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闇物語

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コヨミフェイル
  012

 最初は無理して明るく振る舞っていた月火だったが、思い出して語るにつれて、その明るさはなりを潜めていき、声も最後には掻き消えてしまった。
 月火は火憐みたいに正義を宿命のようには貫いていない。いや、火憐の貫いた正義を貫いていると言った方が正しいのかもしれない。月火には確固とした正義は無い。月火の信ずる正義は火憐の正義だからだ。他人に左右される正義だからだ。
 だから、火憐の正義が大いに揺らいだ(というわけではなく、怪異に取り憑かれている)今、月火の正義は大いに揺らいでいる。
 その揺らぎがさらに連鎖的に月火の精神状態に波及していた。
 「火憐ちゃんは催眠術にかかっているんだ」
 だからそんな月火に掛けられる言葉はこれぐらいだった。
 嘘でもいいから逃げ道を与えて精神の安定を計ることしかできなかった。
 神原が咎めるような視線を僕に向けている。
 ここまできても妹に隠すのかと神原にしては珍しく怒っているようだった。
 「…………催眠術?」
 「ああ。覚えているか?おまじないの件だ」
 「火憐ちゃんが倒された件?」
 「そうだ。あれは瞬間催眠なんだ」
 貝木の言葉を借りることになることが癪に障ったが、背に腹は替えられない。今は四の五の言っている場合ではないのだ。 それに説明するのに都合がいい。
 「今回もその瞬間催眠の奴が金儲けの邪魔をされた腹いせで身近な人物を襲わせるような催眠でもかけたんだろうな」
 話のつじつまが合うのだ。まあ、あいつに限って一文にもならない腹いせなんかしないだろうけどな。
 「…………ホントにそうなの?」
 だが、返ってきたのは疑問の声だった。
 「催眠術では本人が望まないことはできないんじゃないの?」
 「え?」
 マジで?
 「火憐ちゃんが神原さんを傷付けようと思うわけないがないからそれは考えられないけど、本当に催眠術にかかっていたとして、その催眠術師の腹いせだったとして、何でそれを今実行に移したわけ?あれからもう一ヶ月ぐらい経っているんだよ?」
 「…………知るかよ」
 唐突に月火が責め立てるように、まくし立てるように疑問を並べ立てた。
 そんなことに僕が答えられないのは当然で言い返せずに苦し紛れの言葉を放つだけだった。
 だけど、あの貝木の野郎の仕業だとすればしっくりくるのに何故月火はそれに異論を唱える?
 別の可能性を見出だしているのか?
 「じゃあ、何で私に服を取らせに行かせたの?お兄ちゃんのパーカーを掛けてやればいいし、私は神原さんより背が低いのに何で?私がいない間に何を話そうとしていたの?催眠術のことじゃないよね?だって簡単に言うはずないもんね?」
 「……さあ……」
 月火が言いたいことは明白だった。だが、ここまできてできることは白を切るぐらいのことである。
 「お兄ちゃん、私に隠していることあるんじゃないの?」
 「………………」
 黙秘権発動したが、
 「例えばその首筋の傷とか」
 「なっ!?」
 次の瞬間には無効化された。
 傷を隠すように手で押さえたが、時既に遅しである。
 「気付かれていないとでも思った?」
 火憐ちゃんは気付いていなかったけど。
 と月火は付け加えた。
 「いつからかは知らないけど、ずっとその傷治っていないよね?それにその傷――吸血鬼に噛まれたみたいだけど」
 「……………………」
 気付かれていたのかよ。
 言葉通り汗水垂らして髪を伸ばした僕の苦労は何だったんだと思うと、自嘲の笑みが零れた。
 「春休みにお兄ちゃんが家出したことと春休みに流れていた金髪の女の吸血鬼の噂に関係しているんじゃないの?」
 「……………………」
 揃いも揃って勘が良すぎるぜ。
 「何を隠しているの、お兄ちゃん?」
 月火はずいっと僕の方に歩み出た。僕の反応から確証を得た月火の目には確信の色が見えた。
 さすがはファイヤーシスターズの参謀役をしているだけはある。
 「阿良々木先輩の遣り方も選択肢の一つだとは思うのだ。しかし、今回はそれで失敗してしまった。他の遣り方に目を向けるべきではないか、阿良々木先輩?」
 成り行きを黙って見守っていた神原が出し抜けに言った。
 「……神原……」
 「……神原さん……」
 「遠ざけるだけではなくて、導く必要があると思うのだ。勿論怪異を知った上でだ、阿良々木先輩」
 神原の言っていることに間違いはないし、遠ざけられていたかどうかも怪しかったが、遠ざけようとしてこの結果なのだから、僕がどうこう言える立場ではない。
 とは言っても、神原の言うことには一理ある。
 「そうだな、わかったよ」
 銃を突き付けられたときのように両手を上げて、降伏の意を表明した。ハンズアップである。
 「だけど、時間がないから手短に済ませるぞ」
 と、言って足元の影に向かって元世界最凶の怪異の名を呼んだと同時に、戦闘機を甲板に運搬する空母の昇降機に乗っているかのようにゆっくりと影の中から見るからに不機嫌そうな忍が浮かび上がってきた。
 月火はその現象を前にして目を丸くして驚愕していた。無理もないだろう。これに驚くなという方が酷だろう。
 だが、月火が正常に戻るまで待てないので説明を始めた。
 「こいつは忍。元世界最凶の怪異だ」
 「怪異…………」
 「そうだ。忍は吸血鬼なんだ。悪い奴じゃない。それだけは保証できる」
 「吸血鬼…………」
 月火は未だに混乱しているようで目を丸くしたまま硬直していた。と思った時には覚束ない足取りで忍の目の前まで歩を進めていた。
 忍は「なんじゃ」と言わんばかりの目で月火を睨めつけていたが、そんなことも気にしている風もなく月火は忍の頭の上に手をのせて撫ではじめた。
 かなりの大物である。
 見た目も愛らしいし、僕が安全を保証したものの、いきなり撫でるとは思わなかった。僕としても吸血鬼と言われてすぐに頭を撫でられる勇気などない。皆無である。
 「かわいい。この子が本当に吸血鬼なの?」
 しかし、かわいいものに目が無いようで、もがきながら嫌がる忍をひとしきり撫でた後に月火が言った。
 「ふん、悪いか」
 かわいいと言われたことが思いの外嬉しかったのか忍は頬を少し紅潮させながら取り繕うように不機嫌を装った。
 完全体の時ならそんなありきたりな評価に気を良くすることはなかっただろうけれど、今は見た目は言うに及ばず、精神までも幼児化していて案外単純である。
 「何か、妹ができたようで嬉しいー」
 撫でるだけじゃ飽き足らず、月火は忍の頭に両手を回して抱き寄せた。忍は顔を押し付けさせられて息苦しそうにじたばたしている。
 「で、僕は忍と出会って、吸血鬼になったんだけど、色々あって今では僕は吸血鬼に限りなく近い人間に、忍は人間に限りなく近い吸血鬼になったんだ」
 ほとんどのことを省いてまるで要領を得ない説明になってしまったが、仕方ない。僕と忍が傷付き合う物語など元々誰にも明かさず、墓場まで持って行くつもりなのだ――吸血鬼もどきの僕に墓場があるという前提に成り立っているが。だからこの物語は戦場ヶ原にも伝えていない。知っているのは当事者の羽川と忍野だけ。皆は僕が吸血鬼もどきになった経緯がまったく気にならないのか、それを聞いてくる気配もない。それは妹も含まれるようだった。
 「じぁあ、首筋の傷はその時のだね」
 忍を抱き寄せたまま、顔だけを僕の方に向けた。
 「まあな」
 と答えてやると、
 「…………お兄ちゃんが吸血鬼か~」
 少しの間を開けて月火は気の抜けたような返事をした――そのすぐ後だった。
 「そして、私は左腕が猿だ」
 唐突に神原が話に割り込んだ。驚いて神原の方に目をやった時には既に左腕を覆っていた包帯を解いていて、その包帯の下に隠されていた猿を思わせるけむくじゃらの腕が惜し気なく曝されていた。
 レイニーデヴィル。雨降りの悪魔。
 契約として魂を引き換えに三つの願いを叶える、いや裏の願いを。
 レイニー・デヴィルは暴力的な悪魔らしく、何よりも人の悪意や敵意、怨恨や悔恨、嫉心や妬心、総じて、マイナス方面、ネガティヴな感情を好む。人の暗黒面を見抜き、惹起し、引き出し、結実させる。嫌がらせのように人の願いを聞いて、嫌がれせのように叶える。契約自体は、契約として――人の魂と引き換えに、三つの願いを叶える。三つの願いを叶え終えたときに――その人間の生命と肉体を奪ってしまう、そうだ。つまり、人間そのものが、最終的に悪魔となってしまう、そういう性質であるらしい。
 神原は小学生のときに初めてそれを使った。そう、初めて。
 今では想像できないだろうが、小学生のとき神原は運動神経がからっきしなく、そのせいでからかわれていたらしい。そんな状況から脱しようと、近々開かれることになっていた運動会の徒競走で一等を取りたい、と半信半疑で悪魔の手に願ったのだそうだ。
 だが、悪魔はその願いの裏にあった、自分をからかう同級生に対する憎しみを徒競走で一緒に走るはずだった同級生四人を殺害するという形で結実させてしまった。神原はそれに無意識ながら気付いていた。
 だから、神原はそれを腕のミイラが猿の左手のせいにした。そうすることで自分が意に反して同級生に手を掛けたと思い込むためだった。
 そして、二度目に自分を拒んだ戦場ヶ原先輩の隣にいたいと願ったのだ。小学生以来使わないと誓っていた悪魔の手に願ったのだ。そして、例に漏れず、悪魔は神原の願いの裏にあった戦場ヶ原のそば、神原がいるはずだった場所に僕がいることに対する憎しみを結実させようとした。僕がここにいるのだから結実はしなかったのだが。
 そんな、神原にとって負の遺産であり、重い代償であり、見たくもないであろうその腕を神原は曝していた。
 「お、おい、神原……」
 「いいのだ、阿良々木先輩。阿良々木先輩にだけ告白させるわけにはいかないと思っただけだ。阿良々木先輩のことだから自分だけばらすつもりだろうとわかったからな」
 まるで好きにしてくれと言わんばからに神原は左手を月火に突き出していた。それを目を丸くしながらもまじまじと月火は見ていた。
 その隙に忍は月火の腕から逃れて僕の後ろに身を隠した。
 「これも怪異なんだよね」
 「ああ。レイニー・デェヴィルって言って、宿主の願い事を叶える怪異だ。私はそれに願ってその代償としてこんな醜い腕にさせられたがな」
 神原は毎日見ているはずの猿の腕をどこか懐かしそうに、そして恨めしそうに眺めて言った。
 猿の腕は神原の二の腕まで侵食している。
 元々は手首までしかなかったはずの猿の腕のミイラだったものは神原の腕となり二の腕に達するほどに成長している。
 成長するには糧が必要であるのは僕の血を糧にして成長する忍を見れば、わかるだろう。糧を必要としていないために命を落としたときの姿のまままったく成長していない八九寺を見ればわかるだろう。
 神原の場合はその糧が命だ。
 もちろん神原はそのことを意図的に隠しているのだろう。それを明かすほど僕も野暮、というか馬鹿ではない。このことを明かしたところで神原の代償が返ってくるわけでも(返るならそれを代償とは言えない)月火を怪異から遠ざけられるわけでもない。何にもならないのだから、これは墓場まで心の奥にしまっておこう。ま、元々そのつもりだったが。
 「それで、千石ちゃんは蛇だ」
 「ええっ!!」
 まさか既に事が解決している自分にも話が振られるとは思わなかった千石は目を少し見開いて驚いていたが、それ以上に驚いていたのは月火だった。口を大きく開けて、飛び出しそうなほどに目を剥いていた。
 「あのお呪い騒動で唯一お呪いが成功したのが千石に対するお呪いだったんだ。それでそのお呪いというのが蛇切縄、つまり蛇だった。だが、案ずるな。千石ちゃんについては阿良々木先輩と高名な退魔師によって払われている。心配はない」
 神原の言葉を聞いた月火はわかりやすいほどに胸を撫で下ろした。しかし、忍野が高名な退魔師であるとお世辞にも言えない。どっちかというと巧妙な退魔師だろう。
 「ごめんね」
 月火が唐突に言った。
 初めうちはキョトンとしていた千石だったが、その言葉が自分に対してのものだと知るや否や、先程よりも目を大きく見開いてきょときょとと助けを求めるように僕と神原を交互に見た。
 「友達なのに気付けなかった」
 「い、いいよ。仕方が無いよ」
 自戒の念を多分に含んだ言葉に千石が手を顔の前でぱたぱたさせた。
 「そういうことだ、月火。怪異の知識のなかった月火に気付けというのはあまりにも横暴だ。詳しいことは事が片付いてから包み隠さず、伝える。今は火憐をどうにかしなければならない」
 「うん、わかった。だけど、一つだけ確認させて」
 「…………なんだ?」
 先程まで自分を責めるような唇を噛んでいたのが嘘のようなあまりにも真剣である月火の目に気圧されて言葉がすぐに出なかった。
 「大丈夫なの?」
 「あん?」
 「日に当たると死んじゃうとか、ニンニクを食べても死んじゃうとか、聖水を被ったら死んじゃうとか、十字架に触れると死んじゃうとか、心臓に杭を打たれたら死んじゃうとか聞くよ?」
 「…………」
 確かにそう言われているが、もしそうなら僕は今まで何回死んでいることになるんだ。日常的に目にすることがない聖水とか杭とかに至ってはほとんど考慮する必要がないと思うだ。
 まあ、だけど、そんなこともわからないほどに僕の身を案じているのだと思うと、自然と笑みが零れた。
 「言ったろ。僕は吸血鬼もどきだって。僕は吸血鬼に限りなく近い人間なだけであって吸血鬼じゃない。まあ、厳密に言えば人間でもないけど、取り敢えず大丈夫だ」
 「お兄ちゃん……」
 安心したのか声色を和らげていた。
 「そういうことだから大丈夫だ」
 「そう。うん、わかった」
 「…………怒らないのか」
 「……なんで?」
 「隠していたことだよ」
 「いいよ、別に。家族だからって隠し事はしてはいけないなんてことはないし」
 いつかの八九寺と同じことを言う月火。
 「…………ありがとう。ありがとう」
 それに頭を垂れて感謝の言葉を繰り返していた。
 心の中で自分は受けいられないのではないかと思っていたからだろう。拒絶されないことがわかった瞬間、堰を切ったように底知れない喜びが湧き出していた。
 「やめてよ、お兄ちゃん。馬鹿みたい」
 月火が照れ臭そうに頬を指でポリポリと掻きながら言った。
 「で、どうするの、お兄ちゃん?」
 「……そうなんだよな。探し出すしかないか…………」
 「探し出すにしても火憐ちゃんに憑いている怪異が何かわかっているの?」
 「わかっておる。火憐とやらに憑いておるのは黄泉蛙という蛙の怪異じゃ。そして、うぬを狙っておる」
 忍が僕の後ろで顔だけを出すようにして言った。
 「えっ…………」
 困惑したように月火は一歩後ずさった。
 「詳しいことは後で我が主様、つまりはうぬの兄に聞けばよい。とにかくうぬは怪異に狙われやすくなっておる。じゃからうぬは怪異に憑かれた火憐とやらに襲われたのじゃ。今もいつ襲われるかわからん」
 「……う、うん」
 後半部分の意味がわからなかったのか気の抜けた返事になっていた。いきなり存在力と言われて理解できる方がおかしいというものだろう。ましてや未だに自分が怪異である驚愕の事実さえ知らされていないのだから。
 「そこでじゃ、我が主様よ。一つ提案があるんじゃが」
 と、僕の方を見て忍が言った。
 「なんだ、言ってみろよ」
 「お前様は嫌じゃろうが、うぬの妹御を餌にして釣るというのはどうじゃ。勿論相応のリスクが生じるが、探す手間は省ける」
 「月火を怪異の前に差し出すということだよな?」
 できるわけがない。リスクどころの話しじゃない。
 「じゃが、黄泉蛙は死にかけじゃ」
 「だったらなおさら慎重にしてもいいのではないのか」
 「儂が言いたいのはそうじゃなくて、死にかけの黄泉蛙が何をしでかすかわからんと言っておるのじゃ。探しておるうちに目標を変更したらどうするのじゃ。例えば委員長の娘にのう。あやつじゃて己の心に怪異を住まわせておるじゃろうが」
 「あっ…………」
 そうだった。
 迂闊にも失念してしまっていた。夏休みに色々あったとは言え、失念してしまうとは、迂闊にもほどがある。
 この迂闊さがこの件を引き起こしてしまったのではないのか。
 「くそっ」
 「まあ、そう自分を責めるでない。それよりもどうするのじゃ?」
 「…………月火を囮にはできない」
 黄泉蛙に遭遇したとして月火を無事に逃がすことができる自信がない。それでもし月火の身に何かあれば本末転倒もいいところである。それならばまだ探し回る方がまだ現実的だ。
 「なら、どうするつもりなのじゃ?」
 「考えがある。忍、お前の存在力はどれくらいなんだ?」
 「皆無じゃが、それがどうしたのじゃ?」
 どこか不満そうに言う忍。
 聞く前から答えはわかっていたが、確認のために訊いた。完全体のギャップを突き付けるのは、その姿になった原因が自分にあるだけに気が引ける。しかし、そんなことを気にしている暇はない。
 「ならいけるな」
 「何がじゃ?」
 「いや、何、作戦を思い付いたんだ」 
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