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歪んだ愛

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第1章
  ―6―

床に伸びた加納を動かすか如何か和臣は迷ったが、研究員誰一人として加納を気には止めなかった。加納を失神させた張本人でさえも。後から入って来た研究員も、入り口に居る加納を居ないものとし、跨ぎ自分の席に座って居た。一人だけ、日本人形の様な顔付をした研究員が、コンビニ袋をぶら下げた侭入り口で倒れる加納を気に掛けた。気に掛けた、と云う依りは、人を跨ぐ、と云う行為に躊躇いを見せ、両腕を持ちズルズルと廊下に引き摺った。
所謂休憩室と云われる場所に通された和臣は、ペンを弄る男をじっとを見た。
長谷川 秀一(しゅういつ)、此の科学捜査研究所の化学分野担当の化学者。
和臣とは高校時代の同級生で、此の時から秀一の奇怪な行動は目立って居た。
先程出したペンは“ショックペン”と云い、一見するとノック式のペンなのだが、うっかり其のノックを押すと電気が流れるという、一般販売されてはいるが危険なジョーク商品である。秀一は昔から改良した此のショックペンを持ち歩き、事ある毎に電気を流していた。
違う大学に進学したので、今の今迄、思い出しもしなかったが其の危なさだけは記憶する。
出来れば二度と会いたくなかった。知り合いとも思われたくない、況してや友人……、「なんや、知り合いか?」と訪ねた菅原に秀一はすかさず「親友」と返した。
弁解も、したく無い。出来る事なら早く帰りたい。和臣は極力秀一を見ない様にし、然し、爬虫類を連想させる秀一の目は和臣から離れなかった。
「そろそろ、男に目覚めたか?」
「……いや…」
一番弱い電圧で自分の手の平にペンを刺す秀一、行動も奇怪であれば発言も奇怪だ。
「そろそろ、の意味が判らないんだけど…」
人生一度として、男に興味持った事も無ければ、好意抱いた事も無い。好意寄せられた事さえ無い。
菅原と和臣が紙コップで珈琲を飲むのに対し、秀一はビーカーで飲む、全てが奇怪だった。
「なんで、ビーカー使ってるんだ…?」
「フラスコは飲み難くてね。先が細いから熱いのがどばーって来ちゃうだろう。」
「そうなの、先生…」
秀一に話し掛けるのが嫌な和臣は、東条まどかの資料を真剣な目で見る菅原に向いた。垂れた目が一瞬だけ和臣を捉え、さあ、と流された。
何時帰れば良いのか、菅原が望んだ資料は渡したのだから帰って良い筈、然し気絶する加納を連れて帰るのも面倒臭い。起きる迄居様と思うのだが、此処に居る程精神が病んで行きそうだった。
一番まともに見えるのは菅原。彼は資料に目を通すだけで大人しい。
暇な和臣は一人一人、菅原が口を開く迄研究員を観察した。其の間に加納が目を覚ます事を祈った。
目の前の奇人は、もう見ない事にした。見なくても変なのに変わりはない。
休憩室から一番近い席、インカムを付けた丸眼鏡の男。電話しているのか、机の回りをうろうろし乍ら関西弁を喚き散らして居る。机にあるパソコンと手に持つタブレットを操り、誰が頼んだこんな写真、鮮明解析した画像送れぇ言うたやろが、此のクズ、はあ?其れ御前の仕事ちゃうんか、何の為の解析医や、死ねや、と口が悪い。
其の横、顔のパーツ全てが垂れ下がる女なのか男なのか判らない人物。眉も目も垂れ、口角迄下がる、何がそんなに悲しいの?と聞きたい。見てる和臣の眉迄下がってしまう。大人しく、世界一有名であろう物理の法則を用いる玩具…ニュートンボールと呼ばれる其の球の動きを、無表情で眺める。
そして其の後ろの席、女顔だが男なのははっきりする、ヘッドホンを付けた男がマリリンマンソンをノリノリで歌っている。何の為にヘッドホンを付けて居るのか判らない。
「煩いねん!こっち電話してんのよ!」
丸眼鏡の男がヘッドホンを奪い取り、床に叩き付けた。大きな目がかっと見開かれ、インカムを奪うと同じに床に叩き付けた。
「黙れ丸眼鏡!僕に指図して良いのは宗一だけだ!」
「先生ぇ!何とか言うたって下さいよ!朝からずっと歌いよるんですわ!」
二人の喚きに資料から目を離した菅原はうんざりと白目向き、ばん、と足でドアーを閉めた。ついで、邪魔で仕様が無い秀一も追い出した。秀一は何故追い出されたのか判らず、暫くドアーの前で威嚇をして居たが、菅原に相手にされないと判り大人しく自分の椅子に座った。
「木島さん。」
「はい、何でしょう。」
奇人の観察をして居た和臣は背筋伸ばし菅原に向いた。あの猛獣に近い秀一を一瞬で黙らせたので、只者では無いと本能が教えた。
四十代後半だが実年齢より十は老けて見える菅原、垂れた目尻に刻まれる皺には老いよりも貫禄が勝り、此の研究所の主任であり奇人達を纏めるには相応しい顔付きである。面長の馬面…間延びした顔と云えば其れ迄だが、けれど悪くは無い。四十代後半で若々しさを保たれても怖い。
「東条まどか、双子か。」
丸眼鏡と似たイントネーション、だが全く違う。
「はい、東条ゆりかと云い…」
「嗚呼、そんな書いてある情報はよぅ要らん。無い情報寄越し。」
菅原が自らの目で見、書いた解剖記録書にペンを立てる。
「無い、情報…?」
「そ。書いてあるモン聞いても意味無いわな、なんで俺があんさん呼び出したか。其の吊り上がった愛らしい猫目で見て、感じた事聞きたいからやないか。」
正反対の目が和臣を捉え、上着の内ポケットから煙草を取り出した。
「御免、此処、精密な分析せなあかん場所やから禁煙なんやけど。」
「安心して下さい、此れ、電子煙草です。唯の蒸気です。」
「ならええけど。」
最近は、何処も彼処も禁煙で、其れが悪いとは云わない。今迄が横暴過ぎたのだ。だからと云って今更辞める意思も根性も無い和臣は、吸えない場所ではこうした擬似喫煙器具を用いった。其れでも「不愉快だ」「非常識だ」と云われたら仕舞う。菅原は喫煙者なのか、解析に影響が無いならと許可した。
「俺の目から見て、此の二人は一卵性だが、全く違う人物だと捉えた。俺は医学に詳しくないから判らないですが、一卵性でも性格は違うんでしょう?」
「当たり前やろ。染色体が同じでも、極端な話、生まれた時から別々の場所で引き離して育てたら、全く違う人格になるわ。ええか?人格て云うんは、育った環境で決まるんや。染色体が人格を作るんやない、環境、思考が人格を形成するんや。染色体で人格が決まるんやったら、なんで染色体の違う兄弟で人格が似たりするんや?親子で似るんや?そういう事や。世の中、一卵性やぁ云うだけで全く同じやと思う阿保もおるしやな。一卵性かて、先入観だけで見るから同じに見えるんや、ほんまは全然違う。母親や恋人が一卵性の二人を一発で見抜けるんが其れや。違うんや、染色体が同じでも、雰囲気がな。後、九割の確率で違うんが一つだけある。」
味気無い蒸気を口から出し乍ら和臣は菅原の話を黙って聞いた。
「歯型や。」
「歯型…」
「此れだけは、年齢が高くなるに連れ、かなりの確率で変わる。幼少期…詰まり乳歯期の時全く同じ歯型でも、永久歯に生え変わり、治療を繰り返す事で人格よりもはっきりとした違いが出る。一卵性の場合、一方の親知らずが抜かず、一方の親知らずが一本でも抜かれた跡があれば、此れは完全に違う人物と特定される、此れは判るやろ?虫歯の治療もそうや、全く同じ場所に出来るなんてあり得へん。歯型と治療跡、遺体との形状照合で人物を特定する。そして俺等は、歯のエナメル質迄検査する。歯肉の減り加減からもな。だから、例え一卵性でも、口の中を見れば一発や。詰まり俺が何を言いたいか。」
御前にはもう判ってるだろう?と菅原の楽しそうな垂れた目が語り掛ける。
「俺等の直感は、正しかった…」
「東条まどかは、東条ゆりか、以外居てへん。」
「やっぱり…」
「何処ですり替わったかは判らん、いや、本当に、東条まどかなんやろうけど、東条まどかが故意に東条ゆりかになっとった可能性がある。」
「済まないが、判り易く説明して頂けないだろうか。」
和臣は初めてゆりかに会った時、此奴がまどかでは無いか、と思った。思ったのは部屋。だが、疑問もあった、此の現代で一卵性だからという理由で警察が遺体の人物を間違える筈が無い。DNA検査という未知の科学捜査に繰り出した八十年代なら未だしも、こんな科学や医学が発展した現代で其れは無いと云える。
此の混乱を生じさせた答えは一つ。東条まどかが自ら“東条ゆりか”を名乗って居た事。

――まどかさんは、何時も貴女の真似をしてらっしゃいませんでした?
――そうかも、知れません…

加納とゆりかの会話が思い出された。
「そんな事って、あり得るのか…?」
人は誰しも、自分に無い人格を羨望する生き物である。自分より秀でた人間を尊敬し、女で云うならメイクやファッション、行動を真似る。
東条まどかは其れだったのか?
「依存性人格障害。」
和臣と菅原の紙コップに珈琲を注ぎ足す、あのヘッドホンを付けて居た研究員が言葉を足した。
「東条まどかは其の可能性が高いです。」
にっこりと、少女みたくあどけない笑顔で男は答えた。肩に掛けられた侭のヘッドホンから音漏れがする。
「依存性人格障害?」
「はい。自分に自信が無い人間が自信を付ける為、強い、や、羨望する人間の行動、言動を真似る事で、恰も自分が其の人物だと思い込む人格障害です。そうすれば、弱い自分は見えないでしょう?」
お砂糖は?と聞かれたので首を振った。
「ええと…」
「失礼、菅原です。菅原、時一(ときいつ)と申します。此処で心理分析を担当する精神科医です。」
「親子、か?」
菅原と、紹介受けた時一と言う男を交互に指し、和臣は聞いた。
「まさか。此奴は童顔なだけで、三十半ばや。」
「何時も二十代半ばに見られてしまうんですけどね…、三十六です。」
「俺より年上なのか…」
「そうなんですか?御若く見えますね。」
「俺も童顔なんだ。」
「ええ、辛いですよね。」
時一はクスクス笑い、菅原を見た。菅原は静かに椅子を引き、其処に時一を座らせた。
「僭越乍ら、同席させて頂きます。」
「何を今更謙遜を。」
「ふふ、恐縮です。さて、木島さん。依存性人格障害の事ですが。」
時一は其の愛らしい顔とは似合わない骨張った指を二本、人差し指と親指を立てて見せた。
特徴として挙げられるのが、依存性と不安感の強い行動表示、と時一は云う。
「此れは、幼少期に母親から強い疎外感を覚えた場合、発症率が高い傾向にあります。東条まどかさん、彼女は一卵性双生児で、幼少期、ゆりかさんと比べられた可能性があります。例えばゆりかさんが抜きん出た優等生で、まどかさんは一般から見て普通ですが、ゆりかさんが抜きん出ているばかりに、双子なのにと、況してや一卵性です、違う二人に母親がより優秀なゆりかさんばかり贔屓、期待した…此の場合、母親の意識はゆりかさんに向き、母親にそんな積もりは無くとも、まどかさんは疎外感を覚えます。其れが続くと、どうせ自分はゆりかに勝てない、そう思い、ゆりかさんを羨望し、ゆりかさんと同じになれば母親から必要とされる、と認識します、そして、ゆりかさん其のものになろうと、言動、行動、癖迄もコピーし、依存します。そういうの、ありませんでしたか?」
紙コップに口を付けて居た和臣は、なんでたった此れだけの事で此処迄判るんだ、とゆりかから聞いた話を時一にした。
母親がゆりかを贔屓し育てたかは判らない、何方かと云うと、母親はまどかの方を愛して居た様に思う。
まどかの真似をしたゆりかに、ほんのり笑顔を見せた母親…其れが和臣を悩ませた。
「家具、そして配置迄も真似る…。宗一、東条まどかはかなり依存性が高い。」
「でもな、菅原さん、ええと、心理の方。」
「時一で良いです。」
「時一さん、俺の目から見て劣等生はゆりかだったぞ。」
「と、仰いますと。」
「ゆりかの方がまどかを羨望して居た。様に思う…」
「いいえ、此れははっきり判ります、東条まどかの方が、極めて高い依存傾向にあります。」
何故?
聞いた和臣に時一は、和臣の手帳を指差した。
「夏樹冬馬、彼が、東条まどかのキーパーソンです。ゆりかさんと比べられて居たまどかさんは、此の夏樹冬馬と言う男に依って、人格を認められた可能性が高いです。先程菅原先生が仰った様に、一卵性と言っても別物です。顔も違ければ、性格も違う…。凶悪と云われる犯罪者のDNAは一緒か…?違いますよね?似るのは育った環境と、其れに依って形成された思考と人格。染色体が決めるんじゃありません、環境です、環境が人格に影響を与える。夏樹冬馬は、其れをまどかさんに教えた、君はゆりかでは無い、もっと素晴らしい女性だと。もっと詳しく調べて下さい、東条まどかと、夏樹冬馬を。まどかさんは随分と化粧が濃いんですよね?僕の予想です、夏樹冬馬に出会った時期から其れが始まったと思います。変貌が始まった時期と、夏樹冬馬の女性の趣味です。此処迄依存性の高い方ですから、夏樹冬馬の趣味が如実に再現されて居ると思います。後身丈に合わないブランド嗜好、此れも自信の無さが関係します。ハイブランドと呼ばれる其れを身に付ける事に依って、自我を保って居ます。」
珈琲を飲む事も忘れ、和臣は呆気に取られた。思い出した様に珈琲を飲むと、湯気立っていた其れは生温く、芳香依りも苦味を主張した。
指に挟まる煙草、此れが本物の煙草なら吸われる事なくフィルター迄しっかり焼けていただろう。
パン、パン、パン。
菅原の乾いた拍手が休憩室にゆっくりと響いた。
「御見事だ、菅原君。其れでこそ私の助手。」
「差し出がましい真似を…、然し恐縮です、先生。」
一礼した時一に満足見せた菅原は和臣に向き、其の、老いと青い血管と骨が浮く手で顔の半分を隠した。
「捜査権は、木島はん、あんた等に移すわ。」
「え…?」
「本庁、いうてもな、こっちが分析せぇへんいうたら、案外大人しゅうなるもんなんよ。」
にやりと、菅原の口角が上がった。
「僕達は、警視庁勤務ではありますが鑑識と違い、一般業務なんですよ。当然、警察官ではありません。警察が、一般人の有能な知識を拝借、って感じです。」
「自分等が手に負えへんモンをこっちに回してるんや、職務怠慢言うて解雇するならしな。鑑識と違ぅて俺等は本職があるんやわ。」
「僕は私立医大の籍がありますし、菅原先生にも御座います。」
「首になった所で痛くも痒くも無い、此の職務に就く倍率、考えたら従うわ。俺等が全員辞めたら…、警視庁の科捜研は機能停止する。鑑識が有能なら問題無い、けど見て見てみぃ、七割は俺等に来るわな。此処におる全員そうや。あの丸眼鏡にかて受け皿がある、物理の奴にかてある。せやろ、長谷川。」
「仰る通り、菅原先生。俺には此の頭脳を、涎垂らし待ち受ける研究所が世界中にごまん存在する。博士号って、役に立つんだよ?和臣。」
にんまりと、蛇が獲物を見付けた様子で笑う秀一がドアーに居た。
「わいかて文書分析医やけど、元は、ちゅーか基本が考古学者や。此処から破門されても、わいには元居てた場所がある。問題無いねん。」
丸眼鏡が、野生の誠の王者は自分だと言わしめんばかりの虎の眼光で和臣を射抜いた。
「ええ、俺にも、偶々受けて受かっただけですので、余生過ごすには充分な場所がありますから。問題ありません。」
ニュートンボールを無表情で眺めて居た奴が…一人称で男と判った物理担当医が妖艶に、其の漆黒の髪を顔にはらりと掛け云った。
和臣の口角は、無意識に吊り上がった。
「頼もしいな…」
「せやろ?もっと頼ってええよ。」
「怖いよ、京都男。」
「あれ、俺が京都てよぅ判ったな。」
菅原は笑い、和臣の持つ電子煙草を吹かした。
「判るよ、其処の大阪の丸眼鏡とニュアンスが全然違うもん。」
「ほんまぁ?嬉しいなぁ、いっつも間違えられんのよぉ、丸眼鏡と。」
「そうそう、科捜研の関西弁、え?何方?て。」
「全然違うんになぁ。」
「おっしゃ、益々加勢する気起きたわ。任せとき。本庁ぎゃふんと言わせたるで。初めてや、東京来て間違えられんかったの!其れで無くともわい京都寄りの方言なのに!」
「主任辞めたら元も子も無いのんな。」
「せやな、先生ぇ。」
「そやなぁ。」
二人の笑い声に和臣は釣られて笑い、ううんと入り口付近から加納の呻きが聞こえた。
「良いだろう、変人も。」
秀一の問い掛けに和臣は頷くしかなかった。
奇人は総じて、権力者に楯突く。
知らない筈が無い、本庁の風雲児と呼ばれた加納がそうなのだから。 
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