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青い春を生きる君たちへ

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第16話 最後の実験を

布団の中に入って、暗闇の中目を閉じてみると、その瞼の裏には、顔を涙でグシャグシャにしていたあの構成員の姿が浮かび上がってくる。彼の失禁した尿のつんとする臭い、身体中に浴びた返り血の臭い、硝煙の匂い、全てが鮮明に蘇ってくるようで、小倉はぶるぶると震え、息を乱した。


「大丈夫、大丈夫よ……」


そんな小倉を包み込むように、高田はその小さな身体でしっかりと抱きしめ、小倉の頭を撫でてやっていた。おかげで、冬の夜だというのに寒さは全く感じず、むしろ暖かいくらいで、しかしそれ故に、この震えも一重に自分のビビりのせいであることを小倉は実感せずには居られなかった。ここは高田の部屋である。拓州会本部事務所でのひと騒ぎから、高田は自分の部屋に小倉を連れ込んだ。今晩はまだ、事態が収束しない。少しすれば良くなるが、今晩に限っては自分達は追跡され、場合によっては家も襲われる可能性がある。だから今晩は自分と居るべきだ。そう説明した高田は、裏を返せば自分と一緒に居さすれば大丈夫と言ってるようなもので、妙な頼もしさがあった。が、華奢な見た目ではあるが、妙な、とも言ってられないかもしれない。何せ、拓州会本部事務所では、大の男相手に圧倒的な力を見せつけたのだから。


「……なんでお前に、ガキみたいにヨシヨシされなきゃいけないんだ」
「だって、ひどく震えて、怯えているじゃない」
「だからってなぁ……何で頭撫でるんだよ、お前は俺のオカンか」
「お母さんには、こうしてもらってるの?」
「バカ。小さいガキの頃の話だよ」


幼い頃には、母にこうやって抱きしめられ、頭を撫でてもらった経験があった。当時は、自分より母は大きく、その大きな存在に包まれている時間は実に安心できたものだった。要するに、守られているという実感、それが何とも暖かく心地よかった。成長した今は、そうやって守られる事もなくなっていた。自分自身大きくなって、自分の身は自分で守れるし、いや、守らないといけないし、それができるのも自分だけなのだと、そう思いながら生きるようになったからだ。そのはずなのに、今は、こうやって自分より小さな少女に抱かれているのが、母の腕の中と同じように心地いい。窮地を救われ、気づいてしまったからだ。成長して、大きくなった気でいたが、自分はまだまだ、自分の命を守る事すらままならない非力な人間だという事を。そして、今目の前にいるこの少女が、自分なんかよりよほど強く、頼もしいという事を。この二つの気づきがあってこそ、守られている実感が沸く。そしてそれは、存外に心地いいものだった。


「んっ……」


小倉の方からも、高田を抱きしめ返した。華奢な体を強く抱くと、少し力が強かったのか、高田が息を漏らした。呼吸の度微かに動くその背中、どうしてこの華奢な体でああも強いのか、本当に不可解だった。


「……貧乳なんだよなぁ」
「あまり言わないで。……ちょっとは気にするのよ、いつまで経っても幼いって……」


豊満かどうかなんて、関係が無かった。今は高田の胸の中が、この世で一番安心できる場所だった。少し拗ねたような高田の表情も、どれもこれもが皆偉大に見えた。気がついたら、震えは収まっていた。



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「あのなぁ、いつか何らかの手段で連中に釘刺すのは必要だったとはいえよ?17人も殺すこたぁ無かっただろ〜」
《……申し訳ありません》


市ヶ谷の穴ぐらの中で、ディスプレーの光と書類の山に囲まれながら古本は電話していた。ここは上戸の詰める局長室とは違って、紅茶の匂いもしなければエレガントな家具も置いてない。照明も薄暗くて、無機質でゴチャゴチャした、仕事の為の部屋だった。今も、ディスプレーやファックスが、種々の情報を垂れ流し続け、それらを整理しまとめ、分析する事に追われる、後方の戦場だった。そのオフィスの中で、古本は昨晩新たに余計な仕事を増やした輩に電話をかけていた。


「知らん事じゃあないと思うけどねえ、地元警察や報道相手の情報操作とか、ヤクザ共との折衝とか、割と大変なのよぉ?せめてやる前にやると言っといてくれりゃあなぁ、まだマシなのに」
《ご迷惑おかけしました……何分、突発的な事態が起こったもので……》
「あぁ、まぁ良いよ……事務所のガス管の老朽化による爆発事故って事にしておいたし、拓州会にも、ガサ入れを止めといてやるって事で貸し作っといたから、この件についてはもう落ち着いたわ」
《……それで本当に、連中は納得したのですか?》
「おいおい、そもそも奴ら反社会勢力なんだぜ?その本部事務所で騒ぎがあったら、ガサ入れして一網打尽に取り締まられて当たり前、他国工作員なんかとつるんでたってんなら、一人残らず治安維持法でしょっぴいて当たり前だろ?それをお咎めなしってんだから、泣いて喜ぶべきなんだぜ?それに、仕返しするにしても、誰に仕返しするんだ?俺たちにするってのか?たかがヤクザ風情がねえ?今度は17人じゃきかなくなりそうだなァ」
《…………》


古本としては、それも面白そうだな、とさえ感じる。昨日の大活劇の報告を受けた時は、自分も血が滾ったものだ。現実的には、しょうもないヤクザの掃討なんて何のメリットも無いし、人員を割く価値もないのだが、だからこそ、今は後方に回されている自分の暇潰しとして使えるかもしれない……
そこまで考えて、古本はすっかり"やる気"になっている自分に苦笑した。電話の向こうのあいつも呆れてるだろう。出会った時から、風俗通いに喫煙にパチンコにと、あいつには呆れられっぱなしである。


「ま、とにかく、昨日の一件のおかげ……まあ、おかげだな……そのせいでな、拓州会はこの案件から手を引いたよ。拓州会がここまでぶっ飛んだ以上、これからこの案件に手を突っ込もうってヤクザもおらんだろう。警察も、公安も、日本赤軍に追われきりの今、この案件を解決できるのは、完全に俺たちだけになった」
《そうですね》
「いや、俺たちというより、お前、だな。局長はお前に任せてるから。しっかり幕を引いてくれよ。途中で人に投げるのは、ナシだぜ〜?」
《……分かってます、そんなこと》
「なら良いや。できるだけ早く頼むよ」


古本なりの檄に、電話の相手は少しムッとしているような返事を返してきたが、古本はそんな事気にするでもなく電話を切った。言われた事をするだけでなく、自分の意思で行動し、求められる結果を出す。上戸が今回、あいつに求めたがっているのは、そういった部分だ。自分の判断で動く。つまりそれは、自分で責任をとるという事だ。自由とは、自らに由るということ。成功も失敗も全て、自分によるものだと受け止める事だ。釘を刺すまでもなく、分かっている事だろう。だが、古本は、あえてこの事を言っておきたかった。自分が、あいつと同じ歳の頃には、その事をまだ実感できてはいなかったし、あいつも、これからその事を実感するのだろうと思われたから。



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「買い物に行ってくるわ」
「そうか。じゃあ俺は、食器洗っとくよ」
「お願いね」


小倉が朝目が覚めた時には同じ布団に高田の姿はなく、代わりに台所からモノを焼く音がしていた。自分よりよほど早く起きだして、昼食を作ってくれていたようだった。振舞われた出し巻き卵は、やや形が崩れていたが、それもご愛嬌というもの。久しぶりに食べたキチンとした朝食は、不思議と美味かった。ただ、一人暮らしなので元々それほど蓄えはなかったのだろう。2人分の卵と味噌汁、漬物を消費しただけで、冷蔵庫の中がスッカラカンになってしまった。よって高田は今、買い物に行くと言い出したのである。高田と一緒に部屋を出て、自室に帰っても良いのだが、小倉は留守番をする事にした。昨日あんな事があった以上、自分の部屋に帰りたいとはあまり思わなかった。もしかしたら、お礼参りがあるかも……


「……まだ少し、不安?」


小倉の思いを見透かしているのか、高田が尋ねる。小倉は強がる気にもなれなかった。


「……そりゃ、ヤクザとあんな関わり方したのも初めてだし。ちょっと外に出る気にも、家に帰る気にもなれねえよ」
「そう。……そりゃ、そうよね」


高田はハンガーにかけてあったコートを羽織り、小さな鞄を肩にかけた。部屋から出て行く前に、小倉の方を振り返った。


「多分、ここは安全だから。気の済むまで居て良いわよ。……じゃ、行ってくる」


ガチャリと音を立ててドアが開き、朝の日差しが差し込む。光を浴びながら出て行く華奢な背中を見送った小倉は、高田との約束どおり、炊事場に溜まった食器を洗い始めた。部屋に一人残されて、食器の片付けだなんて、居候か何かみたいだな、と小倉は思う。いや、実際居候なのだ。部屋の主の高田にご飯も作ってもらって、そして守ってもらってもいるんだから、居候以外の何者でもないだろう。どうせなら、洗濯もしておいてやろうかな、今日は良い天気らしいし。いや、でもさすがに高田の下着もあるのにそれを男の自分が干すのはなぁ……いやいや待て待て、自分は下着どころか生身すら見た事があるだろ、今更何を遠慮してるんだ……
グダグダと物を考えながら、スポンジで食器を擦り、泡を立てて、水で流す。指がかじかむほど冷たい水道水が、モワモワと泡を溜め込み、排水口が音を立てる中、小倉のスマホが音を立てた。
小倉が、高田から借りたジャージでおよそに指を拭き、スマホを手に取ると、その画面には

田中智樹、の文字が表示されていた。



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「今更何の用だ!おかげで死にかけたぞ!この裏切り者!何が愛の実験だ!何が信用を試す、だ!てめえの方から裏切ってきやがった癖に!」


自分のスマホの表示を見て、小倉は一瞬固まってしまった。が、昨晩の、田中がヤクザを煽りだした時の衝撃やら、ヤクザに組み伏せられた時の絶望感やら、思い出すのにはその一瞬で十分であり、小倉は通話ボタンを押すやいなや大声でまくし立てていた。


《いやぁ、ちょっとびっくりさせちゃったのは確かだねえ。謝るよ、ごめんごめん》


小倉の本気の怒りの叫びを聞いても、電話の向こうの田中は少しも悪びれる様子がない。たかが怒鳴ったくらいでビビってくれるような奴ではないというのは小倉も分かっていた事だが、この怒りを田中にぶつける方法が他にない事が何とも恨めしかった。殴りたい。目の前に奴が居れば、痛みをもって分からせてやれるのに……


「驚かせてごめんなさい、じゃねぇだろ!問題はそこじゃない!ふざけんなよ、お前の亡命の為に俺も体張ってヤクザの事務所なんかに行ったってのに……その話ムダにして、俺を危険に晒しやがって……」


小倉は、気がついたら涙を流していた。田中があっさり人質である自分を見捨てたこと、それは裏切りと言ってもいい。その裏切りに対しての怒りを、しょうもない拙い言葉を吼えたてる事でしか相手に伝えられないのがどうにも悔しい。電話なんてしょうもない、言葉なんてしょうもない……本当に伝えたいものをそのまま伝えられないのがもどかしすぎる。しかし他に術が無いんだから、結局言葉に頼らないといけないのが情けない。


《あぁ、ごめんよ。でも俺、拓州会に国外逃亡を頼むつもりなんだ、とは謙之介にはそもそも言ってなかったよ。もし国外逃亡するんだったら、彼らの助けが必要になる、と言っただけでね。別に国外逃亡の意思があるとは言ってなかったじゃないか。そして、話をつけるつもりだとも言ったが、国外逃亡の話を取り付けるとは言ってなかっただろ?俺はキチンと話をつけたじゃないか。交渉決裂、お前らなんてお断りです、って形でね。俺は謙之介にモノを頼むに当たっては、嘘はついてないはずだぜ?》
「うるせぇよ!このバカ……人の気持ちも知らねえでよくもまあ抜け抜けとそんな事を……だったら、俺の無事に関しては?……お前は、今回も俺の無事は保証するって、言ってたはずだ」
《え?だから、それも嘘じゃないじゃないか。今こうやって、無事に電話出来てるんだから》
「それは高田が助けてくれたからだッ!」


小倉は一際大きな声で怒鳴った。小倉の怒りとは真逆に、田中は電話の向こうで、アッハハハと笑い声を上げた。暖簾に腕押し。小倉は虚しくなって、怒るのすら馬鹿らしくなり始めていた。


《……ねぇ、まさか謙之介、あのタイミングで紫穂が助けに来たの、まさか偶然だと思ってるの?》
「……ぐ……」


小倉は言葉に詰まった。そう言えばそうだ。高田が助けに来たのは偶然であるはずがない。高田本人も昨晩、言っていたではないか。あなたには、十数人殺してでも助ける価値がある、田中の居場所を知ってるとしたらあなただけだから。そんな風な事を言っていた。つまり高田は、顔見知りがヤクザに捕まってるのをたまたま見かけたから助けてやろう、だなんて偶然ではなく、田中を追う目的のもと、必然性を持って小倉を助けたという事だ。


「……まさかお前、高田が必ず俺を助けると見越した上で、ヤクザに喧嘩を売ったなんて言い出すんじゃないだろうな」
《……公安も警察も手が回らなくなった状態で、他国諜報員と結託したヤクザに、俺に関する唯一の手がかりである謙之介が拘束されようとしているんだ。そりゃあ、紫穂が……というよりは、紫穂が所属してる組織が……見過ごすはずはないよねぇ。彼らは、国内の誰がこの件を解決したって構わないと思ってるはずだが、ただ国外に話が及ぶのだけは防ごうと考えているはずだ。当然、謙之介の確保に動くさ。他国諜報員なんかと手を組んだヤクザにお灸を据えるような、派手〜なやり方でねぇ》


小倉は脱力した。こいつにはそこまでお見通しだったのか。そうなると、自分を使者、もしくは人質として拓州会に送り込んだのも、彼らヤクザと話をする為ではなく、高田に拓州会を攻撃させる為というのが本質だったのかもしれないという気もしてくる。あの事務所でヤクザ達を煽り立てた文句は、案外田中の本音だったのかもしれない。恐ろしい奴だ。そして、何度も思ってきた事だが、人使いが荒い……
そこで小倉は、今まであまり気にしてこなかった一つの事実に気づいた。


「……おい、ちょっと待て。さっきから話を聞いてりゃ、俺とお前の繋がりがバレてるじゃないか。でなきゃ、高田が俺の動向なんて気にかける事も無いし、助けに来る事もありえないんだから」
《うん、そうだねぇ。警察と公安の目は誤魔化せても、彼らの目は誤魔化せなかったみたいだね。さすがは、日本の夜の眼だ。鋭いよ》


あっさりと言ってくれた田中に、小倉は血の気がサッと引いた。そうだ。高田があんまり優しくしてくれるもんだから、意識の中で見過ごされていたけど、高田もまた警察や公安のように田中を追っている人間達の一人なのだ。そして、自分が田中と関係があるという事がバレている。これから、どういった目に遭わされるか、分かったもんじゃないではないか。目的の為に平気で人を殺すような、そんな側面は、躊躇いなくヤクザを撃ち殺した高田の姿が示している。抱きしめられ、温もりを与えられて安心していたが、実は自分は相変わらず窮地に追い込まれているのではないか……小倉は戦慄した。


《……でもこの状況は、そこまで悪い状況じゃないよ。今はもう、警察も公安もヤクザも俺を追ってない。関係が実にシンプルになったんだ。逃げる俺、追う紫穂、その間の謙之介。追う側が紫穂だという事に、十分活路を見出せる。むしろ今までで一番良い状況だ》


田中はどうやら、小倉ほどには危機感を覚えていないようである。それどころか、今までで一番良い状況、と言い切った。小倉にはその理屈はさっぱり分からないが、黙って田中の続きを聞く。


《愛の実験の四回目を始めよう。そして、実験はこれが最後だ。今から謙之介の家のパソコンに、俺からのホットラインを引く。そして紫穂に、その存在を教えるんだ》
「は?お前、それじゃあ……」
《俺の居場所を、謙之介と、紫穂に伝えるという事だ。そして、その場所に出向いてきて欲しい。謙之介に、どうしても最後に一度、会わないといけない。そして、やってもらわなくちゃいけない事があるんだ》


小倉は、田中の言ってる事の意味が分からなかった。いや、分かった試しの方が少ないのだが、ここで自分の居場所を晒して、一体どうするというんだ?しかも、自分を追ってる立場の人間にまでそれをバラすなんて、正気の沙汰とは思えない。


「……お前、それは考え直した方が良いと思うぞ。いまさら会いに来させて、それでどうなるって言うんだ?これまで何とか逃げ延びて、生き延びてきたんだろ?高田に居場所教えるって事は、それ全部パーになるかもしれないんだぞ?」
《大丈夫。俺は紫穂を信じるよ》
「高田を信じるって……あいつが組織を裏切って、自分を見逃すのに期待するって事か?」


それこそ、考えにくい事じゃないかと小倉は思った。高田が、クラスメートだったという程度の情に流されて、やれと言われてる事をすっぽかすような人間には到底見えない。高田に、優しさが無いとは言わない。昨晩から今朝まで、自分を包み込んでくれたその態度は優しすぎるくらい優しく、温かかった。しかし……それも、彼女の組織の利益と、自分の保護が相反していなかったからこその態度のように小倉は思う。あの無表情で、実直な高田が、自分の属する組織を裏切るとは考えにくく、それを期待するのは失礼にさえ思える。しかし、田中は繰り返す。


《いや、大丈夫だ。絶対に大丈夫。俺は紫穂を信じている。だから、謙之介も紫穂を信じるんだ。信じて、2人で俺に会いに来て欲しい。……最終的な選択は、謙之介に任せるけどね。これが、最後の愛の実験さ》
「……言いたい事は分かった。で、お前は俺を呼んで、一体何をさせるつもりなんだ?それをまだ聞いてないぞ」


電話の向こうで、田中がフフッと、悪戯っぽく笑うのが聞こえた。


《それはまだ、秘密だよ……一つ言える事は、今回の実験が終わった時、謙之介は今まで通り、無事でいるって事さ。それは保証するよ。……これを信じるかどうかも、君次第だけどね》
「……ああ。よく考えて、決める」


田中からの電話が切れた。部屋には、小倉だけが残される。それと同時に、部屋のドアがガチャ、と音を立てて、高田が帰ってくる。買い物袋をいくつか引っさげて、しかしそれらを重そうに扱う事もなく、軽々と持っていた。一体その体のどこにそんな力があるのか、実に不思議である。


「ただいま」
「……お帰り」


小倉は、高田の顔をジッと見た。買い物袋をテーブルに置いた高田は、不思議そうに小首を傾げながら、小倉を見返す。


「どうしたの?そんなに見て」
「……いや、何でもない」


まさか、高田が信用に足るのかどうか、顔をよく見て確かめようとしていた、だなんて言えない。手段の妥当性としても怪しく、そうする以外に方法のない自分が情けないし、何でそんな事をする必要があるのかも簡単には言えない。田中の現在地の、絶対的なヒントを自分が持っていて、それを伝えようかどうか迷ってる、なんて事は。気まずそうに目を逸らした小倉に対し、呆れたように息をつきながら、高田は買い物袋の中身の整理に取りかかった。

「……やっぱり、田中くんから電話がかかってきたわね」


唐突に言った高田に、小倉はぎょっとした。何故、さっきまで田中と電話していた事を高田が知ってるんだ?部屋には居なかったはずなのに。


「小倉くんを一人にしたら、必ずかかってくるとは思ってたけど、さすがは田中くんね。あと少しで逆探知に成功して、通話の中身を傍受できたのに、彼の細工が存外にしぶとくて、待ち伏せしていたのにも関わらず追い詰め切れなかったわ」


涼しい顔で言いながら、高田は買い物袋の中身を冷蔵庫に詰めていく。あまりにもサラッと、恐ろしい事を言ってきた。つまりは、つい先ほどまで高田は戦っていたという事だ。田中を追い詰め、捕らえる為に。待ち伏せしていた、という事は、完全に小倉を田中の"手がかり"として監視しているという事だろう。もしかしたら、こうやって自分の部屋に住まわせているのも、自分を保護するよりも、監視しやすくする為ではという気もしてくる。


「で、どんな話をしたのかしら?田中くんとは」


高田が、小倉を振り返った。その視線は鋭く、やや挑戦的であった。獲物を狩る獣の目であった。小倉は息を呑む。
自分は本当に、この少女を信じて良いのだろうか?


 
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