ウンムシ
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
2部分:第二章
第二章
「来い、化け物よ」
彼は高らかに言う。
「かつて保元での戦で思う存分暴れたこの為朝の弓今こそ見せようぞ」
その言葉に応えてか海の上に奇怪な化け物が姿を現わした。今為朝が乗っている船よりもまだ大きな身体を持っていてそれは蜘蛛に似ている。八本の足に八本の尻尾が見える。その頭は怒りきった牛のそれであり奇怪なことに八本の角がある。そうした異形の化け物であった。
「外見は迫力があるな」
為朝はウンムシの顔を見て不敵に笑ってみせた。
「しかしそれだけではわしは倒せぬ。参るぞ」
そう言うと弓を放った。ひょうと放たれた弓は一直線にウンムシに向かう。そうしてその腕の一本を貫いたのであった。
弓が腕を貫くとウンムシはこの世のものとは思えぬ叫び声をあげた。島の者達はそれを聞いてさらに怯える。
「何という恐ろしい声だ」
「こんな声を聞いたのははじめてだ」
「わしとてはじめてよ」
弓を放ち終えた為朝はそう彼等に告げる。しかし彼は臆することなくもう一本放ちもう一本腕を貫くのであった。
「しかしそれでも恐ろしいことはない」
また聞こえる叫び声をよそに言う。
「化け物の相手もしたいと思うておった。ならばこそ」
二度も撃たれウンムシは怒り狂った。そうしてその目を真っ赤にさせて為朝に襲い掛かって来たのであった。
それに対して為朝は刀を抜いた。そのまま船の先で闘う。
ウンムシが腕と牙で為朝を襲い船から引き摺り落とそうとする。しかし彼はそれに対してウンムシに勝るとも劣らない強力を見せその腕を引き離す。それから迫る牙を刀で受けてみせた。
「面白い、面白いぞ」
彼は牙を刀で受けながら笑っていた。すぐ目の前に彼を一飲みにしてしまいそうな口があっても恐れてはいない。それどころか笑っていたのであった。
「これだけの相手ならばわしとて退治のしがいがあるわ」
「ですがこのままでは」
「大丈夫ですか?」
「安心せよ」
後ろで小さくなっている島の者達に対して言う。
「わしは勝つ、何があろうともな」
「何があろうともですか」
「左様、この鎮西八郎為朝」
彼の異称である。幼き日にあまりの乱暴者ぶりから父に勘当されたが辿り着いた九州を平定したという話からこの異称がついたのである。
「この程度の化け物にやられはせぬ。見よ」
そこまで言うとそれまで受けるだけであった刀を翻させた。そうしてウンムシの額を叩き斬った。
「そうしてっ」
今度はその刀を横に一閃させる。それで牙も切ったのであった。
これで勝負は決まったも同然だった。為朝は止めにさらに切ろうとする。だがウンムシはそれより先に海の中に入って逃れるのであった。
「逃げたか」
「どうやら」
「そのようです」
島の者達がそれに応える。海にはウンムシのものと思われるドス黒い血が流れ漂っていたがそれだけであった。他にはもう何も残ってはいなかった。
「これで終わりでしょうか」
「さてな」
為朝は彼等の問いに懐疑的な顔であった。まだ刀を手に持ち海を見下ろしている。海にはまだウンムシの血が漂っている。
「死んでいればよいが。そうでないと」
「来ますか」
「ならばまた相手をしてやる」
為朝は平然としてこう述べた。
「それだけだ。安心せよ」
「そうであればよいのですが」
「何分ウンムシは」
「他の者ならいざ知らずわしは大丈夫じゃ」
彼の自信は変わらない。先程の闘いの勝利もそれに大きく関係していた。
「安心せよ。よいな」
「はあ」
「そこまで仰るのなら」
「では一旦島まで帰ろうぞ」
島の者達に帰るように告げる。
「まずは勝利じゃ。それでよいな」
「はい」
「それでは」
一先闘いは為朝の勝ちであった。彼は船を島に戻させる。しかしウンムシの血はその船についていた。それは赤黒い一条の糸となってつながれていた。まるでそれを辿って追うように。
ページ上へ戻る