじゃない)
(綺麗な指輪を貰って婚約……へぅ)
(ずっとお揃いの指輪で過ごす……あわわぁ)
(秋斗からそんな話聞いてなかったの?)
(お、想いが繋がったのは戦に出る前でしたから……)
(じゃあ雛里ちゃんはその内貰うんだよね。秋斗さんだから多分、“さぷらいず”で)
(あ、あわわぁ~~~~~っ)
(それでもし、雛里ちゃんが言ってたみたいに私達も受け入れられたら……へうぅ~~~~~っ)
(ダメ! それダメよ! そんなことされたら女の子だったら誰でも嬉しいに決まってるじゃない!)
雛里も詠も月も顔を真っ赤に染めていた。
間違いなく彼なら、今のこの話を一切せずに雛里に指輪の一つでも送っていたはずなのだ。
妄想すれば止まらない。彼女達は恋する乙女。それぞれが思い描くシチュエーションで、指輪を渡されるその時を考えてしまう……それも詮無きかな。
「な、なによ……べ、別に嬉しくなんかないんだから……きざったらしいことしてんじゃないわよ」
「きょ、今日は月が綺麗で……は、はい……え……へぅ……」
「は、半分ずつの空が、き、きれいでしゅっ! わ、わたちもじゅんびしましゅた……あわ……噛んじゃった……」
もはや声がダダ漏れである。
秋斗は聞こえているが聴こえない振り。乙女が妄想している時は止めないのが彼なりの気遣い。どこぞの軍師のように鼻血を拭き出さない限りは彼も慌てない。
「また話が決まったら伝えるよ。いやぁ、試作中の“カメラ”とか服屋とかと提携させるのが楽しみだ」
「かめら?」
「おっと、内密の話だ。単語でさえ内緒な」
「まあ、いいけどよ。儲かるし人が幸せになるってのはいいこった。金持ちなら飛びつくぜ、絶対」
「だろ? だからさ……ちょいと安くしてくれ」
「まだ決まってない契約を対価に割引しろってか? そりゃあちょっと厳しいねぇ?」
「あー、そりゃそうだわな。其処にある華の首飾りを三つ欲しかったんだが……ちくしょうめ」
「この子達にかい?」
「ああ、安いやつで申し訳ないんだが、それでも足りなくてなぁ……」
「嘘だろ? 黒麒麟ならもっと金持ってるはずだろが」
「街の改善会合で娘娘にどれだけ通ってると思ってやがる。お前も日が浅いって言っても此処に来た商人なら知ってるだろ? 娘娘での分野ごと商人会合費は実費なんだぜ? 長老連とかはタダだってのにさぁ」
「たっはっ! そりゃ金なんか残らねぇ! あんたまさか全部に出席してんのか!? 他の奴が徐公明は商人との繋ぎ役も担ってるって言ってたが……マジだったのかよ!」
「そう、街が良くなるにつれて俺の財布は軽くなるのさ……別に最低限生きていける分は残してるから問題ないけど」
「お、おう。どういったらいいか分からねぇ」
「よし、じゃあローン……回数払いで頼む!」
「悪いな、ウチは一括のみだ!」
「なに!? くそ……マジか……其処をなんとか――――」
ただ、彼は彼で店主と盛り上がっていた。カオスである。
片や女の子は妄想の世界に行ってしまっているし、男二人は値切り交渉でやいのやいのと騒いでいる。
それで一目を引かないという方が無理であろう。気付かぬ内に周りには人の波。街道すら埋め尽くすありさまであった。
なんだかんだで楽しい事が好きな街の人々は、情報を手に入れる為に野次馬として聞き耳を立てていた。
三人の少女が顔を赤らめて銀細工の前に居る。彼が値段交渉をしている。そうか、間違いなくこの三人とは恋仲なのだ……と、誰もが思うのは自然なこと。
噂が流れるのは早かろう。厄介なモノ達の耳に届くのも早かろう。誤解を解くのにどれだけの時間が掛かることか。民だけならまだいい。この件が耳に入って面白くないモノや、悪戯を企むモノからどんなことをされる事か……必死で交渉している彼は気付かない。
そんな裏で着々と事が進むと予想される人だかりの側で、桃色と青色と紫色の髪をした三人の乙女がマイクを持って楽しげに笑った。
「お集まりの皆さまに朗報をお届けっ! なんと娘娘の新作甘味が今日より発売っ♪ 美容に一番! お姉さまもお嬢さんも食べたら分かるこの違いっ!」
「お手頃価格で美容に効くあまぁい“ふるぅつお菓子”とぉー、甘くてとろける女子の憧れお菓子はいかがかなぁーっ♪ すぃーつ男子な君たちにも一曲だけ歌を歌ってもいいかなー!」
「いつもの合言葉を言ってくれたら……あたし達がイイコトしてあげちゃったりっ? なぁんて!」
瞬間、その人だかりの目の色が変わる。
綺麗になりたいのは女の願いで、甘いモノに目が無いのも女子の大半。店長の考案したモノにハズレは無い。
そして……この街の男共で彼女達……“役満姉妹”を知らないモノは居ないのだ。
「店長の新作甘味ですって!? そんなのすぐなくなっちゃうわよ!?」
「行かなきゃ! 娘娘の新作だけは逃さないんだから!」
「ほあ――――――っ!」
「おいマジかよ! イイコトってなんだぁ!?」
さすがの秋斗であろうと、妄想に跳んでいた彼女達であろうと、その異常な空気を感じ取れぬはずも無く。
呆気に取られるままに、人の群れが去って行く後ろをポカンと呆けたままで見つめていた。
機を得たりと、彼の元に近付く人影が、一つ。
「貸し一つ……ですね」
「クク、あんなに人だかりが出来てるとは思わなかった。助かったよ」
「あなたならこの露店商の前で何かしらするとは思ってましたから。噂が広まるのは拙いでしょう? 記憶は……戻らなかったんですね」
「相変わらず鋭いこって……ただいま、店長」
「はい。おかえりなさい、徐晃様」
すまないな、と目礼を一つして彼は手を差し出し、店長もそれを握りしめる。
赤いバンダナをはためかせ、友が帰ってきたことへの歓びを笑顔に乗せて。
カレーの材料は渡しても、店があるため直接は会っていなかった二人。店長の後ろに侍る二人の給仕のうち一人が、男二人のやり取りにキラキラとした視線を向けているのは、まあ、朔夜が広めた薔薇の華的なアレであるのはお察し。
露天商に一言断りを入れて、彼女達にゆっくり見たらいいと告げてから、彼は店長に向き直った。
「あ、紹介しておきますね。新しい給仕見習いの“みゅう”です。みゅう、こちらは……知っていると思いますが黒麒麟、徐晃様ですよ。ご挨拶しなさい」
ビクリ、と肩を震わせたはちみつ色の髪の少女が、おずおずと秋斗を見上げた。目が合った彼女は、ひ……ひ……と恐怖から肩を震わせる。
そんな少女の姿に、何がなんだか分からない秋斗はショックを受けながらもどうにかフレンドリーに見えるよう微笑みを浮かべて……
「はじめまし――――」
「い、いらっしゃいませなのじゃぁ! やめてたも! どうか食べないで欲しいのじゃぁ!」
挨拶の途中で遮られた。
直ぐに店長の後ろに隠れた少女は涙目であった。彼も少女から拒絶されて本気で涙目だった。そんな彼を見て店長は大爆笑せざるを得なかった。
「くっ、あははははっ! この人はっ……くくっ、幼女が大好物の変態、ふふっ、ですけど……そんな怯えなくていい、です、よ……うくくく……」
「よし、その喧嘩買った。華琳に新しい料理教えて来るから負けて来い」
人頼みな時点で情けない、とは店長も言えない。それどころでは無かった。
しょうこともない、こんなくだらない空気が好きで、前のような関係で居られることが本当に嬉しい。
「……っはぁー……まあ、事実を使った冗談は此処までに致しまして……」
「冗談って言わないんだが!?」
「時間もありませんし、とりあえず本題を」
「無視……だと……? 帰ってきたのに店長が優しくない……」
扱い方は誰よりも知っている。同性ゆえ、ある意味で雛里以上に彼と親しいのだから。
しょんぼりと落ち込む振りをしている彼に苦笑を一つ。
「はいはい。まったく……宴会は夜天の間で行う、とのことです。腕によりを掛けた料理をご用意いたしますのでお楽しみに」
「あれ? 城でするんじゃなかったのか?」
「楽しい催しを考えたらしいですからね。覇王様にも困ったモノですよ」
にやりと、店長は笑った。
「おかしいな……悪い予感しかしない」
「ふふ、戦を終えて随分とお変わりになりましたよ、覇王様は」
人の機微に聡い店長であれど、華琳の内心の全ては測りかねる。しかし今までよりは随分と面白い変化を遂げたと思う。
肩の力の抜き方を知った、そんな感覚。前まで張りつめすぎていた空気は、覇気は衰えることなくとも少しだけ柔らかい時も見せる……そう思えるのだ。
――あなたの緩さが移ったのか、それとも何か違うモノか……解りかねますが、今の覇王様の方が生き生きとしています。
乱世など早く終わればいいのに。
店長は願う。皆が戻ってきた途端に騒がしく愛おしい日常が現れるのだ。ずっとそれを続けて欲しい。
あの懐かしき幽州の街が好きな店長は、似たようなこの街も大好きだった。
思い出は宝物。あの時の時間はもう帰って来ない。されども、今も大切なモノが確かにあった。
「そうかい……んじゃあ、夜はよろしく頼む。久しぶりに店長のメシをたらふく食べたかったんだ」
「それはどうも。では最高の休日を過ごして来てください。ただ、料理にしてもなんにしても締めが大事です。その一助を担わせて貰うことに感謝を」
「いつもありがと。んじゃ、また夜に」
「ええ。……めいど長、みゅう、行きますよ」
「はい、店長」
「は、はいなのじゃ! ご、ごごごご来店の再はっ……あ、あああ愛情を込めるゆえ……妾のことは食べないでくりゃれ!」
「お、おう。食べないよ、約束する」
秋斗は最後にきつい一撃を貰って返事をしつつも項垂れる。
去り際、店長は思い出したように銀細工の露店商に笑みを一つ向け、
「私の店の名を利用、私のお客様への介入……それらは商人として別に構いませんが、露店の場所代掛けることの日数、その代金は払って頂きます。この場所は私が管理する商業区域でしてね。
この街の門をくぐる時に規則を言われたでしょう? 露店を出すなら区域の長もしくは警備詰所で申請して許可を得るべし、と。覇王の治める街を舐めてはいけません。忠告されてもやらないバカは必ず痛い目を見ることになります。だから私の区域では、二度目の注意なんてしてあげないんですよ」
商売は甘くないですから、と付け足しつつ、バンダナをきゅっと整えた。
顔は笑っていても、その目は全く笑っていない。後ろについている少女がガタガタと震えていた。
怒らせてはならない男を、露店商は怒らせたのだ。
「華の首飾り二つ分、で如何ですか? 本来は無断出店につき罰金上乗せなんですが……全て無料では丹精込めて作ったあなたの弟さんが可哀相ですし、それで許してあげましょう。
それにしても勿体ないですねぇ……せっかく、私と徐晃様、そして覇王様という商売仲間を得られるというのに、あなたは徐晃様の提案したことを他の街で試すおつもりなんでしょう?」
店長は他者の欲望を容易く見抜く。金の匂いがすれば余計に鋭く、強かに。遥か昔に洛陽の最高級店で欲望溢れる魑魅魍魎の相手をした経験はダテでは無いのだ。
ビシリと固まった露天商は、顔を真っ青に染めていた。
詠は店長に感嘆の吐息を漏らした。料理人にしておくのが勿体ない、と。
「徐晃様は戦に対して悪くなれる人ですが、商売での腹黒さはまだ私の所で勉強中でして。
さて、どうします? 私にも腕のいい銀細工商人の知り合いがいます。徐晃様に紹介するのは容易いですが……これも何かの縁、手を組んでみませんか?」
友好的に思えるが、裏を返せば、他の街で試しても準備を整えられるのは間違いなくこの街の方が速いということ。所詮は二番煎じとして封殺されるのがオチで、宣伝効果も利益率も段違いである。
露店商はゴクリと生唾を呑み込んだ。断る選択肢は、利を求める商人であれば有り得ない。信用は言うまでもなく、失った後ろ盾を得るには最高の状況。この大口契約を取らずして、また返り咲く芽は……ほぼ無い。
「……申し訳、ありません、でした」
「謝らずともいいじゃないですか。何か問題でも? あなたは規則を破った。でも私は対価で許した。それで終わりで新しい話をしていたんです。だから……こういう時はこう言うんですよ」
冷気漂う店長の空気に当てられて、憎しみや怒りよりもその男は恐怖に憑りつかれていた。
にやりと意地の悪い笑みを浮かべて、店長は彼に手を差し出した。
「どうぞこれからも御贔屓に、とね」
握手を一つ、店長は秋斗にコクリと頷いて去って行った。
店長に感謝はしているが、ああまでやり込める様を見せられるとさすがに居辛い。カチコチと固まっている露店商に、秋斗は優しく話し掛けた。
「まあ、なんだ。俺が欲しいから誘ったわけで、お前さんの売ってる銀細工のカタチが気に入ったから話したんだ。こんな綺麗で細かい彫り物で絆を誓えたら、きっと幸せだろうなって思って……だから気にしないで――――」
「いや、慰めないでくれ……格の違いって奴を知ったよ。弟は一級だが、俺はそれに甘えてるみてぇなもんだな。すまんかった」
彼の慰めが心に痛い。露店商はすっきりしたような表情で、不安そうに彼と店主を見ていた三人の少女に言った。
「……お嬢ちゃん達。華の首飾りを一つずつ選びな。そんで……徐晃様もなんでも一つ好きなの持って行ってくれや。弟には俺が説明するからよ」
「え……そ、そんなの――――」
「分かった。有り難く貰っておくわ」
「……ありがとうございます」
さすがにと口を挟もうとした月を、詠が割って入って止めた。雛里は少し考えてから、頭を一つ下げた。
はっと気付いた月も、遅れてお礼を一つ。
「ありがとうございます」
秋斗は店主の目をじっと見やり、選んでいる彼女達に聞こえないように囁いた。
「店長の金で買うってのも嫌だから明日払いに来るよ。実は買えるだけの“手を付けてない貯金”はあるからな……先行投資ってことにする。ただ、俺のは受け取れない」
実は、黒麒麟の時に貯めた金は残っているのだ。好きにしていいと雛里や月や詠が言っていても、他人の財産を切り崩すようで嫌だっただけ。
本当に他人の借りを使うよりは、昔の自分に借りる方が秋斗にとってまだマシだった。
「あんた……固い奴だな」
「ほっとけ。だから店長には相応の金を払って来い。どうせ働くならお前さんがすっきり働けるのが一番だろ。商人にとって信用は絶対なんだからさ」
間違った罰は本人が受けるべきだ、しかしこれを機に落ちた信用を取り戻す第一歩にしてほしい、そう願った。
信賞必罰でも、その後がある。二度と機会を与えない程の罪か否か、それが問題なのだから。この商人が再び間違えたなら、秋斗の人を見る目はその程度ということ。
「……んじゃあよ、ウチの銀細工の宣伝ってことで商品を一つ預けるから持って置いてくれよ。それならいいだろ? あんたが着ければ宣伝効果だってあるはずだ」
食い下がる男の瞳を真っ直ぐに見つめた秋斗。
不振な色は見当たらない。別にこの程度の知識は参考にして好きに使ってくれたらいいと思っていたが、そこまで言われては断るのも悪い。
「ん、分かった。じゃあ金が貯まったら買い取るってことで」
「おう、ありがとよ。これからよろしく頼む」
契約成立、と彼は手を差し出し、店主も握り返した。申し訳ないと頭を掻いた店主は、悪戯を思いついたような顔に変わった。
彼に聞こえる声で、小さくこんな耳打ちを一つ。
「それと……あんたが言ってたえんげぇじりんぐと結婚指輪だけど……商売が軌道に乗ったらあんたの分だけ特注且つタダで構わねぇぞ」
「はぁ? それは嫌――――」
「平穏を生み出す霊獣への供物ってことにしとけ、な? 袁家は商売相手としては良くても、あのまま続いてたらきっと平穏には暮らせなかったに違いねぇ。弟と一緒に働けるってのも俺には嬉しいんだ。だから、いいだろ?」
誠実さは何より大事なこと。彼の対応は商売人として信頼に足りる。
危険を冒さず、平穏無事に商売人として一旗あげられる。覇王の街のしきたりも身に染みた。夢は大きく、その新しい足がかりを作ってくれた秋斗には誠意を持って接したいと思った。
「……とりあえず保留にしとく」
「期待してるぜ。くくっ、鳳凰様と仲良くするんだぜ、黒麒麟様」
噂で聞いてる通りなんだろう、と店主は意地悪く笑った。
記憶が戻った時、もし黒麒麟が彼女と幸せになるのなら嬉しいことだ。しかし借りとは思ってない秋斗としては煮え切らない。これ以上何かを言うのも野暮ではあるから、もはや何も言えないが。
ため息を一つ吐いた。目をキラキラとさせて銀細工を選んでいる少女達に目を送る。
彼女達がそれぞれ気に入ったカタチを探している愛らしいその姿に、まあいいか、と秋斗は微笑みを零した。
ふと、一つだけ、彼は面白いモノを見つけた。どうやら店主が直していたモノらしい。二つセットのそれに目が行って離れない。
「ん? これが気になるのか?」
ひょい、と店主が手に取ったそれをじっくりと見た。片翼ずつでセットになった鳥の羽の銀細工。
「ああ。それ見せて貰えるか?」
「構わねぇぞ。ってかよ、これは二つで一つだ。ほら、こんなふうに……」
得意げな顔でその銀細工を合わせる。カチリ、と小さな音が鳴って、二つは一つに繋がった。
「おお……すげぇなこれ」
「弟の自信作なんだぜ? どうせなら……コレを持って行ってくれてもいいぞ」
「いや、それはさすがに悪い。二つで一つなんだろ? 離れ離れにするのはよろしくない」
「何言ってんだ。二つ共だよ。あんたにゃツバサがお似合いだ。鳳凰の羽を手に入れた黒麒麟って感じで中々いいじゃねぇか。片割れはその子に渡しとけ。二人っきりの時にでも付けて貰えばいいさ」
がははと男勝りに笑って肩を叩き、店主は丁寧に布で包んだ後、黒い箱に入れてその首飾りを渡した。
「……ありがと」
礼を一つ。店主は満足したのか彼女達が見る商品の説明に向かった。
じ……と箱を見やる。中に入っている二つのツバサは彼女を思わせた。
彼女が居るから高く飛べるようになった。彼女を救いたいと願わなければ、今の自分も周りも無い。
――俺を強くしてくれたことに対して……いや、違う。もっといいモノがある。
伝えることは出来ない。
支えてくれたのは月と詠が大きくて。そして旧来の彼女達だけでなく風や朔夜、稟に霞にと順繰りに何人も……新しく絆を繋いだ曹操軍の重鎮達。徐晃隊の面々や他の隊の兵士達も、店長や街の民達も、彼を想ってくれたのだ。たった一人に与えるには、もうその想いは不釣り合い過ぎた。
皆に返す想いはゆっくりと、自分だけで返せばいい。それぞれにそれぞれのカタチで。
――片方のツバサは……大切な時まで、黒麒麟にも分かるよう取っておこう。それまでは俺が鳳凰の羽を借りとく。でも……一個貸しだからな、黒麒麟。
これだけは、彼女から聞いた約束の為。
“二人で幸せを探す為の羽になる”
繋いだ約束をカタチにして見えるように。
二つのツバサは今の秋斗から黒麒麟と雛里への贈り物。
彼女の幸せを取り戻す為に、ツバサの一翼を借りることにして、宝物だと優しく箱を握りしめた。
「……秋斗ー? 選んでくれない?」
「わ、私達では決められなくて……」
「あなたに選んでほしいです」
ずっと選んでいた彼女達から声が掛かった。
あまりそういうのは得意じゃないんだが……と苦笑ながらに零して、秋斗は彼女達に近付いて行く。
自分が決めてもいいんだろうかと思うも、彼女達が願ったのだから聞くべきで、それが出来ぬなら男とは言えない。
一人一人に似合う華を……黒麒麟と共に想いを繋いでいる彼女達の為に。
それが彼の選んだ、彼女達三人への贈り物。
穏やかな昼下がり、彼女達の嬉しそうな表情を見ているだけで、秋斗は充足に満たされる。
空を見上げて緩い吐息を吐き出した。
きっともうすぐ夕焼けが空を淡く染める。四人の時間はもうすぐ終わる。
――けれどもこの先、またこうして笑顔を向け合える時間を沢山……作っていきたいな。
彼女達と笑い合いながら、彼は心に決めたのだった。
蛇足 ~少女達の心~
「ねぇ、詠ちゃん。秋斗さんはやっぱり……」
「うん。絶対自分でお金を払うつもりよ。そうよね雛里?」
「はい。店長さんの借りを使わないで、あの露店商さんがこの街で商売がしやすいように……そういう人ですから」
「じゃあこれって……贈り物、なんだよね……それに華って……」
喉が渇いたからと彼が飲み物を買いに行った隙に、少女達はひそひそと内緒話をしていた。
キラリと光る銀細工の首飾りを撫でながら、月は顔を真っ赤に染め上げる。同じように雛里も、詠も。
徐晃隊が掲げる想いのカタチは華。それは三人もよく知っている。ならば……彼女達に贈りたかったことに他ならない。
「ボク達に気付かれないようにとか……なんなのよ、もう!」
「あわわ……やっぱり彼と変わらないでし……」
「う、嬉しいけど……やっぱり申し訳ないよぅ……」
無自覚でよかれと思ってやっているのだ。これではお礼さえ言えない。昨日の夜に語っていた通りに、自分勝手に過ぎる想い方。
しばらく茹っていた三人ではあったが、雛里がきゅっと胸の前でその小さな拳を握り、意を決したように口を開いた。
「お、お二人に……提案がありましゅ」
「て、提案?」
「どんなよ?」
訝しげに問いかけるも、話の流れからこの贈り物に対してのことだと読み取れる。
「彼に聞いた話で……“くろーばぁ”という三つ葉の草が四つの葉っぱを付けることがあるそうです。
四つ付いた葉っぱは幸せの象徴で、願いを叶えることがあるとか。それぞれの葉っぱに意味があったりもするらしく、希望や愛、信仰や――――」
説明されていく内に雛里の言わんとしていることが分かった。
自分達は三人。一つ足されて四人。まるで今の関係のよう。そして……彼が入ることで幸せが増えるのも、その通り。
詠と月の表情がぱあっと華開く。
「いいじゃない……作って貰う?」
「露店商さんに個別依頼しては如何でしょうか」
「うん、それいいかも……首飾りじゃなくて何か他のモノとか……カタチもそれとなく聞かないとダメだから……」
「じゃあどんなのにするかもこれから煮詰めましょ……秋斗が来たわ。いい? 内緒よ?」
「はいっ」
「うんっ」
彼の知らない所で少女達は画策する。
自分勝手をするのなら、それを返すだけだ、と。
彼女達はその時のことを思って、嬉しさでまた胸を彩らせたのであった。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
四人でのほのぼの日常パート二つ目。
店長の本気。そこいらの文官よりもお金に強いという。
今の彼から黒麒麟と雛里ちゃんに残せるモノを。
申し訳ないですが宴会は次に。
ではまた
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