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Holly Night

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第1章・一年前
  ―6―

「なあ、課長。一日で良いんだ、家に帰りたい。」
事故を起こして三週間、律儀に署で寝泊まりを繰り返していたが限界だった。
最初の一週間はソファで寝ていたが狭く、床で寝始めた。そしたら今度は床からの冷却と硬さで肩凝りが起き、結果、持病の頭痛が悪化した。
「マジで、頭が痛くて洒落になんねぇんだ。」
「…ふん…」
頭痛が無いなら身体が硬ろうが我慢出来るが、拓也の頭痛持ちは課長も知る、同時に課長も重度の頭痛持ちであるから、其れがどんな苦痛か知っている。
課長は珈琲を一口飲み、二度と事故起こすなよ、と外方向いた。
「あざっす!」
「二日休みな、本郷もだ。」
何も課長、本気で拓也を一ヶ月署に軟禁する気ではなかった。素直に拓也が従い、もうそろそろ帰宅を言う所だった。
「よっしゃぁ…、帰ろう…」
「帰って何するんだ?」
「早くベッドで寝たい…、死ぬ迄寝たい…」
「あ、そっちか。」
「彼奴の事云ってんの?良いよ、俺は寝るんだ。」
三日前拓也の荷物を取りに行った時、同居する女から、拓也は何時帰るの?、と聞かれた。其の時は、さあ、と適当に流し、恨みがましい視線から逃げた。相当怒られるだろうが黙っておいた、其の方が面白いから。
頭痛薬を飲み込む拓也は、じっと見て来る本郷を訝しみ、大きく喉を動かした。
「え?何?」
「いや、何も。」
「一寸、え?何?」
「帰るんだなぁって。」
「帰るよ、え?何で?帰ったらまずいの?」
本郷はニヤリと笑い、立てた人差し指を頭にくっ付けた。
「女は怖いなぁ。良かった、独り身で。」
水を吹き出した拓也は、そういう事か、と今度は自宅に軟禁されるのを悟った。まあ、出る気は無いが。
「お疲れっしたー。」
「お疲れ様です。」
二人は出、見届けた木島は課長に向いた。
「もっと痛め付けたら良かったのに。井上に甘いんだ。」
「御前だったら痛め付けただろうな。」
課長の言葉に木島以外が笑った。


*****


暫く帰って居ないだけで、自宅ってこんな匂いだっただろうかと拓也は思った。廊下の奥にあるリビングは暗く、廊下のスイッチを押したが暗い侭だった。
「は…?」
何度か切り替えたが点かず、切れたんなら変えろよ、と暗い廊下を歩いた。真っ暗なリビング、換気扇の電気だけを点け、冷蔵庫からビールを取り出した。飲み乍ら其の儘寝室に入り、ジャケットごとコートを床に脱ぎ捨てた。
「お帰り。」
「うあ…、びびった…」
時間も時間で、寝ていると完全に決め込んでいた拓也は、暗闇から湧いた声に驚きを見せた。寝ていると思ったから物音立てず、リビングの電気では無く換気扇の頼りない明かりを点けたのだ。
ベルトを外し、ビールを一口飲むとベッドに入り込み、擦り寄って来た女の頭を抱えた。
「家って、こんな匂いだった?」
「何で?」
「なんか違う感じがしたから。」
嗚呼、と女は上目で唸り、目を閉じた。
「拓也が居なかったからよ。」
「俺が?」
「私、煙草吸わないから。」
「嗚呼、だからか。」
自宅なのに自宅で無いと感じたのは其の所為だったのかと身体を離した。
「此の家はね、私と拓也で出来てるのよ。」
「艶っぽいじゃないの、お姉様。」
「私の匂いと拓也の匂いが混ざって、初めて呼吸をするの。」
「やぁねぇ、お姉様、イヤらしいわ。」
花の匂いに混ざる煙草の匂い、嗚呼、自宅だ、と漸く拓也は安心した。一息にビールを飲み干し、煙草を消すと冷たい指先を女の唇に当てた。ねっとりとした熱さが指先に絡み、血液が溜まった。其れを知った女はするすると布団の中に潜り込み、暖かい体温を拓也に教えた。
「嗚呼、そう来る…」
布団の中を覗き、一度笑うと手を離した。ヘッドボードに預けていた背中をベッドに預け、布団の中で蠢く女の髪の柔らかさを指の全てで堪能した。
「お姉様、眠たいわ。」
「拓也、イヴだって事知ってる?」
は?と拓也は、充電される電話を見、身体を起こした。ディスプレイには、12月24日 0:36とある。
「うわマジだよ。って事は今日…いや昨日か、祝日だったのかよ。」
「そうよ、日の丸振った?」
「あー…いいえ…」
「きゃぁあ、非国民よ!」
「其れ所じゃなかったんだって。頭痛ぇし、意識無かったんだって。そうか、だから課長、二日休みな、って云ったのか。」
気前が良いと思った。其の時は一刻も早く自宅に帰りたいと思っており、気前の良さの理由等考えて居なかった。すると女は布団から顔を出し、だから帰って来たのかと思った、と外したボタンの隙間から腹部にキスをした。
「ま、いっか。帰って来れたし。」
「仕方無いわね、今日は勘弁してあげるわ。」
「アリガト、お姉様。」
女は身体を離し、きちんと枕に頭を乗せ、拓也の指にキスをした。
目覚めのキスがあれば眠りのキスもあると思う。
実際拓也は女のキスで眠りに付く。
起きた時、女の姿は無かった。十時だった、当然女は仕事に行っている。暖かいリビング、微かに珈琲の匂いが残っていた。サイフォンのスイッチを押し、テーブルに置かれたメモを眺めた。
拓也が非番の日、決まって女はメモをテーブルに残す。其れを読み乍ら珈琲を飲むのが拓也の休日の始まりだった。

メリークリスマス拓也、今日は七面鳥だぜ

胴体をこんがり焼かれた七面鳥が大きく涙を零すイラストが描いてあった。

追伸 二号機鳴ってたよ

其の一文に拓也はカップを置き、慌てて枕元で充電される電話を開いた。
不在着信五件、ショートメール二件、柳生節子。私用電話と仕事用にはメールも合わせて十件以上の着信が本郷からあった。
「おい龍太!」
「やっと繋がった…!」
電話の向こうが煩い程、自宅の静寂が際立った。
「もう大変なんだよ!」
「如何した、おい何があった。」
「柳生さんから電話着てるだろう!?俺には上手く状況が説明出来ん、なんか良く判らんが子供が如何とかって云って、興奮してて良く言葉が聞き取れないんだ。課長!?課長何処行……嗚呼クソ、切るぞ。」
無機質な切断音が静かな寝室に響いた。
「節子!」
「井上さん!」
何時も凛とした声を出す柳生の声なのか、其の切羽詰まった声に拓也は煙草を咥えた。
「おい、何が起きた。」
「酷い、酷過ぎます!」
「だから何があったんだよ!」
「子供の死体が一杯あるんです!」
全身に鳥肌が立ち、言葉が上手く理解出来なかった。
其の時一号機が鳴り響いた。
着信、課長。
柳生の電話を其の儘に拓也は通話ボタンを押した。
「もしもし…」
「出て来るか?本意じゃないがな…」
ずっしりとした課長の低い声に、電話越しでもはっきりと怒りが判った。
「何が起きたんですか…」
「違法売春だよ。」
「は…」
「冗談じゃない…、冗談じゃない!!」
課長の怒りに拓也は火を点ける事忘れた煙草を口から落とした。
「課長…?」
「唯の違法売春じゃない、全員子供だ、一桁のな!こんな事が許されるか!」
「え…?」
「出て来るんだよわんさかな、子供の死体も!」
「え?何?」
「課長、課長落ち着いて下さい!」
「嗚呼!頭がおかしくなりそうだ!」
怒りに叫ぶ課長を宥める本郷の声がする。一体何が如何なってるのか、全く判らなかった。
「龍太、おい龍太!」
「課長がもう怖い!興奮しきったライオンみたいだ!俺、殺されるかも知れん…、木島さんは死んでる。めでたい。」
一方的に電話は切れ、柳生に声を掛けた。
「えっと、今の状況知りてぇんだけど。流れじゃなくて。」
「ええと、課長さんが興奮して机蹴ってます…」
ガンガン聞こえる音は其れか、と落ちた煙草を咥えた。
「木島って刑事は何してる?」
「木島さん…?ええと…誰だろう…」
「ボブカットの色白チビ。アヒル口で邪悪。」
「嗚呼!あの人か!ええと其の方は、…課長さんに八つ当たりされてます…、其れを本郷さんと他の刑事さんが必死に止めてます。」
「課長は其の儘で良い、彼の方は一度切れるともう止まんねぇんだよ。龍太に迎えに来いって伝えてくれるか?車無いんだわ。」
「判りました、一寸待って下さい。」
柳生が伝えると三十分で行く、と返事があり、電話を切った拓也は女の残したメモの後ろにペンを走らせた。

御免、今年も一人にして御免

メモから中々手が離れず、強く目を瞑った拓也は振り切るように手を離しバスルームに向かった。頭から熱いシャワーを浴び、状態を懸命に考えた。
子供…、死体…、売春…?
レースのカーテンの向こうでは雪が散らついていた。
「今日、イヴだぜ…」
最低なクリスマスだ、とインターフォンに部屋を飛び出した。 
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