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竜のもうひとつの瞳

作者:夜霧
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第十六話

 身体の調子も大分良くなり、本調子ではないもののこれ以上は休んでいられないと仕事に復帰することになった。
しばらく隠しておくつもりであった夕殿との仲は、大姉上にみっちり説教されたこともあって
周囲に知られることになり、すっかり公認の仲になってしまった。
とどめに祝言を近々挙げることになってしまい、あまりの急展開に俺がついていけなくなっている。

 「小十郎、まさか嫁入り前の女子に無体を働いて、いらなくなったら切り捨てるつもりではないでしょうね。
いくら具合が悪かったからとはいえ、床に引っ張り込んだ以上責任は取りなさい!!」

 もう少し時間を置いてから、そういうのは詰めていこうと思っていたというのに、
大姉上がこう言うのであれば俺が口を挟める余地などない。
……俺の人生なんだが、その辺に決定権はないのだろうか。あと、無体はまだ働いてないんだが……。

 あちらの両親は嫁に出すことに大賛成で、片倉様に貰っていただけるのならばと特に問題にならずにすんなり話が纏まってしまった。
今更だが、竜の右目という二つ名は大きいんだなと実感したものだ。

 さて、倒れてから一度も顔を合わせなかった政宗様だが、祝言を挙げることになりましたと報告すると、
呆気に取られたような顔をした後に酷く呆れられてしまった。

 「……お前、景継が好きだったんじゃなかったのか」

 とりあえず何を言ったら良いものか、そういう表情の政宗様が吐き出した言葉はそれであり、俺もまた軽く渋い顔をする。
これが逆の立場であれば俺も同じような反応を取っただろう、ってのは分かるから何も言うことは無い。

 「仰るとおり、好いておりました……が、思い続けて良いものではございませぬゆえ。
今、小十郎が好いているのは夕殿ですから。好きな相手と祝言を迎えられるのであれば、それはそれで良いかと」

 「…………。……お前ら外身は似てねぇが、そういうところはそっくりだな。
その切り替えの速さは感心するぜ。……まぁ、rivalが減るんならそれに越した事はねぇが」

 らいばる、か。全く、よく言うぜ。政宗様が憎たらしくそう俺に言うものだから、俺もまた嫌味ったらしく返してやる。

 「端から勝負にならないと仰っていたではございませんか」

 そんなことを言ってやれば、政宗様は拗ねたような顔をして黙ってしまわれた。
恨んでいるわけではないが、これくらいの意地悪は許されるだろう。
姉上に俺の気持ちを知られて死にたくなるほど落ち込んだのだから。

 「小十郎」

 「はい」

 「……悪かった」

 思わぬ言葉に俺は一瞬何を言われたのか分からなくなってしまった。
政宗様が謝った、そう気付くまでにしばらく時間をかけてしまい、更に政宗様は拗ねたような顔をした。

 「俺だって悪いと思ったことは素直に謝る……今回の事は、俺が全て悪い。
自分のモノにならねぇからって力ずくで奪おうだなんて、男として最低だ……よく止めてくれた」

 良かった、どうやら冷静に戻ってくれたようだ。
二月もの間探しに行くと大騒ぎされていて、一体どうなってしまうのだろうかと思っていたが、これならばもう大丈夫だろう。
一体何処に向かったのか分からない姉上を探して、迎えに行くことが出来る。

 「独眼竜の名に誓ってもう二度とそんな馬鹿なことはやらねぇ」

 「ついでに奥州筆頭の名にも誓って下さい」

 「無論だ」

 「誓いを破ったら……此度の件、詳細を大姉上に報告させていただきますので」

 その一言に政宗様が凍りついたのは言うまでも無い。

 実は今回の件、出奔の具体的な中身については大姉上には知らせていない。
無論それは政宗様の体面を重んじてのことだが、それ以前に手篭めにしようとしました、
などという話が大姉上の耳にでも入ればおそらく政宗様の命が無い。
多分俺の命もないとは思うが……まぁ、姉上を苦しめた罰だ。甘んじて受けるつもりではあるのだが。

 「ぜ、絶対に破らねぇ! 破らねぇから喜多だけは勘弁してくれ!」

 城の男達の恐怖を体現したような大姉上を引き合いに出したのは正解だったかもしれない。
政宗様の引き攣った顔を見ていれば、もう二度と馬鹿な真似はしないだろう。

 「……おい、小十郎。お前は俺が景継を側室に据えることには反対か?」

 安堵している俺に、おずおずと聞いて来た政宗様は若干情けなくもあったが、
大姉上という強固な盾があればこの反応も頷ける。俺も多分、同様の反応を見せると思う。
なので、俺はその盾を存分に利用して素直に答えて差し上げた。

 「好いた女子を手篭めにしようと考えるような男に、喜んで差し出す馬鹿はおりませぬ……
と、言いたいところですが、姉上がそれで良いと言うのであれば、小十郎が反対する謂れはございませぬ」

 一度は黙って見逃そうとした身、反対などと言えるはずも無い事は分かっていたが、すんなり認めてしまうのも悔しい。
姉上がそれで良いのなら、というのは紛れもなく本音だから間違ったことは言っていないが。

 「お前、根に持ってるだろう」

 「いいえ、小十郎が根に持つなどとある筈がございません。政宗様を恨むなどと」

 俺がそんな感情を政宗様に抱くなどと、あるわけがねぇ。本当にそうか、と言われれば……
まぁ、根に持ってるのは少しはある。

 「…………。……まぁ、いい。それよりもな、小十郎。お前が引っくり返ってる間に
いろいろと考えたんだが、そろそろ奥州を出て天下統一へ向けて動き出してもいいかと思ってんだ」

 唐突に言われたその言葉に、俺は即答で返すことが出来なかった。

 いよいよ天下に向けて動き出されるのか。そう思えば嬉しかった。
天下統一は政宗様の夢、この方の才ならば決して引けは取らないだろう。

 「いよいよですね……それで、差し当たって何処を攻めるおつもりですか。最上ですか? 佐竹ですか?」

 「いや、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信を討つ」

 「は?」

 奥州に敵対する周辺諸国を崩す前にどうしてそこなのか。俺には理解が出来なかった。
どうせならばもう少し現状を何とかしてから行くべきだろう。
奥州から甲斐や越後は一応隣国であるから決して遠い国というわけではないが、初戦の相手とするには些か分が悪い。
相手はどちらも名うての戦上手、それに越後や甲斐以外でも佐竹や最上の動きも気になるところ。
意気揚々と攻め込んだ途端、留守を狙って攻め込まれでもしたら笑い話にもならない。

 「政宗様、奥州を狙う輩をまず落としてから徐々に勢力を拡大させるべきかと思いますが」

 今のところどちらの国も奥州を奪おうという動きはない。
ならば、まずは奥州に敵対しようとしている国を落としてから考えるべきだと思うのは扱く真っ当なことではないかと思うが……
その辺り、どう考えておられるのか。

 「そんなことは俺も分かってんだよ。だがな、そんな悠長な事を言ってたら
天下統一を成し遂げる前に爺さんになっちまう。
まずは強いところから叩き潰す……甲斐の虎と軍神と言やぁ名の知れた武将、それを討ったとなりゃ、
迂闊に手出しは出来なくなんだろうよ」

 力を示して従属を迫るのか。まぁ、かつてそのようにして奥州平定を急いだこともあったし、
今回も同様にしてそのように事を起こして力を示そうという理屈は分かるが……果たして上手くいくだろうか。
前回と今回では力量差もあるし、軍神と甲斐の虎を同時に相手するにはこちらの経験不足は否めない。

 「近々甲斐の虎と軍神がぶつかるらしい。そこを狙って一気に叩く」

 「漁夫の利を得る御積りですか?」

 「そんなみみっちい事はしねぇよ。纏めて掻っ捌いた方が手っ取り早くて良いだろう?」

 手っ取り早いって……それを実現出来るように策を練るのは一体誰の仕事だと思っているんだろうか。
政宗様一人が突っ込んでどうにかなる話じゃねぇのは、いい加減分かってると思いたいんだが……。

 こんなことなら無理して出てこないで、もうちっと休めば良かった。

 思わず頭が痛くなってこめかみを押さえていたところで、政宗様が心配そうにこちらを見ているのに気付いた。

 「おいおい、大丈夫か? 病み上がりなんだから無理はすんな」

 「……政宗様。そう思うのであれば、もう少しマシな提案をして下さい。それは正気の沙汰とは思えませぬ」

 「おい、言うに事欠いて正気の沙汰とは思えねぇとは何だ。これでも俺はきっちり考えたんだぞ?」

 この発言には流石に耐え難くなって反射的に怒鳴っていた。

 「考えてそれなら尚悪いではないですか!
それを実現するために、一体どれだけ事前にやっておかなければならないことがあると思っているのですか!!」

 ……復帰して早々にこれでは先が思いやられる。どれだけ諌めたところで政宗様の中ではもう決定事項なのだろう。
しばらく仕事に追われて眠れない日々が続く。また倒れなければ良いんだが。

 結局これは予想通り決定となってしまい、戦に赴くまでの間にしなければならないことが山積みになり、
また極端に睡眠時間が取れない日々が戻ってきてしまった。
当然良くなりかけていた体調は再び悪くなり、ただでさえ痩せたと言われていたのに更に細くなったと言われ、
夕殿はおろか阿修羅のような大姉上にまで心配されている。
こんな状態で倒れないわけがなく、心配していた通りに引っくり返って養生を余儀なくされてしまった。

 そして体調も整わないまま、武田と上杉が激突するであろう川中島へと向かう事になった。
ちなみに忙しくて挙げられず仕舞いであった祝言はその後ということになっているのだが……生きて帰れるだろうか。
このままだと過労死するような気がしてならねぇ。



 さて、川中島へと踏み込む直前、甲斐の将と思われる政宗様と然程変わらないほどの年頃の男が立ち塞がってきた。
どうやら俺達が武田と上杉の勝負を邪魔するのを食い止めるために現れたらしい。
デカイ声で喚かれ声が頭に響いて不愉快ではあったが、妙に殺気立った様子に俺は違和感を覚えた。

 ……あの野郎、足止めが目的と言っていたはずじゃ。なのに何であんなに殺気立ってやがる。

 「貴殿が奥州の独眼竜、伊達政宗か! 女子を手篭めにしようなどという愚劣な行為、
断じて許すわけにはいかぬ! この真田源次郎幸村が成敗してくれよう!!」

 思わぬその言葉にこちらの軍がどよめいている。政宗様はといえば、顔を引き攣らせてそいつを見るばかりだ。
そりゃそうだ、誰にも話さなかった機密事項が何故だかこんなところに漏れているのだから。

 「Wait! ちょっと待て!」

 何でお前がそんなことを知っている、とは言わなかった。
それを言ってしまったら事実だと認めるようなものだから、必死に政宗様も抑えたのだろう。
いや、そんなことよりも一体何処から漏れた情報なのかを今は知りたい。

 「何なんだ、その話は」

 半ば震えた声で聞き返す政宗様に、真田とやらが深く眉間に皺を寄せて喚き散らしてきた。

 「小夜殿から聞いたのでござる! 貴殿に手篭めにされそうになったがゆえに逃げてきたのだと!!
いくら武芸に秀でているとはいえ、女子を手篭めにしようとは」

 「だから待て! ……アイツがいたのか? 甲斐に」

 「某の屋敷で働いておられた……しかし貴殿がここに現れることを知り、逃げるために早々に甲斐を発たれた!!
貴殿さえ来なければ、某の屋敷でずっと過ごしてもらえたと思っていたというのに……!」

 ……おい、ちょっと待て。テメェ、もしかして姉上に。

 流石に色恋沙汰には疎い俺も、相手がどういう感情を抱いているのかくらいは分かる。
当然政宗様もそれに気付いており、これには気分が悪かったのか、真田をきつく睨んでいた。

 「おい、紅いの」

 「あ、紅!? 無礼な!」

 「そいつは聞き捨てならねぇな。アイツは俺に仕えてんだ、テメェなんざにやれるはずがねぇだろうが」

 「嫌がって逃げてきたではござらんか! 大した持ち合わせも無く、着の身着のまま逃げてきたといった様子で……
某、貴様の愚行を断じて許すわけにはいかぬ!!!」

 槍を構えた真田に向かって、政宗様は六爪を抜き放った。止めるべきかとも考えたが、こうなってしまった以上放っておく他ないだろう。
いちいち止めるのも労力を使う。そもそもこいつは上杉と武田の戦に伊達が入らないようにと妨害する為に現れたんだ。
どちらにせよ避けて通ることは出来ないだろう。ならばと俺も休憩が出来て良いと考えることにした方が良さそうだ。

 いや、ちょっと待て。姉上が世話になったってんなら、流石に礼の一つも述べなきゃならねぇか。
何も言わずに、ってのは無礼だろう。

 「政宗様、しばしお待ちを」

 「Ah!?」

 政宗様の側をすり抜けて真田の前に立つ。いつでも襲い掛かってくる様子のそいつに向かって俺は頭を下げた。
少しばかり怪訝そうな顔をしていたが、続けた俺の言葉に真田の表情が柔らかくなった。

 「姉上が世話になったようで申し訳ない。恩に着る」

 「もしかして、小夜殿の弟君でござるか?」

 どうやら俺の事は話をしていたようだ。奴は戦闘態勢を解いている。先程までの怒りはすっかり納まり、
笑顔さえ見せているところを見ると、相当姉上はこいつに気に入られたんだなと腹の底で考えている。
政宗様も俺がいるから襲い掛かったりはしないが、かなり面白くなさそうだ。

 ……全く、御自分がどういう経緯で奥州を離れることになったのか分かっていないのか?
知らない男に着いて行くなと教えなきゃならねぇのか。三十近くにもなって。

 「おお、貴殿がそうであったか。何となくだが小夜殿に似た雰囲気がある。奥州に残してきた弟が心配だと言っておられたが……」

 ……姉上、世話になった先で一体何を喋ってくれてるんだ。
もうこの際俺の話題を出すのは良いが、変なことだけは触れ回らないで貰いたい。

 「……一体何を言っていた」

 「食事はきちんと摂っているのか、睡眠時間を削って仕事をしていたりしないか、
逃げた事で苦労しているのではないか……そんなことを」

 一つとして反論出来るものが無く、俺は溜息をついた。過労で倒れているだけあって返す言葉も無い。
でも、出来ればそういう話は内々に留めておいて欲しかった。
まぁ、きっと俺がこうして会うことも無いと思ったからこそ言ったのかもしれねぇが。

 「……おい、小十郎。何を暢気に話してやがる」

 しびれを切らした政宗様が苛立った様子で俺に声をかけてくる。
流石にこれ以上は話している暇もないだろうと、軽く礼を述べて切り上げることにした。

 「……それじゃ、また改めて礼を言いに伺う。落ち着いたら姉上を連れて」

 「いつでも遊びに来るよう伝えて下され。歓迎すると」

 本当に好かれてるんだな、姉上は。……大丈夫なのか、あの人は。
変なところで手篭めにされたりしねぇのか? こんな調子で……。

 俺が退けばそれが合図とばかりに政宗様は真田目掛けて攻撃を仕掛けていく。真田もまたニ槍を振るって政宗様に応戦している。

 そんな様子を眺めながら、全く事情が分からずに俺に問いかけてくるこちらの連中にどう返したものかと考えていた。

 この際本当のことを言っちまうか。変な噂になる前に。面倒になって、そんな風にも考えていた。 
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