乱世の確率事象改変
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想起幕 黒の少女が願う世界
前書き
前回の話の夕視点ともう一つ、です
独自設定入ります。
黎明の光が空を照らし、暗い夜が漸く開けると教えてくれた頃、木々の枝に乗り、矢を構える敵が幾多も見えた。
真名を呼び、必死で抱きすくめた兵士の一人に守られて、私は矢を受けること無くやり過ごせる……はずだった。
「……っ」
矢が突き刺さる度に跳ねる兵士の身体。急ぎであった為か、ほんの僅かに守れていなかった私の肩に、鋭い痛みが二つ走る。
次いで、燃えるような熱が広がった。
脳髄まで侵食しようかという激痛が身体中にひた走り、叫び声を上げてしまいそうになった。
抑えられたのは、兵士の身体に口を当てて押し殺したからだ。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
これは私が、私達が人々に与えていた痛み。盤上の打ち手として、いつも他人に守られていた自分達が受けることのなかった痛み。
涙が出た。叫びたかった。身体中を掻きむしりたかった。
こんなモノを他者に与えていたのだ。恨まれるのは当然で、恐怖されるのは正しい。
それでも、私は動けない。
もうきっと、兵士は死んでいる。だって、先程までとは違い、彼の身体からは力が抜けてしまっていた。
「で、田豊様っ!」
急ぎで近づいてきた兵士の一人は、焦りを浮かべてか、私が無事かを心配してか。どちらもだろう。
でも、ごめん。もう私は……助からない。
燃えるような痛みが脳髄を侵していく中で、どうにか回した頭に浮かんだのは……明のこと。
私が助けを呼んでしまうと、明は毒矢すら気にせずに駆けてくるだろう。
兵士が泣き叫んでしまうと、明は腕や脚が千切れ飛ぼうと此処まで来るだろう。
そういう子なのだ。私をいつでも大切にしてくれる、愛しい愛しい共犯者。
だから……口を噤まなければならない。噤ませなければならない。
冷や汗が額に浮かび上がるのも気にせずに、兵士の身体からどうにか顔だけずらして、言葉を紡ぐ。
「絶対遵守命令」
「な……何、を……」
「聞いて。私はもう助からない。これは毒矢」
息を呑んだ兵士は、絶望の吐息を漏らして項垂れた。救えなかったと、無力を口にして。
まだ、まだあなたの仕事は終わっていない。
「明を此処に近寄らせたらダメ。あの子は、私を助ける為に自分の命を捨てる。私が助からないなら……あの子だけでも生かして」
兵士の頬から、ポタリ、と地に涙が落ちた。
それでもと、私の命令を聞こうとする彼は、明と私の為に戦ってくれた優しい人。
「だから……叫んだらダメ、知らせたらダメ、口を噤んで何も言わないこと。私の事には構わずに、自分達も生き残る為に戦って。これが最後の命令」
「……っ……御意、に……我らが軍師様」
微笑むと、兵士は絶望に表情を落ち込ませながらも走って行き、それからは誰も私の元に来なかった。
剣戟の音が聴こえる。人がたくさん死んでいく。もはやこれは彼らが生き残る為の戦場で、私の為の戦場ではない。
一人でも多く助かってくれたらいい。そして……明と秋兄を生かしてくれたらいい。
じくじくと侵食する熱が脳髄と身体を焼き、涙が出そうだった。
次第に忍び寄る死の気配。絶望しかない私の未来は……もう誰にも救えない。
――せっかく、助けに来てくれたのに……
でも愛しい彼女と、恋しい彼を巻き込むなんて出来なくて、ただ一人でこうして死んでいくしかないんだ。
考えると、寂しくて切なくて、涙が溢れだした。
――会いたい……会いたいよ明、秋兄……。
せめて一目だけでも二人に会いたい。だから、このまま死ぬなんて絶対に嫌だ。
もう助からないなら、せめて一目だけでも。
戦場の音を聞きながら、意識を繋ぐ為に愛しい彼女の事を考えた。
私がいなくなったらあの子はどうなる? あの子は、私が居ないと生きていけない。まだ絆を繋ぎ切っていないから、心安らぐ場所が無い。秋兄が私の策を打ち破ったという事は……明は私を失いたくないから此処にきた。なら、何も伝えないでこのまま死んでしまったら……彼女は壊れる。
――それだけは、ダメ。あの子だけでも……生かさないと……。
どれだけそうしていたか分からない。何度も何度も思考を巡らせて、あの子を助ける為の方法を考えた。
見つからない。見つからない。どんな方法を思い浮かべても、彼女の助かる方法が分からない。
どんどんと思考が鈍って行くのに恐怖して、それでも、と考え続けた。
意識が薄れそうになり、身体から力が抜けて行く頃……黎明の光が一筋私を照らした。漸く明けた昏い夜。ただ、もう限界だというように、頭の中に白が広がって行く。
――私は結局……救えなかった。
抜け出て行く力に反して、頭の中にナニカが入り込んでくる。
――私は……“やっぱり”あの子を救えなかった。
白、白、白が侵食していく。
一つ、一つと増えて行くそのナニカは……甘い感情を心に浮かばせるモノで、
――あの時、私は呪いを掛けたのに……。
思い出せるのは幾多の笑顔。大切な大切な……彼女の笑顔。
自分は、何を呪ったのか。
“この世界を呪おう。このちっぽけな命を以って、救えないモノを救い続けよう。例えこの世界が壊れても、自分が狂って壊れてしまっても、別の場所、別の時、別の世界であったとしても、たった一人を救う為に、抗い続けて捻じ曲げる”
自分は、誰を救いたかったのか。
“あなたが生きてくれるならそれでいい。死の運命から逃れ得ぬあなたが生き残って幸せになれるなら”
――あの、時……?
違和感があった。
自分が記憶している彼女ではない彼女の笑顔。
まだ死んでいないのに死んでしまう彼女の笑顔。
大切な大切な彼女の……自分が大好きな笑顔。
――あ……
自分は、何度も、何度も抗ってきた。
――ああ……
絶望しかない世界の終焉を迎える度に、救いを求めて抗った。
――どうして……
死ぬしかない彼女を救いたくて救いたくて、誰を生贄に捧げても抗った。
――どうして……忘れてたの……
誰か助けてくださいと、自分は最後に願って諦めた。
――私が救いたかった一人は……
世界は残酷に過ぎた。
自分が救いたいと願った想いさえ捻じ曲げて
自分が彼女を救えないように……自分にとっての大切をも入れ替えられていた。
――明だけだったのに……
世界に踊らされた道化は私一人。
抗う事を諦めた私には、もはや救いの道は無い。
――私が救いたかったのは、明だけだったのに……
ああそうか、と遅れて気付く。
この事象で暮らしていた、世界の道化にされていた私が好きになったあの人は……私と同じだった。
居なかった存在で、居なかった名前。
一度目か、何度目かは分からない。私と同じように救いたい子が居て、抗っているから矛盾していた。
最果てまでたどり着ける可能性のあるモノ。
彼女と共に戦える、足りないこの世界に必要な存在。
――なら……諦めた私は彼に託そう。
“あの名”を名乗る彼ならば……彼女と共に乱世を越えられる。
張コウである明を、徐晃である秋兄が救い出せる。
“あの敵”すら、“あの戦い”で乱世を終わらせれば封じ込められるだろう。
例え其処で終わらせられなくても、秋兄と明なら世界を変えられる。
明の本当の姿は秋兄と同じで、想いを繋ぐ優しい子。なら、私がするべき事は……
ごめんね、秋兄。あなたに背負わせる事になった。
でもこの子を救える方法は、もうこれしかないから……受けてくれてありがとう。
明……ずっと守ってくれてありがとう。だから私は、ちゃんと気持ちを伝えよう。
「あなたに出会えて、私は幸せだった」
「……」
ピタリと、明の呟きが止まった。
「あなたに出会えて、私は楽しかった」
もう力も入らない震える腕をどうにか上げて、さらりと赤い髪を一つ撫でる。
緩いウェーブに顔を埋める度に、いつも幸せに満たされた。甘い匂いをもう一度感じたかったな。
「あなたに出会えたから、私は“生きる”事が出来る」
そのまま滑らせた掌を、そっと彼女の頬に添える。
愛しい温もりは変わらずに、いつでも私の心に安息をくれる。
「だから、思い出を、無くさないで。嘘にしないで。あなたの心の中で、生きさせて」
死んでしまっても、ずっと一緒に居た明の中で生きられるから。
私はそうして、ずっと世界に抗ってきたから。
十一回、全てのあなたを覚えてる。大事な大事な思い出が、私に力をくれたから。
「この世界を嘘にしないで。確かにあった想いを嘘にしないで。あなたの幸せが私の幸せ……あなたの為に、私の為に」
記憶に残れば想いは生きて、この世界に生きた証が残される。
いつでも私の側にはあなたが居てくれた。あなたの笑顔の為に頑張れた。
あなたが生きた証を心に刻んでいたから……一度目の乱世も、二度目の乱世も……何度だってあなたが死んでしまっても越えられた。
「そうすれば一人じゃないよ。せめてあなたと共に、生きたいの」
前を向いて歩けないあなたの心に寄り添うから、どうか幸せになって欲しい。それが私の願いで、救い。
「……お願い、私の大切なお姫様」
最後の言葉の後、明はもう一度、口づけを落としてくれた。
甘い甘い口付けは、私が大好きな彼女の体温を分けてくれて……幸せだ。
グイと涙を拭い去った音の後……彼女は笑った。もう目は見えないけれど、きっと私の大好きな笑顔を浮かべてくれてる。
「ふふっ……りょうかい、だよっ……あたしの大切な、お姫様」
優しく地に私を寝かせた明は立ち上がる。寂しさが少し湧いた。ずっとくっついていたかった。
ごめんね、一人にして。でも私やあなたと同じ秋兄なら……きっとあなたを支えてくれる。繋ごうとした絆も、あなたを暖かく支えてくれる。
もうあなたは、一人じゃない。
ただ……明は、最期に私の予想を大きく超えた。
「でも……秋兄だけになんか……させてあげない。あたしも夕の命を食べる」
嘗て、世界が変わってしまう前、この子は皆の想いを繋いでいた。
死んでしまう人達の想いを繋いで生きていたいと、誰かの居場所は奪いたくないと叫んだ彼女に……きっと戻れたのだ。
「……ありがと、明……大好き」
嗚呼……私は救えた。彼女を、少しでも救えた。この命を食べさせて、彼女を救える。それがこんなにも、嬉しい。
幸福感に満たされていく心。脳髄は白が侵食し、それでも彼女を想ってる。
でも、この世界だって私は嘘にしない。この世界で生きていた私も……私だから。
「秋兄……最期に、あの言葉が……聞きたいな」
秋兄、あなたの事も好きになった。
これからあなたにはたくさんの絶望が待ってるかもしれない。
私みたいに、思考を縛られたらきっと動けなくなる。絶望して、壊れてしまうかもしれない。他にも誰かいるという希望を探そうとするかもしれない。
だから……私は何も言えない。この残酷な世界の事も、私があなたと同じだという事も。
優しいあなたには残酷だけど、あなたはあなたとして、秋兄として乱世を遣り切って。
その為には、記憶を失っていても、あの言葉を繋ぐべき。
あなたの心に、私の想いの華を、預けよう。
「クク……忘れてたまるか……お前のこと。俺も絶対に忘れてやんねぇよ、夕」
「う、ん……」
ごめんね、秋兄。あなたは誰とも違って、本当にひとりぼっちなのに。
私はもう手伝えない。
私が一番手伝えるはずだったのに……一人にしてしまう。
「……乱世に、華を……世に……平穏を」
必死で堪えている震える声は、思いやりと悲哀に彩られ、優しい響きを伴って心に暖かさを広げてくれた。
――ありがとう。
ズブリ、と肉を貫かれる感触が胸に一つ。痛みはもう、感じなかった。
満足だ。あなたを信じる。あなた達を信じてる。だからどうか、幸せになって。
私が繰り返した絶望を味わわないで欲しいから……願いを一つ、最期に紡ごう。
彼の為に。彼女の為に。
大好きな人達の為に。この世界で生きる人達の為に。
「どうか……あなたの望む世界に、なりますように」
一つだけ、後悔があった。
有り得ないはずの確率のカタチ。そんな幸せな事象があったなら……
“もしも”
“彼が一番初めに私と明に出会っていたのなら”
“あなたは私達を救って、幸せにしてくれましたか?”
きっとこのどうしようもなく優しい人は助けてくれる。
絶対そうに違いない。
麗羽達とも笑い合って、明や私を輪に入れて、そうして世界を変えてくれるんだろう。
白、白、白が思考を埋め尽くしていく。
最後に浮かんだのは……そんな“もしも”の幸せな世界だった。
みんなで笑い合って、幸せをつかみ取る、そんな未来だった。
――明、秋兄……大好き……
†
一面が白の世界で少女が一人、大きなため息を吐き出した。
「第一適性者田豊もこれで消失……張コウの運命を捻じ曲げて、一つだけ救われましたか。あなたのおかげで……この外史を変えられます」
モニターに映るのは、赤髪の少女が縋り付いて泣き叫ぶ姿。救いたくとも救えなかった絶望の世界。
「始まりの恋姫外史では、“張コウ”は確かに存在していました。御使いに関わることなく、曹操の部下として」
光る物体が二つ、空間に浮かび上がる。一つは鳥の頸、一つは綺麗に巻かれた琵琶の弦。
「それがどうです……捻じ曲げられた事によって表舞台から消されてしまった」
わなわなと震えだす手で受け取って、歪んだ空間の裂け目に投げて仕舞い込む。
「二喬はまだ、分かります。乱世を越えるに於いて重要かと言われればそうでもないですからね……でも張コウは……定軍山の戦いでは必須なのに」
またモニターを見据えて、彼女は苛立たしげに舌打ちを鳴らした。
「故に……世界改変の為には虚数外史の張コウ。実数と虚数に存在し得るこの子の生存は絶対に外せません」
カタリ……とキーボードを鳴らすと、モニターの反面が切り替わる。幾多もの世界の映像が映し出されていた。
どれもに、光を反射してキラキラと輝く白い衣を纏った少年が乱世に生きていた。その大半に鎌持つ揚羽が一羽、舞い踊る。少年とは決して相容れないと、常に敵対の道を選びながら。
「外史群体レベルでの実数外史への影響はまずまず。張コウの生存によってゼロ外史にも近付き、限られた実数外史にこの外史の張コウが出現。これで本物の御使いに対する復元力が出来上がります」
黒髪の軍師が、茶髪の義従が……どちらも少年とは相容れぬと反発し嫌悪する。故に……彼女達に救いなど無い。甘い世界で彼女達だけは絶望に堕ちていく。
また一つキーを叩くと、元の画面に戻った。
「まあ……この事象で変えられなかった場合の最終手段の予備戦力ですが……」
ふう、とため息を吐いた少女は、椅子にもたれ掛かって船を漕ぐ。
遠い目をしながら、ナニカを憂うように。
「第一は世界によって捻じ曲げられた張コウの運命改変に成功。第二は第一によって捻じ曲がった公孫賛の運命介入に成功。第三は……天の御使いによって捻じ曲げられた乱世の改変に……」
ふるふると首を振ってまたため息を一つ。
「私達のような管理者が何処かの勢力や特定の人物をエコヒイキした時点で乱世は茶番にしかなりません。本物の御使いが願ったモノには、“この世界はこの世界に生きている人のモノだ”、という想念が含まれていましたからね。
例え救われない結果であろうと、自分の選択を受け入れて前を向き、その世界で幸せを手に入れる……それが出来たのは覇王だけ。別れの時に御使いに縋りつかなかった覇王だけ。御使いが居ない世界でも前を向いて平穏を作り上げようとした、覇王だけ。だから、この世界を変える為には、覇王と……」
黒衣の男を憂い気に眺めて、黒の少女を哀しげに眺めて。
「……思考にそういった罪悪感や異物に対する嫌悪感が強かったから、この虚数外史に対する適正があったのでしょう。管理者に管理された箱庭の平穏などいらない、自分達の手で掴みとる平穏を……それこそあなた達が世界を変えられる証です」
大きな疲労感からか、少女は一つ目を瞑る。
「あの男なら、今回の官渡で世界の流れを大きく変えるでしょう。恋姫外史、それも魏所属事象で有り得たはずの戦が消えてしまいます。そして……蜀所属のギリギリに御使いとして観測された事で、より強固な変化を伴う……二重雑種の弊害が世界を捻じ曲げます」
もう一度、黒の少女を見てから、黙祷するようにまた目を瞑った。
「あなたは確かに世界を変えましたよ。あなたのおかげで、此処まで辿り着けたんですから……」
白の世界で一人、先読みの少女だけは真実を知る。
「あなたは確かに幸せでした。第三適正者による袁家の事象は、あなた達が一番救われた事象だったんですから……」
カタリ……とキーを一つ叩いた。
表示された世界の映像には、彼と共に幸せそうに笑う黒と赤の少女が映し出されていた。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
補足説明などなどを。
回顧録の人物は夕でした。第一適正者田豊。明ちゃんかと思わせるように手を打ってみましたが、引っかかって頂けたなら幸い。ヒントは十面埋伏陣の使用と黒髪黒目だったりします。ちなみに元々の夕は歴女で頭脳明晰な女の子です。
夕は世界に取り込まれた事によって、救いたいと願ったモノさえ捻じ曲げられていました。
明(張コウ)は、もともと無印でモブとしては居たのに、真になって消えたというのが関係してまして、どの外史でも曹操軍に居なかったなら官渡で死んでいたのではないか、という設定になっております。
なので夕ちゃんはその運命を変える為に抗ったわけです。結果として世界は、誰かの死によって明の生存を一時的に許容する、というように変化しました。
何故か男で描かれる事の多い張コウ。
史実では魏の五将なのに、二次ではあまり活躍しない。無印ではちょこたんと呼ばれる女の子だったのでこの外史でも女の子です。
独自設定についてご質問あれば答えられる範囲で御答え致します。
次は華琳様達の話
ではまた
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