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歪んだ愛

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第3章
  ―7―

ゆりかから、夏樹が好きだと相談されたのは秋だった。
此の夏の頃からゆりかは、家から三十分程の場所にある法律事務所でアルバイトをしていた。アルバイトならもっと他にあるのに、と飲食店でアルバイトする私は思ったものだが、法学部に在学する彼女には納得行くものだった。其れに父も…ゆりかを支配する父も、下手なアルバイトよりマシだと納得した。
本来なら夏休み期間中…九月迄の約束だったらしいのだが、何故か、青々とした葉が紅葉し、蝉の声が秋虫に変わってもゆりかは日曜日行っていた。
十月の、そうだな、妙に冷たい風の夜だった。
私の部屋に彼女は居て、二人でベッドに座ってビールを飲んでいた。最もゆりかは、私が三本目のプルトップを開けた時、未だ一本目の三分の一も飲んで居なかったけれど。
邪魔して良い?と云って来たのはゆりかだ。
十一時位じゃなかろうか。小論文を書いて居た私は、ノックの音に向いた。缶ビールの箱を持ったゆりかが笑っていた。
最初、何の目的でゆりかが部屋に来たのか判らなかった。だって彼女は、黙った侭チビチビとビールを飲んでいたから。私は気にせずゆりかに背を向けた侭、ビールと煙草を交互に喉を動かし、パソコンに向いていた。
「ねえ、まどか。」
「うん?」
「今、好きな人、居る?」
私の手は止まった。
煙草を消し、眼鏡をずらした目でゆりかを見た。
「居るっちゃ居るし、居ないっちゃ居ない。」
「私、好きな人出来た…」
彼女の告白に私は眼鏡を外し、パソコンをスリープにした。小論文所の話では無い。天文学的に云えばビックバンを目の当たりにしたのだ。
椅子から立ち、ゆりかの横に寝た。此の時私は既に三本目に手を伸ばしていた。
「初恋じゃない?」
「うん…」
身体を巡る熱の放出の仕方を知らないゆりかは、文字通り焦がれていた。
好きなら好きって云えば?と云ってみたもの、食事内容さえ私に決めて貰わないと無理なゆりかに、其れは無理だと思った。
洋服だって、此れ如何思う?と聞き(買った後に、買う前に聞け)、私が肯定すると袋から出され、否定すると私に回す…そんな女であった。
ゆりかの性格は、父にあった。
幼少から病弱な彼女は、いいや、世に生まれる前から父に過保護と言う名の支配を受けていた。母のお腹の中で一回り小さいゆりか、生まれてからも呼吸器系に問題があり、生後の私は母の横に居たのだがゆりかは二日程検査で私の横には居なかった。
此の頃の記憶、当然無いが、あれば私はこう思って居るだろう。
何故私は一人なのだろう、と。
確かに二人だった筈、同じ部屋で同じ時間を共有し、私が吐いた息をゆりかが吸い、ゆりかが吐いた息を私は吸っていた。一卵性なのだから当然だ。
なのに何故、ゆりかは私より小さいのだろう。私が欲張り過ぎたのか、其れであったら申し訳ない。
故に父のゆりかに対する執着は尋常を期していた。其れ迄相当なスモーカーだったが、ゆりかの喘息を知り辞めた。
父の人生は最早ゆりかの為に存在し、ゆりかの人生は父の物だった。ゆりかの人生は彼女の物であって、彼女の物ではなかった、然し、彼女には当然な事だった。寧ろ彼女には、私が奇妙な存在に映った。
何故なら私は、私の人生を、私の物として生きて居るから。高校も大学も、学部とて私は私で決めた。ゆりかには其れが不思議だったのだろう。
ゆりかの物事に対する決定権は父、父が道を出さなければゆりかは進む所か立ち上がりさえしない。
二人揃ってヘンゼルとグレーテルの様に森に置き去りにされたとしよう、森を世間だと思えば良い。私は如何にかして道を見付け、家を見付けようと躍起するが、ゆりかは座った侭動かない、何故なら、父に“動くな”と云われているからだ。
何なのだ、此の女は。
二人揃って餓死でもしろと云うのか、朽ち果て虫の腹を満たせとでも云うのか。
冗談じゃない。
私の人生は私の物だ、父の物では無い、だから私は、父の助言が無い場合のゆりかの手を引いた。
今回は流石に父の助言は期待出来ない。
ゆりかには、全てに於いて、世間から見て一寸上、でなければならない。
家柄学歴、知性に品性…、ゆりか本人は当然、ゆりかに関わる全ての人間に対して此れは当て嵌まる。
新米弁護士、まあまあ合格ではなかろうか。
「偵察に行ってあげる。」
「本当?嬉しい。」
ゆりかの缶ビールは漸く空になった。
其の一週間後だった、ゆりかが風邪を引いたのは。
チャンスだと思った。私はゆりかに計画を話した。治る迄の間私が代わりに出向く、其れで私が認めれば告白しろ、と。ゆりかは頷き、気管支の凄まじい音を聞かせた。
夏樹は、典型的な日本人顔…所謂醤油顏を持つ男だった。二枚目と云えば二枚目なのだが、頼りない感じがした。雰囲気イケメン、とでも云おうか、いや、イケメンではある。が、もう一つ何かが足りない。何が足りないのかも判らない。
惜しい男であった。
恋人居るか、と聞いたら、え?其れって空想の生き物じゃないの?画面から出て来ない、とか、薄っぺらい、とか、息してない、とか、或いは河童とか土の子とかそんな類のUMA、見た事無い、何処に居るの?恋人って生き物、見付けたら僕に頂戴、大事にするから、探してるんだけど見付かんない、と彼は返した。
笑った。
此の性格ならゆりかを楽しませる事が出来るだろうと安心した。
「大丈夫、彼奴なら安心だ。」
「良かった。」
そう云ったゆりかだが、何故か此の侭私の代わりに働いてくれない?と云った。
理由は此の時判らなかったが、事務所に来て五日目、わたしは身の毛もよだつ洗練を受けた。
其の日事務所は私と所長二人だった。書類整理する所長にお茶を出したのだが、一口飲んだ彼は、静かに私を見ると湯飲みを投げ付けて来た。湯飲みは私に当たらず壁に当たったのだが…ゾッとした。
何が起きたか判らず呆然とした。所長も又、何事も無くパソコンに向いていた。
「え?」
「熱い。玉露は五十度だ。高温で煎れる馬鹿が居るか。」
此れか、ゆりかが“交換”を望んだ理由は。
此れが又陰湿な男で、他の所員が居ると笑顔で受け取り飲む、二人だと此の暴挙に出る。
「失礼致しました。」
「ふん、泣かんのか。詰まらん。」
同じ顔の癖に性格は違うんだな。
所長はそう云い、椅子から立ち上がると破片を拾った。
「私がします。」
「泣かない女に嫌がらせしても意味ねぇよ。」
如何云う意味なのだろう。
其の答えが判らず、ゆりかが治った後でも私は“ゆりか”として働いた。
事務所に来て十日程だろうか、ゆりかが事務所に来た、何故か私の服を着て。

ゆりか、大丈夫?心配で来ちゃった。

一瞬何を云われた判らなかった。
ゆりかは御前で、まどかは私だ。其れが何故逆になるのか。
「あ、まどかちゃんか。」
夏樹の問い掛けにゆりかは笑顔で頷き、益々混乱した。
何故御前が“まどか”を名乗る。
笑顔の“まどか”を見る程、私は私が判らなくなった。
若しかして、私が“ゆりか”なのか?知らない間に“ゆりか”になって居たのか?
幼い頃にリビングで感じた疎外感を全身で感じた。此処に居るのに此処に居ない、ならば私は何処に居る。私は幼少時代、家族団欒をリビングで、テレビを見ている感覚だった。
確かに私は存在するのに、私は常に“客観者”であった。
私は確かに此処に居るのに、ホームドラマを見ている感覚に陥っていた。
アメリカ辺りのホームドラマを、恰も自分の事として見ている…そんな感覚だった。
主人公は勿論ゆりかである。
「如何云う積りだよ、ゆりか。」
「だって、まどかは此れから“私”としてあの事務所で働くんだよ?其れでまどかって、おかしくない?」
「意味が判らない。俺は、御前の後釜であって、影武者じゃない。労働契約者名はゆりかであっても、実質の労働者は俺だ、良いか、俺なんだよ。給料は俺に支払われるし、雇用者側も其れを認識してる。何で御前にならなきゃならない!夏樹になんて説明するんだ、一生東条まどかを名乗るのか?別れたら良い、けど、御前も二十二だろう、弁護士になるんじゃないのか?其の時絶対ばれるぞ、自分が付き合ってたのはゆりかだって。いいや、其れだけなら良いさ、弁護士は“東条ゆりか”なんだから。弁護士になる迄の期間東京を離れたら良いだけなんだから。問題は其処じゃない、結婚を云われたら如何するんだ。え?御前は、“東条まどか”で結婚する気なのか?」
「其の時はちゃんと云う。」
「良いか、ゆりか。俺達は一卵性なんだよ、二卵性じゃない。医学でも、区別が付かないんだ。云うなら、名前でしか、区別が無いんだ。御前が夏樹と一緒に居る時事故に遭って、最悪死んだら、俺が、世の中から消える事になるんだぞ…、其処迄ゆりかになれって云うのか…」
そんなの、冗談じゃない。
あんな父親の思い通りに生きる人生なんて、死んだ方がマシだ。最悪の其の時が来たら、私も“ゆりか”として自殺しよう。
然し中々ゆりかも暢気な女で、二十二年間事故に遭った事無いんだからそう遭わないんじゃない?と云った。
此奴は、一体私をなんだと思って居るのか。
奴隷とでも思って居るのか。冗談ではない。
「所長…」
「あん?どした。」
受話器の向こうの声は、安心感を私に教えた。ずっと此の中に居たいと思う程で、私の手は知れず身体を這った。
「ゆりかが、憎い…」
そうさ私は、始めから私で存在した事等無かった。母の愛情を得る為、父の愛情を得る為、私はゆりかの為に存在した。ゆりかを守れば、存在を認められた、だから私はゆりかに尽くした、依存した。そうしなければ存在出来なかったから、ゆりかが父の望む侭示唆の侭生きる様に、ゆりかは私の人生全てだった。
「そうか…」
所長の声はワインの様に濃密で、容易く私の頭を撹乱させた。
「大嫌い、ゆりかなんて…」
「落ち着け。」
「私は一体なんなの…」


其の時私は誓った、愛してるが故、ゆりかを殺そうと。
彼女の溜め込んだ心の悲鳴に、目を閉じた。 
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