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探し求めてエデンの檻

作者:オイラム
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6-2話

 
前書き
それは限界が近かった。
ストレスを抱えた人間も。
生暖かい息を潜ませる動物も。

そして太陽が沈めば、その限界の境界線が崩れる時。
それが…土屋勝(つちやまさる)機長の最後の夜だった。 

 



 どうしてこうなったのだろうか……。

 他人の事を気にかけながら、私は何度もこれを繰り返した。

 何度考えても直面したこの事態に自問する。
 こうなるかもしれないというリスクは熟知していた。
 航空機のパイロットというのは誇りある職業でありながらも、空に昇るという性質上、いつどこで落ちてしまうかわからない0にする事はできないリスクがある。
 この仕事に就いて長く、覚悟はあったから不運を嘆く事はない。 最悪を想定して頭の中でシミュレートして対応の仕方を備えていた。

 だが…このような惨事に巻き込まれてしまった200余名の乗客の事を思うと…何故、と問わずにはいられない。


 墜落事故―――。

 心構えは(あらかじ)め何度もしてきた。
 時には祈るように無事を願い、そして何事もなく空の旅を終えて安堵(あんど)した事もある。
 伊達に年は食っておらず、「こうなったどうなる?どうする?」と考えた事は一度や二度ではない。

 乗客のほとんどが大きな怪我をしなかったのは奇跡だったものの…考えが甘かった。 『最悪を想定』など生ぬるい。
 未曾有(みぞう)の危機、というのは私が思っているより重く、そして絶望的なほどのしかかる。

 外界と連絡する手立てを“失い”、航路にあるはずもない未知の陸地に降り立ち、今ですら……わけがわからない“イキモノ”に襲われ、人が何人も死んだ…喰い殺された。
 海に落ちていればどれだけマシか、と思うほどに不明な情報が多すぎて思考停止したくなる。

 理解できない。
 対処できない。
 人間一人が背負うには重すぎる。

 だが…。


「なんでだよ……なんでだよ……くそ…くそぉ……くそぉぉ……」

 ここ、機内灯が(とも)っていない薄暗い飛行機の中で人達が嘆く声が聞こえる。

 周りと同じように耳と眼を塞いで、自閉(じへい)してしまう事ができない。
 嘆く命の数々が…それを背負う責任感が…機長として、誰よりもこの場で先頭に立たされる重みが、皆のように恐慌(きょうこう)する事が許してくれない。

「み、皆さん! 落ち着いてください!」

 無理にでも自分が起たねばならない。
 たとえほとんどの人の耳に届かなくても、絞り出してでも声を出さねばならない。

 いまやこの航空機は鉄の避難所となっていた。

 逃げ惑うしかなかった。
 自分ですら命からがらでどうやってここまで辿りついたか覚えていない。
 あの見たことない“イキモノ”から命からがら逃げてきた者も全員そうなのだろう、周りを気遣う余裕はないほどに焦燥(しょうそう)している。
 あの混乱の中、どれだけ逃げて…いや、蜘蛛の子を散らすように逃げ(まど)う中どれだけ喰い殺されたのだろうか…。
 いまだに頭の中がグチャグチャしていて正確な員数を数えるような余裕がない。 自分より…いや、同じくらいで構わない、落ち着き払っている人がいればどれだけ助かるか…。

「なぁ…どうすんだよ……あんなのがいるなんて、俺達…どうなるんだ?」
「大丈夫だよ…すぐに助けが来るって…無線があるんだ…! きっと明日にでも救助が来て……」

 無線。 救助。

 この二つの単語だけが頼りだ。
 乗客はそれを支えにしないと…ハリボテでしかないそれがないと、私はこの者達をまとめる事ができないのだ。
 どこまでも持たせるかわからない…それでもやらなくてはいけないのが、機長としての責任なのだ。

 だからあと少しでも……彼らを長く騙して…。

「救助だ……いや、救援だ! 今すぐ無線で助けを呼んでもらうんだよ! そうすれば助かる!!」
「なっ……!?」

 何、を…何を言い出すのか!?

 まさかこんな時に…いや、こんな時だからこそ言い出したのだろう。
 個人ではどうにもならないあの“イキモノ”をどうにか出来ないから、一秒でも早く頼るものに(すが)りたいから当然の帰結(きけつ)だ。


 しかし、それが出来るわけがない…。


「だ、駄目だ! そ、それは出来ん……」
「な、なんでだよ!!」

 掠れるような声で言った言葉は、乗客の一人はしっかりと聞き捉えた。

「説明しろよ!!」
「なんで無線使わないんだよ! おい!」

 流れが転がる…。

 怯え(まど)っていた態度が途端に攻撃的になって、自分を糾弾(きゅうだん)する声を痛いほどに叩きつけてきた。
 彼らにとっては蜘蛛の糸のような命の手綱を切られたような気分なのだろう。
 糸の先が活路に通じていない以上、私は言葉を重ねる以外になかった。

「じきに…じきに助けが来る。 だからそれまで…」
「じきに助けが来るって…それがいつ来るんだよ!! あの化け物どものがいるってのに…周りあんなのがうじゃうじゃいる所で大人しくしろってのかよ!!!」

 怒りの形相が迫る。
 恐怖でくたびれた顔をさせた中年の男が、表情を醜く歪ませて私の襟首を掴みかかってきた。
 あの“イキモノ”に襲われた時は命の危険を感じたが…中年の顔が恐ろしく見えた。
 待て、と静止の声を呼びかけるが、中年の後に続くように周りの乗客も一緒になって私の体という体に手を伸ばし、重い責任と共に一方的な力を押し付けてくる。
 自分の命だけを考えて(すが)るその姿は亡者だ…。

「ふざけた事言ってないで、さっさと無線を使え!!」
「ま…待ちたまえ!!」

 波のような亡者達が詰め寄る押し寄せる力が止められない。
 体を張っても、私はあっと言う間に“アレ”を隠している操縦室が…背中のすぐ後ろにまで来ていた。

「い、いかん! ここから先は……」


 押されるがままに扉に触れる背中の感触は―――驚くほどに軽かった。


「なっ……!?」

 なぜ、鍵がっ……!?

 この扉は施錠(せじょう)していて、二度と開けられないようキーは森の中に埋めたはずだ。
 それがどうして…!?

「っ…!?」

 私はそれを見て血の気が引いた。
 無理やりこじ開けられたかのように、壁の一部が破損していて施錠(せじょう)の意味を成さなくなった扉…。

 私は今知ってしまった…そして、彼らも見てしまった
 そこにある壊れた無線機を。 連絡など出来ないという事実を。
 この場において最悪にしてあんまりすぎる事実は、乗客達は憤怒(ふんど)と困惑に表情を歪ませた。

「なんだよこれっ!?」
「どういう事だよっっ!?」
「嘘だったんだな!? 無線が復旧したなんて…救助が来るなんて!?」
「ち、違うんだ! 仕方なかったんだ!」
「嘘つきっっ!! 今更何を言うんだ!!」

 彼らは私の言葉に耳を貸さなかった。
 理不尽にも矛先を集中させる多くの眼は暴力的なほど敵意に満ちていた。

「違う!! 聞いてくれ、あの時は仕方なかったんだ…!」
「黙れえぇっ!」


 ゾブリ、と厭な感触と共に腹が焼けた。


「っ…が、ぁ……!?」

 頭まで突き抜けるような痛みがきた。

 熱は強烈な痛みと変わり、腹から液体が漏れるのを感じた。
 何があったのか理解するのが遅れて…自分の腹部に突き立つモノの存在に気付いた。

 これは……私に刺さっているのは……。

「な、ナイフっ…!?」
「き…きゃああぁあ!?」
「だ、誰っ!? 誰か刺したの!?」

 ぁあ……なんて、痛いんだ。

 ナイフが……私の腹にナイフが刺さっている……一体なぜ? なぜ私を……?


 腹に突き刺さっているナイフの所に神経が集中しているかのようだった。
 血管を断ち、臓器(ぞうき)を破り、深く突き立てられたナイフは意識が途切れてしまいそうほど激痛が感覚をスパークした。

 激痛に足が崩れ落ち、傷口から血が流れて赤い水たまりを作る。
 周りは倒れ伏した私を見て動揺(どうよう)の声を上げた。

「お、おいっ! どうするんだよ、なんで刺し―――!?」
「ちきしょう! もうお――――、――!!」

 耳は音を拾わなかった。
 痛みで感覚がおかしくなっていってる。
 痛くて…痛くて…たまらないのに、血が抜けていって感覚が麻痺していくようだった。

 助けて欲しい…重い責任を課せられてそれから逃げ出せず、こうしてナイフを突き立てられて放置すれば死んでしまう自分を…助けて欲しかった。
 だが…そんな自分を助ける者はいない。 皆、自分の事など忘れて恐慌してパニックする様を横たわった視界でボンヤリと見つめた。

 支えを失った乗客達の中で“何か”が崩壊した。

「(あぁ……もう、駄目なのか………?)」


 その視界もすぐにボヤけてきた。


 痛みまでもが感じなくなり…感覚が死んできた。


 死にたくない…そんな言葉すらまともに口に出来ない。


 誰にも助けられず…そして何も出来ないまま死んでしまう……。
 だが、この重い責任から開放されるのなら……という身勝手な安堵(あんど)だけが唯一の救いだった。


「(しかし………)」

 安らかではない死に際に思う……。


 家に待っているはずの家族、そして“自分を刺した”『青年』…彼は一体どうなるのだろうか?
 ただそれだけが心残りだった―――。 
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