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乱世の確率事象改変

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其処で繋いだ友達のカタチ

 初めての戦、初めてのヒトゴロシ、初めての喪失、初めての乱世……。
 数か月かけた戦いは俺にとって初めての連続で、もう普通の人には戻れないんだなとつくづく思う。

「いやぁ……元から人じゃなかったっけか」

 苦笑が出た。
 死んであの腹黒にナニカサレた俺は元々普通じゃあなかったのだ。自分が人間だと考えることこそ愚かしいにも程がある。
 悲観することは無かったが幾多のもしもだって考えてみた。

 例えば、生きてた頃によくあった小説なんかの転生とか。それなら努力して力を得て、自分の為に戦って、そこそこの人生を生きようなんて思ってたんじゃないかな。
 例えば、世界を変えろなんて命じられず、武力も与えられず、この世界に生きたまま飛んで来ただけとか。それなら皆を守る為にと必死で自分に出来ることを探せたと思う。
 例えば……例えば……そうして積み上げる思考は無駄に過ぎるけど、なんとなく考えてしまうモノだ。

 バシャ、と湯を掬って顔に掛ける。こんなゆっくりと風呂に入るのは久しぶりだったから、変な所に思考が向きやすい。切り替えよう。

 ふと見ると、傷だらけの身体の中で、今回の戦で受けた傷が目立っていた。何処か安堵するのは、きっと自分が戦った証だからだと思う。
 最近は腕とかの傷を隠すことを止めた。長袖で出来る限り見せないようにしてたけど、楽進が隠してもいないのに俺が隠してどうすると思ったのだ。自分が受けた傷じゃなかった、という事に抵抗があったのは大きいけど、今思えばバカらしい。
 傷は男の勲章だ。隠してどうする、本当にバカらしい。か弱い乙女じゃあるまいし。むしろこの傷を見せた方が俺に足りないもんを得られるって気付けたんだ。

 この身体に刻まれた歴史は人が生きた証明。黒麒麟は確かに此処に居て、黒麒麟と戦った奴等も付き従った奴等も此処に居る。一つ一つの傷に、誰かの熱が宿っているのだ。
 そう思うと……じわりと胸に熱さが灯る。記憶を失って感覚のズレている俺でも刻まれた証明を目にすることで、言い表せないナニカを感じられた。

「黒麒麟はこうして想いを背負ってきたんだろうなぁ……」

 予想しか出来ないがそんな気がする。あの子から聞いた初めての戦場で味方も敵も救いたいと願ったその男は、常に先頭を切りたがったという。
 軍師のいうことは聞いても、突撃する時は俺について来いと必ず言っていたんだ。
 待つ事が苦手なのは救いたい渇望のせい。そんな時、どれだけ心逸るのか。味方が死ぬのが嫌で、敵でさえ殺したくないなんて……あんな大きな想いを抱えながら戦ってたら壊れるに決まってるだろうに。

「敵も味方も例外なく人……か。当たり前のことなのに、そう考えないのが戦。度し難いなぁ」
「小難しいこと考えたって答えなんざ出ぇへんでー?」
「だよなぁ」

 うん。その通りなんだ。霞が言うようにコレに答えなんて――待て。

「……おい」
「お、丁度ええ湯加減やな♪」
「なんで此処に居んだよっ」
「にしし、そんなん決まってるやんか」

 まさかそんなわけはないと思いつつも顔はそちらに向けない。湯船の後ろから声がしたが、俺が居るのもお構いなしに彼女はザバッと湯に浸かった。

「ふぃー……風呂入りに来た。当たり前のこと聞くなやどあほぅ」
「なんで俺が入ってる時間に来るんだよこのバカ!」

 絶対どや顔してやがる。前を見てると彼女のつま先が湯の中に映った。
 並んで座るカタチなのが幸いだが……混浴なんてさすがにやめて欲しい。一応、俺も男なんだ。

「知らーん。あんたぁが入ってようが入ってまいがウチはこの時間に入りたかった。それが全てやもーん」
「もう少し恥じらいを持てよ……」
「んなもん要らん。ってかウチに欲情するん? 幼女趣味の徐公明が?」
「てめぇら幼女趣味幼女趣味ばっかり言いやがって……クソ……」
「あっははっ! 落ち込みなや!」

 さすがにもう否定できない所まで来てるし、無駄なのだ。ゆえゆえやえーりん、ひなりんや朔夜と一緒に居るだけで俺はそのレッテルからは逃げられない。
 帰還してひなりんと一緒に月光の上に乗ってた時、向けられた民からの生暖かい視線といったらもう、ね。思い出しただけで落ち込む。
 隣の霞は絶対にやにやして見てるはずだ。間違いない。声がおちょくる時の声でしかないのだから。

「まあ、いっちょ裸の付き合いってやつしてみたなったんよ」
「男同士なら分かるんだが……なんとなくお前さんが言っても違和感が無いのが困る」
「うっわ、ひっど! ウチかて女やのにぃ!」
「明みたいなおちょくり方すんなバカ。華も恥じらう乙女って柄じゃねぇだろがよ」
「にゃはは! バレたか! せやけどウチかて誰彼かまわずこんなことするわけちゃうんやでぇ?」

 誘うような声を出して来るのは、お遊び。信用ありきだろうけども、やられっぱなしは性に合わない。

「はいはい、サラシ女が言っていい言葉じゃねぇよ」
「お? サラシの良さが分からへんのか? 動き易くて乱れへんし、胸も気にならへん。戦うにはもってこいや!」
「そういう意味じゃない――――」
「邪魔するぞ」
「おお、先に来てたのか霞」
「そりゃウチ、神速やし?」
「こんなとこで神速を発揮するなバカモノ」

 話をずらしてきた霞に言い返そうとしたのに、また爆弾がやってきた。
 霞は後ろからだったけど元譲と妙才は前から。なんでこいつらはこう、自分の魅力を分からないのか。いや……俺はどうでもいいってわけか。
 とりあえず目を瞑った。見ないように。見えないように。たわわに実った果実と瑞々しい肢体を見るのは余りよろしくない……男として。

「……なんでお前らまで来やがったんだよ」
「ふふ、お前の困る顔が見たいからだ」
「冗談きついぜ妙才。お前らの身体を見ていいのは華琳だけだろ? 後からなにを請求されるか分かったもんじゃねぇ」
「うむ、お前はそうして瞼を閉ざすと思っていたから来た。信じてたぞ」
「悪い奴め。ゆっくりさせてくれるつもりは無いってわけか」

 予想通りの反応だったようで、妙才は満足そうに小さく笑った。
 勢いよく入る音と、静かに入る音。二人も湯船に浸かったらしい。

――大丈夫。見えなければどうという事は無い。女三人と一緒に風呂に入ってるとしても興奮なんかしない。混浴風呂だと思えばいいんだ。俺は大丈夫だ。無理そうなら素数を数えよう。羊さんを数えてもいい。大丈夫、大丈夫なんだ。

 そう、こうして思考を回せば気にならない。だが一応手拭いは湯船に付けておこう。マナー違反だが非常事態だ。仕方ないんだ。

「まさか秋蘭の言った通りのことをするとは……」
「ほんっまに秋斗って変なやっちゃなぁ」
「お前らが常識はずれなんだろがよ。俺は至って普通だ」
「普通の男なら食い入るように見ると思うが?」
「華琳に頸を刎ねられたくはないし元譲に殴られたくもないんだよ」
「お前は私をなんだと思っているのだっ」
「だって見たら殴るだろ!?」
「当たり前だ!」
「姉者、風呂は静かに入るモノだ。落ち着け」
「む……すまん」

 ザバッと大きな水音が鳴ったがどうにか堪えてくれたらしく。ナイスだ妙才。頼むから動かないでくれよ。俺も動きたくないんだ。しかし……

――なら来るなよ、とは言えないなぁ。別に貸切にしてたわけじゃあ無い。怠った俺が悪いし……

 其処まで考えて思い至った。こいつらが自分から俺と一緒の風呂に入ろうなどと考えるわけがない。
 それなら、こんな性質の悪いいたずらを考えるのは一人しか居ない。

「妙才……霞も元譲も、お前ら華琳に言われて来ただろ」

 言うと、少しの間を置いて三人共から声が漏れた。

「……何故分かった」
「ほぇぇ……さすがやなぁ」
「バレるとは思っていたが……」
「いや、普通に考えておかしいだろ。お前さんらがこんな突拍子もないことするとは思えん。それに俺がこういうからかいが苦手って知ってるはずだろ。風とかがいっつもソレでからかって来るんだからよ」

 どうやら正解だったらしい。訳が分からん。華琳はなんだってこいつらを一緒に入れやがったんだ。話をするなら時間を作ればいいだけだろうに。

「で? なんで華琳はわざわざ俺と風呂に入れって言ったんだ?」

 自分で分からないなら聞くしかない。尋ねると、妙才が口を開いた。

「……イロイロとお考えなさっている方だが、正直なところ私にも分からん」
「なんだ、教えてくれなかったのか?」
「ああ、絆を深めろとだけおっしゃった。お前が益州に向かう前に少しでも強く、とな」

――それならきっと記憶のことが関連してるに違いない。無理矢理繋ぐもんでも無いと思うんだが……こんな直接的な手段に出るなんて、華琳にしては珍しい。心配してくれてるなら有り難いんだけど、なんだろ……不安、みたいに感じるのは気のせいだろうか。

 まさか、と思った。自分で考えて苦笑が漏れた。
 華琳が不安を感じるなんておかしくて。俺が壊れて消えるのが不安なのか、それとも……黒麒麟に戻った時に劉備のとこに戻るのが不安なのか。
 有り得ない。万事に手を打つのは分かる。でもさすがにそんな弱気になるはずなんか無い。前者なら納得し兼ねるがまだ分かる。けど後者だと……持つはずの無い無意識の劣等感を持ってることになる。
 やはり考えても分からなかった。とりあえずは……答えが出ないことを悩むより、今はこの風呂を楽しむとするか。

「そうかい。華琳の考えは分からんがなんか意味があるんだろうな」

 それだけ言って、俺は空を見上げた。
 露天風呂になっているこの場所は、切り取られた蒼天が綺麗に見えた。
 静かに皆も風呂に浸かっていた。同じように空を見てるのかもしれない。誰も話さない穏やかな一時が凄く心地いい。
 じわりと染み込む湯の暖かさに微睡そうになるも、幾分、元譲の声が耳に入った。

「……徐晃」
「なんだ?」
「真名を許してやる」

 突然の許し。言い方が真っ直ぐ過ぎて笑いそうになった。本当にこいつは……嫌いじゃない。

「ありがと、じゃあ気軽に秋斗って呼んでくれな」
「偶にしか呼ばん」
「はぁ?」

 ただ、またわけの分からんことを言い出したから、思わず喧嘩腰に聞き返してしまった。

「お前は好きに呼べ。だが私はお前の真名を気軽に呼んだりしない」
「それなら俺も呼ばない。対等の条件じゃないのはごめんだね」
「なにぃ!?」

 真名の価値観は分からない。元譲なりにナニカ理由があるのかもしれないが、俺に出来る線引きはこの程度だ。
 俺の様子を読み取ってか、妙才と霞の声が間に入った。

「どうどう……春蘭、落ち着き」
「姉者、言葉が足りんぞ。すまん徐晃……姉者は線引きとして真名をあまり呼ばないことにしたのだ。他の皆は女だが、お前は男だ。真名を呼びあうのだから恋仲と取られてもおかしくないし……分かるだろう? お前の線引きも分かるがここは引いてくれないか?」

 そう言われても俺には曖昧にしか分からないんだが……頷いておくしかない。嘘つきの弊害が此処で出た。
 恥ずかしいから、とかそういう理由じゃないのは分かる。元譲が華琳のモノだからってのもきっと関係してるんだろう。あくまで自分の一番は華琳だと言いたいのか、それとも他の何かなのか。
 風とかは緩く許してくれたんだが、元譲は少し違うらしい。人それぞれに考え方が違うのかもしれない。いや……自分だけ真名を呼ばせると言っているようなモノだ。俺もこいつの真名を軽く見たことになるのかもしれん。

「……そうかい。すまん、元じょ……春蘭。お前がしたいようにしてくれ」
「ふ、ふん……わ、私のほうこそ……」

 視線を落として目を見た。謝る時にはちゃんと目を見ないとダメだから。勿論裸は見ないようにしてる。意識しないことが重要で、意識したらやばい。
 ごにょごにょと何やら呟いているが聞き取れなかった。いつもでは見られないような赤い顔と姿に吹き出しそうになった。どうにか堪えたが霞が噴き出しやがった。

「っ、春蘭、あんたっ……もじもじして、くくっ……はっきり言やぁええのに」
「ぐ、知らん! とにかくだ徐晃! これからは真名で呼べ!」
「ん、りょーかい」
「ああ、私も呼んでくれ。すまないが姉者と同じ理由でお前のことは徐晃と呼ばせて貰うが」
「構わんよ俺は。華琳みたいに意地張ってるわけじゃなけりゃあ嬉しいし」

 二人とも認めてくれたってのは嬉しいことだ。俺としては願ったりで、暴走した時に止めてくれる鎖は強い方がいい。

「ありがとう。同じ“五大将軍”として、これからよろしく頼む」

 引っ掛かる単語を言われて首を傾げた。五大将軍ってなんだよ。聞いてないぞ?

「五大将軍?」
「なんだ、聞いてないのか? 私と秋蘭、霞とお前、そして明には華琳様から特別な役職が与えられたのだ」
「新しい国として始動するにあたり、軍事で他勢力に脅威を与えられるようにな。することは変わらんが国の内外に大きな影響を与えられることだろう」

 明までもか……否、明はあれか。例え戦った敵国の将であっても実力があれば優遇するっていうアピール。年功序列や所属期間優先にしないことこそ意味があるってわけだ。
 普通なら内部の諍いを伴うが、この軍なら問題ないだろう。

――そういえば…俺の世界の魏にも五将軍ってあったな。アレは五虎将に対抗して名付けられた名前で夏候惇とか夏侯淵みたいな曹操の親類は入れてなかったはず。確か楽進と于禁じゃなかったかな。

 思い出した事柄との差異が目立った。
 この世界の楽進と于禁はまだ春蘭や秋蘭に届かない。戦の絶対数が少ないから戦功を立てる機会自体も少ないし、名を売るにも成長するにも足りないのだ。そのせいだろう。

「へぇ……ってか新しい国で始動って、名前は?」

 まさか魏じゃないなんてことはないだろうな? さすがに其処までズレるともやもやする。曹操と言えば魏ってイメージが固着してるから違和感が大き過ぎる。

「お前が益州に向かうと同時に大々的に発する名前になるが……魏、とするらしい」

 ああやっぱり。一応其処は変わらないようだ。
 不振がられないように一寸だけ目を見開いて驚いてみせておいた。

「……魏、ね。じゃあ昔の魏火龍七師とかみたいに俺らが軍務の筆頭ってわけかね」
「魏火龍七師ってなんや?」
「始皇帝が治める前の戦国乱世にあった魏の七人の英傑、だったかな? 秦国六大将軍とか趙国三大天とか、昔も結構そういう役職ってか呼び名はあったって聞いたことがある」

 マンガの創作だが、とは言わない。こういう時は言ったもん勝ちだ。書物になって残っているかも怪しいし、五虎大将軍だって演義限定だったと思う。
 へぇ、と嬉しそうに笑う霞は、昔の乱世を思い浮かべて、自分が英傑達と同等のようで嬉しいらしい。
 春蘭は当然というように鼻を鳴らし、秋蘭は俺の話に興味を抱いた。

「そうなのか? 始皇帝時代の話は結構書物でも読んだのだが聞いたことが無いぞ?」
「俺も記憶が曖昧でな、誰かの創作本だったのかもしれん。まあ、そんなのはかっこよければいいんだよ。クク、魏の五大将軍ってのは中々にかっこいいじゃないか」

 呂布に大きく一回、郭図にある意味で一回黒麒麟は負けてるが、せめてこれ以上負けないようにしないと。常勝不敗の徐晃には届かないが、こいつらに並び立つにはもう負けは許されない。
 だって、張遼はリアル無双する山田、夏候惇は目玉をむしゃむしゃするアニキ、夏侯淵は西涼と羌族絶対倒すマン、張コウは蜀に恐怖を刻む本物のジョーカー。
 霞の用兵は間違いなく神速で、春蘭の在り方はバカ正直だが史実に勝るとも劣らず、秋蘭の視野の広さと対応力はなるほどと納得せざるを得ないし、明の作る地獄は間違いなく絶望しか起こさない。
 うん。もし史実みたいな将だとしても、今のこいつらだとしても、俺が敵ならこんな将軍達とは絶対に戦いたくない。

「魏武の大剣、夏候惇。魏武の蒼弓、夏侯淵。神速の張遼。黒麒麟、徐晃。紅揚羽、張コウ。
 二つ名付きで呼ばれている我らをひとまとめで五大将軍にしたのだから、向けられる期待も責任も相応のモノになる。凪や沙和、真桜、季衣や流琉にはさすがに荷が重いだろうとご判断されてのことだ。かっこいいからと浮かれるなよ? お前はガキっぽい所があるのだからな」

 何故か春蘭が頭のよさげな発言をしやがった。偶にこんなことがあるからこいつは困る。お前さんに諭されるってのはびっくりだよ。
 とんでもないモノを見たというように秋蘭と霞の空気が変わった。

「な、なんや春蘭、今日は悪いもんでも食ったんかいな?」
「姉者、無理はするな。体調が悪いなら言ってくれたら良かったのに」
「春蘭が理知的な発言をするとなんか気持ち悪いんだが」

 俺も合わせて口ぐちに言うと、また勢いよく彼女が立ち上がった。

「徐晃、きさま~っ、人が真剣な話をしているというのに!」
「だからなんで俺だけなんだよ!? あと立ち上がるな! 近づくな!」
「む……おお、そうか……ふふ」

 咄嗟に目を瞑った俺の発言を受けて、なぜか納得といった声を上げた春蘭。
 不思議に思っていると、

「ふははっ、目を瞑っているからいつものように反抗できまい! 己の矜持を曲げてでも私の肢体を見るか、大人しく殴られるか、裸で無様に逃げ惑うか、どれか選べ!」

 こいつ、いつもより頭を回してやがる。だからなんで俺だけにそんな突っかかりやがるんだ。
 まあいい。俺にはこの不利を打開するとっておきの交換条件がある。

「バーカ、風呂で騒ぐなら店長からのおやつの品少なくしてやるかんな」
「なにっ!?」
「穏やかで幸せな一時の邪魔をする奴は料理を楽しむことも出来んだろ。あーあ、せっかく明後日から生クリームを使った新しい品が出るのになー、霞と秋蘭は大人しくしてくれるからそっちに回しちまおっかなー。残念だなー」

 ピタリ、と彼女の気配が止まった。怒りの雰囲気が伝わってくる。そりゃあ店長からのおやつは楽しみなんだから困るだろう。

「ひ、卑怯だぞ徐晃!」
「お前の方が卑怯だこのバカ! 俺だって一応男なんだ! お前さんみたいな美人の裸見たらイロイロと困るんだよ! 殴られるのも嫌だし無様に逃げるなんてのも癪だ!」

 言うと彼女は大人しく引き下がった。少し拍子抜けなんだが、霞と秋蘭の苦笑の意味もよく分からんし……まあいいや。
 春蘭は慌てて浸かったのか水音が一つ鳴り、ぶくぶくと泡を吹かせる音が響いた。羞恥心でも持ってくれたなら幸いだ。

「ぐぬぬ……せっかく徐晃をやり込めたと思ったのに……」
「クク、十年早ぇ。俺をやり込めたかったら華琳かゆえゆえを呼んで来い」
「おいっ! 華琳様のお美しい肢体を見たいと言うのか!」

 一寸思考が止まった。直ぐに見たいと思った俺に自己嫌悪しか出ない。というか否定しないとやばい。

「何故止まる……まさか本当に――――」
「な、違う! バカ野郎! そんなこと言ってないだろ!?」
「確かに言ったじゃないか! 華琳様を呼んで来いと! やはり殴らなければならんようだな!」
「お前バカだろ!? バカ過ぎ!」
「バカバカ言うな! それと風呂で騒ぐな大バカ者!」
「お前に言われたくないっての!」

 なんでこいつはこうも言ったこと言った事に返してきやがるのか……ああ、頭が痛くなってきた。憩の時間は俺には無いのかよ。
 言い合ってる俺達を見てか、霞と秋蘭が大爆笑し始めた。

「くっ、あははははは! やっぱあんたら好きやわぁ……なんでいっつもそんなガキみたいな言い合いになんねん!」
「っ……くっ……姉者、いいぞ、もっとやれ。ふふ、徐晃をもっと困らせたらいい」

 酷い奴等だと思う。楽しんでくれてるのはいいけど、少しくらい助け舟を出してくれてもいいじゃないか。

「お前らも徐晃の方がバカだと思うだろう?」
「「「いや、それはない」」」

 三人の声が綺麗に揃った。瞬間、春蘭が息を詰まらせる。絶対目を真ん丸にして呆けてやがるに違いない。がーんって感じで。

「う、うぅ……しゅうらんまでぇ……」
「ああもう、こっちに来い姉者。くぅぅ……可愛いなぁ」
「いやいや、ウチが慰めたろ♪ 春蘭こっちおいでや♪」
「やめろぉ! 慰めてなんか欲しくない! お前らなんかきらいだぁ!」

 拗ねやがった。こういう時の春蘭は結構長い事拗ねるから困る。
 だが、百合の絡みとか今だけは勘弁してください。それこそ華琳の前でやってくれ。
 まあ、一応冗談がてら乗っかっておくか。

「なら俺が慰めてやろうか? 頭撫でるくらいなら――――」
「お前はっ……死ねぇ!」
「へぶっ!」

 バチン、と小気味の良い音が鳴って、顔にもの凄い痛みが走った。
 水をしっかりと含んだ手拭いが鞭のように唸りを上げて俺の顔に襲い来たのだ。
 中学生とか小学生がよくあるアレ。めちゃくちゃ痛い。ひりひりする。鼻が折れそうだ。
 また霞と秋蘭が笑いやがる。

「にゃははは! あんたも学習せぇや秋斗! あー……ほんまアホやなぁ」
「くくっ、裏が無いのは分かっているがそれは無いぞ徐晃」
「いちち……だって、ちょっと乗っかった方がいい感じだっただろ?」
「呆れたやつだ。なんだかんだでお前はそこらへんは鈍感なのだな」

 なぁ姉者、と秋蘭が言う。鼻息を一つ鳴らした春蘭から視線を感じた。
 ダメだ。このままじゃグダグダと時間を使っちまう。それに何処かでボロを出しそうだ。早くに切り上げた方がいい。

「俺はあんまり女関係は得意じゃないんでね。
 そろそろ出るよ。徐晃隊と酒飲むって約束があるから」
「ええなぁ秋斗。ウチも酒飲みたいんやけど。約束の宴会まだしてへんし」
「すまんが明日の夜まで我慢してくれな」
「ええ、ええ、しゃあない。あんたら四人と徐晃隊に割って入るんも野暮やし。“かれぇ”とかいうんで我慢したる」
「ふん、早く行け。だが明日もあるのだから潰れるなよ」
「明日は負けんぞ。私も姉者もお前より先には寝ないようにするからな」
「クク、ありがと、三人とも。楽しみにしとくよ」

 前の酒盛りがよほど悔しかったんだろう。声に少し鋭さが宿っている。日本酒かビールならもっと行けるんだがな、さすがに霞ほどは飲めないが。

「あとな、酔っぱらった時の秋斗がどんなかは言うといたし今日の夜のことは誰も心配してへんでー」

 ああ、そんな問題もあったな、そういえば。
 黒麒麟が四日に一度あの子達と寝台を共にしていたから、記憶の回復の可能性を考えて一度くらいはやってみるしかないのだ。
 そんなことで戻れるなら嬉しいんだが……眠れない夜になるかもしれない。主に自分を律する為に。

「りょーかい。そんじゃま、お先に失礼。ごゆっくり」

 手拭いを前に、大きなため息をついて立ち上がった。

「ではな、徐晃」
「また明日ー」
「……お前なんか明日来なくていいんだからな!」

 春蘭からの怒声を聞きながら、いつものようにひらひらと手を振った。
 こいつらと居るのは楽しい。嫌な気持ちも逸る思考も落ち着かせられる。
 男女の友情は成立しないっていうけど、なんだかんだで呆れて笑ってくれるあいつらも友達って感じてくれてたら嬉しいな。

 俺が繋いだ絆は確かに在るらしい。
 深いのか浅いのかはよく分からないけれど、お前らと一緒に戦える俺は幸せもんなんだろう。
 最初からこの軍に居たとしたら、こんな時間が繰り返されたに違いない。

――だけど、俺を想ってくれてるこいつらとの時間は、今此処にあるのが全てだ。大切にしよう、この時を。

 胸の中が暖かかった。彼女達と一緒に過ごせる幸せを噛みしめて、俺は平穏な日常を享受する。

 ただ一つだけ、変わらない願いがある。


――もし俺が、黒麒麟に戻ってイカレてたなら……例えあの子を泣かせるとしても、お前らが俺を殺してくれな。


 消えてやる気などさらさらない。しかし最悪の可能性を考えるのは自分としては当たり前で。
 あいつらにそれが出来ると信じられる事こそ、俺にとっては何よりの安息だった。





 †




 秋斗が去った後の風呂で三人の美女がそれぞれにため息を吐いていた。
 ある者は呆れ、ある者は充足、ある者は苛立ちから。

「雛里らと一緒に寝ても手ぇ出さへんかったってマジもんなんやろけど……相変わらず変なやっちゃ」
「ふふ、ああまで拒絶されるとさすがに普通の女なら苛立ちが湧くやもしれん」
「……まあ、他の下らん男共よりはマシだ」
「せやなぁ、がっつく奴等とか興味ありませんってふりする奴等とかエラそうに諭して来るおっさんとかよりは全然ええわ」

 くくっと喉を鳴らした霞は、脚を広げて大きく息を吐いた。

「でも傷とか隠さんようになったし、なんや心境の変化とかあったんちゃう?」
「黒麒麟と自分の割りきりを付けたといった所ではないか?」
「ふん、隠すことが間違いだ。あいつについている傷は男達の夢の跡、人の想いの証明なのだからな」

 そう言って、春蘭は自分の左目の眼帯を一つ撫でる。
 彼女についた大きな傷は、その想いの証明に等しい。華琳の為に捧げた、彼女が華琳の為に何かを賭けた証明。
 だから春蘭だけは、黒麒麟の想いの大きさもあり方も少し理解出来る。

「コレは私が華琳様の為に戦った証だが……あいつについている傷は徐晃隊があいつの為に強くなろうとした証、そして戦ったモノが生きたいと願った証。例え自分じゃないとしても、あいつが黒麒麟になろうというのなら隠してはならん」
「……ホンマにあんた悪いもんでも食ったんちゃう?」
「……理知的な姉者もいいな」
「ば、ばかにするな! 私だってちゃんと考えてるんだぞ!?」

 真剣な話をしてみればすぐに霞に茶化される。それが日常の光景。春蘭は本気で怒るが、からからと笑う霞にはのれんに腕押しだ。

「にしし、そんな怒らんといてーな。
 ま、春蘭の言うことも尤もや。秋斗の身体に刻まれとるもんはバカ共の夢の跡、凪が誰かを守る為に強ぅなったもんと同じやわ」

 話を変えられれば、春蘭は霞を睨むだけでそれ以上は言わない。

「心の深い部分で乙女な凪は悩んでいるがな」
「むぅ、誇ればいいモノを。そうそう出来るものでは無いぞ?」
「そういうんは沙和とか真桜とかが言っとるやろけど……ウチらのせいで余計悩むんちゃうかな」

 一人の武官を思い浮かべて、三人は三様にため息を零した。

「力の証明、か」
「姉者や私、霞や秋斗や明。華琳様に任命された五大将軍との間には隔絶された壁があるのだ。今回のことで一番落ち込むのは凪だろう」
「こればっかりはウチらが言うわけにもいかへん。凪は自分で乗り越えるしかしゃぁない」

 武力で見れば確かに劣る。しかし将としては越えられる部分もあるはずなのだ。
 五人はそれぞれ色を持っている。主への信仰であったり、他者を繋ぐ役割であったり、戦への渇望であったり、平穏への狂信であったり、生と死への狂気であったりと。
 政治的な理由もあるが、ただそれだけでは華琳は選ばない。

 華琳は将の力というモノを正しく理解している。戦うのは将個人では無く、兵士を含む部隊の全てだ。
 軍師の策で有利になるのも分かるが、戦でモノをいうのは将と兵との絆の深さと強さ、そして色。
 飛将軍のような暴力で無い限り、個人だけの力で戦況を引っ繰り返せるなど夢のまた夢。

「ウチはバカ共がおらな神速にはなれん。春蘭も秋蘭もバカ共がおらな大剣と蒼弓にはなれん。秋斗は言わずもがな、明かてバカ共がおらな紅揚羽なんて呼ばれてへん」

 長い長い時間を共に過ごして鍛え上げる。そうして兵士達の力を部隊として確立するから、彼女達の名は意味を持つ。
 そも、兵士をただ一緒に戦っている人のような認識でいることこそ間違いなのだ。彼らは優先して守るべき対象ではなく、共に肩を並べて戦う戦友なのだから。結果として多くを残すのはいい、だが兵を守ろうと意識を置いた時点で将という枠組みからは外れる。それは兵士の想いを侮辱する行いで、率いるモノがイカレてない限り兵士達は強い心を持てない。
 愛おしいモノを語るように、霞は声を弾ませた。

「ウチはな、あいつらの為にもウチの為にも、誰にも負けとうない。個人としては恋、飛将軍にだってそのうち勝つつもりやけど、部隊としては……大陸で最強って言われやな気がすまへん。
 知っとる? 今の大陸で一番強い部隊は何かってそこいらの人に聞いたら、たいてい徐晃隊って答えが返ってくんねん。許せへんよなぁ」

 力は認めているし強いのは分かっている。だが許せない。
 彼女と共に戦うことに想いを馳せている男達を見てきたから、霞は悔しさと愛おしさに心を染める。
 霞の言いたいことを読み取った秋蘭と春蘭が目を細めた。滲み出る空気は鋭く、熱い。

「五将軍の筆頭は春蘭や。それはええねん。ウチは頭って柄ちゃうし。
 でも最強の将で、最強の部隊ってのは譲らんで。どれだけ続くか分からへん乱世やけど、最後には必ずウチら神速が最強やって語り継がせてみせるさかい、覚悟しとき」

 宣言するのは乱世での生き様。自分と彼らが、この世界で一番強いと存在証明を見せ付けること。
 魏武の大剣、魏武の蒼弓、黒麒麟、紅揚羽と戦うことはもはや無い。戦いたいとは思ってももう戦えない。だからせめて、彼女達よりも上だと認めさせることこそが、霞の渇望を満たす唯一の方法。
 戦バカだと誰かが評した。他の幸せは確かにいいものだが、霞はこの在り方を認めてくれるこの軍が居心地良くて……楽しい。

――ウチに負けるかと競い合ってくれるあんたらの側が、めっちゃ幸せや。

 睨みつけ、不敵に笑う二人の麗人が居た。

「ふ……バカを言え。私もさらさら負けるつもりは無いぞ。これから立てる戦功の量で無理やり抑え付けてやろう。もちろん、姉者もな」
「あまり調子に乗るなよ二人共。私は華琳様に一番と認められているから筆頭なのだ。それ即ち私が最強だということで、何処まで行っても変わらん」

 剣呑な空気……ではあってもそれは心地いいひりついた感覚で。
 仲間であれど好敵手。互いに互いが競い合う、華琳の目指した軍のカタチがこの三人には出来上がっていた。

「くくっ、やっぱ楽しいなぁ」
「ああ、我らはこれでいいさ。明については、嫌な奴だが人間の想いを大事にする輩だ。自分を手に入れたあいつは……」
「うむ、変わり始めた明もきっと乗ってくるし楽しんで参加するだろう。ただあいつも楽しめればいいのだが……無理だろうな」

 一人だけ、彼女達と共に楽しめないモノがいる。
 ため息を落とした。この熱は武人と将にしか分からない。あの男が満たされる事柄は、そういったモノでは無いのだ。

「ソレに無欲な奴が一番民に認められて、兵士の心掴んで放さんてのも悔しいもんやで、ほんま」
「だからだろう。あいつと徐晃隊の背が、我らの部下達にすら追い掛けられるのは」
「ふん、絶対に負けんぞ、あいつらにだけは。私も、私の部下も」
「当っ然! ウチもや!」
「私もだ。ふふ、隊の者を悔しがらせればあいつも不甲斐無さで悔しがるに違いない。そういう奴だからな」

 彼女達は率いるモノ。
 例え個人の武力が高くなくとも、皆を引き連れて戦い、その力を何倍にも引き上げる。
 心にあるのは一本の芯。負けたくない何かに対する想いの強さが、彼女達をそれぞれの兵士達の指標足らしめる。
 笑い合って、彼女達は拳を合わせた。目に見えずとも、大きな絆が繋がっていた。

「……そういや春蘭て秋斗にやたら突っかかるけどなんなん?」
「照れ隠しさ。イロイロと考えているらしいし、なぁ、姉者?」
「おまっ、どういう意味だ!?」
「さあ? でも徐晃を追い掛ける時の姉者は楽しそうだぞ?」
「あー、そゆこと。ガキやもんな」
「それはあいつがガキだからだ! 私は叱ってやってるだけなのだぞ! それになぁ――――」

 他愛ない話を重ねて彼女達は笑う。
 互いの存在を認めているから裏は無く、頭をからっぽにしてふざけ合える。

 空は蒼天が広がっていた。
 雲一つない空の下、皆の笑顔は華のように咲き誇っていた。
 日輪の光は暖かく、何に遮られることなく輝いていた。 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。
日常的な特殊拠点フェイズ。

この物語の五将軍はこんなカタチに。
明が帰ってきてから正式に発表されます。これで凪ちゃんがまた葛藤を持ってしまうことに。
才あれば用いるの難点ですね。

ではまた 
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