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緋弾のアリア-諧調の担い手-

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赤い夢
  第一話



時夜side
《自宅・自室》
PM:9時22分


東京のネオンに満ちた低い空、それが夜色に満たされた時間。
時夜は自室に備え付けられたデスクに座り、一つ大きく伸びをした。そうして視線を外へと向ける。

長く座っていたせいか、節々が痛むのを感じ取る。間接がポキポキと小気味よく鳴る。
集中していた故に、既に此処まで暗くなっているとは思わなかった。

窓から入り込んでくる微風が、心地良くて気持ちいい。
髪を優しく撫で上げ、思考に耽っていた頭が一瞬で冷やされる。


「……ん~、もうこんな時間か」


現在の時計の指す時間は午後九時二十二分。

デスクに乗っているのは、このゴールデンウィーク中に出された課題の毎日の絵日記。
既に幼稚園が始まり、約一ヶ月が過ぎようとしていた。

季節も移り変わり、春より初夏へと移ろうとしている。
このゴールデンウィーク中にもお父さんの知り合いと、その娘さんとの出会いがあった。

リバーライトと呼ばれる喫茶店を経営する親子。
そこの娘の千鶴お姉ちゃんと、大将と皆から呼ばれ親しまれる店主。

新たな出会いが訪れる度に、ふと思う。

時間が経過するのは早いと、開け放たれた窓から夜空を見上げながらしみじみとそう思った。
今を俺はこの世界で生きている。それ故に、前世での事を時に思い返さない日もある。

けれど、彼女との約束は世界が変わったとしても絶対に忘れる事はない。


「主様、そろそろ御寝にならなくても大丈夫なのですか?」

『明日からまた幼稚園よ?早めに寝ないと朝起きれなくなるわよ』

「そうだな、流石にちょっと眠いし」


二人の神剣の忠告に、俺は素直に頷く。

五歳児の身体には、流石にこの時間は堪える。
そう思いつつ、欠伸を噛み殺し、瞳に留まった涙を拭う。

眠たさもあるが、このゴールデンウィーク中は童心に帰り、遊び過ぎた。
亮や文達と共に、色んな場所を遊び抜いた。その疲れが、最終日に出ていた。

パジャマに着替え、部屋の電気を消してベッドへと雪崩れ込む。
……今日はいい夢が見られそうだ。

そう感じ、このゴールデンウィークを思い返して時夜は健やかに深い眠りに就いた。






1









夢を見ていた。
遠い過去に置いてきた記憶。忘れ去る事の出来ない、前世の記憶。
心の奥底に沈めていた忌まわしいあの悪夢を。


……赤い、赤い、赤い、赤い夢。


「―――――」


か細い声が、聞き取れない程の小さな声が空間に響いた。

手を伸ばす。
白い指先が蛇の様にのたうちながら先へ先へと目指して進む。

手は白く、指は白く、生気を感じさせない程に白く、手が絡む首はそれ以上に白くて、か細い。
白という色すらなくなってしまったかの様な、存在感を感じさせない首に指は絡みつく。

爪先が皮膚に僅かに食い込み、細く赤い線を引いていく。口紅の様に、鮮血の様に。
紅い線は指を追って…くるり、と首を一周する。

細い首を、細い指が絡めとる。
肉と骨と皮膚と神経と気管と血管と、そして命の感触。
指の下を血流を流れるのを、ざわざわと感じる。


「―――…くっ…あっ……」


誰もいない。誰にも見られていない。何もない。

昏い世界には何もない。
暗闇の中で首と手の白さだけが、幽霊の様に浮かび上がっている。

それ以外には何も見えない。現実世界からの剥離。
何処に立っているのか、何処に座っているのか、今が何時なのか、ここが何処なのか、それさえも解らない。

脳に空気が行き届かずに、意識に、思考に、思想に弊害が起きる。

時間も場所も暗闇の中にかき消されている。
空を見ても星は見えず、月はなく、ただ闇しかない其処が空なのかすら解らない。


―――首と、手と。


白く締められる首と、白く締める首だけが世界の全てだった。
それを見ている瞳は曖昧。

全てが、遠くの世界の出来事の様に感じる。非現実。
けれど、指に力を入れて、首を締める感触。肉に指が食い込む感触、血管を圧迫する感触。

死の感触。
それはとても鮮明に感じる事が出来た。

首を絞める感触と、首を絞められる感触。
生の感触。

爆発の様に灯りが灯る、赤よりも紅く。青よりも蒼い光が射す。

世界が壊れる感触。空が割れて、隠されていた光が一斉に解き放たれる。
何もない世界に光だけが満ちる。その光の中で俺は明瞭と見た。


三日月に口を獰猛に歪め、血に濡れた―――


“俺の首を絞める俺の姿を”






2










「―――っ…はッ!!」



意識が覚醒すると同時に、思いっきり身を起していた。
意識しての行動ではない。

あの夢から逃げる様に、文字通りに飛び起きたのだ。
身体を覆っていたタオルケットが跳ね飛ばされて、そして…。


『ひゃあああ?!』


枕元に置いてあった時切が、奇声を上げてベッドから落ちて行った。
けれど、今はそれすら気にならなかった。否、気にする余裕が無かった。


「……ひゅ……ひゅぅ」


首に手を馳せて、まるで過呼吸の様に落ち着かない、か細い息を繰り返す。
右手に当てられた心臓より突き破らん程の鼓動が跳ね上がり、背中に冷ややかな汗が流れて、熱い身体を冷ます。

べっとりと、寝巻に張り付く汗が気持ち悪い。
夢の残照で高鳴る鼓動、それがこれは現実だと告げている。

だけど、制御の効かなくなった感情が力となって、不安定な膨大なマナが身体に帯電する。
空気が振動して、窓ガラスを嵐の夜の様に割らん如く、激しく叩きつける。

漆黒の闇夜を淡いマナが照らし上げる。
そこから覗く時夜の顔は憔悴し、磨耗し、今にも消えて無くなりであった。


『ちょ、ちょっと時夜!?どうしたの!』


流石の時切も異常を察知したのか、文句を言う暇もなく、主の身を案じる。


「…はぁ……はぁ」


数分。
大分規則正しくなり落ち着きを取り戻して来た呼吸。若干のゆとりを取り戻した感情。
そんな時だった、今まで黙っていた調和が語り掛けてきたのは。


『…主様、大丈夫ですか?』

「……ああ、とりあえずは落ち着いたよ。」


安定したいつもの調子で、疲弊した顔をして、そう時夜は口にした。
そんな時夜を化身化して優しく胸に抱き締めるヴィクトリア。
密着した状態で、ヴィクトリアは時夜の鼓動が落ち着きを取り戻して行くのを感じ取った。


「…今の、外には漏れてない?」

「はい、私がバレない様に結界を張りましたので外には漏れていません。時深様達もお気付きにはなられていないかと」

「……そうか」


言い、時夜はヴィクトリアから離れる。


「…ありがとう、ヴィクトリア。大分楽になった」

「…それは良かったです、主様。ですが、無理は為さらないで下さいね?」

「ああ、少々汗を掻いて気持ちが悪いからシャワーを浴びてくるよ」

『…大丈夫なの、時夜?』

「大丈夫だよ。じゃあ、行って来る」


そう言い、疲れた表情で頭を押さえて部屋を出て行く時夜。
そうして、部屋の中に静寂が訪れた。


「……主様、あなたはまだ…」


主が消えて閉じられた扉を見つめて、ヴィクトリアはそう呟いた。

私と主様の間には特殊なラインが引かれている。
それ故に、私は主様の過去を、前世を知っている。

本人は違うと言うだろうが、未だに“あの時”の事を捨てきれていない。
割り切ってはいても、そう簡単、容易く捨てられるモノではない。
……それでも


「……私があなたを包みますから」


私は“鞘”だ。貴方を優しく守り、包み込む鞘なのだ。
そうして、彼女は二の句を紡いだが、それは深い夜の帳にかき消えた…。






3







「……………」


頭から、掻いた汗を流す様に熱いお湯を浴びる。
汗を流す様に、嫌な夢を洗い流す様に。


「………ふぅ」


大分、いつもの調子を取り戻しつつあった。けれど、まだ情緒が不安定だ。その魂が揺れている。
こうして、楽しい日々を送っていると逆に“あの時”の事を鮮明に時に思い出す。


「……やはり、俺には」



暗い面持ちで、何かを振り払う様に、時夜は頭を振った。






4







あの夢を見た後、落ち着きを取り戻しはしたが、再び寝床に入る気にはなれなかった。
また、あの悪夢の様な夢を見る様な気がして。

そう考えただけで、背中に氷を入れられた様に背筋が冷たくなるのを感じる。
未だに、首に違和感を感じて手を馳せる。

気を利かせてか、時切が語り掛けてくれるが、その配慮も今は鬱陶しかった。
……一人にして欲しかった。

ヴィクトリアは察してくれたのか、化身化を解いて姿を消している。
いや、彼女と俺との間には特殊なラインが繋がっている。

言いはしないが、ヴィクトリアの事だ、解っているのだろう。

夜の帳が徐々に薄れて、夕日にも似た茜色の朝焼けが地平線に広がっていく。
人々の頭上に夜明けは公平に訪れる。それは、前世の母がそう幼き日に教えてくれた。

そして、それがこれだけ待ち遠しいと思った事は殆ど無かった。



「…あっ……夜、明けてきたのか」


カーテンの隙間から零れる白光。
伏せていた顔を照らし、俺は思わず目を細める。

……長かった。
夜がこれだけ長いと感じたのは、夜の暗闇に圧迫感を憶えたのは、前世を入れなければ紛れもない初めてだった。

あり得ない事だけれど、あの夢の出来事が現実に起こらないかと、疑心暗鬼になりそうだった。
張り詰めた緊張の中。何もない暗闇の先を、幾度と確認した事だろうか。


「…漸く、五時なのか」


部屋に備え付けられた時計が射す時間は五時ちょっと過ぎ。
本来、鍛錬の日ならばとっくに起きていなければならない時間。

だが、生憎と今日はその日ではない。

鍛錬の日以外で、こうした時間に起きている事は珍しい事だ。
何時もと同じ朝。けれど、それに違和感を覚える。

………漸く。

そう、漸くだ。
そう思う程に、本当に時の過ぎるのが遅い夜であった。


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