リメインズ -Remains-
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3話 「身の程を弁えるべし」
前書き
超国家連合:
魔物の大攻勢に対抗するために様々な国家及び都市が200以上名を連ねた、ほぼ世界全ての参加する連合組織。魔物という共通の敵を退けるために1000年ほど前に構想が出来上がり、前回の退魔戦役においては国家間の橋渡しや国際ルールの制定など秩序維持に貢献した。
が、退魔戦役終了後はその結束が揺らぎ、脱退や小競り合いが次第に増え始めている。なお、「審査会」もそれが雇うマーセナリーも、形式上は超国家連合の構成員である。
最後の最後で面倒事を――と、俺は苛立たしげに舌打ちする。
見れば大型魔物のオーガベアが弓兵の女性、セリアに襲いかかっている。
今日のメンバーの中では一番見込みがあると思っていたが、買い被りだったかと少し落胆した。弓兵が敵の接近を許すのでは話にならない。
「ブラッドリーさん!!セリアがやられた!た、助けてくれぇ!!」
目の前の魔物を斬り殺した俺に、後ろからメンフィスという青年が情けなく縋る。
どことなく植物系の魔物ではない獣独特の臭いがしたが、オーガベアの奇襲ならばなるほど、こいつらの技量では手に余る。
セリアは既に捕えられ、片脚をオーガベアに噛みつかれて苦悶の表情を浮かべていた。オーガベアは男は殺すが女は食べる習性がある。まだ牙が骨を砕いたり肉を抉り取る段階には至っていないようだが、どちらにしろこのままでは彼女に待っているのは死だ。
逆さ吊りになった彼女の身体に、オーガベアの口から垂れた自分の血液が降り注ぐ。自分の命の源が音を立てて滴り落ちる様に、セリアは半狂乱で泣き叫んでいる。誰かが助けてくれることを信じて。
しかし、現実はそうもいかないらしい。
「イヤァァァァァァァッ!?誰か、誰かぁぁ……あ゛あ゛ぁぁぁぁッ!?」
「セリアぁッ!」
「くそっ!どうすれば……どうすれば倒せるんだよ!?」
必死の懇願は届いている筈だが、先走るのは言葉ばかりで肝心の刃が届いていない。あの傷の深さではもう膝から下は戻ってこないかもしれないというのに、何をチンタラしているんだ。
周囲は助けようと動いてこそいるものの、そもそもリーチで負けている相手に機能する筈の弓兵が襲われているために前へ出られないようだ。何故後方支援の彼女に接近を許したのかが理解できない。おおかた迫力に気圧された所を突破されたのだろう。
獲物に気が逸れているのだから余った爆竹なり神秘術なり使って怯ませればいいものを。
素人め、と舌打ちする。
オーガベア相手に正面から戦う実力もないのならお前らは何故こんな場所に来たのだ。ピクニックにでも行くつもりだったのか。今すぐに叱咤したい気持ちを抑えながら、段平剣を携えて走る。仕事柄、目の前で死なれても困る。
セリアを盾にするように立っているのが厄介だが、今更この程度で苦戦するほど安い腕ではない。でなければ俺はとっくにリメインズに屍を晒している。
口元からぼたぼたと鮮血を垂れ流しながら敵意を剥き出しにするオーガベアを見据える。
魔物は種類によって人間に対するアクションが違う。オーガベアは戦いの効率より食事を重視する傾向にある。そのため餌を手に入れた状態で敵意を向けられると、獲物を奪いに来たと考え、先に邪魔者を始末しようとする。
オーガベアは俺が飛ばした敵意に気付き、その双眸に俺を捉えた。
「グルルル……グオァァァァアアアアア!!!」
「キャッ……!!」
咥えていたセリアを捨てて、オーガベアは身を低く屈めながら咆哮する。
地面ごとビリビリと揺るがす遠吠えに、今度こそギルドの連中は気圧された。
オーガベアはこのエリアの生態系の頂点だ。雑食で何でも食べるので、植物系の魔物さえ喰らうこともある。他の魔物は巻き添えを喰らうまいとこの一帯から逃げ出しているだろう。
つまり、今だけは逆に周囲を警戒する必要がないということだ。お守りが楽になった、と皮肉気に笑う。
「うわぁぁぁぁッ!?ば、化物……!!」
「何で俺達が来る時に限ってこんな……もう嫌だぁ!」
後ろにいたセリアの仲間たちは口々に弱音を吐いて戦意を喪失してゆく。腰抜けどもめ、と内心で侮蔑する。オーガベアなどリメインズ内ではせいぜいが下の上程度の強さ。そんな魔物相手にこの有様ではマーセナリーとして落第もいいところだ。
――これだから素人をリメインズに入れるなど反対だったのだ。
耳障りな唸り声を空ける目の前の怪物。
身をかがめるのは、オーガベアが必殺の一撃を放つときのモーションだ。
その巨大な図体に溜めこんだ筋力を弾けるように解き放ち、凄まじい加速を乗せた爪で相手を粉砕する。まともに喰らえば重装兵でも吹き飛ばされるだろう。
なら、まともに喰らわなければいいだけの事だ。
挑発するようにオーガベアの目の前に立ち、大仰に剣を構える。既に臨戦態勢に入っているオーガベアは敵意と牙を剥き出しに、その四肢を深く曲げた。
オーガベア相手に正面から戦うなどギルドメンバーからすれば正気の沙汰ではない。束になっても勝てない相手だからだ。無論、それは俺には当てはまらない。
「ブラッドリー!?何をやってる!?逃げろ、そいつは化物だ!!」
「そ、そうよ!セリア一人のために全滅する訳には……」
「……黙ってろ木偶の棒共めッ!!」
「ヒッ!?」
怒声一喝。
オーガベアの声にも劣らない大音量が他の連中を黙らせた。
余りにも浅慮なこいつらに対する苛立ちを爆発させてしまった。少々大人げなかったか?とも思うが、今回のこれは実力も覚悟も足りずにマーセナリーになろうとしたこいつらにはいい教訓になる筈だ。
何はともあれ、これで漸く目の前だけに集中できる。
交差する視線。吐き出す息が、熱い。
心臓は高鳴りながらも、集中力だけはどこまでも延長される感覚。
ああ、この感覚だけはいつ味わってもいいものだ。
不謹慎ながら、血を流して必死にオーガベアの下から逃れようと這いずるセリアのことを忘れてこの瞬間の高揚を楽しんだ。
さあ、俺を楽しませろ。
本能の赴くまま、狂ったように暴れ狂え。
俺はそれを真正面から受け止め、その上でお前の鮮血をこの地にブチ撒けて死んでくれ。
「来いよデカブツ。まさかその図体で怯えてるのか?」
「グオォォォォォォォォオオオオオオッ!!!」
瞬間、その不遜な一言に激怒したかのようにオーガベアが跳躍した。
速い。全身の筋力をばねに、弾かれるように加速したその速度は、まるで巨大な弾丸のようだ。
あいつそのものが一発の弾丸にして斬撃、お前を殺してやる――その殺意そのものだった。
だがオーガベアはその爪を伸ばして獲物を殺めんとした瞬間に、自分が一つの勘違いをしていたことを知る。
自分の殺気を超える覇気。
次の瞬間に自分の命が削ぎ落されるという確信――一種の死期を理解した。
熊の目が怯える。俺の口角が吊り上る。
爪が俺に振れるよりも一瞬速く、俺は正面に踏み込む。
足の裏を通して体を突き抜けた衝撃を全て段平剣の切先に注ぐように溜め、静かに告げる。
「獲物はお前なんだよ。忙しいから、今日は一撃だ」
一閃。
オーガベアは、その爪ごと全身を横一線に切り裂かれ、鮮血がリメインズの草木を彩った。
敵を斬った瞬間に手に残る衝撃だけが、空虚な心を埋めてくれる。そんな気がした。
身体の上と下が別れを告げたオーガベアは、突進の勢いのまま地面に転がって死んだ。
剣の血を軽く振って払う。尾を引いた粘性の高い魔物の血液が飛び、その飛沫が俺にセリアを助けるように言ったメンフィスの顔に引っかかった。自分の顔にかかったそれが魔物の血であることに気付いたメンフィスは、血が飛んできた先の真っ赤に染まった俺を見て悲鳴を上げた。
「ひ、ひゃぁぁぁあぁああああ!?」
「……呆れた奴だ。返り血ぐらいで何を騒ぐ?それとも今まで血を見たことがないなどと抜かさないだろうな?」
返り血を全身に滴らせながら、足をやられたセリアの事も忘れて腰を抜かす馬鹿どもの方を振り返って心底呆れた。このギルドのリーダー格だと聞いていたが、これでよく今までリーダーが務まったものだ。
全身が血に塗れた剣士など、このリメインズでは誰もが見慣れている。この程度で取り乱すのでは近い将来チームを全滅させるだろう。
だいたい、見たのが同族の死体でないだけ有り難く思ってほしいくらいだ。
魔物の血が滴る剣を大地に力いっぱい突き刺す。大地を伝わった衝撃と轟音に、全員が立ち止まってこちらを見たのを確認し、こう告げる。
「ここはリメインズだと言った筈だぞ?ここは奈落であり、全てを失う場所であり、冒険者の墓場だ。あと少しでお仲間もそこに加わるところだった。そのことを本当に理解していたのか?していなかったのなら――マーセナリーなど諦めろ。邪魔だ」
= =
セリアと仲間たちは、病室内で結果報告を聞いていた。
セリアはベッドの上に寝かされて、他のメンバーは椅子に座った状態で静かに声に耳を傾けている。
命の恩人となったブラッドリーは、興味なさ気に腕を組みながら言った。
「俺はお前らのやる気がまだ続いているなら、マーセナリー入りを認めてやってもいいぞ?」
ぞんざいな言い方だった。
だが、その言葉に意気揚々と返事をするものは誰もいない。言葉に込められた痛烈な皮肉に怒るものもまた、誰もいなかった。
誰もがリメインズと言う異常な場所を舐めていた。リメインズ内の魔物があれほど苛烈な存在だとは思っていなかった。今日、ブラッドリーがいなければこの冒険ギルドは間違いなく全滅していただろう。
セリアの脚は一応ながら完治の目途が立った。
エルフェムの民は術の効果を増大させる体質がある為、治癒術による治療を続ければ完治には1週間もかからない。明日には松葉杖で歩き回り、3日後にはほぼ完治するだろう。他の面々は疲労こそあれ大した怪我は負っていない。
だが、だからリベンジしようとは誰も言わない。
皆が皆、唇を噛んで項垂れている。
沈痛な面持ちを見渡したブラッドリーはふん、と鼻を鳴らしてメンフィス確認とをる。
「……その沈黙を答えと取っていいな?」
「………はい。俺達は認識が甘かった。そして未熟だった。今のままマーセナリーになっても生きていけないと言う事がよく分かりました」
「……………っ」
リーダーの一言を止める者もまた、いなかった。
取り返しのつかない事態を招きかねない提案をしたのだ。それに全員が気軽に乗ってしまった。その報いこそがその戦意の喪失と、セリアの足だ。痛いほどに自分たちの未熟さが身に染みていた。
それを一瞥したブラッドリーは小さな声で「それでいい」と呟いた。
「セリアの治療が終了するまでは、お前らにこの町の滞在許可が下りている。今のうちに装備を整え、疲れを取り、そして冒険ギルドに戻るなりなんなり好きにしろ」
色あせた金髪を微かになびかせて、ブラッドリーはゆっくりと病室を後にする。
その背中には、返り血と傷に塗れた鞘が静かに揺れていた。長く長くあの過酷な世界に潜り、戦いを続けていたことを証明するように。
ただ、セリアは。
(悔しいよ……ブラッドリーさんに助けてもらったのに、彼は私たちに何一つ期待もしていない……私たちは、ううん、私って……その程度の戦士なの?)
静かにベッドのシーツを握りしめ、歯を噛み締める。
彼に恩返しどころか、今の自分では礼を言う資格さえもないような、そんな気分にされた。
蚊帳の外。負け犬。井の中の蛙。そのまま終わっておめおめ逃げ帰っていいのか?
皆はもう諦めているのが分かる。雰囲気で、もう戦いすら嫌になって自信喪失しているのをひしひしと感じる。
だが、そんな状況だからこそ羨望はより眩く輝く。
情けない悲鳴を上げて逃げるしかなかったあの魔物を一撃で斬り裂いた彼の鮮烈な姿が、目に焼き付いて離れなかった。
そして思った。そんな憧れるほどに勇猛な英雄に認められたい、と。
ここで逃げ帰るという選択肢はない。そして、あの時動きを止めるきっかけになった覚悟の揺らぎも、もうない。心の奥底で、宵闇を照らし千の夜に希望を抱かせる、憧れと言う名の星座が輝いた。
セリアはベッドの上で、密かに誓いを立てる。
必ず強くなる、と。
そんな彼女の握り拳を、ドアを閉める直前のブラッドリーは確かに見ていた。
後書き
セリアちゃんは別にヒロインでもないのでいったん退場ですが、後に再登場します。
実はリメインズにはいろいろと設定があるのですが、どんな形をしているのか自分でもイメージが掴めなかった場所でした。今回の加筆はその辺がメインです。何か質問やミスらしき場所があったら教えてください。
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