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歪んだ愛

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第2章
  ―1―

菅原に呼び出し受けた和臣は、一人で科学捜査班のある警視庁の八階に向かった。
一見すると病院を思わせる廊下、床に自分が映る。
科学捜査研究所、と打たれたドアーを和臣は叩き、静かに開けた。此処で一番多いのはパソコンだろう、視界の彼方此方で散らつく。
「申し訳御座いませんでした、菅原先生!」
聞き慣れた声が和臣の耳に入るが姿は無い。視界に入る一面に人影は無く、あるのは専らパソコンだけ。
「せやから、わいがね…?先生ぇ…」
「御許し下さいませ、菅原先生様!」
声だけで、本気で謝ってないのが判る。
辺りを見渡す和臣は、強化硝子で仕切られる休憩室に目を向けた。菅原の顔だけが見え、其の視線は床に向き、表情は鬼に近い。
入り口に立つ黒髪がふっと振り向き、全く何がそんなに悲しいのか、物理担当と目が合った。気付いた男は休憩室から出、和臣に寄る。
長い髪から、花の甘い匂いがした。真っ白で、細い身体、背は和臣より低い。顔も身体付きも女に見え、男と云うのは自分の勘違いなのでは無いかと疑い始めた。名乗られても居ないし、性別も聞いて居ない、唯、一人称が“俺”だったに過ぎない。
矢張り、女なのでは無いか?
其れであれば此の物理担当、かなり和臣の好みのタイプだ。
色白で自分より華奢、縋り付く様な憂い帯びた目元、薄い唇の横でちくはぐな色気を出す黒子…。唆られた。
然し白衣のポケットで揺れるネームプレートにはしっかりと男性名が記され、落胆するしかなかった。
「何か。」
上目で、今にも泣きそうな声で聞いた。
「菅原さんに呼ばれたんですが。」
「嗚呼。でも、少しお待ち頂けますか?」
和臣の頷きに男は菅原の元に行き、耳元で囁くと、釣り上がっていた菅原の目が本来の垂れた形状に戻った。
同じ垂れ目なのに何が違うんだろう。
思っていると、無邪気な笑顔で腕を振られた。鬼の形相で怒っていたんじゃないのかと聞きたいが、切り替えが早い…頭の良い人間だと理解出来る。
部屋から出ようとする菅原、其れに秀一と文書担当の、あの丸眼鏡男が足にしがみ付いた。
「離しなや。」
「いいえ離しません、許される迄しがみ付いてます!」
「ほんま悪いと思てるんですよ。」
足にしがみ付いた侭二人は土下座し、其れが一層菅原の苛立ちを助長させる。
「あー…何かのプレイ?」
「少ぉし待ってんか。」
縋り付く二人の肩を足で突き放し、許せ許さぬを繰り返した。内容は簡単で、菅原愛用の珈琲茶碗が破損した。珈琲を頼まれたのが秀一、運ぶ途中後方を確認せず振り向いた丸眼鏡の腕が当たり、反動でカップは落ちた。そうしたら如何した、責任の擦り付け合いが始まった。注意して振り向け、しっかり持ってろ、そんな言い争いを聞いた菅原はうんざりし、割れた物は仕方無いし、何方に怪我も無いので穏便に事を済ませ様としたのだが二人は煩かった。
カップが割れた事に怒って居るのでは無く、幼稚な思考と和を乱す二人の態度に怒って居た。菅原の雷が落ちた瞬間、条件反射で二人は床にへばり付いた。そうして、十分以上此の状態――と、物理担当が教えて呉れた。
「もう煩い。木島さん来はったから終い。」
「先生ぇ!わい、此れでも考古学者!復元が仕事ですわな!せやから、カップ直しますわ!」
「あっそ、大きにな。」
云って丸眼鏡は破片を拾い集め、和臣を見る事無く休憩室の真向いにある作業室に入った。何もする事の無くなった秀一は、和臣と話す準備をする菅原を正座した侭見る事しか出来ず、其れを物理担当が、哀れむ目で見ていた。
「何見てるんだよ。」
「床、拭かはったら?」
「御前が拭けば。」
「何で。俺一個も関係無いですよ。」
底意地の悪さと云おうか、物理担当の歪な笑顔に秀一は白衣を脱ぎ、黒い模様を描く白い床に置いた。
「ほら此処も、散ってるわな。」
立った侭足先を飛沫飛ぶ机に向け、此処此処と指摘する。
「俺のデスク、汚さんと。何時も云うてる。」
「…悪かったよ!」
拭き終わった秀一は立ち上がり、珈琲に汚れた白衣をゴミ箱に叩き付けた。
「御満足頂けましたでしょうか、侑徒(ゆうと)様!」
身長は秀一の方が十センチばかし高いのに、明らかに物理担当に見下されている感じが否めない。鬱々とした垂れ目が、蛙を睨み付ける蛇の様な目を窺う。物理担当は何も云わず、自分のデスクに座るとカチン、カチンとニュートンボールを動かした。其の横には林檎がある。三つあるパソコンの画面には物理の法則を用いったスウィッチ動画が流れている。其の画面の動きを、此れ、一番最初来た時にも気になってはいたが、純白の猫が青い眼で追う。時折小さな手で画面を叩く。
「お待ちどう、木島さん。」
菅原の声に和臣は物理担当から目を離し、其れを秀一に指摘された。
「見過ぎだろう、和臣。」
「ピタゴラ装置…、後猫…。何で猫が居るんだ…」
決して物理担当の男を見ていた訳では無いと弁解した。
だって、男じゃないか…
そら女であれば弁解しない。素直に見ていたと云えるが、相手は男。振り向いた顔に和臣は顔を逸らし、菅原の後を追った。ケラケラと秀一は笑い、鞄から新しい白衣を取り出した。 
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