立派な魔法使い 偉大な悪魔
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第四章 『再会』
体の奥底から魔力が引きずり出されるような感覚に、ダンテはとらわれていた。ダンテはその、血が逆流しているかのような独特の感覚を知っている。
互いに偉大な父の血を引きながらも、かつて袂を分かち幾度となく殺し合った兄の魂の慟哭。力だけを追い求めたその悲痛なまでの魂の叫びに、ダンテの魂が呼応しているのだ。
しかし、それはもはやありえないことだ。なぜなら、バージルは6年前のマレット島で、母の形見であるアミュレットを残して文字通り跡形もなく霧散して死んだからだ。なにより、そのバージルを手にかけたのは、他でもないダンテだった。バージルの死は、ダンテが一番知っている。
だがダンテの魂は、兄バージルの存在を克明に感じ取っていた。魂に導かれるまま、ダンテの双眸は氷の一角へ向けられていた。
ダンテの燃え上がるように赤いコートとは対照的な、凍てつくような青いコート。ダンテの降ろされている銀色の髪とは対照的に、撫で付けられた銀色の髪。ダンテが携える両刃の大剣とは対照的な片刃の刀。ダンテとは対照的なその姿は、間違いない。バージルだ。
しかしその顔は石像のように白く、血管であろう青い筋が幾つも怒張している。さらにその目は、赤々とした妖光を放っている。よもやその姿顔立ちは、ダンテと双子であるとは思えないものだった。
その姿を見たダンテの脳裏に、6年前の記憶がフラッシュバックした。
黒い天使の名を持つ騎士。湧いて出てくる掃きだめのような悪魔達の中でも、それだけは異彩を放っていた。なぜなら、本能に忠実に生きる者が多い悪魔という種族の中で、誇りを持って戦っていたからだ。言葉を交わしたわけではない。しかしダンテはそれを感じ取り、剣を交えて確信していた。
そして玉座とも舞台とも思わせる部屋で彼等は対峙していた。それまでの二度の戦いでは、辛くもダンテが勝利してきた。そして三度目の戦い。全力で戦うため、魔力を解放させ、騎士は今まで付けていた仮面を遂に取った。その仮面の下にあった顔は、今ダンテが見ているバージルのそれと全く同じ。
死んだはずのバージルがなぜいるのか、正確に言えば“誰”がバージルを蘇らせたのか、ダンテは直ぐに分かった。ダンテがその者の名を口に するより前に、バージルは動いていた。
半身を引き、腰を据える構え。それはバージルが得意としていた、居合いの構えだ。
バージルが手にしていた魔刀"閻魔刀“の鯉口が音もなく切られ、白刃が走る。一目には虚空を一閃したようにしか見えない。しかし次の瞬間、そびえ立つ『終わりなく白き九天』の氷が切り刻まれた。そして――。
「な、なんだ!?」
桜咲刹那や龍宮真那も合流し、“神楽坂明日菜”の人格の覚醒まであと少しというところまで来ていた千雨達が、突然の出来事に驚き、声をあげた。祭壇を覆う結界とその内側に広がっていた樹霊結界が、ものの見事に両断されたのである。自分たちが必死になっても解けなかった二つの結界が、何ら抵抗なく切り捨てられる光景を見れば、いったい何が起こったのか分からなくても無理はない。
そしてそれだけではなかった。明日菜の側に、突然造物主が姿を現したのだ。
それを視認した刹那は一足飛びに距離を縮めた。自分を親友と言ってくれる明日菜を、無二の友を造物主の手に渡すわけにはいかない。
刹那の太刀である夕凪に雷が走る。神鳴流の剣技の一つである、雷光を伴った斬撃――雷光剣を、刹那は造物主の正面へと切り付けた。そしてほぼ同時に造物主の背後からも、雷光が走った。
造物主の動きを察知した詠春とクルトが、同様に止めに入ったのである。さらに近衛右門の掌底やタカミチの無音拳、アルの重力魔法も造物主を襲った。龍宮 はバレットM82を取り出し、魔力を弾丸へ篭めていた。そして衝撃といえる程の反動とともに、魔力の光が混じったマズルフラッシュが立て続けに噴き出し、 弾丸が打ち出された。
まさに怒涛の攻撃。その破壊力は、造物主の結界を一度破壊したネギの四方からの障壁突破技と『千雷招来』の猛攻に迫るものだ。これなら、造物主の結界を突破してもおかしくはないはずだった。だが、障壁を破壊するどころか、攻撃は全て障壁に阻まれてしまった。造物主の障壁は、さらに堅牢さを増していたのである。
「硬い! ならば……『来れ(アデアット)』!」
障壁に弾かれ、距離をとった刹那が悪態をつきつつ、木乃香との仮契約で得たアーティファクト『建御雷』を呼び出した。すると古い石剣が刹那の手に現れる。
「お嬢様、お願いします!」
刹那の声に、木乃香は『建御雷』へ魔力を充填し始めた。すると、それまで石の剣であった『建御雷』が巨大化し、雷のように光る刀身が現れた。
「アスナさんは絶対に渡さない!」
そして右手に夕凪、左手に『建御雷』を持った刹那は、再び造物主へ駆け出した。
一方、エヴァンジェリンは瞬動でバージルを間合いに捉えていた。
先程の『終わりなく白き九天』を斬った斬撃を見た限り、剣速は詠春よりも速かった。神鳴流の現当主である詠春の剣は、他とは一線を画す。その詠春よりも 速い剣速となれば、まさに神速。エヴァンジェリンと言えどもそれなりに厄介だろう。そのため、再びその神速の剣を出されるよりも前に、瞬動により先手を 打ったのだ。
エヴァンジェリンが瞬動の惰性のままに閻魔刀の柄尻を押さえた。刀を抜けないようにするためだ。そしてバージルの頭部へ、首を容易に刈り取ってしまうような威力の蹴りを繰り出した。対してバージルは、右腕を振りかざしただけだった。
そしてエヴァンジェリンの蹴撃が、バージルの右腕へ直撃した。その瞬間、腕とは到底思えない程の硬質な感触が、エヴァンジェリンの脚に返ってきた。バー ジルはエヴァンジェリンの蹴りが入る刹那の時、右腕へ魔力を集中させ、硬質化させたのだ。 肉体が打ち合ったとは思えない音とともに、エヴァンジェリンの蹴りは大きく弾かれていた。
蹴りを弾かれたことで態勢が崩れたエヴァンジェリンだったが、更にそこから変型の踵落としを見舞う。並の者なら反応すらできないだろう。
しかしバージルは、エヴァンジェリンが態勢を崩したことで自由になった閻魔刀の鞘を当て、またもやエヴァンジェリンの脚を弾いた。さらにバージルは体を 一度捻り、いわゆる回し蹴りをエヴァンジェリンの胴体に入れた。エヴァンジェリンは寸前に腕を挟んだ事で直撃を避けた。しかし骨が折れる音とともに、エ ヴァンジェリンは吹き飛ばされてしまう。
「ッ! リク・ラク・ラ・ラック・ライラック『来たれ、氷精、闇の精!」
舌打ちをしつつも空中で態勢を立て直したエヴァンジェリンは、氷の上へ着地する。そして同時に、詠唱を完了した『闇の吹雪』を放とうとするが――エヴァンジェリンの前には、バージルがいた。既に閻魔刀の刀身は半分抜かれている。
(なッ……に!)
エヴァンジェリンはバージルの接近に気を払っていなかった訳ではない。いや、むしろバージルの動向を捉えていた。というのも術を行使する時というのは、大きな隙が生じやすいからだ。しかしエヴァンジェリンはバージルの接近に気が付かなかった。
これはまさに致命的なことだ。現に鞘から解き放たれた白刃は、エヴァンジェリンへ迫ってーいた。閻魔刀は魔を喰らい尽くす魔剣である。エヴァンジェリンは不死身であるが、それでも相当なダメージを負ってしまうだろう。もう刃がエヴァンジェリンへ届こうとした時だった。
閻魔刀が甲高い金属音を立てて、赤い影と衝突した。それは、エヴァンジェリンとバージルの間に割って入ってきた、ダンテだった。
閻魔刀とリベリオン。二本の魔剣が、幾年の月日を経て再び交わった。それはまた、ダンテとバージルの再会を、端的に表していた。
しかし、二人の間に会話は無く、ダンテの青い目とバージルの赤い目が、互いを見据えているだけだった。そして刃を交えたのも束の間、二人は飛びのいて距離をとった。
ダンテはリベリオンを構えも仕舞いもせずに、ため息を一つついた。
「しばらく見ないうちにまた随分なナリになったじゃねぇか。気難しく眉間に皺寄せてた方がらしかったぜ」
自身の眉間を指で叩きながらダンテは、相変わらずの口ぶりで、まったくの無表情のバージルに話し掛けた。いつ以来であろう? 最後にバージルの姿を見た のは4年前のマレット島であり、最後に声を聞いたのは8年前のテメンニグルである。もはや会うことはないはずだった、兄弟の再会に――バージルは何も返さ なかった。
ゆっくりと閻魔刀を鞘に戻すと、踵を返し歩いていく。ダンテもバージルに倣ったかのようにリベリオンを仕舞いながら、言葉を続けた。
「おいおい。いくら柄じゃないからって、一言もなしか? 兄弟の“感動の再会”ってやつだろ? ……バージル」
名前に反応したのか、バージルは歩みを止め、半身だけ振り返った。赤い目はダンテを見つめている。無表情な顔に浮かぶ妖しく光る眼が、一層妖艶な不気味さを醸し出していた。
そこへ黒い影が降り立った。それは、身に纏う黒衣をはためかせながら、優雅に降りてきた造物主だった。傍らには概念結界に包まれ、眠ったように目を伏せている明日菜が浮いていた。
「神楽坂!」
エヴァンジェリンが指先に小型化した『断罪の剣』を爪のように精製し、造物主へ迫る。
「yeah!」
ダンテが地面を滑るように駆け、リベリオンの切っ先に魔力を上乗せして突き出す。
エヴァンジェリンの青白い軌道とダンテの赤い軌道が造物主の障壁を捉えた。しかし次の瞬間、二人は弾き飛ばされていた。
「流石我が娘だ。良い魔法使いになった。だが、子が親を越える道理はない」
着地したエヴァンジェリンへ、黒衣の一部から精製した槍を造物主へ投げつけた。エヴァンジェリンは弾き落とそうとするが、間に入ったダンテが投擲された槍をリベリオンで弾いた。宙へ舞った投擲槍は氷面へ突き刺さり、すぐに霧散した。
「これもまた、因果か」
そう呟いた造物主は、懐から何かを取り出した。それは多面体の鉱物の様な物で、各面には幾何学的な模様が浮かんでいた。ダンテはその物体を、マレット島で一度手にしていた。
それは卑金属を金へと変えるとされ、中世では、錬金術師達が求め研究した神秘の霊薬『賢者の石』だ。
しかしマレット島では、『賢者の石』は卑金属を金へと変えるためではなく、魔界への扉を開くための鍵として使用されていた。今から造物主が何をしようとしているのか、ダンテが気が付いたときには遅かった。
造物主の手にある賢者の石から、神々しくも妖しい光が洩れだす。そして造物主の手を離れ上空へと浮かび上がっていき、一層強い妖光が放たれた。すると、墓守り人の宮殿の上空に、裂け目が現れた。そこからは爛れるような障気を伴った濃厚な魔力が溢れ出し、その先には、魔法世界とも人間界とも違う世界、魔界の姿が広がっている。
「あれは、魔界か?」
その様子を見上げていたエヴァンジェリンが呟く。だがダンテはエヴァンジェリンの言葉に肯定も否定も返さず、その裂け目を凝視していた。なぜなら、流れ込んでくる魔力の大波の中に、赤い三つの光が浮かんでいたからだ。その赤い光を、ダンテはいやと言うほど知っていた。
「……もう復活しやがったか」
ダンテの拳に力が篭る。それもそのはずだ。あの赤い三つの光は、母を殺した仇であり、4年前に自身が封印したはずの、魔界の帝王のものだ。それが復活したのである。
「スパーダの息子」
その時、造物主の声が響き、ダンテにかけられた。
(スパーダ?)
その単語にエヴァンジェリンは引っ掛かったが、造物主の言葉は続いた。
「貴様がここにいるのも一つの因果だ。貴様もこの先へ来るが良い。待っているぞ」
そう言った造物主が、その空間の裂け目へ近づいていく。
「奴め、魔界へ逃げる気か!」
造物主の動きを見たエヴァンジェリンが、そうはさせないと動こうとする。
エヴァンジェリンは、呪いにより麻帆良学園の外には出ることが出来ない。この場所は麻帆良学園と空間的に繋がっているために出てこられたが、このまま魔界 へは行くことは出来ないだろう。そのためにエヴァンジェリンは、造物主が魔界に逃れるより前に決着をつけようとしたのだ。
しかしダンテがエヴァンジェリンの前に手を伸ばし、それを制した。
エヴァンジェリンが、「邪魔だ」と言うようにダンテを睨みつける。実際、エヴァンジェリンにとって、ダンテのその行動は邪魔以外の何物でもなかった。そのままエヴァンジェリンに切り捨てられても、なんらおかしくはない。しかしダンテはエヴァンジェリンに一瞥もくれずに、少し自嘲的な口調で造物主へ口を開いた。
「ここで親父の名前が出てくるとはな。まったく、親父の名前が出てくるときはろくな事がないな」
そして直ぐさまダンテの口調が変わった。飄々としたものでも茶々を入れるものでもなく、真剣な鋭い口調に。また、眼光も一変していた。見る者を魅入り、全てを喰らい尽くしてしまいそうなその目は、まさに“悪魔”のものだ。深淵を体現したその目に、エヴァンジェリンですら一瞬悪寒が走った程だ。
「心配しなくても狩りに行ってやるよ。ムンドゥス共々な」
それを聞いた造物主は僅かに口角を上げた。そして流れ込む魔力の波をものともせずに、明日菜と共に魔界の裂け目へ入っていった。そしてそれに続くように、バージルも、父の故郷である魔界へと消えていった。
造物主やバージルが明日菜と共に居なくなった墓守り人の宮殿では、『白き翼』の面々やエヴァンジェリン達は一度集まっていた。造物主達が魔界へ引き上げた上に、肝心のネギが行動不能なこともあり、今からどうするべきか決めるためでもあった。
しかしエヴァンジェリンは開口一番に、ダンテの素性を問いただしていた。
「まずは貴様の正体を教えろ」
「うむ、敵ではなさそうであるとはいえ、確かに素性くらいは教えて欲しいところでござるな」
ダンテの素性を明かすことについてについて、長瀬楓も同意する。楓だけでなく、ここにいるほとんどの者が、ダンテが何者か知りたいようだった。
だがダンテは一言「ダンテだ」と言うと、ちょうどいい高さの岩に腰掛けた。そしてアルの方へ目線を向け、ようやく口を開いた。
「そいつが俺について知ってるみたいだから、俺じゃなくてそいつに聞いてみたらいいんじゃねぇか?」
ダンテは、自分が何者なのか自分で喋ってもよかったと思っていた。しかし、アルへそれを任せようとしたのは、自身の事について知っている口ぶりをしていたアルが、どれ程自分を知っているのか、どのように認識しているのか、というのを知りたかったからだ。
「チッ、おいアルビオレイ・イマ。貴様こいつの事を知ってるみたいだったな。洗いざらい喋れ」
アルはダンテの方をチラッと見た。先程はダンテが話すように促したが、一応話しても良いか、と伺っているようだ。対してダンテは無言だったが、アルはそれを了承と捉えて話しはじめた。
「彼は2000年程前に、旧世界を魔界の侵略から救った、伝説の魔剣士のご子息です。そして彼自身も、4年前に復活した魔界の帝王を封印したお方です」
それを聞いたエヴァンジェリンは、怪訝な表情を浮かべてダンテを見た。まさか魔帝を再度封印したのが、目の前にいるダンテだとは思ってなかったからだ。
「私も会ったことは無かったが、噂はかねがね耳にしているよ。こちらの世界では有名だからな」
含みを持たせ、少し強調した龍宮真那の言葉にダンテが反応した。いや言葉だけではない。龍宮が放つ気配もあった。
(半分か)
自身と同じ境遇の龍宮に興味を抱いたのか、ダンテはリベリオンを弄る手を止めて、龍宮の顔を見ていた。だがそれは、千雨の言葉で中断される。
「それで、伝説の魔剣士とやらの息子さんが、どうしてこんなとこにいるんだ? たまたま通りがけって事はないだろ?」
当然、通りがけにネギを助け、造物主と戦ったわけではないことぐらい千雨は分かっていた。わざわざ伝説の魔剣士の息子で、魔帝を封印した男がここへきたのだ。何の目的でここにいるのか知りたいし、なにより嫌な予感しかしないからだ。
ダンテがそれに答えようとした。しかし横から入ってきたザジの言葉に、遮られてしまった。
「彼をこの地へ招いたのは私です」
それを聞いたエヴァンジェリンは少し意外そうな反応をした。そしてダンテを呼んだ理由をザジへ問い返す。
「貴様が? では聞くが、なぜあいつをここに呼んだ?」
「彼を呼んだのは、造物主がかの魔帝の復活を計画していたからです。魔帝の復活は私達にとっても厄介な事ですから。もっとも、完全ではありませんでしたが、既に復活は果たしていたようですね」
「まてまてまて! 嫌な予感はしてたが、ひょっとして造物主の他に魔帝とかいうやつも相手にしないといけない、とか言わないだろうな!?」
嫌な予感が的中した。造物主と魔帝を相手取るという最悪の可能性が見えてきた事に、千雨がまくし立てていく。
「ただでさえ造物主一人に苦戦してたんだ。そこに魔界の帝王って! 第一ネギ先生だってこの有様なんだぞ!」
千雨が横たわるネギを指差した。千雨の指摘はもっともで、これほどの面子でも倒せなかった造物主に加え、魔界の帝王までも相手にするのは、冗談にしたいようなものである。その上“白き翼”の主戦力であるネギが行動不能では、とてもじゃないが勝ち目は薄い。
しかし、ネギに関しては、エヴァンジェリンから良い知らせが聞こえてきた。
「ぼーやなら気絶しているだけだ。少しすれば目が覚めるだろう。幸い、崩壊までの時間の猶予は出来たみたいだしな」
そう言ったエヴァンジェリンの目線は空にあった。他の者達も同様に空を見上げる。
頭上の空はどんよりとした、黒々しい色合いを浮かべていた。一見すると曇り空の様にも見えるが、実際は全く違う。魔界の障気を多分に含んだ魔力の塊が、空間の裂け目からこんこんと流れ込んでいるのだ。
「魔法世界の崩壊は、魔界から流れてくる魔力で一時的に鈍化しているようですね」
アルビオレイ・イマが裾を口元に当てて、エヴァンジェリンが言った“猶予が出来た”という意味を補足した。
現在、魔法世界各地で発生した魔力の竜巻は動植物問わず全てをチリの様に消し去り、依代の地表が徐々にあらわとなっている。まさに魔法世界は崩壊の一途を辿っていた。
そもそも魔法世界は、火星の大地を依代にして、その表層を覆うように人工的に創造された世界である。地球の四分の一程の表面積しかないものの、それでも一つの惑星に相当する大きさの世界だ。それを創造するには、想像を絶するほどの魔力を要する。そしてその際に使用された魔力が今まで機能し、実に数千年もの間、魔法世界を支えてきたのである。
しかし魔法世界内に存在する魔力の総量は、数千年という年月を経るうちに摩耗し、減退していった。その上、魔法世界の依代である火星には魔力の源である生命がなく、減退していく魔力を補うことが出来ない。そのため、世界を支え維持するための魔力はついに枯渇してしまい、それが魔法世界の崩壊の原因となっていた。
つまり、枯渇してしまった魔法世界の魔力に変わり、魔界から流れ込んできた魔力が魔法世界の形を留める役割になったのだ。
「しかしとても不安定な状態です。魔界との境目が小さくなれば、すぐに崩壊は激化するでしょう」
ゲーテルは、魔法世界の崩壊の鈍化という一見喜ばしい話に、冷静に指摘を入れた。実際、何名かはその話に喜んでいたが、ゲーテルの一言で消沈してしまった。
「それに魔界との境目が拡がれば、魔界の障気が相当入って来てしまいます。それに――」
「“奴ら゛がどんどん涌いて出てくる。イヤってほどな」
ゲーテルの言葉を、それまで興味がなさそうにしていたダンテが奪った。
ゲーテルの言うように、今でも魔界からは魔力だけでなく、障気も大量に流れて来ている。いくら障気に耐性があったとしても、やはり障気は身を蝕んでいく ものである。またここには、障気への耐性がない者もいる。濃い障気に当たりつづけるのは好ましくないどころか危険である。
その上、ダンテの言葉通り、魔界との繋がりが広がれば、魔族、悪魔と呼ばれる者達は容易にこの世界へ流れ込んで来るだろう。それどころか下手をすれば、魔界の一画を支配しているような大悪魔すら出てきかねない。
「つまり私達には時間はない、ということですね?」
刹那が今の状況を一言で表した。崩壊までの時間が少し伸びたからといって、やはり彼女らに許された時間はそう長くはなかった。
「私達の目的は、一人も欠けることなく、全員揃って麻帆良学園に帰ることです。必ず明日菜さんを助け出さなければなりません」
全員が無事に帰ること。それが彼女らの絶対の目的であり、一人でも欠ける事は、あってはならない。明日菜を助けに行くのは、全員にとって当然の事だ。
「だが魔界は、この世界の何倍も危険だぞ? それに私は魔界には行けないからな」
だがエヴァンジェリンから忠告が入った。その上、彼女は魔界へは共に行けないらしい。
「ちょっ! 一番頼りになるあんたが行かないとか有り得ないだろ!」
てっきり一緒に来るものと思っていたらしい千雨が、エヴァンジェリンへ抗議する。
「わ、私に言うな! 原因は馬鹿にかけられた呪いのせいだ! ここに来ているだけでもありがたく思え!」
本来、エヴァンジェリンは、ナギによってかけられた呪いの効力で、学園の外に出ることは出来ない。ここへ来られたのは、この場所が空間的に麻帆良学園と繋がったことで、呪いの精霊が麻帆良学園の一部だと認識したにすぎない。そのため、行動可能な範囲は限られていて、魔界へはほぼ行けないと言っていい。仮に魔界へ行ったとしても、まともに行動出来ないだろう。
「と、とにかく! 神楽坂のやつを助け出したいのなら、魔界へ行く覚悟をしろということだ!」
エヴァンジェリンは強引に話しを戻して、“白き翼“らへ言葉を投げかけた。魔界は、混沌とした無秩序な世界だ。エヴァンジェリンの言う通り、魔界へ足を踏み入れるには、比較にならないほどの覚悟が必要だ。
しかし、彼女らの答え、覚悟は初めから決まっていた。かけがえのない仲間を助けることに躊躇いなど、あるわけがなかった。
「それにダンテさんがいれば心強いです! 是非あなたのお力を! ……ってあれ? ダンテさん?」
刹那がダンテの方を向き、協力を求めようとした。しかし、いつの間にかそこにはダンテの姿はなくなっていた。全員が辺りを見回すが、ダンテの姿はない。
「悪いな、嬢ちゃんたち!」
すると、彼女らの頭上に浮かぶ宮殿から、ダンテの声が聞こえてきた。見上げると、ダンテは宮殿の端に立っているようだ。
「俺は先に行かせて貰うぜ!」
手あげて別れの挨拶をしたダンテは、そのまま宮殿から飛び降りた。そして空中に現れた空間の裂け目へと、吸い込まれるように消えていった。
*
魔法世界と旧世界が繋がったことで発生した魔力の乱流に吸い込まれた『グレード・パル様号』は、まさに今、魔力乱流を抜けようとしていた。四方八方からの魔力の圧力と岩石の衝突でボロボロになった機体は、もういくばくも飛行出来ないほど損傷していた。
「異界境界突破! 下方、麻帆良学園を目視!」
火を司るクゥァルトゥムにより右腕と身体を両断され、さらに胸に風穴を開けられた茶々丸が、船長のハルナに状況を伝える。切断面から覗くコード や、流れ出ているオイルが痛々しいが、『グレート・パル様号』の姿勢をなんとか水平に保つように茶々丸は懸命に動いていた。
「このままあの大通りに不時着! いける!?」
「大丈夫です! 不時着します!」
ハルナが指示を出し、茶々丸がそれに応える。麻帆良学園の中でも大きな通りに向けて『グレード・パル様号』が下降していく。
「着地まで10秒。衝撃に備えて下さい」
茶々丸が着地までの時間をカウントし、二人は衝撃に備える。
「6……5……4」
限界まで来ていた機体の左翼がもげ、なんとか水平に保っていた機体が傾きはじめる。もはや姿勢を直す事もできず、そのまま着地するしかなかった。
「3……2……1」
次の瞬間、全身を突き抜けるような衝撃が走り、地面と機体が削り合う異音と轟音が耳を突いた。機体はそのまま地面を滑ってゆき、ようやく止まった。船体はもはや飛行不可能なほどボロボロになっていたが、なんとか不時着に成功したようだ。
「ったー。なんとか不時着出来たみたいね」
衝撃で頭を打ったのか、頭を抑えながらハルナが身体を起こした。茶々丸も着地の成功に喜んでいた。
「とりあえず外に出るわ!」
そう言うとハルナは船外へ出るための扉を開けようとする。しかし機体が歪んでいるため、扉の開閉が出来なくなっていた。思いっきり扉を蹴っても、結果は同じだった。
「しかたない。『来れ』」
愛船を壊すのは嫌だったが、外へ出るために仕方なく扉を壊す事にしたようだ。ハルナは自身のアーティファクト『落書帝国』を召喚する。
このアーティファクトは、スケッチブックに書いたものをそのままゴーレムとして生み出すものだ。ハルナは作品の一つである『炎の魔人』を召還し、その拳が扉をいとも容易く吹き飛ばした。
「おーいやーなつかし――」
ハルナは久しぶりに帰ってきた麻帆良学園の眺めに、実感はまだ湧かないながらも、懐かしさを覚えていた。魔法世界という非日常的な世界で数多くの亜人種に囲まれ、筆舌に絶えない苦労をしてきたのだ。無理はないだろう。
しかしハルナは、目の前に広がる麻帆良学園の光景に、どこか違和感を覚えた。 麻帆良学園であって、麻帆良学園でない様な違和感。ハルナはその違和感の正体に、すぐに気が付いた。
白黒。白黒の世界だ。色が抜け落ちたような白黒の世界が広がっている。それだけではない。誰も居ないのだ。空から船が落ちて来たというのに、野次馬の一人も、居なかった。見渡すかぎりの無人の世界。
「なに……これ、どういうこと?」
ハルナは心臓が逸るのを感じ、妙に心拍の音が大きく聞こえていた。どこか落ち着かない、胃がどんよりと、重く渦巻いているような感覚にとらわれる。目眩がしているように、世界が歪んで見える。
「――ルナさん! ハルナさん!」
嫌な感覚がハルナを襲う中、船内から茶々丸の声が聞こえてきた。ハッとしたハルナは、急いで茶々丸の元へ駆け付けた。今は一人でいたくはない。誰かと一緒にいたかった。
船内に戻ると、茶々丸はなんとか生きているコンソールを弄っていた。
「ど、どうしたの?」
ハルナが茶々丸へ問い掛ける。恐らく外の事だろうと予測はついていたが、そう聞いた。元の世界に帰ってきたことを否定したくなかったのかもしれない。
「どうやらここは私達がいた世界、旧世界ではないようです」
しかし茶々丸の返答は無情なものだった。分かっていても辛いものだった。
「じゃあここは?」
ハルナの問い掛けに茶々丸は、少しコンソールを操作した。すると、大小2つの立体的な球体が、空中に映し出された。映像の出力装置にダメージがあったのか、映像にはノイズが走っている。
「左の球体が旧世界、右の球体が魔法世界です」
茶々丸は自身にインストールされている旧世界の座標データと、『グレード・パル様号』にインストールされている魔法世界の座標データを視覚化したようだ。
「本来なら私達の現在地は赤い点で表示されるのですが、何度試してもどちらの世界にも私達の現在地が割り出せません」
「それじゃあ、ここはいったいどこなの?」
ハルナの言葉に茶々丸は私見を述べて返した。
「あくまで憶測ですが、異界境界を突破してきたことや外の様子から考えると、旧世界でも魔法世界でもない世界。世界と世界の狭間に居る可能性が高いです」
茶々丸の考えは概ね正しかった。ただ一つ違う点は、ここは旧世界と魔法世界の狭間ではなく、旧世界と魔界の狭間であるということだけだった。
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