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Holly Night

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序章

なんで日本人がクリスマスを祝うのか、世谷署一課の木島(きじま)和臣(かずおみ)は思う。
まあ、過ごす相手の居ない男の僻みなのだが。
十センチ程の卓上クリスマスツリーを見る木島の後ろを、後輩でコンビを組む加納(かのう)(かおる)が無言で過ぎ、此の課の課長のデスク前に立った。
彼は一時間位前から書類整理をしている。
「ん?」
「帰って宜しいですか?」
デスクに対し横向きで書類を読んでいた課長は時計を見、井上、と云った。
「え?五時?帰ろ。」
課長の呼び掛けに井上(いのうえ)拓也(たくや)は時計を見、椅子から腰を上げた。
加納は一礼し、自分のデスクに戻ると帰り自宅を始め、井上も又、横の席で未だ仕事をする相棒の本郷(ほんごう)龍太郎(りゅうたろう)と談笑し乍ら帰り支度を始めた。
「明後日な。」
「はい、お疲れ様でした。」
其の儘課長は書類に向き、本郷の表情が険しくなっていく。
「頼む、事件起きるな。」
木島と本郷、双方の相方が同時に休む。自動的に残された二人が、事件が起きた場合コンビを組む。
本郷の元相棒は木島だ。然し、本郷は木島とコンビを組む事が嫌で堪らず、実際、二年コンビを組んで居たが三ヶ月で胃潰瘍を伴い、半年で胃に穴が空いた。
互いに神経質で、互いの行動が一々癪に触った。木島は苛々し、本郷も同じだった。唯、先に根を上げたのが木島より神経質だった本郷で、二週間入院した。本郷の代わりに他の刑事と組んだが、其の刑事達も“二度とコンビ組みたくない”と悪評だ。
そして今年の六月、中途半端な時期に此の署に配属された加納だが、何も問題が起きて居ないのだ。
十二月迄の此の半年間、何の異常も見せる事なく木島に付いて行っている。
因みに加納が来る前に木島の相棒をしていた刑事は、加納が配属されるや否や退職した。其れはもう早かった。
木島は其処迄問題だが、本郷も本郷で人の事が言えない。
彼も彼で、何人もの刑事を退職に追いやっている。そして其れに本郷が又悩む。
後輩を怒鳴ると後輩が病む、怒鳴らなければ本郷が病む、後輩刑事が居なくなる度本郷のノイローゼと潰瘍は悪化し、其れに木島が愉快愉快と笑うので又腹が立つ、俺に胃潰瘍何て煩わしい病を齎したのは貴様だろう、思うと又胃が痛み、痛いと神経質になり後輩の行動が目に付く、怒鳴る……以下其の無限ループで本郷の身体は三十前半にして五十手前の課長より酷い。
課長は良いな、髪の手入れさえしてたら良いんだから…
書類から自分の毛先に視線を流す課長に本郷は溜息を吐いた。
「木島さん、龍太虐めんなよ。」
「煩い、虐めてないわ。」
「年末年始のクソ忙しい時に入院さすわきゃいかねぇんでね、宜しく頼むぜ。」
時間にすれば二十四日の午後五時から二十六日の午前八時迄と短い話だが、時期が悪い。
愉快犯は、イベントを狙う。
特にクリスマス…此の時の犯罪率は一年通し一番多い。
せめて、せめて、今から明日迄、痴漢とか窃盗とか、そう云う犯人を署に呼んで調書だけで済む犯罪だけで、絶対に、絶対に殺人は起きないで、と願わずに居られない。
二人は思う。
何が悲しくて聖夜に二人で過ごさなければならない。
「じゃあな龍太、明日一日大人しくしてろよ。」
全身真っ黒で、死神みたいだなと、支度済んだ井上を見て木島は思った。
一方加納はアイボリーのコートと白いマフラーを巻かず腕に掛けている。
「対局…」
「ワタクシ天使です。」
「は?フリーザの間違いだろう、彼奴も白い。」
「何か仰いましたか?」
「じゃ俺バイキンマンな、バイバイキーン。」
二人が部屋から出た瞬間、本郷は胃薬を大量に飲み、木島から睨まれた。
「なんで加納!?井上も!」
「彼奴もカトリックだ。井上はもうしょうが無い、俺には止められんさ。」
「だからって。」
仏教徒或いは無宗教の俺達には聖夜だろうが何だろうが何も関係無い話だが、カトリックの彼奴等はイースター祭に続く一年で一番大事な日だから事件には関わらせない、其れが課長の考えだ。
加納井上だけでは無い、此の課に居るカトリック教徒はイヴの夜勤と翌日の二十五日は出勤しない。其の代わり、八月の所謂盆休みに休みは無い。
最も刑事に、そんな生易しい世間休日事情は全く関係無いのだが。
だからまあ、夏休み無しとクリスマス出勤どっち選ぶ?と聞いている。クリスマスに死体なんて絶対見たくない、教会行かないといけないんで、と五人全員、夏休み無しを選んで居るが、此の課が特殊なだけである。
椅子から立った課長は窓に向かい、木島の言葉を静止した。
「御前には判らんだろうな、結婚も出来ず、してくれる奇特なマリアも居らず、本人も地雷其のもので、家族のアレが。嗚呼、可哀想に木島。」
「木島さんはなんで結婚しないんですか?」
「はは、本郷、木島はな、大変可哀想な人格を持って居るから、しないんじゃなくて、出来ないんだよ。御前が仮に女だったとして、此奴と結婚したいか?」
「いいえ!」
本郷の即答に課長は腹から笑い、木島に何か云われたが本郷は気にしなかった。
「本郷も独身だな。」
「ええ。」
「しないのか。」
「しませんね。」
「一人が楽か。」
「そういう訳ではありませんが、興味が無いんです。俺、恋ってのが良く判らないんです、何が恋なのかさえも。」
鼠色の空、白い綿雪が一つ落ち、暫くすると彼方此方から落ちて来た。
「恋をした事が無い…?」
木島の裏返った声に本郷は頷き、課長と木島は見合った。
「如何生きたら、恋しなくて済むんだ?何の病気なんだ?其れは。」
「判らない。何が恋なのかも判らないから、気付かないだけなのかも知れない。」
「泣く程人を愛した事が無いのか?」
「…一寸何云ってるか判らない。貴方こそ病気なんですか?」
本郷の言葉に課長は口から珈琲を零し、此奴はダメだ早くなんとかしないと、噎せ乍ら笑った。
「御自分にも興味が無いんでしょう。」
入り口から聞こえた声、振り向くと、科捜研の心理担当、菅原(すがはら)時一(ときいつ)が何故か居た。
呼んだ覚えも無ければ事件も無い、何故現れたのか訝しんでいると、加納さんは?と澄んだ声を出した。
「加納なら帰ったぞ。」
「え!?」
大きな目を一層大きくし、其の面積、糸目吊り目の本郷に三分の一分けてあげれば良いのに、そしたら少し視野が広まるんじゃないか…色んな意味で、と思った。
「嘘、え?帰った?」
「加納に用事か?」
「用事っていうか、加納さんが用事を頼んだんです。嘘、何あの人、人に用事頼んどいて忘れて帰った訳?信じらんない…」
「薄情な能面だろう。」
「僕は良いんだよ、途中だったし。うわぁ、斎藤さん怒るよ…、加納さんが頼んだんじゃん…」
斎藤、とは菅原と同じに科捜研で働く文書担当の男で、斎藤(さいとう)八雲(やくも)と云う。
其の時だ。
ばん、と扉が開き、十分前に出て行った加納がぜぇはぁ息を切らし、肩で何度も呼吸を繰り返していた。
「すが…菅原さん…、忘れてました…」
ノンフレイムの眼鏡の奥にある切れ長の目は息苦しさに何度も瞬きを繰り返す。白い頬は赤いのに、顔全体は所々青い。
「貴方が頼んだんですよ?」
「はい…、申し訳無い…」
「渡せたんで良かったですけど。」
菅原は持っていた箱を加納に渡し、渡された加納は一礼すると、ふらふらし乍ら帰っていった。
「あれなんだ?」
「アクセサリーですよ。」
「加納が?」
「あーいえ、奥様のらしいです。」
木島や課長、本郷だけでは無い、其の場にいた刑事全員が菅原の言葉に動揺し、何かの間違いだろう、と木島は菅原に詰め寄った。
加納が既婚者とは、寝耳に水だ。独身だと思い込んでいた。尤も、プライベートな話をする程誰も仲良くないが、仲良くなろうとも思わないが。
「彼奴、結婚してんのか…?」
「さっき渡したやつ、奥様のアクセサリーらしくて…大きさからしてチョーカーかな?、凄く高価な物なんですよ。ダイヤとアクアマリンで出来てて。もう僕吃驚して、多分あれ、五百はするんじゃないですか?…と、斎藤さん談です。」
此れは現実の話なのだろうか、と木島と本郷は思った。
妻のジュエリーに五百万円。
総額でない、たった一つで、だ。総額が気になる所だが、流石はSクラスベンツに乗る男、二千万溶かしてても笑う男、妻への金の使い方も桁が違う。
然し加納が既婚者だったとは些か驚いた。
女に対して関心なさそうだが、本郷みたく全く興味無い訳でもなさそうだと感じたのは、そうか既婚者、だからか。
妻以外の女に興味が無いのだ。合点行った。
「留め具が壊れたか何かで修理に出そうと思って持ってた…其ぉれぇを、斎藤さんが目敏く見付けて、ほら、彼の方考古学者じゃないですか。装飾品の復元とか専門中の専門じゃないですか。僕達、見た瞬間ぶっ倒れそうになったんですけど、流石彼の方本職ですよ、値の付けられない物見てるんで、全く動揺せず、直したるわ、て。で加納さんは、ただで直して貰った、と。注文迄付けて。」
「鬱陶しい男だな。」
「なんか、留め具にね、パール付けてって。一粒ですよ、十万です。百何年前かな、の、バロックパールです。」
「ブラックパール?」
「いえ、バロック、パールです。雫型の、丸くない真珠、ありますよね?あれです。」
「ふーん、馬鹿じゃないのか。」
「いやぁ、そうは仰いますけど本郷さん、加納さんの愛情ですよ。其の、バロックパールを見た斎藤さん、五十万で…いいや言い値で売ってくれ、状態が良過ぎる、って云ったんですよ。斎藤さん、考古学者のスウィッチが入ると訛り消えるんで、本気なんだな、此れって本当に凄い真珠なんだなと思いました。」
「斎藤さんも馬鹿だな。」
「斎藤さん、六月生まれなんですけど、斎藤さんの奥様が六月の誕生石…真珠を凄く愛してらっしゃるんですよ。お会いする時何時も身体の何処かにパールのアクセサリー付けてらっしゃいます。時期も時期だし、クリスマスプレゼントかなって。でも加納さん、例え百万でも譲りません、ワタクシが選んだ物でしたら買値でお譲りしますが生憎此れは妻が選んだ物ですので、って。其れ云われちゃ、何気に愛妻家の斎藤さんは黙るしかないですよ。」
「皆、愛妻家だな。イヴには良い話だ。」
雪の舞い降りを珈琲飲み乍ら見ていた課長は呟き、俺も愛妻家になるかな、と珈琲を菅原に渡した。
「御前は?今年は家族とか?」
「はい。ドイツから来てますから。」
菅原も又既婚者で、菅原本人は日本に居るのだが、妻子はドイツに居る。娘の長期休みの時期は何時も日本で、今日も当然菅原の妻子は日本に居る。
本当なら妻子を日本に寄越したい所だが、娘は日本語が話せず、又ドイツでの学校生活の方が楽しいからと、娘の希望でドイツに置いている。
「お二人は呼ばれないんですか?」
「小さかったらね、日本に住まわせるんですけど、中学生ですから、もうドイツに居た方が良いかなって。幼稚園から高校迄一貫なんで。」
「え?中学生?大きいですね。」
「大きいって云っても、僕自体が三十六ですからね、妥当じゃないですか?」
嗚呼、と木島は納得した。
菅原の童顔加減にうっかり年齢を忘れる所だが、菅原は木島より年上である。
「課長さんは?」
「聞くな。変わらん。」
「ふふ。貴方も充分愛妻家じゃないですか。」
課長は黒目を上に向け、恥ずかしそうに鼻筋を掻く、其れを菅原が可愛いんだから、と茶化した。
「一年か。早いな。」
「ですね。」
そういえば、と菅原は本郷の方を向いた。
「井上さんも居ませんね。」
「拓也も家族サービスです。」
「娘さんと妖怪ウォッチ観に行くって云ってましたけど、あれ今日だったんだ。僕も娘と行こうかな。妖怪ウォッチ知らないですけど、今日本でポケモン並みに流行ってるんだよ、って。」
「嗚呼、あれ妖怪ウォッチって云うのか。拓也が大金叩いてました。なんか良く判らん面子みたいなやつです。」
「メダルですね、其れ。前売り券に付いてるメダル、オークションで一万以上するんですよ。」
「え…?たかが玩具に、あんなの一枚が一万?」
寿司でも食べに行った方がマシである。
「加納さんもですけど、ほら、井上さんって、子供の事になると見境なくなるじゃないですか。例え其れが一時の楽しみでも。井上さんは子供達の其の一秒を何よりも大事にしてますから。子供の一日と大人の一日は全然違う、明日になりゃ忘れる事でも其の日一日を子供は全力で生きる、大人は其の手助けをすりゃ良い、例え明日無駄になっても、…素晴らしい持論じゃないですか。」
「特に拓也の“子供達”は、ですね。」
「ええ。皆、幸せになれると良いですね。」
菅原は愛らしい笑顔で呟き、笑顔の裏で、井上と知り合う結果になった一年前の、聖夜に相応しくない悲しい事件を思い出した。


*****


「今日はイヴだよ、早く帰らないのかい?」
出されたスコッチ、拓也は一口飲むと紫煙を吐いた。
バー・ローザ。拓也の行き着けのバーで、毎晩帰宅前に必ず足を向ける。
イギリス家具で統一された店内を間接照明の明かりが照らす。足元は注意して見ないと頼りない。
「明日娘に振り回されんだよ。充電しとかねぇと。」
拓也の微笑にマスターのヘンリーは微笑んだ。 
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