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映画

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12部分:第十二章


第十二章

「今ここに」
「はい。それでは」
「そして彼女に伝えて下さい」
 その夕菜を呼びに行こうと後ろに向かおうとした紳士に対してまた声をかけた。そして言うのだった。
「私は帰って来たと」
「帰って来たとは」
「あちらの世界から。帰って来たと。こうお伝え下さい」
 こう言うのであった。紳士は彼の今の言葉にも何かしらの事情を察したようであるがそれはあえて何も言わなかった。そうして後ろに消えてそのうえで彼女を呼びに行った。朝香は校門のところで待っていたがその彼の側に屋台が止まった。粗末な、今にも壊れそうな屋台だ。その屋台を動かしているのはあの若手俳優と大柄な俳優の二人だった。彼等は今度は屋台にいるようである。
「あ〜〜〜か〜〜〜い林檎にってな」
「ああ、それ新曲だよな」
 大柄な俳優が若手の俳優に対して問うた。
「確か」
「そうだったな。歌ってるのは美空ひばりだったか?」
「ひばり?誰だよそれ」
「何だよ御前知らないのかよ」
 若手の俳優は大男に対して呆れた様子で言葉を返した。その間にも二人で屋台から色々と出して何かをしている。どうやらここで商売をするらしい。
「天才少女歌手ってことで最近売り出してるんだぜ」
「そんな娘がいるのか」
「そうさ。いや、この歌はあの娘の歌じゃなかったな」
 その俳優、若い男はすぐにこのことを思い出した。
「確かな」
「そうかよ。ところでな」
「何だ?」
 今度は大柄な男が若い男に尋ねていた。
「そのひばりって娘は幾つだったんだ?」
「まだ十にもなってねえぜ」
 若い男は答えた。
「確かな」
「へえ、そりゃ凄いな」
 二人はそんな話をしつつ用意をしていた。その間に朝香のところに紳士が戻って来た。その後ろには紺色のもんぺを穿いたおさげの女の子がいた。彼女は朝香の顔を見るなり大きく目を見開いた。
「嘘・・・・・・どうしてここに」
「生きていたよ」
 朝香は驚き唖然となっている彼女に対して優しく微笑んでから答えた。
「インパールでもね。生きていたんだ」
「けれど戦死したって」
「あれは間違いだったんだ」
 その優しい微笑みと共にまた彼女に述べた。
「あれはね。私は生きていた」
「そうだったんですか」
「そして君も生きていた」
 朝香は今度はこのことを夕菜に話した。その彼女に。
「だから。あの時の約束を」
「果たすのですね」
「戦争が終わったら」
 朝香は言った。
「一緒に」
「はい、永遠に一緒に」
 夕菜もまた彼女に言葉を返したのだった。
「過ごそうって。あの時の約束を」
「果たしたいんだ。いいかな」
「はい」
 夕菜はこくりと頷いてその言葉に応えた。
「是非。御願いします」
「有り難う。戦争には敗れたけれど」
「それでも」
 二人は廃虚の中で静かに見詰め合っていた。そこだけが廃墟でなくなっていた。
「国破れて山河あり」
 朝香は杜甫の歌の一節を口ずさんだ。
「だから。今は」
「私達は」
「一緒になろう」
 朝香はまた言った。
「永遠にね」
「はい。やっとですね」
 夕菜の目からは熱いものが流れていた。
「何か。ずっと昔から待っていたみたいな」
「私もだ」
 朝香もまたその目から熱いものを流していた。二人はそのうえで見詰め合っている。
 
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