歌えなくなって
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第一章
歌えなくなって
歌手の山本喜久子はその透き通った美声と巧みな技巧で知られている、ソプラノ歌手として芸術大学を優秀な成績で卒業しイタリアにも留学してだ。
留学先でも高い評価を得た、それでだった。
留学先の教師であるジュリエッタ=ランブルスコは彼女に笑顔で言った。
「貴女はメトロポリタンやスカラでもプリマドンナになれるわ」
「本当ですか、マエストロ」
「ええ、必ずね」
こう彼女に言うのだった。
「貴女はそこまでの人よ」
「メトやスカラ座でなんて」
その細く優しい垂れ目をほころばせての言葉だ。顔に少しある黒子が色気を醸しだし口元は非常に優しい感じだ。黒髪を長く伸ばし一六四程の背は脚がすらりとしていて長く胸がかなり目立つ。容姿的にもかなり優れている。
その喜久子がだ、笑顔で言うのだった。
「嘘みたいです」
「嘘じゃないわ、実力は嘘を言わないわ」
ジュリエッタはもう白くなっている短くしている癖のある自分の髪に手を当てつつ黒く明るい光を放つ目を笑みにさせて返した。
「決してね」
「だからですか」
「ええ、やがてはね」
「メトにもですか」
「ウィーンでも大丈夫よ」
ウィーン国立歌劇場だ、そのメトロポリタン歌劇場やスカラ座と並ぶ歌劇場の中でも最高峰の場所である。
「貴女ならね」
「ではこれからも」
「頑張ってね」
「そうさせてもらいます」
この言葉を励みにしてだった、喜久子は留学を終えても歌のレッスンを欠かさず役も語学も勉強していった、そうして。
日本に帰国すると新国立劇場でもプリマ=ドンナになった。ソプラノ歌手として多くの作品でタイトルロールを歌った。
だがある時だ、喉に違和感を覚えてだ。
マネージャーの椎名翠にだ、こう言った。
「何か喉が」
「喉が、ですか」
「違和感があって」
「それはいけないですね」
翠は小柄で黒のショートヘアの女性だ、喜久子より二歳若く彼女の仕事のパートナーだ。童顔で年齢より若く言われることが多い。
「ではすぐにです」
「お医者様にですね」
「診てもらいましょう」
「わかりました」
こうしてだった、喜久子は医師の診察を受けた。そしてこう言われた。
「暫く歌わないで下さい」
「喉が、ですか」
「はい、ポリープが出来ているので」
だからだというのだ。
「完治して後は影響が残らないので」
「また歌えるのですね」
「はい」
このことは間違いないというのだ。
「歌手にはよくあることですよね」
「そう聞いています」
その通りだとだ、喜久子も医師に答えた。
「歌手は喉を傷めることも多いと」
「そうですね、喉を使いますから」
「どうしてもですね」
「ですから余計にです」
「今は、ですね」
「しばらくの間は歌わないで下さい」
医師は喜久子にこう言った。
「そうして休まれて下さい」
「わかりました」
喉は歌手である彼女の命であり歌手が喉を痛めてしまいやすいこともわかっていた、だからこそだった。
喜久子は医師の言葉に頷いた、もっと言えば頷くしかなかった。こうして暫くは休養を取ることになった。
だが休養に入るとだ、喜久子は翠に困った顔で言った。
「歌わないとなると」
「これまで毎日歌っていましたからね」
翠も困った顔で喜久子に応える。
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