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リリカルってなんですか?

作者:SSA
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A's編
  第三十二話 裏 前 (リィーンフォース、はやて)



「申し訳ありません、主」

 星々が瞬くような淡い光が発する暗闇―――彼女の本来の名前である夜を現したような空間の中で、この空間の主である闇の書の管理人格は、自分の所有者である車椅子に座ったまま眠る少女に頭を下げていた。その顔に浮かぶのは、深い懺悔と後悔と悲しみだ。

 一体、幾回同じような結末に至っただろうか、と闇の書―――本来の名前で言うなら夜天の書だが、彼女自身はすでにその名を冠するにふさわしいとは思っていない―――の管理人格は考える。しかし、それは考えても詮無きことだった。なぜなら、それは彼女が存在した時間の中で、この結末に至った時間のほうが多いのだから。すでに数えることさえ放棄している。ただ、言えることは、夜天の書と呼ばれたデバイスは血と憎しみと悲しみで彩られており、現在の闇の書の名前に違和感がないということである。

 主を呪い殺すデバイス―――それは、既にデバイスという定義から外れている。デバイスとは主を手助けするはずのもの。それこそが存在意義であるはずだ。だが、闇の書はその性質からは真逆の性質を持つ。もはや、デバイスと呼んでいいのかすら疑問だ。闇の書の管理人格が、己の存在意義と現状の乖離に自壊しないのは、ひとえに彼女が解放され、稼働する時間が極端に制限されるためであろう。

 ―――今回も、この結末に至ってしまった………。

 いや、それは最初からわかっていたことである。たとえ、今回の主が今までとは毛色が異なろうとも、周囲の状況が異なろうとも、闇の書が至る結末はいつだって同じで、同じだった。

 ―――せめての幸いは、我が騎士たちをこれ以上の不幸に付き合わせることがないことだろうか。

 そう、それが、それだけが今回の結末の中でのせめてもの幸いである。

 闇の書の我が騎士―――ヴォルケンリッタ―と呼ばれる四人の騎士たち。彼らは、闇の書の核とは異なる外部のソフトウェアのようなものである。ソフトウェアであるだけに闇の書が健在である限りは、いくらでも再生は可能だった。記憶などの情報も闇の書の内部に蓄えられているため、そのままの状態での再生だ。

 だが、今回は事情が異なる。

 文字通りすべてを奪われたのだ。端末の一つからサーバー本体に侵入されたのだ。それは、性質の悪いことに、ヴォルケンリッタ―を構成する部分だけを文字通り奪っていった。闇の書を構成する部分に触れたならば、防衛機能が働いただろうが、それは闇の書の部分には触れることなく去って行ったため、ヴォルケンリッタ―だけが奪われた形となる。

 無限の転生機能を持つ闇の書ではあるが、さすがに闇の書を構成する部分以外の転生は不可能だろう。そもそも、ヴォルケンリッタ―が欠落することなどが考慮されていたかどうかも疑問だ。彼らは闇の書と共にあり、共に生きるものだったのだから。もっとも、その定義は何者かによって否定されてしまった。

 だが、闇の書の管理人格はそれでいい、いや、むしろそれが救いだと思っていた。

 闇の書の管理人格は覚えている。今までのすべての主を死へといざなった結末を。すべて、すべて、すべての彼女の歩んできた道が怨嗟と憎しみと死に満ちている。それ以外にはない。まるで無限に存在する書物の物語のエピローグが同じであるかのように、闇の書が至る結末は同じなのだ。

 そのすべてに彼らを付き合わせた。本来であれば、時に主に栄光へと導く剣であり、時に主を守る盾となる騎士の本懐を体現し、誇りを汚すことなく正道を歩むべき彼らに鈍い紅で彩られた地獄の道を延々と付き合わせてしまった。

 しかし、彼らが血に彩られた道を歩むのは今回が最後だ。誰が奪っていったのかは分からないが、それでも、彼女は彼らの今後が騎士の本懐を遂げられるものであることを願ってやまない。

 彼らは、今回の結末をどのように思うのだろうか。

 血に彩られた旅路からようやく抜け出せた騎士たちを想っていただろうか、闇の書の管理人格は、ふと目の前ですやすやと眠る主を見ながら考えた。

 彼らはきっと幸せだったと思う。そうであってほしい、と彼女は思った。

 守護騎士たちを道具として一切扱わず、家族として迎えた小さな主―――八神はやて。守護騎士たちの誰もが最初はうろたえ、戸惑ったはずだ。たとえ、最後の瞬間は覚えていなくても、彼らが守護騎士として過ごしてきた経験は覚えているのだから。今までとは全く異なる扱いを最初から受け入れられるとは到底思えない。

 だが、それも最初の内だけだ。だんだんと今回の主に感化され、心を許し、笑えるようになっていた。まるで本当の家族であるように。それは彼女が今まで一度も見たことがない光景だ。そして、彼女がどこかで夢見ていた―――望んでいたような光景でもある。血に塗れるしかなかった彼らの道にせめての安らぎを、と。

 彼らがはやてに心を許し、彼女が言うように家族であるという言葉を強く感じるほどに彼らは強く想っていたはずだ。今回の小さな主である八神はやてを。

 いくら、彼女が彼らを家族と呼ぼうとも、守護騎士たちがその心を受け入れたとしても、彼らは守護騎士―――騎士なのだ。ならば、彼らにとって八神はやては、家族である前に守るべき、敬愛すべき主なのだ。

 だからこそ、今回の結末は、彼らにとって無念であり、残念であったとしても、それでも心のどこかでは満足に感じていただろう。

 彼らにとっては、主を守り、主を守るために戦うという騎士道を全うした末の結末なのだから。彼らが消える直前に後悔がなかったとは言えない。だが、それは今日までの今回の彼らの旅路ではなく、ただ主を置いて先に逝くことの、自分の力が及ばなかったことへの後悔に過ぎない。

 今回の旅路そのものを後悔するわけではないのだ。

 彼女にとってはそれで、それだけでも十分だった。今までの結末を思えば、それは彼らにとっては救いであると彼女は断言できた。

 だから、だから今回の旅路で彼らがこの血に塗れた宿命から解放されたことは喜ぶべきことだ。これ以上、彼らを付き合うことはない。この宿命に身を投じるのは、旅路の終焉の旅に身を引き裂くような悲しみと後悔を感じるのは自分一人で十分だ。

 それだけの覚悟は既に持っている。

 ―――先に逝っていてくれ。私もいつか壊れたその先にお前たちの元へと逝こう。

 はたして0と1の集合体でしかない自分や彼らに死後の世界があるのか、彼女はわからない。だが、そう信じてもいいのではないだろうか。ともに笑い、泣き、後悔した彼らにせめて死後の安らぎを期待しても。

 だから、彼女が想うはたった一つ――――守護騎士たちを家族と迎えてくれた心優しい小さな主である八神はやてのことである。

 その主は今、愛用の車椅子の上ですやすやと眠っている。いや、眠らせているというほうが正しいだろう。あの、執務官から衝撃の事実を聞かされたあと、絶望する主の心を保つためには仕方ない処理だった。あのまま、絶望する彼女を放置していれば彼女は壊れていた。物理的にではない、精神的にだ。

 守護騎士を失った彼女にとって最後の支えはあの少年だった。守護騎士と出会う前であれば耐えられた孤独も守護騎士と出会ってから、家族という禁断の果実を食べてしまったはやてには到底耐えきれるものではなかった。そんな彼女にとって翔太という少年は、まさしく最後の希望だったのだ。

 それが裏切られた。いや、そうなるように仕向けられた。はやては翔太を心の底から信じていたのだ。それが裏切られた。

 その裏切りを、家族を失うかもしれない、孤独になるかもしれないという恐怖に幼い心は耐えられなかった。

 はやてがいくら年不相応な態度をとっていようとも、彼女は本来であれば、親の愛情を受けて育っている両手で数えられる程度の子供なのだ。その孤独に耐え切れないことを責める人間がいるだろうか。

 はやてはその裏切りを、孤独を直視できず、結果、目の前の世界を否定してしまった。

 ―――こんな世界なんていらないっ! と。

 その感情が、主の絶望ともいえる感情こそがトリガー。闇の書が完全に覚醒してしまうことへの。一度、闇の書が完全に覚醒してしまえば、もはや闇の書の管理人格にできることはない。ただ、滅びという名の終焉に向かっていくだけである。

 もはや、この段階に至ってしまっては、闇の書ができることは一つだけである。それは、守護騎士たちが命を賭してまで守ろうとしたこの小さな愛すべき主を安らかな眠りのままにともに逝くことである。

 たったそれだけのこと。だが、管理人格といえども、起動した直後から徐々に闇の書の防衛プログラムに大半の権限を奪われつつある現状ではそれが彼女の精一杯だった。

 ―――ああ、こんな結末は望んでなどいなかった。

 期待したわけではない、というのは嘘だろう。今回の旅路は今までとは毛色が相当違った。守護騎士たちは家族として迎え入れられ、時空管理局が接近してきた。

 自分の身は仕方ないにしても、主の無事だけでも願うことが悪いことだろうか。

 だが、それも期待外れだった。結局、終わりはいつもと同じ。ただ、歩んできた旅路が一歩一歩破滅へと向かうための一歩ではなく、光がさす方向に向かって歩き、突如として奈落へと落とされるようなものだったというだけの話である。

「申し訳ありません、主」

 考えれば考えるほどに後悔の念が堪えず、再び頭を下げる闇の書の管理人格。

 助けたかった、幸せになってほしかった、孤独など感じてほしくなかった。守護騎士たちに感情を与えてくれたこの小さな主に、ほんのささやかな幸せを望んでいた。望んでしまっていた。彼らの笑顔と、主の笑顔を見ていれば、それが叶うような、そんな幻想さえ見せてくれたような気がした。

 ―――自分の存在は、彼女が望んだものとは対極に位置するというのに。

「私など―――存在しなければよかった」

 唇を噛み切ってしまいそうなほどにきつく結び、拳は関節が白くなるほどに握り芽ながらポロリとこぼれた言葉。それが彼女の本心だった。ただ、自壊すら許されないこの身が、ただただ口惜しい。

「そんなこと………いうたら……あかんよ」

 だが、彼女のそんな本音をとがめる声が彼女の下から聞こえてくる。その声はかすれており、とぎれとぎれで聞き取りにくいものだった。だが、それでも、それでも彼女が―――闇の書が聞き逃すはずもない。なぜなら、その声の持ち主は彼女が敬愛すべき主なのだから。

 なぜ? と彼女は思う。彼女は今、管理人格によって眠らされているようなものなのだ。彼女がそれを願ったから。せめて最後は幸せな夢を見ながら安寧の中で安らかに逝ってほしいと願ったから。だから、彼女が口を開けるはずもない。

 だが、そんな事実をひっくり返して―――それでも眠いのだろう。目を瞬かせ、眠いのを必死にこらえながら、主である八神はやては言葉を続ける。

「私は幸せやった。………シグナムとヴィータとシャマルとザフィーラに出会ったことは、みんなと過ごした日々は幸せやった。それは否定できん。いや、否定したらあかん。それは、闇の書がなかったらなかった出会いや」

 ―――だから、存在しなければよかったなんて、悲しいことは言わんといて。

 そう言いながら、はやては笑う。

 闇の書の管理人格は、はやての言葉に、はやての表情に驚愕する以外になかった。

 ―――なぜ、なぜ、笑えるのですか? 私の存在を受け入れられるのですか? 私のせいで、あなたは死地へと誘われているというにっ!?

 それは、驚く闇の書の管理人格が、八神はやてを理解していなかったから、というほかにない。彼女は理解していなかった。わずかな時間であろうとも、闇の書が彼女に与えたものがいかに彼女の人生を変えたのか。

 わずかな時間だった、最後は死地へと連れて行くものだった。

 万人が闇の書を厭うだろう。疫病神だと罵るだろう。だが、そんなものは八神はやてには関係なかった。あのわずかな時間こそが、すべての始まりで、今の八神はやてを形作っているのだから。

「確かに……私は、闇の書と出会わんかったら、別の幸せがあったかもしれんな。でも、私は………みんなとの幸せ以外は必要ないんや」

 闇の書と出会わなかった運命。もしかしたら、本当の両親と囲まれているのかもしれない。あるいは、両親を失ったことで、児童施設へ預けられて、守護騎士たちよりも多くの兄妹に囲まれて過ごしたかもしれない。だが、本当はどうなったかは、神ではない彼女たちが知る由もない。

 だが、予想される幾つもの人生も八神はやての中では意味を持っていなかった。

 なぜなら、この人生こそが八神はやてにとってのたった一つの幸せだと胸を張って言えるからだ。それ以外の幸せなど想像できるかもしれないが、必要はなかった。シグナムと、ヴィータと、シャマルと、ザフィーラと、家族と過ごした生活こそがはやてにとっては幸せだった。

 だから―――

「だから、ありがとうな」

 それを与えてくれた闇の書に憎しみでもなく、後悔でも、侮蔑でもなく、感謝を。自分が知らなかった幸せを与えてくれた心優しい書物に対してただただ感謝を告げるはやて。

 小さな主の口から零れた感謝の言葉を聞いて、闇の書の管理人格である彼女は驚きのあまり目を見開き、その言葉を噛みしめるように目をつむった。その直後には、頬を流れる一筋の雫。その雫に込められた想いは、歓喜だろうか、悲哀だろうか。

 そんな彼女の瞳から零れる雫を拭うように手を伸ばすはやて。やがてその小さな手は、車いすのそばに傅いていた管理人格の頬に当たり、零れていた雫をぬぐう。はやての人差し指に数滴の雫がついたころに、不意にはやてがふっ、と笑みを浮かべる。どこか面白いことを思いついたように。

「なぁ、闇の書いうんは、あなたには似合わんと思っておったんよ。だから、私があなたに新しい名前をあげる」

 はやての言葉を聞いて、今まではやてにされるがままになっていた顔をはっ、と上げる。

 この主は何を言うのだろうか、と驚愕ともいえない感情に彩られている中、渦中のはやては勿体つけるように悩んだそぶりを見せて、やがてその小さな口をゆっくりと開いた。今まで後悔と血と涙に彩られた旅路を延々と歩んできたこれ以上ないぐらい彼女の存在を体現している闇の書という名前を塗り替える新しい名前を。

「祝福の風―――リィンフォース」

 祝福の風、リィンフォース。だが、その名前を名乗るのは、この数時間だけだろう。この名前は新しい主から賜った大切な名前。この旅路が終われば、また自分は闇の書へと戻る。

 だから、この数時間だけは、主から新しく賜った名前を誇れるように振る舞おう。せめて、主の最期の眠りへの安寧は守ろう。

 それが、闇の書―――もとい、祝福の風、リィンフォースの新しい決意だった。



  ◇  ◇  ◇



 ゆめ、夢を見ていた。

 それは少女が―――八神はやてという小さな少女が夢見た小さな幸せな夢だった。

 彼女の夢には彼女が唯一と言っていい家族たちがいた。

 シグナムが、シャマルが、ヴィータが、ザフィーラが。彼らと時に喜び、時に怒り、時に哀しみ、時に楽しむ。そんな当たり前の家族のような生活をさまざまな状況の中で夢見る。

 たとえば、彼らとは本当の家族中で過ごした。四人兄妹という関係の中、彼らは日常を謳歌する。

 たとえば、彼らは表向き学生を行いながらも、非日常の中で魔法を使って世の中を守る魔法少女だった。

 たとえば、彼らははやてが生きた現代とは程遠い異世界と形容するにふさわしい世界でパーティとして動く集団だった。

 はやてにとってそれらは本当に幸せな夢だった。彼らとはもっとこんな風でありたいと願った、願ってやまなかった願望というものだったのだから。だから、夢を夢と認識していなかった彼女からしてみれば、その世界に生きていることこそが幸せだった。

 たとえ、それが泡沫の夢だったとしても、偽りの夢だったとしても、最期の憐みだったとしても。

 はやてはそれらを理解しておきながら、受け入れた。その夢を見て果てることを受け入れてしまっていた。

 闇の書の管理人格―――彼女が命名したところによるとリィンフォースに名を与えたのは手向けのつもりだった。闇の書に感謝しているのは本当だ。彼女がいなければ、はやては家族という幸せを知らなかったのだから。

 だが、その幸せを知ってしまったがゆえに世界に絶望してしまうとはずいぶんと皮肉だ。

 ならば、知らなければよかったというべきなのだろうか。それも否だ。はやては誰が何と言おうとも、ヴォルケンリッタ―と出会う以前の生活を認めない。家族を知らなかった頃のはやてを幸せと形容させない。

 家族という幸せを知らず、淡々と一人で生きる毎日。それは死んでいるのと何が違うのか。それはただ生きているだけの屍だ。自分の思いを伝える人が隣におらず、自分と想いを共有してくれる人もおらず、自分の悲しみを分かち合ってくれる人もいない。それは、果たして幸せと言えるのだろうか。

 はやては声を大にして、それは否、と答える。

 だから、家族を二度も失った―――奪われた世界にはやては絶望する。

 ―――ああ、この世界は自分を幸せにするつもりはないのだ、と。

 最初の家族は、ある日突然目の前から失踪した。今までこんなことは知らなくて、毎日が宝石のように輝いていた日々は、ある日突然鈍色へと変化した。彼らと出会う前と変わらない生活であるはずなのに、はやての風景は鈍色から変化することはなかった。

 二度目の家族は、そんな寂しさを埋めてくれた。はやてに一人ではないことを伝えてくれた。隣にいる人の温もりがこんなにも暖かいと教えてくれた人だった。だが、その人も、本心から近づいてきたわけではなかったようだ。彼女に真実を教えてくれた人の話を聞けばそうだ。彼の話が嘘か真か。それははやてにはわからない。だが、状況証拠はそろいすぎていた。疑心暗鬼にはなるには十分なほどに。

 だから、はやては二度目の家族―――蔵元翔太と一緒に夢を見ることを望んだ。

 夢の世界であれば、真実がどうであれ、彼ははやての家族だったから。たとえ最後は偽りだったとしても、泡沫の夢の中でぐらいは、許してほしかった。

 しかし、世界というのはそうも甘いものだけでできているわけではないようだ。どういう仕組みになっているかわからないが、覚めるはずのない夢の中で彼は目覚めてしまった。ひとえに彼の精神力によるものか、はたまた、はやての中にわずかに残った翔太の真意を確認したいという想いによるものなのか。

 確かに状況証拠は残っていた。しかし、逆に言えばそれだけだ。もしかしたら、と思うほどに状況が整いすぎていた。ただ、それだけで翔太から直接聞いたわけではない。それでも、はやてが翔太と会談せずに強制的に同じ夢を見せたのは、彼女がこれ以上傷つきたくなかったからだ。

 翔太のことは信じたい。だけど、もしも、万が一、翔太が本当に裏切っていたのだとしたら。今度こそ本当にはやては何も信じられなくなるだろう。もはや夢を見ることもなく、ただ世界の終わりをただただ願うだけの存在になってしまうに違いない。だから、はやては翔太を強制的に夢に誘ったのだ。

 そんな彼から話があるという。これ以上、傷つく可能性を論じるならば、はやては断るべきだっただろう。だが、それでも、それでも、一度は信じた彼の口から真実を知りたいという欲求を抑えることはできなかった。事実を教えてくれた人が嘘を伝え、翔太が真実である可能性を捨てたくなかった。だから、はやては翔太と会談することにしたのだ。

 ただし、これ以上、傷つきたくないがために心に最大限の防御をもって臨むのだが。

 彼女の心は、期待が少しと不安が大部分を占めていた。翔太とのはやてにとって都合のいい、よすぎる展開は、世界は自分を幸せにするつもりがない、と思い込んでしまった少女にとって不利に働いていた。

 だから、翔太の口から「ごめん」謝罪の言葉が発せられた時は歓喜する自分の心を抑えるのが大変だった。

 一度、痛い目を見ておきながら、みすみす二度目になる必要はないとはやては、彼の謝罪を信じることができなかった。いや、正確には違う。本当は信じたい。翔太の謝罪を、翔太の口から発せられるはやてを慈しむ言葉を信じたい。だが、これまでの経験が、都合のよすぎる事実がはやての信じたいという心にブレーキをかける。

 ―――本当に信じていいのか? また、心が押しつぶされそうなほどの絶望を味わうのではないか?

 誰よりも本当に信じられ、身近に沿って立つ存在―――家族を求めているのに、今のはやては誰よりも家族に、家族という言葉に臆病になっていた。

「信じられんわ……」

 信じたい。だけど、信じられない。その二つの感情がせめぎ合う狂おしいまでの二律背反。

 そんな彼女の心の悩みを解消したのははやてを主と仰ぐ信頼すべきデバイスであり、彼女が新しい名前を与えたリィンフォースだった。

「―――主、そこの少年は嘘を口にしておりませんよ。本心のようです」

「ほ、ほんまか?」

 そこに込められたのは、ほんのわずかだった望みがかなうかもしれないという希望だ。何度も裏切られようとも、あの温かい心に触れられるかもしれないという希望は捨てがたいものだった。得られるものなら肯定してほしい、と願うのは悪だろうか。

 そんな彼女の心を読み取ったのか、傍に控えていたリィンフォースはすべてを包み込むような安心させる笑みを浮かべて頷いた。

「ええ、間違いありません。主から賜った祝福の風―――リインフォースの名にかけて、私の言葉が嘘、偽りでないことを保証いたします」

 リィンフォースがそう答えた瞬間、はやての視界に広がったのは、大きな海原のような光景。その海原に触れたなら否が応でも知ることができただろう。彼の心に。つまり、はやての目の前に広がっているのは翔太の心の風景だった。その海原から感じられたのははやてを包み込むほどの温かさだ。はやてが求めてやまなかった人の温もりであった。

 ―――ああ、私が欲しかったのはこれや。

 誰かが自分を慈しんでくれる心。心配してくれる心。そして、何より寄り添ってくれる心。

 その感情に触れた瞬間、はやての瞳から涙が零れ落ちるのを感じた。

 ぽろぽろと零れ落ちる雫。それは、もはやはやてには制御不能なものである。ずっと望んでいた、渇望していたものが手に触れられるところにあるのだ。感情があふれて制御不能になってしまったのは責められることではない。

 だが、その感情に触れられて嬉しいと感じられたと同時に浮かび上がってくるのは最大級の罪悪感だ。

 翔太はこんなに信じてくれたのに、自分を必要としてくれたのに。それにも関わらずはやては信じることができなかった。信じなかった。冷たい瞳で翔太の言葉を一蹴してしまった。

 そのことに気付いたはやてに次の瞬間にはやての心を支配したのは恐怖だ。それは、翔太に嫌われてしまうかもしれないという恐怖だ。彼の心情はいわば、あの時のはやてに近い。はやてが信じたように翔太が信じてくれているのならば、その信じた心を裏切ったのははやてだ。

 確かに、見知らぬ誰かに唆されたのかもしれないが、それでも信じるべきだったのだ。翔太がはやてを信じたように、はやても翔太を信じるべきだった。だが、現実は残酷だ。翔太ははやてを信じ、はやては翔太を信じられなかった。その結果、はやてを襲うのはすさまじいまでの恐怖だ。

 翔太は信じてくれたのに、はやては信じられないと口にしてしまったのだ。それを拒絶と取られてもおかしい話ではない。むしろ、それが自然だ。もしかしたら、愛想を尽かされて捨てられるかもしれない。ようやく、触れられたのに、それさえも捨てて、捨てられてしまうかもしれない。

 考えれば、考えるほどに、嫌な考えが浮かんでしまう。突き放されてしまうかもしれない。見捨てられるかもしれない。恐怖が恐怖を生む泥沼だった。

 はやてが翔太にできることは、ただただ謝罪することだけだ。許してもらえるなら、どんなことだってやるつもりだった。

 だが、はやての恐怖と心配とは裏腹に翔太の返答はあっさりとしたものだった。

「うん、僕が言うことじゃないかもしれないけど、大丈夫、僕ははやてちゃんを許すよ」

 ―――ああ、どうして私は、ショウくんを信じられんかったんやろうか。

 こんなにも優しいのに、自分を受け入れてくれるのに、一人にしないと言ってくれたのに。傷つくことを恐れて、信じることができなかった。

 もっとも、はやての一桁の年齢の少女に対して、それを求めるのは酷な話だろうが、それでも翔太が信じた以上、はやてが翔太の様に信じられなかったことははやての心を罪悪感で押しつぶそうとするには十分だった。

 しかし、それでも、それでもはやては翔太の言葉に安心した。安心してしまった。あの温かさを手放す心配がなくなって、自分が一人ではないことを確信できて。おそらく、自分の人生というのは短い時間の最期まで一人ではないことに安心した。

 ああ、そうだ。八神はやては、翔太という存在を得ておきながら、すでに抗うことをあきらめていた。理由は彼女のこの一言に尽きるだろう。

「だって………もう、嫌なんや。寂しいのも、一人になるのも、ただいまを言う相手がおらんのも、話す相手が誰もおらんのも、全部、全部嫌なんや! だから―――」

 そう、確かにはやては翔太が傍にいることを実感できた。ただし、それは今だけだ。5年後、10年後はどうだろうか。翔太の様な温かさで包んでくれる存在がいてくれる保証はどこにもない。なにせ、ずっと一緒にいてくれると言ってくれた翔太でさえ、その心は「友人として」なのだ。

 友人としてという言葉にずっとという保証はない。もしかしたら、仲たがいするかもしれない。まだ、子どもなのだ。何らかの理由で離ればなれになるかもしれない。その結果、陥るのは、はやてにとって絶望的ともいえる状況である。

 孤独という極寒の寒さの中に裸で立つような冷たさをもう感じたくないと考えてしまうのは罪だろうか。

 だが、そんな恐怖も翔太は笑って否定してくれる。そんなことを心配することはない、というように。

「君が一番欲しかったものがきっと得られる」

「私が一番欲しかったもの?」

 はやてが一番欲しかったもの、欲しいものは言うまでもない。今、翔太が持っているような温かさをもって傍にいてくれる人だ。はやてを一人にしない人だ。ただ、それだけが欲しかった。それ以外に何かあるのだろうか。

 そんな風に疑問に思うはやてに翔太は笑いながら、微笑ましいものを見るような目で答えた。

「そうだよ、はやてちゃん。君がいくつもの絆を紡いで、それらと付き合って、そして君が一番欲しかったもの―――『家族』が得られるよ」

「家族……」

 言われて初めて気づいた。

 そう、そうだ。自分最初からそう称していたではないか。はやてを一人にせず、はやてを孤独にしない人。その人をなんと呼ぶのか―――それは、翔太が言ったように『家族』だ。そう、そうなのだ。はやてが一番欲しかったのはシグナムのような、シャマルのような、ヴィータのような、ザフィーラのような、リィンフォースのような『家族』だ。

「私に『家族』………それってほんまに作れるんかな?」

 本当に欲しいものには気付いたが、家族が本当にはやてに作れるのかどうかはやてには半信半疑だった。なぜなら、はやてにとって家族とは与えられたもので、作るものではなかったからだ。父親も母親も記憶にないはやてには、どうやって家族が作れるのかわからなかった。ただ、そこにいて、傍にいる存在が家族であり、作るものではないと思っていから。

 そんなはやての心配を吹き飛ばすように翔太は微笑む。

「君にはきっと素敵な家族ができるよ」

 どこか確信したような言葉。それだけで、はやてが信じてしまいそうな言葉だった。もしかしたら、本当に欲しいものが得られるという他人から与えられた保障にすがっているだけなのかもしれないが。

 だが、はやてが信じられないと告げたにもかかわらずはやてを信じた翔太の言葉なのだ。現時点で一番はやての家族と呼ぶにふさわしい人物なのだ。だから、それだけで彼の言葉は信じるに値する。

 翔太の言葉を聞いて、はやては将来の自分の家族を想像する。

 一般的な家族というのは、父親がいて、母親がいて子どもがいるのだろうか。はやての想像の中では、母親は大人になったはやてであり、父親は一番家族に近いといえる翔太だった。そして、一緒に食卓を囲むのは、シグナム、シャマル、ヴィータ、ザフィーラだ。

 ああ、そんな家族が実現すれば実に楽しいだろうな、自分はもう一人ではないだろうな、と夢見てしまうのは今まで一人だった少女を想えば仕方のないことだ。はやては将来があるのだと信じたかった。

 いや、信じる、信じないではない。そんな将来はすぐ近くにあるではないか。

 はやての目は目の前でにこやかにほほ笑んでいる翔太の顔を取られていた。

 彼女の想像は夢のような虚像ではあるが、実現可能な想像だ。今、はやての家族に一番近い存在は翔太を置いてほかにいない。翔太以上にはやてを包んでくれるような温かさをもって接してくれる人が現れる保証はどこにもない。だから、先ほどの想像でも翔太が家族だった。

 先ほどの想像が実現可能だと、それを求められるということに気付いた瞬間、はやては無性に欲しくなった。想像を現実にできるような家族が。翔太と作る極寒の中にあるような家ではない温かい、孤独ではない家族が。

 それは、きっときっと楽しい想像で、夢を見るようなもので、それでも、実現したい夢だった。信じたい夢だった。だから、はやては翔太が気付いてくれますように、と願いを込めて言う。

「でも! ここまで言うんやから、もしも、私に素敵な家族ができんかったら責任は取ってもらうで!」

 孤独だった少女は、ある日、魔法の存在によって家族を知り、ある日、家族を奪われ、そして、最後に家族になりたい少年によって救われた。襲われている困難を越えた先に少女が夢見る将来を実現できるのか。それは、未だ誰にもわからないものである。

 ただ、ただ―――孤独だった一人の少女は、純粋に将来、自分と彼が作る家族を夢見るのだった。


























 
 

 
後書き
 作文課題「将来の夢」 
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