とあるβテスター、奮闘する
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つぐない
とあるβテスター、宣言する
「なあ、知ってるか?《黒の剣士》の噂」
ずずず、と音を立てて紙パックに残ったジュースを飲み干しながら、男の所属するパーティのメンバーである少年が切り出した。
自他共に認めるゴシップ好きの少年は、ここのところ何かと噂になっている“とある剣士”の話題に興味津々らしい。
「最近噂になってるあれか。オレンジを専門に狙うPKK《プレイヤーキラーキラー》だっけ? 全身黒ずくめの」
「そうそう、そいつのことなんだけど……ここだけの話、どうもオレンジ“専門”ってのは少し違うらしいんだよなー。どうしてだと思う?」
「はぁ……」
幼い顔に得意気な笑みを浮かべながら、少年は男に問いかける。
自分が聞き集めてきた“とっておき”を披露する時、少年は必ずこうして勿体付けた言い方をする。
そんな少年の様子を見て、男は大きく溜息をついた。
これまでの長い付き合いから、この少年の趣味と、それに伴う“悪い癖”には嫌というほどに心当たりがある。
「お前なぁ……また攻略組連中の話を盗み聞きしたのか」
「へへへっ」
男は呆れ顔を隠しもせずに言うが、当の少年は男の呆れなど何処吹く風といった様子で、悪戯好きの子供のように鼻の下を指でこするばかりだった。
少年の悪い癖―――即ち、他のプレイヤー達が行っている会話の盗み聞きだ。
ゴシップ収集を趣味としているこの少年は、時折こうして信憑性の高い情報を“盗んで”くる。
《聞き耳》スキルを発動させながら街中を歩き回り、攻略組プレイヤー達の会話を盗み聞き、その内容をパーティメンバーである男に御披露目することを楽しみの一つとしているのだ。
「毎度毎度よくやるよな、お前。そんなことばっかやってると、そのうち痛い目見るぞ。いやマジで」
「あはは、大丈夫だって。別に犯罪ってわけじゃないんだし」
「ほんとに大丈夫なのかね、まったく……」
馬の耳に念仏、とはこのことを言うのだろう。
人の忠告をいとも容易く受け流す少年に、男は再び溜息ひとつ。
こういったタイプは、いつか本当に痛い目を見なければ直らないのかもしれない。
映画や推理小説などでは、少年のような人間が興味本位で厄介事に首を突っ込み、口封じのために犯人に消されるのがお決まりのパターンだ。
だからこそ、男はいつもこうして忠告しているわけなのだが。
「それに今回の話の信憑性はかなり高いんだぜ? なんたって《ユニオン》の連中が話してたことなんだからな!」
「げっ……!? お前、ばっかじゃねぇの!?」
しれっと言い放った少年に、男は血相を変えて叫んだ。
少年が攻略組から情報を盗んでくるのは毎度のことだが、今回ばかりは話が別だった。
よりにもよって《ユニオン》団員の会話を盗み聞くとは、どこまで命知らずなのだろうか。
「まあ、全部は聞けなかったんだけどね。さりげなく通りかかったつもりだったのに、すぐに勘付かれそうになっちゃってさぁ。さすが攻略組トップクラスのギルドだよなー」
「お前ってほんと怖いもの知らずというか、なんというか……。どうなっても知らねぇぞ」
「へへっ、そんなに褒めんなよー」
「褒めてねぇよバカ!」
《ユニオン》―――《アインクラッド解放同盟》といえば、SAOで最大規模を誇るギルドであり、不審な動きを見せるプレイヤーを取り締まる役割を担っている集団でもある。
いうなればアインクラッドで最高の権力を持つギルドであり、そんな《ユニオン》団員達の会話を盗み聞くというのは、現実世界で例えるなら警察の無線を盗聴しているようなものだ。
ましてや最近の《ユニオン》には、ギルドの運営方針を巡って幹部クラスのプレイヤーを中心とした派閥争いが起こっているという噂までもがある。
その噂が真実かどうかは定かではないが、団員達の間に張り詰めたような空気が漂っているのは確かだ。そんな《ユニオン》の団員達を相手に盗み聞きをしていたことが万が一にでもバレてしまえば、それこそスパイ疑惑をかけられて《黒鉄宮》の監獄エリアに投獄されてもおかしくはないだろう。
「好奇心は猫を殺す」という言葉が表している通りに、この少年が痛い目を見る日はそう遠くないのかもしれない―――彼の“悪い癖”による成果を毎回披露される側である男は、そう思わずにはいられなかった。
「まあまあ、オレのことはいいじゃん。肝心なのは《黒の剣士》がただのPKKとは違うらしいってことなんだからさ」
「ったく、お前は……。 というか、ただのPKKじゃないってどういうことだよ。PKKってのはオレンジだけを狙う奴のことを言うんじゃないのか?」
PKK《プレイヤーキラーキラー》。読んで字の如く、MMORPGにおいてPKを専門に狙うPK―――SAOでいうならば、オレンジプレイヤーを対象としたPKを行う者のことを指す用語だ。
《黒の剣士》が初めて人を襲ったとされているのは、トネリコの月―――現実世界でいうところの10月が残り僅かとなった、ある日のことだった。
それから一月と少し経った現在までの間に、彼に襲われたというプレイヤーの数は4人。そのいずれもが圏外村に隠れ潜んでいたオレンジであり、実際に人を殺した経歴を持っていたということから、一般プレイヤーの間では《黒の剣士》はオレンジを専門に狙うPKKなのだと認識されている。
「そうだよ。だけど、《黒の剣士》の場合は少し違うらしくてさ。一度でもオレンジになったことのある奴は、例えカルマ回復クエストでグリーンに戻っていようが関係なく狙われるらしいぜ。それこそ、自分がオレンジになろうがお構いなしなんだとさ」
「なんだそりゃ。それが“間違い”だろうと関係ないってことか?」
「そうみたい。実際にグリーンの奴を襲おうとしたこともあるらしいよ。たまたま近場にいた《ユニオン》のメンバーが駆け付けたから、その時は未遂で終わったみたいだけどね」
「………」
少年の話を聞いているうちに、男の表情がみるみる不快そうなものへと変化していく。
男も世間一般のプレイヤーの例に漏れず、例え《黒の剣士》と呼ばれるPKKが台頭してこようと、自分さえまっとうに生きてさえいれば関係のないことだ―――と、思っていたのだが。
もし、この話が本当だとしたら。そんな男の考えは、あまりにも牧歌的だったと言わざるを得ないだろう。
男の言う“間違い”―――誤って他のプレイヤーを攻撃してしまい、意図せずオレンジになってしまったプレイヤーまでもが、《黒の剣士》によるPKの標的にされているということなのだから。
うっかりカーソルをオレンジに染めてしまい、そこを誰かに目撃されようものなら―――その瞬間《黒の剣士》の噂は他人事ではなくなり、矛先が自分に向いてしまうことになる。
攻略組クラスのプレイヤーでも歯が立たない程の剣技を誇るという《黒の剣士》に狙われれば、男のような一般プレイヤーは手も足も出せずにやられてしまうだろう。
自分には関係のないことだと話半分に流していた《黒の剣士》の存在が、急におぞましいもののように思えてしまい、男は思わず身震いした。
「そいつは……気を付けないとな。……というかお前、これって《ユニオン》の機密情報なんじゃないのか?こんな噂が広まったら街中がパニックになるぞ」
「まっさかー!こんなんでパニックになるわけないじゃん!」
「……だよなぁ、お前にはわかんねぇよなぁ。はぁ……」
男の心配を余所目に、少年はへらへらと笑う。どうやら当の本人には、自分の持ってきた“とっておき”がいかに大変なものなのか、まったく自覚がないらしい。
そんなパーティメンバーのお気楽な様子に軽く頭痛を覚えながら、男は再三に渡って溜息をついた。
相手が本当にオレンジかどうかというのは、結局のところは大した問題ではない。
それこそ、クエストによって罪悪値さえ回復させてしまえば、隠れオレンジとして堂々と主街区に出入りすることだって可能なのだから。
むしろここで重要となるのは、これまでPKKだと思われていた《黒の剣士》が、次は“グリーンを”狙っているという事実だ。
相手に殺人歴があろうがなかろうが、システム上でグリーンを維持している相手を攻撃すれば、その時点で《黒の剣士》は犯罪者として認識されてしまう。
人間というのは単純なもので、自分には関係がないと思うものに対しては徹底的なまでに無関心を貫けるが、反面、「明日は我が身かもしれない」という意識がある場合は、その元凶となるものに対してどこまでも攻撃的になれる生き物だ。
特に日本人はその傾向が顕著であり、「疑わしきは罰せよ」ではないが、少しでも自身に危険を及ぼす可能性のあるものを徹底的に排除しようとする動きがよく見られる。
そんな日本人の、それもネットゲーマーという独特の価値観を持った集団の中においても尚、《黒の剣士》に対する周囲の反応が鈍いのは、あくまで『オレンジしか狙われない』という前提があったからだ。
その前提が崩れた時―――ましてや命がけのデスゲームを強制されている現状で、今まで無害だと思われていた《黒の剣士》がグリーンを襲ったという話が広まれば、掌を返したような騒ぎになることは想像に難しくない。
それは街の治安維持を目的としている《ユニオン》にとって一番避けたい事態であり、だからこそ、《黒の剣士》がグリーンのプレイヤーを襲おうとしたという情報は未だに伏せられたままなのだろう。団員同士での情報交換にも、細心の注意を払っていたに違いない。
……だというのに。この少年はあろうことか、趣味のゴシップ集め感覚で、そんな“機密情報”に首を突っ込んでしまったらしい。
「お前ときたら……。その情報収集にかける情熱だけは《鼠》といい勝負するよ、まったく……」
「まじで!? 俺って《鼠のアルゴ》とタメ張れるほどの情報通だったのか!? ってことは、俺って結構すごい奴なんじゃね!?」
「ある意味な。だからって喜んでんじゃねぇよバカ。この際はっきり言っておくが、お前の趣味はとても褒められたことじゃないんだからな」
「えー!?」
頬を膨らませてぶーぶーと抗議する少年を適当にあしらいながら、男は密かに思いを巡らせる。
少年には後できつくお灸を据えておくつもりなので、この話が彼の口から他のプレイヤー達の間に広まるということはないだろう。
ないだろうが―――しかし。
人の口に戸は立てられないと言うように、ここでこの少年を口止めしたとしても、いずれこの話はSAO中のプレイヤーの知るところとなるに違いない。
もちろん、《ユニオン》の各団員には厳重な緘口令が敷かれているのだろうが―――いくら代表者である騎士ディアベルがやり手の人物だといっても、組織の末端に至るまでを詳細に把握することは難しいだろう。
《ユニオン》ほど大勢の構成員を抱えた組織ともなれば、いつ誰が口を滑らせるかわからない。大規模な組織になればなるほど、緘口令が破られる可能性は高くなってしまうのだ。
そもそも、彼の剣士の目的は一体何なのだろうか。
とある情報紙では、《黒の剣士》の目的はPKそのものだが、《ユニオン》の管理体制が行き届いている現状では大っぴらに対人戦闘を行うことが出来ないため、PKKとしてオレンジを狙うことで大義名分を得たかったのだとしているが、それでは“隠れオレンジ”までもを襲う理由にはならない。
元オレンジだろうが何だろうが、カーソルがグリーンである以上は一般プレイヤーとして扱われ、むしろ彼らを攻撃して自分がオレンジになることは、PKを行う上での妨げとなってしまう。
単に人を襲う大義名分が欲しいだけなら、隠れオレンジなど放っておいて、システムから正式に犯罪者として認識されている者だけを狙えばいいのだから、この情報紙の見解は残念ながら的外れといったところだろう。
であれば。
下手をすればSAO中のプレイヤーを敵に回すことになるとわかっていても尚、PKに関わったことのあるプレイヤーを狙う理由とは。
一体何が、彼をオレンジ狩りへと掻き立てるのだろうか―――
「……まあいいか。とりあえずお前、この話は他の奴らにはするなよ。特に『はじまりの街』の連中にはな」
「えー?別にいいじゃん、どうせすぐに広まるだろうし」
「いいから言う通りにしとけバカ。《ユニオン》の連中から流出するのは仕方ないけど、お前の場合は盗み聞きしたんだってことを忘れんな。そんなもんを自主的に広めるのはNGだ」
「ちぇっ、せっかくのとっておきなのになぁ」
不服な様子を隠そうともしない少年の頭を小突いてから、男は転移門へと歩き出す。
《ユニオン》の内部分裂疑惑に、《黒の剣士》の存在。最近はSAOでの生活も何かと面倒なことが増えてきた―――そんなことを思いながら。
実のところ、少年が盗み聞いてきた情報には肝心な部分が抜けていた。
最後まで話を聞いていれば、《黒の剣士》の目的がPKそのものではなく、とある集団に所属するメンバーだけを狙っているということに気が付いただろう。
少年が途中までしか聞くことのできなかった話は、以下のように続いている。
《黒の剣士》の最終目的は、半年前に迷宮区で発生した集団PKの実行犯、そのリーダー格である赤髪の女槍使いを殺害することである―――と。
───────────
「──以上が、現在我々が掴んでいる《黒の剣士》に関する情報です。既に投獄中のオレンジプレイヤーの証言によれば、先日襲撃を受けたプレイヤーも彼らの仲間であり、カルマ回復クエストを定期的に受けることでグリーンを維持し続けている───いわゆる隠れオレンジだという話です」
「隠れオレンジということは、奴の狙いはあくまでオレンジだけで、PKそのものが目的というわけではないんだな?」
「そのようです。しかし、いくら相手が隠れオレンジだとはいっても、体面上はグリーンを保っている以上、事情を知らないプレイヤーにとって《黒の剣士》はPK以外の何者でもありません。やはり早急に手を打つべきかと」
二人の男の声が、薄暗い会議室に響く。臨時集会と称して集められたプレイヤー達の前で言葉を交わしている二人は、攻略組の中でも一二を争うギルド《アインクラッド解放同盟》及び《血盟騎士団》から派遣された幹部クラスのプレイヤーだ。
石造りの卓を囲む十数名の間に漂う空気は重苦しく、硬い面持ちで二人の会話に聞き入るプレイヤー達の姿が、事態の深刻さを物語っている。
無理もない。なにせ今回の会議は、議題が議題だ。否が応でもそういった雰囲気になってしまうのは仕方のないことだろう。
こうして集められた僕たちの前で行われているのは、迷宮区の攻略状況に関する情報公開でも、ボスモンスターを攻略するための意見交換でもない。近頃オレンジプレイヤーへの襲撃を繰り返している、一人のプレイヤー───《黒の剣士》への攻略組全体としての身の振り方を決めるための議論だ。
「手を打つと言うが、具体的にはどうするんだ? 現場に居合わせた人間の制止にも、奴はまるで聞く耳を持たなかったと聞いたが?」
「……説得できるのであれば、それに越したことはありません。ですが……お恥ずかしいことに、これは私どもの落ち度なのですが、既に我が《ユニオン》の下部構成員から外部のプレイヤーへ、《黒の剣士》にまつわる情報が流出しているとの報告を受けています。オレンジ専門のPKKだと思われていた《黒の剣士》が、本当はグリーンをも襲うPKだったなどという話が広まれば、まず真っ先にこちらに白羽の矢が立つでしょう。我々としても街の治安維持を第一に掲げている以上、住人からの声を無視することはできません」
「つまり……街の住人が騒ぎ出す前に、奴を捕縛なり討伐なりしなきゃならんわけだな。というより、そちらとしても最初からそのつもりなんだろう? 相手は形振り構わずに復讐しようとしている奴だ、説得なんぞハナから選択肢に含まれちゃいない……違うか?」
「……、そういうことになります。本来であれば、そこまでする必要はないのですが……。それこそ───」
と、そこまで口にしたところで。
この会議の進行役を務める痩せぎすの男───《ユニオン》の作戦参謀であるオリヴィエという名のプレイヤーは、狐のような糸目でちらりと僕の顔を見た。
これから彼が言おうとしていることは大体想像がつく。彼もそれを察しているから、こうして僕を気遣うような視線を向けてくるのだろう。
ここは会議の場なのだから、僕個人に遠慮することはない───口でそう言うかわりに、僕は彼の目を見ながら小さく頷いてみせた。
彼も頷き返し、ひとつ咳払いをしてから、話を続ける。
「──それこそ《投刃》という前例もあります。一頃騒がれてはいても、実際に被害に遭った方がいなければ、やがて住人からの関心は薄れて噂そのものが自然消滅します。少なくとも、《投刃》に関してはそうでした」
《投刃》という言葉が出た途端に、何人かがこちらに忌々しげな視線を送ってくるのが感じられた。中には聞こえよがしに舌打ちする者までいる。
身に覚えのある視線、見覚えのある顔。彼らは第1層のボス攻略戦に居合わせていたメンバーなのだから、僕が既視感を覚えるのも当然というものだった。
「睨むなよ。僕はあの時の約束通り、誰にも手は出しちゃいない。今議論されるべきは僕についてのことじゃないだろう」
抑揚を抑えた声で僕が言うと、彼らは露骨に顔を顰めた。
彼らからしてみれば、殺人鬼である僕が《黒の剣士》への対策を議論する場にいること自体、気に食わないのだろう。
それもそうだ。いくら誰にも手出ししないと約束しているとはいえ、彼らにとっての僕は《投刃》という犯罪者でしかないのだから。
そして、僕も───少なくとも彼らの前では、人殺しのオレンジを演じ続けると決めている。演じ続けなくてはならない。
それが、あの時自分がやったことへの、僕なりの責任の取り方だ。
「目的を見失うなよ。今は街の住人の不安を解消するために、《黒の剣士》をどうするのか考える時間だろう。そうやって僕に敵意を向けたところで、その分話が進まなくなるだけだ。不毛なことはやめておくんだね」
「あまり調子に乗るなよ、人殺しが……」
………。
「……オリヴィエさん、続きを」
「は、はいっ」
どこからかぼそりと呟く声が聞こえた───いや、むしろ聞こえるように言っているのだろう───のを最後に、それ以上彼らが突っかかってくることはなかった。
そんな悪態を無視して、気まずそうに視線を泳がせていたオリヴィエに続きを促す。
あくまで中立を保とうとしてくれているオリヴィエには申し訳ないけれど、今更彼らと和解することはできそうにもないし、向こうも望んではいないだろう。
自分で選んだこととはいえ、彼らとの溝の深さに今更ながら辟易としてしまう。けれど、今はお互いの感情をぶつけ合うことよりも、本題の議論を続けるほうが先決だ。
そうだ、今は言い争っている場合じゃない。
《黒の剣士》を───キリトをどうにか止める方法を、考えなくてはならないのだから。
あの日から───サチがいなくなってしまったあの日から、半年もの月日が流れた。
その間の僕のコンディションは御世辞にもいいものとは言えず、精神的に落ち着かないことが多く、攻略にも身が入らない日々が暫く続いた。
些細なミスでパーティを窮地に追い込んでしまったり、ふとした瞬間にサチのことを思い出し、一晩中眠れないという日も少なくはなかった。
ルシェも、そんな僕と同様に───否、僕以上に参っていた。当たり前だ。彼女はサチの親友で、他の誰よりもサチのことを想っていたのだから。
あれから半年が経った今、ルシェは表面上はすっかり立ち直ったように振る舞っている。だけど、あの黒鉄宮の蘇生の間で───サチの名前が刻まれた碑の前で泣き叫んでいた彼女の顔を、僕は一度も忘れたことがなかったし、きっとこれからも忘れられないだろう。
忘れられるわけがない。あの悲しみも、あの悔しさも、忘れられるものか。
サチも黒猫団のメンバーも、他でもない、自分たちが守ろうとしてきたプレイヤーの手によって殺されたのだから。
だけど、僕は知らなかった。
……否、知ってはいた。知ってはいたけれど、サチが人の手で殺されたということに気を取られて───失念していた。
サチの死に違和感を抱いたあの時、僕はルシェに黒猫団メンバーの名前を尋ねた。サチ、ササマル、テツオ、ダッカー、ケイタ。彼ら一人一人の死因を確かめ、違和感の正体を明らかにしようとした。
そうして最終的に、彼ら《月夜の黒猫団》のパーティは、第27層のモンスターからではありえないはずの貫通属性攻撃を行う何者か───槍や細剣を得物とするオレンジプレイヤーによって殺害されたのだという結論に至った。
あの時、僕は無意識に『全滅』という言葉を使った。彼ら《月夜の黒猫団》は、第27層の迷宮区でオレンジに襲われて『全滅』したのだと。
けれど、そんな僕の表現は正確ではなかった。何故なら《月夜の黒猫団》には、事件の二ヶ月前に加入したばかりの新規メンバー───6人目の剣士が存在していたのだから。
あの時は途中で答えに辿り着いてしまい、その剣士のことにまで頭が回らなかったし、そもそも彼女も名前までは聞かされていなかったようだ。
相当な腕前だという話を聞いてはいたものの、同じパーティの5人が全員死亡していることから、その剣士だけが生き残っている可能性は極めて低いだろう───彼の存在を失念していたことに後から気が付いた時、僕はそう思った。
そう思っていたから───気付けなかった。
僕が死んだと思っていたその剣士は一人だけ生き延びていて、事件から今日に至るまでの間、ただ一人、復讐の機会を窺い続けていたのだということも。
その剣士というのが、長らく僕たちの前から姿を消していた黒ずくめの少年───キリトだったのだということも。
そうして、あれから半年が経った今、その復讐をいよいよ実行に移したのだということも。
僕は、何も知らなかった。気付いてあげることもできなかった。
彼が孤独でいることを知っていたのに。孤独であることの苦悩を、僕は知っていたはずなのに。
自ら一人であることを選んだキリトが、レベルを偽ってまで黒猫団のみんなと一緒にいることを選んだのは、それだけ限界だったということだ。
孤独でいるのが───限界だったということだ。
その孤独に気付いてあげることが、僕にはできなかった。
いつぞやの迷宮区で最後に会った時。きっとあの時が、僕とキリトにとっての分岐点だったんだ。
僕がキリトの孤独に気付いていれば。彼の孤独に気付いて、手を差し伸べることができていれば。
キリトがレベルを偽ってまで、黒猫団に入ることはなかったかもしれない。
前衛不足に悩まされていた黒猫団は、攻略組を目指すことを諦めて、街で平和に暮らすようになっていたかもしれない。
彼らはあの日、迷宮区に足を踏み入れることもなく、PKの標的にされることもなかったかもしれない。
サチは、死なずに済んだかもしれない───
そんな『たられば』を語ればきりがないということくらい、僕だってわかっている。わかっているのに、縋りつきたくなってしまう。
あの事件を切っ掛けに、僕たちの関係は変わった。変わって───しまった。
キリトは《黒の剣士》としてオレンジプレイヤーへの復讐を開始し、僕はそれを止めるために、こうして攻略組の臨時集会に呼び出されている。
どうして、こんなことになってしまったんだろう。
どうして、こうなる前に何とかすることができなかったんだろう───
「……彼がシステム上でオレンジプレイヤーとして認識されてしまった場合、我々は実力行使に出ることも止む無しと考えています。もちろん、そうなる前に止められるよう、最大限の努力はするつもりですが……」
「しかし、《黒の剣士》の狙いが自分達だということは、残りの犯罪者達とてもう気付いているのだろう? 奴らがカーソルをグリーンに戻し、何処かの街に逃げ延びているのだとすれば、《黒の剣士》に狙われるのも時間の問題だろう。オレンジだと知らずにパーティを組んでしまう者が出てくる可能性がある以上、あまり悠長なことは言っていられないのではないか?」
「そうですね……。事実、何も知らずにパーティを組んでいた方々の目には、《黒の剣士》は無差別PKとして映っていたことでしょうし……。だからこそ、我々としても対処に困るところなのですが……」
「下手に奴を擁護するわけにもいかんしな。過去に自分達を襲ったオレンジだけを狙うPKKなのだと説明したところで、何人が納得してくれるのやら」
その後も話し合いは続いたけれど、集まったプレイヤーたちの中から建設的な意見が出ることはなかった。
それも当たり前だろう。身の振り方を決めるための会議だと口で言ってはいも、そんなものは所詮、形だけの話なのだから。
ディアベル率いる《ユニオン》は立場上、街の住人からの不安の声を無視することはできない。
26層ボス攻略会議の際に結成・御披露目され、瞬く間に最強ギルドの一角として名を馳せるまでに至った精鋭集団───《血盟騎士団》は、円滑な攻略を妨げる要素となる《黒の剣士》に対しては否定的だ。
つまり彼らの腹の内は、最初からキリトを“排除”する方向に固まっている。
この会議は出来レースと同じだ。“話し合った結果そう決まった”という大義名分を得るために、こうして各ギルドの幹部プレイヤーたちが顔を突き合わせているに過ぎない。
そんな魂胆の見え透いた会議にも、その会議に参加している自分にも───嫌気が差す。
こんな時にどうすればいいのか、僕にはわからなかった。
僕は───どうすればいい?
キリトの苦悩に気付くこともできなかった僕に、一体何ができる……?
「納得は……してくれないでしょうね。下手をすれば、攻略組がPKを容認していると思われてしまう可能性もあります。なので、やはり排除せざるを得ないといったところでしょうか……」
「そんなイメージをもたれては、攻略にも支障をきたすからな。妥当な判断だろう」
オリヴィエの口ぶりから、《ユニオン》の代表であるディアベル個人は、《黒の剣士》の排除にさほど積極的ではないことが伺える。
問題をあくまで話し合いで解決しようとする姿勢は、第1層攻略の時と何も変わっていないようだった。
そんなディアベルが代表を務めているからこそ、《ユニオン》はたった一年足らずでアインクラッド最大規模を誇るギルドに成長したのだろう。
……でも。組織というものは規模が大きくなればなるほど、一枚岩というわけにはいかなくなってくる。
ディアベルが話し合いで解決することを望んでも、ギルドを構成している大多数のメンバーが《黒の剣士》の排除を望めば、組織の方針としては後者を選ばざるを得ないだろう。
《アインクラッド騎士同盟》と《ギルドMTD》が合併して《アインクラッド解放同盟》へと名称を改めた際、彼らは一般プレイヤーたちに向けて『街の治安維持を最優先とする』との誓約を立てている。
治安維持。つまりは、街に住む住人の不安を取り除くということだ。
その義務が課せられている以上、《ユニオン》の取れる選択肢は『排除』の一択となってしまう。ここでキリトを排除しなければ、それは一般プレイヤーたちからの信頼を裏切ることとなり、ギルドの体制そのものが崩壊してしまうからだ。
それでなくとも、近頃の《ユニオン》には、色々ときな臭い噂が立っている。
幹部クラスのプレイヤーを筆頭に起こっている内部抗争。
同じく幹部同士による、ギルド内での権力争い。
組織の方針に異を唱えている幹部たちを中心に、新たなギルドを設立する流れが出来上がっている───等。
現在の《ユニオン》を取り巻く噂の数々は、御世辞にも穏やかとは言えないものばかりだった。
とはいえ、所詮噂は噂だ。人づてに聞いた話に尾鰭が付くのはよくあることだし、特にネットゲームにおけるトップギルドなんてものは、あることないこと好き勝手に言われるのが当たり前となってしまっている。
《ユニオン》の内部分裂に関する噂もそんな例に漏れず、どうせ眉唾物だろう───と、最初は誰もがそう思っていた。
けれど、こうして《ユニオン》の幹部たちと顔を合わせる機会の多い僕たちは、それが紛れもない事実なのだということを知っている。
やむを得ず排除を提案しているといった様子のオリヴィエとは異なり、他の《ユニオン》幹部───リンド、シヴァタ、ヤマタといった古参プレイヤーたちは好戦的な姿勢を隠そうともしない。
彼らの言動にキリトへ向けたものとは別の苛立ちが混ざっているのは、第三者である僕でも十分に感じ取ることができるほどだ。
ディアベルやオリヴィエが物事を穏便に解決しようとするのに対し、リンドたちは目的のためなら手段を選ばないタイプだ。彼らにとってはこんな話し合いなど何の意味もなく、それこそ時間の無駄だとでも思っているのだろう。
それに、何より───噂の《ユニオン》内部分裂の筆頭であるとされているのが、このリンドという男だ。
リンド、シヴァタ、ヤマタ。それからハフナーという名前の古参プレイヤーを入れて4人。
彼らはあのキバオウと同様、第1層のボス攻略戦でディアベルに近い立ち位置にいたプレイヤーたちだ。
中でもリンドはディアベル率いるC隊のメンバーで、ボスを倒した後、キバオウと共に元βテスターを糾弾した一人だった。
つまり───僕がディアベルら攻略組から離反するきっかけを作った男でもある。
『オレ……オレ知ってる!こいつらは元ベータテスターだ!だからボスの攻撃パターンとか、うまいクエとか狩場とか、全部知ってるんだ!知ってて隠してるんだ!!』
『オレは知ってるんだぞ!おまえ、ベータじゃ《投刃》とか呼ばれてた仲間殺しで、PKだったんだろ!!』
『どうせベータテスター同士でつるんで、自分達だけいい思いをしようと思ってたんだろ!おまえら全員、グルだったんだろ!!』
第1層で彼に言われた言葉が脳裏に蘇り、思わず顔を顰めてしまう。
正直なところ、少しも恨んでいないと言えば嘘になるけれど、あれほど彼が激昂したのは、裏を返せばそれだけディアベルを慕っていたということだろう。
少なくとも僕はそう思っていたし、実際、リンドたちはいつもディアベルと行動を共にしていて、後にディアベルが立ち上げたギルド《アインクラッド騎士同盟》の初期メンバーとして活躍してきた。
他のプレイヤーのために戦うというディアベルの騎士道精神にも似た信念に、彼らも大いに影響を受けていた───はずだったのだけれど、近頃の彼らとディアベルとの間には、決定的な価値観の違いが存在しているように思える。
代表的な例を挙げるとするなら、ボス攻略の際のラストアタックだろうか。
第1層のボス戦で勇み足を踏んだディアベルは、以降はラストアタックボーナスに拘ることはしなかった。
元々彼はユニークアイテムに執着があったわけではない。自分と同じ元βテスターであるキリトを妨害してまでラストアタックを奪おうとしたのは、集団の先頭に立つ自分がユニークアイテムを手にすることで、攻略組のプレイヤーたちを鼓舞するという目的からだった。
その後一悶着あって、彼が想定していた結果からは外れてしまったものの、何とか一人の死者も出さずに第1層を突破できたことで、形は違えど当初の目的は達成することができた。
彼自身も妨害を行っていたことを認め、さすがに他のプレイヤーたちの前でというわけにはいかなかったものの、後にキリトに謝罪している。
それからのボス攻略戦は、ラストアタックは誰が取ろうと恨みっこなしということで、ボスにとどめを刺したプレイヤーを詮索することは禁止事項となった。
ボーナスアイテムを取得したプレイヤーからの自主報告もする必要はないとされ、こうしてボスのラストアタックボーナスについては丸く収まった───と、思われたのだけれど。
いつの頃からか、一部の古参メンバーたちがレアアイテムに対する執着を見せるようになった。
最初にその傾向が表れたのは、長らく続いた雨季がようやく終わりの兆しを見せ始めた頃のボス攻略戦だった。
ボスHPの大半が削られ、戦いが終わる寸前。リンドの率いる隊がセオリーを無視して強引に前へ割り込み、露骨なラストアタック狙いのプレイをしたことがあった。
従来のMMORPGであれば、それも立派なプレイスタイルの一つだっただろう。だけど、自分の命が懸かっている状況でそんな行動に出るなんて、いくら何でも滅茶苦茶だ。
レイドの総指揮を執っていたディアベルにとっても予想外だったらしく、まるで第1層での自身の行動を焼き増したかのような光景に、終始顔を顰めていた。
彼らの身勝手な行動はディアベルから厳重注意され、以後のボス攻略では協調性を第一に考えるように諭されていた。
彼らの黒い噂を耳にするようになったのは、その頃からだっただろうか。
曰く、《ユニオン》の古参メンバーの中には、レアアイテムのためなら一時的なオレンジ化も辞さない者達がいる───と。
その噂が直接の切っ掛けとなったかは定かではない。けれど、結成当初こそ一般プレイヤーの救世主として称えられていた《ユニオン》は、雨季の終わりを境に徐々に評価を落としていった。
そんな住人たちからの評判もリンドら一部の古参プレイヤーにとっては納得のいかないものであったらしく、時をほぼ同じくして結成された《血盟騎士団》が最強ギルド候補として台頭し、何かと不穏な噂の付き纏う《ユニオン》を見限った一部のプレイヤーたちが彼らを支持するようになると、それに対抗心を燃やしたリンドたちのやり方はますます過激なものとなっていった。
そうして彼らは、今では目的のためなら手段を選ばない人間として、一般プレイヤーたちの間にも名が知れ渡るまでに至った。
今回の《黒の剣士》に関する騒動にしても、ディアベルやオリヴィエが説得による制止を試みている一方、リンドたち4人を中心とした一派は実力行使による排除───《ユニオン》の権限を用いた投獄、もしくは攻略組からの追放を強く提案した。
そこにはかねてから敵対視していた元βテスターであり、攻略においても常に自分たちの上を行くキリトを、これを機に蹴落としたいという意図も少なからず含まれていたことだろう。
その件については組織内でも意見が分かれており、元々ディアベルの思想に共感して入団した者や、上に立つことに興味を持たない者は前者の和解案を、対して、大規模ギルドの恩恵に与りたいという思惑を持って《ユニオン》に加入した者や、単純に強さを見出されて勧誘された者───他のプレイヤーのためではなく、自分の利益のためだけに《ユニオン》に加入した者は後者の排除案をそれぞれ支持し、違う意見を持った団員同士による衝突が度々繰り返されるようになった。
また、最初はディアベルを英雄視していたプレイヤーの中にも、攻略組トップクラスのギルドに身を置いているうちに『自分たちこそが最強で、特別だ』という慢心を抱くようになってしまい、後者に鞍替えする者も少なくはなかった。
そのため、現在《ユニオン》内部の団結力は非常に弱まっており、ディアベルを以ってしても組織内の意見を取りまとめることが難しい状況となっている。
リンドら古参幹部の持つ影響力は日に日に強まっており、組織の存続のためには彼らの意見に首を縦に振らざるを得ない───SAO最大規模を誇るギルドの実情は、僕たちが想像していた以上に複雑だった。いずれギルドが分化したとしても、何ら不思議ではないように思える。
けれど───どうにも腑に落ちない。
あのキバオウがそうであったように、リンド、シヴァタ、ヤマタ、ハフナーの4人もディアベルのことを相当に慕っていたはずだ。
そんな彼らがディアベルへの裏切りともいえる行為───レイドを危険に晒してまでラストアタックボーナスを強奪しようという考えに至るまでに、一体どんな経緯があったというのだろうか。
少なくとも、傍から見ている分には彼らの関係は良好であったように思うし、それまでのボス攻略でもこれといったトラブルはなかったはずだ。
であれば、何が彼らにそうさせたのだろうか。
元々ディアベルに不満を抱いていたというわけではない以上、彼らがそういう行動に出たのは何か理由があるはずだ。
だとすれば───その理由は?
誰かに唆されたのか? でも、一体誰が?
リンドたち古参幹部を唆し、《ユニオン》の内部に亀裂を入れたところで、誰が得をするというのだろうか……?
「ふざけんじゃねぇ!!」
──と。
頭の中を疑問符ばかりが駆け巡り、会議の内容から意識を逸らしつつあった僕の耳に、石造りのテーブルを力一杯叩く音と、慣れ親しんだ声による怒号が飛び込んだ。
見ればテーブルに両手を突いて立ち上がったクラインが、今にも泣き出しそうな顔で攻略組の面々を睨み付けていた。
「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって! 投獄だの排除だの言う前に、どうして誰もアイツの助けになってやろうとしねぇんだ!どうして誰もアイツの気持ちを考えてやれねぇんだよ!? アイツは……、キリトはなぁ!オレンジ連中にパーティメンバーを皆殺しにされたんだぞ!!」
「………」
「同じことを手前ェらがやられても、そうやって平然としていられんのか!? 復讐しようって気持ちが一片たりとも湧いてこないって、手前ェらは言い切れんのかよ!? オレは、オレは……」
悲痛な叫びは徐々に弱弱しいものとなっていき、クラインは力なく項垂れた。
その両目にはうっすらと涙が滲んでいた。
「……オレはこのゲームを始めたばかりの頃、アイツに助けてもらった。茅場の野郎のふざけたアナウンスを聞かされた時だって、アイツはオレを真っ先に助けようとしてくれたんだ。 ……だから、だからアイツは悪人なんかじゃねぇ!アイツが良い奴だってのは、このオレが一番よく知ってる!そもそも向こうがPKなんてしてなけりゃ、アイツが望んでこんなことをするはずがねぇんだ!ちゃんと話せば分かってくれるはずなんだよ!」
「お前、俺達の話を聞いていなかったのか? 奴の説得は難しいと、そこのオリヴィエが言っただろうが。こうして解決策を考えているが、それでも───」
「うるせぇ!」
呆れ顔で肩を竦めたリンドの言葉を遮って、顔を上げたクラインは咆哮するように叫ぶ。
「何が説得は難しいだ、何が解決策だ!結局手前ェらが考えているのは自分の保身だけだろうが! オレは……、オレはアイツを信じる!オレだけでもアイツを信じ続けてやんなきゃなんねぇんだ!アイツを追放するのも討伐するのも、オレはお断りだからな!」
両の拳を力の限りに握り締めながら、クラインは会議に参加している全員に向けて断言した。
例えこの場にいる全員を敵に回そうと、そんなことは全く関係ないとでもいうように。
悪人と呼ばれていようが、排除するべきだと言われようが、自分だけは《黒の剣士》を───キリトを信じると。
彼と初めて出会った時に、僕が思った通りのことを。
真正面から、正々堂々と───言い切った。
「で、ですがクラインさん、具体的にはどうするおつもりなのですか?これまでのことから考えて、今の彼を説得するのは相当難しいかと思われますが……」
「そいつは……………今考えてるところだ!何か文句あるか!」
「ふふっ……!」
恐る恐る尋ねるオリヴィエに向かって堂々と開き直ったクラインに、僕は思わず笑ってしまった。
まったく、この人ときたら。超がつくほどの、笑ってしまいたくなるくらいのお人よしなんだから。
これじゃあまるで、あれこれ悩んでいた僕が馬鹿みたいじゃないか。
本当に……馬鹿みたいじゃないか。
「少し訂正させてもらうよ、クライン」
だから。
馬鹿みたいな僕は、馬鹿みたいにお人よしなクラインと並んで立って、この場にいる全員の顔を見渡した。
突然立ち上がった僕を怪訝そうな目で見ている彼ら───その全員に向かって、僕は言う。
「“オレだけ”じゃない。僕も……、僕もキリトを信じる。キリトを排除なんて、絶対にさせない!」
自分でも驚いてしまうくらいスムーズに、僕の口から言葉が飛び出した。
こんなに簡単なことを躊躇っていた自分への戒めも込めて、思い切り声を張り上げる。
「ユ、ユノ、おめぇ……」
「何驚いてるのさ、クライン。僕がキリトを信じることがそんなに意外?」
「いや……、いや!意外じゃねぇ、ちっとも意外じゃねぇぞ、ユノ! おめぇならそう言ってくれると思ってたぜ!」
驚きで目を丸くしていたクラインに笑いかけると、彼は目尻に涙を溜めながらも笑い返してくれた。
そんな僕たち二人に、周りのプレイヤーたちは理解できないものでも見るような眼差しを向けてくる。
彼らの中では《黒の剣士》の排除は既に決定事項となっていて、キリトを庇おうとしている僕たち二人の姿は、滑稽以外の何でもないだろう。
だけど───それがどうした。
例え滑稽だろうと、周りからどんなに白い目で見られようと。
それがキリトを───友達を信じちゃいけない理由になんて、なるもんか。
確かにキリトのやっていることは、とても褒められたことではないのかもしれない。
そこに事情があろうがなかろうが、彼がPKを行っているのは紛れもない事実であって、それは周りから見れば“悪”なのかもしれない。
だけど、間違いを犯さない人間なんてこの世のどこにもいない。
だから───友達が間違った道を進んでいたのなら、僕たちで止めればいい。
組織のためでも保身のためでもなく、一人の友達として、キリトを止めればいい。
こんな時はどうすればいいとか、自分に何ができるとか、そんなことを考える必要なんてなかった。
例え悪人を擁護していると罵られても、友達である僕たちだけは、信じることをやめてはいけなかったんだ。
彼を説得することを、諦めてはいけなかったんだ。
そうして、彼が間違いに気付いてくれたのなら。
間違いに気付いて、周りからの非難の目に耐えられずに、孤独と罪悪感に押し潰されそうになってしまったのなら。
その時は僕たちが、味方はここにいるんだよと笑いかけてあげればいい。
あの第1層での出来事の後、みんなが───キリトが僕にそうしてくれたように。
それが、今の僕にできること。
彼の友達として、僕にもできることはあったんだ。
ただそれだけのことだった。
ただそれだけのことを、僕は馬鹿みたいに躊躇っていた。
まったくもって自分が情けない。
散々彼らに助けてもらっておきながら、これじゃあ恩知らずもいいところだ。
だから───そんな汚名を返上するためにも。
「せっかく話し合ってたところを悪いけど、ここは僕たちに譲ってもらうよ」
この場に集まった各ギルドの代表に、僕は宣言する。
「《黒の剣士》は───キリトは、僕たちが止める」
キリトの友達として、今の自分にできることをするために。
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