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闇物語

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コヨミフェイル
  014

 意識を取り戻すと、何故か神原が月火の前で土下座しているところだった。月火は顔を上げるように、と慌てて言っていて、ヒステリック状態から回復しているようだった。千石も回復したようで、その横で月火と同じようにあたふたしていた。
 月火の狂気に触れた神原が今回の事件の原因は自分の悪ふざけが過ぎたことにあると自白して全力で謝罪していたということらしい。意識を失っていたのは一瞬のようで、体中をぺたぺたと触ったが、どこも穴を穿れているわけではないようだった。
 そんな神原を宥めて(?)、神原が僕に伝えようとしたことを聞き出し、やっとのことで作戦を実行に移すことができた。
 「随分と余裕のようだね――僕はキメ顔でそう言った」
 家を出たところで、平淡な声を掛けられた。
 声の主はてっきり帰ってしまったと思っていた斧乃木ちゃんだった。
 『余裕』はきっと自室で繰り広げた馬鹿騒ぎを指して言った皮肉だろう。確かに妹が怪異に憑かれて自分の妹を喰わんと求めさ迷い走っているのだから、不謹慎と責められるのも当然だ。
 「返す言葉がない。それより、何でここにいるの、斧乃木ちゃん?」
 「ん?なんだい?鬼いちゃんは、僕がお姉ちゃんに君を任されたのに送っていくだけ送っていって、バイバイするような無責任で非情な人物、いや式神だと思っているのかい?」
 「…………」
 否定できない僕。
 「あ~あ、こんなことなら何もせずに出ていく鬼いちゃんを見兼ねて、結界をはったりしなければよかったね」
 「あっ」
 我ながら迂闊だった。おびき出す作戦だったために完全に黄泉蛙が僕のところに来るとばかり思って、黄泉蛙がおびき出されずに月火のところに現れる可能性を全く考慮していなかった。愚昧にもほどがある。斧乃木ちゃんがいなければ、月火が危険に曝されていたところだった。
 「ごめん。ありがとう」
 「うん。わかればいい、わかれば」
 だから少しカンに障る上から目線な言葉も軽く受け止めよう。
 「それにしても今宵は暑いな。水を持ってきてくれないか?」
 だから別に暑いわけでもないし、屍の斧乃木ちゃんの喉が渇くはずもないが、喜んで水を用意しよう。
 「まさか水道水ではないだろうね。はっ、愚か者が。私がそのようなものを口にするとでも思ったか。イロハスだ。イロハスを持ってこい」
 「イロハスは当店では取り扱って下りませんが?」
 「ならば、どこからでもいい。できれば成城石井がいいが、今はそこまでしなくていい。一番近いコンビニでどれほどかかる」
 「え~っと、五分ぐらい?」
 「そうか、では一分で戻ってきたまえ」
 「…………っ!」
 だから、わざわざ喉の渇いていない奴のためにこの状況の中片道五分かかるコンビニまで喜んで足を運――ぶわけねえだろうが!!
 「なんだい?手招きして。まあ、よい。幸運なことに今宵の私は機嫌がいい」
 大仰に肩を疎ませながらのこのこ近づいてくる斧乃木ちゃん。
 「うん。そこでストップ」
 ある程度まで近づいたところで静止させた――背後の自宅から漏れ出た光によってできた影の前まで。
 「?」
 小首を傾げる斧乃木ちゃんはまるでこれから起こることがわかっていないようだ。
 「忍、やっちまえ」
 やっちまえを言う前にすでに、忍は僕の影から射出されていた。頭上に突き上げた忍の拳は綺麗に斧乃木ちゃんの顎を捕らえ、斧乃木ちゃんを二階ぐらいの高さまで打ち上げた。
 斧乃木ちゃんは、そのまま物理の法則に従って、最高点で半瞬止まってからきりもみしながら墜落した。頭から墜落したままぴくりとも動かなくなった斧乃木ちゃんを尻目に僕は忍とハイタッチしていた。
 「ミスタードーナツを追加で二つ買ってやるよ」
 「いらん。あやつを殴れてせいせいしたから、十分じゃ」
 「あっ、そう。じゃあ」
 「うむ、着いたら知らせろ。今日は昼から起きておったからのう、寝不足じゃ。ちと寝る」
 「了解」
 言葉少なに返事して何事もなかったように自転車を取りに行った。いや、行こうとして阻まれた。
 「鬼いちゃん、こんな仕打ちってないよ」
 ぼろぼろになって捨てられた人形に怨恨が宿って発現した妖怪のようを思わせる哀れで恐ろしげな姿の斧乃木ちゃんが僕の足首を掴んだのだ。声も地獄の底から聞こえる亡魂が上げる怨嗟のそれに聞こえる。
 刺激しないように恐る恐る指を一本ずつ剥がしていった。
 「いや、ちょっとイラッてきたんだ。ごめん。結界ありがとな」
 「もし、お姉ちゃんに力を貸してあげろと命令されてなかったら、こんな仕打ちに怒りを爆発させて、鬼いちゃんも爆発させていたのだけどね」
 「…………」
 命じたのは僕だけど、実行したのは忍だからね。
 「ほんっとにごめんってば。今度ハーゲンダッツをおごるからよ」
 と、身の安全のために言うと、さっきまで満身創痍の態だった斧乃木ちゃんはガバッと起き上がった。心なしか目もキラキラ煌めいているようだった。
 「万死に値するような行為だったが、ハーゲンダッツ十個に免じて許す」
 「いや、そんなに買えないし。三個な、三個」
 高校生の資金力舐めんな!
 「…………仕方がない。譲歩してあげよう」
 今回の特別報酬を不意にするかもしれないことを覚悟して個数を増やすことを強硬に通すか、ここは安全に提示された数に同意するかで数瞬逡巡した斧乃木ちゃんは後者を選んだようだった。
 「後日、受け取りに来る。じゃあ、先に行ってるよ」
 斧乃木ちゃんはそう言い残すと、歩いていずこかへ去った。きっと僕と同じ目的地だろう。作戦を盗み聞きしていたのかしれない。まあ、それはさておき、斧乃木ちゃんが継続して手伝ってくれるようで安心した。作戦を立てたとは言え、何が起こるかわからない。作戦だって予定通り進行するのかさえわからないのだ。式神とは言えども怪異のエキスパートである斧乃木ちゃんにいてもらえば、少しは気が楽になる。
 「おや?阿良々木先輩じゃないですか。こんな偶然ってあるものなんですね~」
 自転車を出したところで、見計らったように声を掛けられた。マウンテンバイクに跨がっている扇ちゃんだった。サイクリングの途中のようだ。
 高校生とは言っても日も沈みかけているこんな時間に麗しき乙女が一人でサイクリングしているというのはいささか無用心ではないだろうか。
 「こんな時間に何をしてるんだ」
 「見てわからないですかね」
 「わかっている上で聞いているんだ。一人でサイクリングなんて危ないだろ?」
 「サイクリングは概して一人でするものですけど?」
 「時間帯のことも含めて言ってるんだ」
 わかっていて言うのだから性質が悪い。ていうか、性格が悪い。
 「いや~。しかし、阿良々木先輩。夜風に吹かれながらのサイクリングは昼間のサイクリングとは一味違う心地良さがあるんですよ?」
 「まあな」
 それは知っている。一時はマウンテンバイクでサイクリングをしていたのだ。夜のサイクリングもまた日中のサイクリングにも負けないものはある。スピードを上げるほどに身体に沿って流れていく適度に涼しい風が火照った体を冷ましていく。まるで食物連鎖のような、永久機関のような完璧な循環である。そのせいでどこまでも行けるような錯覚を起こしてしまうのだが。気分転換とか時間潰しに持ってこいだった。
 「それはそれとして、阿良々木先輩こそこんな時間にどこにお出かけですか?勉強はしなくてよろしいのですかね?」
 「明日にでも今日の埋め合わせをするさ。それよりも今立て込んでてな、すまないが、お前と話している時間が惜しい。また今度埋め合わせをするよ。じゃあな。早く家に帰れよ」
 と、言い残してそそくさと自転車に跨がってペダルに足を掛けて漕いだ――僕の横を扇ちゃんがピッタリと並走する。
 「勘違いしないでくださいよ、阿良々木先輩。気持ち悪いです。私の家がこの方向にあるというだけですよ」
 「いや、まだ何も言ってないし、そこまで言われる覚えもないぞ?」
 これもツンデレというものなのか?いや、扇ちゃんに限ってそれはないか。
 「それにしても冷たいですね、阿良々木先輩。今宵の夜風以上に冷たいですね。それほど立て込んでるんですか?それとも私が嫌いになりましたか?」
 「いや、嫌いじゃないが、立て込んでることは本当なんだ」
 「阿良々木先輩が立て込んでるということはまたどこかでか弱い少女が怪異の悪の手に脅かされているのでしょうか?そして、それを助けてハーレムの繁栄を計っているといったところでしょうかね?」
 「まるで僕が怪異をけしかけて少女を襲わせてその怪異を退治することで少女の気を引いてハーレムに引き込んでいるみたいに言うな!」
 しかもハーレムって…………そんなつもりないし、脅かされているのは妹なんでけどな。それにシスコンじゃないしな。
 あと芝居を売って意中の女性を落とすとか、どんだけ典型的、というか古典的なんだ。
 「違うんですか!?」
 「そこで何で驚く!」
 あのひょうひょうとして本当の気持ちなんて僅かも表面に出さない扇ちゃんが目を剥いていた。演技だろうけれど。
 そうだとしてもお前が驚くことなんて初めてなんだから、こんなことで驚くなよ!なんかすごく惜しい気分にさせられるだろ!
 「ふん、だが、残念だったな。脅かされているのはか弱い少女じゃなく人間兵器の妹だ」
 「ついに妹までハーレムに組み込むつもりなんですね」
 「何故そうなる!僕は断じてシスコンじゃないぞ!」
 「ふ~ん、そうなんですか。で、妹さんは何に巻き込まれているんですか?」
 「全然信じてないだろ!」
 「いえいえ、ちゃんと信じてますよ。『前回は自業自得だとか言って突き放すわりにはかいがいしく最後まで世話を焼いたそうじゃないですか。今回は、それどころか突き放そうともしませんよね』と少し勘繰っているだけですよ」
 「やっぱり全然信じてないだろ!」
 今回助けるのは火憐が完全に被害者だからだ。忍野の言い草じゃないが、火憐は自ら事件に巻き込まれたのではない。それどころか僕の考えの至らなさが招いたことなのだから、なおさら僕が片付けなければならないのだ。確かに影縫さんが逃がさなければこんな事態は発生し得なかっただろう。だがしかし、やはりこれはちょっとしたきっかけで起きたのであって、影縫さんが逃がさなくとも別のちょっとしたきっかけで同じような事態が引き起こされていたであろうことは想像に難くないのである。
 「まあ、初めから『僕はハーレム王になる!!』とか公言しているような阿良々木先輩ですからね。これぐらいのことは些細なことに含まれますかね。それより、妹さんは?」
 「怪異に憑かれたんだよ」
 言い返す気力を失って投げやりに言った。
 「あら、それは大変ですね」
 例に漏れず、驚きの色を微塵も見せない声音で言う扇ちゃん。
 「ん?これぐらいの騒ぎになっていたら知ってるかと思っていたんだけど」
 瑞鳥一家が蒸発したニュースを耳にして独自に調査でもしているかと思っていた。そして、少しそれをあてにしていたりしていた。
 しかし、サイクリングしているのだからその望みは薄いことは、始めからわかるようなことである。
 「所用で学校が終わってすぐに遠出して、つい先程こちらに戻ってきたのばっかりなんですよ」
 「なら知らないのも当然か」
 「そうですよ。私は何も知りません。阿良々木さんが知っているんですよ」
 「当たり前だろ」
 「いや、意外と知っていなかったりするんですけどね。まあ、それより、聞かせてくださいよ」
 「うん?」
 「事件のことですよ」
 「ああ。う~ん、まあ、要点だけかい摘まんでなら話してもいいか」
 それぐらいの時間はある。影縫さんに説明したときよりずっと短くして話した。しかし、どこを省くかを考えながら説明したために影縫さんに説明したときより時間がかかってしまった。それに加えてこれから実行する作戦のことまでも話したことも原因である。そのだらだらと長い説明を斧乃木ちゃんは鼻歌混じりに聞いていた。
 「なんか大変そうですね」
 終始ぐだぐだだった僕の説明を聞き終えて扇ちゃんが放った言葉である。
 「他人事だな」
 「そうですか?そういう風に聞こえたのでしょうが、かなり自分事なんですがね」
 「ん?ああ、家業だもんな」
 「いえいえ、自分事ですよ。阿良々木先輩が関わっているのですから自分事ですよね?」
 「僕はそこまで扇ちゃんと親しくなったつもりはないんだけど」
 「寂しいことをいいますね。まあ、友好は後日温めることにします」
 扇ちゃんはそう言って前を向いた。
 「ん?ああ」
 釣られるようにして前を向いた僕の視界にうっすらと見慣れた建物のシルエットが浮かび上がった。
 「作戦成功するといいですね」
 「ああ。何か、ごめん。ここまで付き合わせたみたいになって」
 「いえいえ、それはこっちの台詞ですし、最終確認のためですから」
 「最終確認?」
 「ん?何のことです?」
 いや、扇ちゃんがほんの一瞬前に言ったこと何だけど。僕の聞き間違えかな?
 んー、扇ちゃんの反応を見る限り、僕の聞き間違えで間違いなさそうだ。
 「これで三竦みに一歩前進です。では、また、明日会いましょう」
 ん?さん……すくみ……?何だそれは?
 確かにそう言ったよな。一言一句聞き漏らしたりしてない。神に誓って聞き漏らしたりはしていない。なんなら物真似で一から全部言ってもいい。
 これは聞き間違いじゃない。
 なら、何なんだ?新しい別れの挨拶か?そんな別れの挨拶は寡聞にして知らないけどな。
 聞けば良いんだろうが、扇ちゃんの背はもうすでに遠くの点となってしまっている。
 「また会ったときに聞けばいいか」
 と、頭の隅に追いやってペダルを漕いだ。
 当然このときの僕は後に蝸虫――なめくじの近縁種――や蛇がからむ事件に巻き込まれることになるとは予想だにしていなかった。 
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