Element Magic Trinity
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それから、数日。
今日も今日とてお祭り騒ぎの妖精の尻尾の一角、乱闘の被害が届かない距離にあるテーブルで、ルーシィはいつものように喧嘩するナツとグレイを眺めていた。
「ホント、よく飽きないわよねえ…あの2人」
「仲良しだからね」
呆れたように呟くルーシィの向かい側には、当然のようにルーがいる。
最近では、この2人が一緒にいない事の方が珍しい。「付き合っているんじゃないか」なんて噂も当然飛び交うが、その度にルーは「まだ付き合ってないよー」とニコニコ笑顔で返し「…まだ、だけどね」と悪戯っぽく付け加えるのだ。
呆れるルーシィを見つめるルーは、ちらりとルーシィの左肩に目を向ける。ナイフによって傷ついたそこは傷も塞がり、跡も残っていない。その事実にほっとしつつ、グラスの中のオレンジジュースをストローでかき混ぜた。
「にしても早いねー、何かもうあれから1年経っちゃった気がするよう」
「まだ数日程度だけどね。でもまあ、それはあたしもかな」
1週間にも満たない数日の中で、いろんな事があった。
1番大きかったのは、やはりアルカの事だろう―――とルーシィは思う。ギルドに帰ってすぐ質問攻めにあっていたアルカを思い出して、苦笑する。
「どういう事だよアルカ!」
「何が?」
帰って来るなり叫んだナツに、きょとんとした表情のアルカが振り返った。ぱちりと瞬きを繰り返すアルカに、ビシッと指を突き付けてナツは続ける。
「お前、あん時ミラの中から出てきただろ!?」
「…あー」
「あ―――!そういえばそんな事あったかも!」
「忘れてたの!?」
ナツの問いにギルドが騒然となった。ミラの中から出てきたってどういう事だ?―――と全員が思い始めると同時に、ガシガシと頭を掻きながらアルカが困ったように片目を閉じる。その姿も様になってしまうのだから、流石は週刊ソーサラーの“彼氏にしたい魔導士ランキング”上位ランカーである。
「つってもなあ…オレだって全部説明出来る訳じゃねえし、うー…」
どうすっかなあ、とアルカは首を傾げた。
しばらくそのまま悩んでいたが、ようやく考えがまとまったのか口を開く。
「とりあえず知ってる範囲で話すよ。信じがたい話だろうが、まあ聞いてくれ」
そう前置きして、アルカは自分の知っている範囲で話し始めたのだった。
「あの時は最初、結構混乱したよね~」
楽しそうに笑うルーも、混乱した1人だった。
「え!?どういう事!?ちょっと待って理解出来ないよ脳内爆発だよ!?」と誰よりも慌て混乱していた姿は、失礼ながら結構面白かった。
先に知らされていたミラは唯一何も言わなかったが、意外だったのはティアの反応だ。
「でもティアには驚いたよう。だって“あ、そう”しか言わなかったもん」
そう。
そんな一言で終わらせたティアはそのままギルドの仮眠室に直行し、そのまま寝てしまったのだ。これには話したアルカも驚いたようで、しばらく言葉を失っていたのを思い出す。
「ま、アルカがあの時みたいに“ギルド出ていく”なんて言わなかったからよかったわ。そんな事になったら、ミラさん絶対悲しむし」
「悪魔でも人間でも、アルカが仲間なのに変わりはないもんね!いてくれなきゃ僕飢え死にしちゃうよう!」
「アンタは自分の食事以外の心配ないの!?」
「ほえ?心配してるよ?だってアルカがいなくなったら寂しいもん。親友がいなくなるなんて、もう嫌だよ」
そう言うルーの声のトーンが落ちた気がして、ルーシィは目を伏せる。きっと今、彼はサヤの事を思いだしているのだろう。ルーシィにそっくりな、明るい金髪の少女。
目を伏せたルーシィに気づいたのか、ルーは「そういえばさ」と話を変える。
「パラゴーネ、元気かな」
「クロノが言ってたでしょ、“評議院のカエル言い負かすくらいには元気だ”って。ま…それは元々の口調で、なんだろうけど」
「うー…パラゴーネとは上手く喋れないんだよねー」
外見に似て幼さを感じるルーの口調と、小柄な外見からは想像出来ないような複雑な単語を次々に並べるパラゴーネ。
困ったように眉を寄せたルーは、はむはむと一口サイズに切ったオレンジのムースを口に運ぶ。
「グレイは普通に会話するもんねー、頭の中見てみたいよう」
泣き止んだティアを連れ、ナツ達は他のメンバーと合流した。
あちこちに転がるデバイス・アームズの残骸に気を付けつつ歩いていたティアは、ふと差し込んできた影に顔を上げる。
「…クロス?」
どうにか1人で立つクロスは、俯いていた。何かを堪えるように、拳を握りしめている。
どこか戸惑うようなティアの声にピクリと肩を震わせて、クロスはゆっくりと口を開いた。
「何で、1人で行こうとしたんだ」
「…それは」
「頼りにならないのは解っている。姉さんの隣に立つほど強くないのも理解してる。けど、頼ってほしかったよ。1人で行って、傷ついてほしくなかった」
ぎゅっと、ティアが唇を噛みしめる。謝罪の言葉がぐるぐると頭を巡るが、何を言っていいのか解らない。
クロスが求めているのは、きっと謝罪なんかじゃない。そう理解してしまうけれど、ここで何を言えばいいのかなんてどこを漁っても解らなかった。
「……ダメだな、俺は。それが姉さんなりの優しさだと解っているのに、責めるだけで」
諦めたような声色に、焦る。何も言えない自分が憎たらしくて、ギリッと歯が鳴った。
違う。ダメなんかじゃない―――――そう言いたいのに、その言葉はちゃんとあるのに、声に出せない。声が出ない訳じゃないのに、言えない。
「頼りにならない弟で、ごめん」
たった一言。クロスからの謝罪で、一気に何かが壊れた気がした。
背負わせてはいけない、これ以上自分の事を後回しにさせてはいけない―――そう思って取った行動で、ティアはクロスを傷つけた。その度に弟は無力に嘆いて、苦しんで、なのにティアはそれに全く気付かなくて。
「……何よ。姉なんて、結局戸籍上だけなんじゃない」
気づいたら、呟いていた。
ハッとしたように顔を上げたクロスに構わず、悔しさに任せて、爪が食い込むほどに拳を握りしめる。
(姉らしい事の1つも出来ないで、傷つけて。クロスは自分の事も満足にしてないのに、私の事考えてくれてたのに。私は、何にも考えてなかった)
考えて取った、最善であるはずの策。それはティアにとっては何よりもいい策だったけど、クロスにとっては違うのだ。それはクロスからすればまるで、お前は無力だと言われているようなものではないか。
様々な知識を溢れんばかりに詰め込んたはずの脳は、とことん無力だった。
(私、最低だ)
結局、自分の事しか考えていないじゃないか。この行動で誰かが傷つくなんて考えは、掠りもしなかった。
悔しい。悔しすぎて、泣く気にもなれない。
「姉さん……!」
ふわり、と。
視界に見慣れた青が入った。
それとほぼ同時に背中に腕が回され、痛いくらいにぎゅっと抱きしめられる。突然の事に驚きながら目の動きだけで横を見れば、左肩辺りで青い髪が揺れていた。
「無事、なんだな。ここに、いるんだよな。姉さんは…生きて、ちゃんと、俺の前に、いてくれてるんだよな……!?」
焦るような問いかけに続くように、腕に力が入る。これだけで十分ここにいる証明になっているはずなのだが、どうやら心配性な弟は姉の口から聞かない限りは信じないようだ。
戸惑いながらクロスから目線を外したティアは、あやすようにクロスの背中を軽く叩く。
「いるわよ、私なら。ボロボロだけど生きてるし、アンタの前にいる」
そう囁く表情がいつもより緩んでいるのに、声色でクロスは気づいた。軽やかで冷たく、棘のあるソプラノが普段よりも柔かい。
それだけで安心して、張り詰めていた何かが静かに切れた。
「…よかった、無事で……!もう、会えないかと、思っ…うぅ……」
「そんな簡単にくたばってなんかやらないっての。泣くなら泣きなさい、胸なら貸すわよ」
「へ…あ……そんなっ、め、滅相もないっ!」
「?」
小首を傾げるティアからバッと飛びのいたクロスの頬はどこか赤く、意味が解らずティアは眉を顰めた。時々こんな素振りを見せる弟には慣れているが、相変わらずその理由は解らない。
あー、やら、うー、やら呻いていたクロスはふらふらと視線を彷徨わせ、ふと目の動きを止めた。
「……アイツは」
先ほどまでの涙声が一瞬にして鋭くなる。敵を見るような目に振り返れば、こちらへと駆けてくるミラ、ヴィーテルシア、アランの姿があった。
「ミラ!大丈夫か?」
「私は平気。でも…ごめんね。アルカのお父さん、気づいたらいなくなってて……」
「…いや、いい。どうせそうだろうとは思ってたしな」
ミラの言葉に顔を曇らせたアルカだったが、すぐにニッと口角を上げる。その目がどこか悲しそうなのにミラは気づいたが、「そう」とだけ返す。
本当は悲しいのに敢えて隠すのは、ここにいる仲間に心配をかけないように。それが彼なりの優しさなら、口を出すのは1番してはいけない事だと思ったのだ。
「アラン君!」
「ウェンディ、ココロ…よかった、2人とも無事で」
「それは私達のセリフだよ。ね、ウェンディちゃん」
「うん。アラン君も無事でよかった!」
それぞれ傷を負いながらも、3人は笑い合う。
その様子を後ろから眺めていたヴィーテルシアは静かに目を閉じた。魔法陣が展開し、一瞬にして少女の姿から狼へと変身する。
「ふぅ、やはりこれが落ち着くな」
「人間姿よりも?」
「いや、元が人間だからな。人でいるのが1番だが、如何せん女は慣れん。だが、女帝の業火は女姿でしか使えないし、男姿はまだ練習中だし…」
くるりと尻尾を回すヴィーテルシアにティアが問うと、困ったような声が返ってきた。紫の目で相棒を見上げていると、その視線に気づいたのかティアがこちらを向く。
「何よ」
「……どんな姿であれ、お前の隣が落ち着く。それだけだ」
言いながら照れくさくなって顔を逸らす。少し驚いたように僅かに目を見開いたティアだったが、暫くしてふっと口元を緩ませた。
それが余計照れくさくて、ヴィーテルシアは目を伏せる。
そんな様子を、距離を置いてパラゴーネは見つめていた。
普段単独行動の多い彼女には、目の前の光景全てがスポットライトを当てたかのように輝いて見え、それに惹かれるように気づかないうちに足が1歩前に出る。
「……!」
けれど、その足はすぐに引っ込んでしまった。裾がボロボロになったマントの胸元に手を当て、1歩、また1歩と後ずさる。
クロスの鋭い瞳を見た。それにつられるように振り返ったティアの、やや見開かれた目を見た。それだけで、パラゴーネは自分が本来何であるかを思い出す。
(私は、“天秤宮”パラゴーネ。私は……敵讐、だ)
彼女が師匠と呼び慕う彼と、一部の面々はパラゴーネを信じてくれた。だけど、それがギルドの全員に共通する事とは限らない。パラゴーネは妖精の尻尾に直接行き、危害だって加えたのだ。
そんな自分が味方であると、仲間であると見てもらえる訳がない。
(……だったら)
けれど、それに怯えて逃げ込んでばかりではいられない。仲間達にどう説明しようかと頭を捻らせるグレイに目を向け、それだけでパラゴーネを勇気が満たす。
勝手に師匠と呼ばれ慕われているだけのグレイが一生懸命に考えてくれているのが嬉しくて、緩みそうな口元をどうにか引き締めたパラゴーネは、真っ直ぐに彼の下へと足を進めた。
「クロノヴァイス殿」
「ん?」
青い目を向けられ、やや怯みそうになるのを堪える。カトレーンの青い瞳はそれだけで迫力があるようで、シャロンの目を見て話せるようになるまで相当の時間がかかった。
今すぐにでも逃げ出してしまいたい衝動を無理矢理抑え込み、パラゴーネは両腕をクロノへと伸ばす。きょとんとした表情の彼に、パラゴーネは迷う事なく言い放った。
「私を、逮捕してほしい」
その一言に、衝撃が走る。
彼女の事情を知るナツ達は逮捕されるという事実に目を見開き、それ以外のメンバーは闇ギルドの人間が自分から逮捕を申し出た事に驚き、唯一直接的な面識のないティアは周りの様子に首を傾げた。
「は…?つか、お前誰?」
「私はパラゴーネ。血塗れの欲望ギルドマスター直属部隊の“天秤宮”だ」
「!」
最初は戸惑っていたクロノの表情が、パラゴーネの言葉で一気に強張る。それもそうだろう、目の前にいるのは闇ギルド――――それも、バラム同盟の一角を担う程のギルドでマスターの直属部隊を務めるような強者なのだから。
真っ直ぐに自分を見つめる小柄な少女の赤い目から逃れるように顔を上げる。クロノの立場上、逮捕しない訳にはいかない。あと少し待てば第一強行検束部隊も、それ以外の部隊だって来るだろう。
けれど、何かを言いたそうに、それでも何を言っていいのか解らないような様子の仲間達を見ると、少しばかり罪悪感に似た何かが湧き上がるのだ。
そんなクロノの葛藤に気づいているのかいないのか、パラゴーネは振り返って頭を下げる。
「今般の事局は謝罪する。この頻数の怠状では宥恕は不可能だと思考するが…宥恕してほしい」
並べられる複雑な単語に、揃いも揃って首を傾げる。通じていないと解ったようで、パラゴーネは今のところ唯一話が通じるグレイをじっと見つめた。
視線に気づいたグレイは、少し考えてから口を開く。
「…今回の事は謝る。この程度の謝罪では許してもらえないと思うが、許してほしい……で、合ってるか?」
「肯定する。流石は師匠、私の言辞が通じるのだな。喜悦だ」
グレイの問いに、パラゴーネはパッと表情を明るくさせた。それでも声のトーンが上がらないのは、状況が状況だからだろうか。つい先ほどまでなら、あの塔の中でこの会話が繰り広げられていたのなら、パラゴーネの声のトーンは普段のそれよりも明るく、跳ねるようだっただろう。
「パラゴーネ、お前…」
「そんな相好をするな、エルザ・スカーレット。私は闇ギルドの魔導士、罪悪を購うのは至理だろう?寧静だ。整然、罪悪は購う」
そう言って口元を緩ませるパラゴーネに、言葉を失う。赤い目を細めて微笑んだパラゴーネは、言葉を失う彼等を安心させるかのように頷いた。
「寧静だ。罪悪を購い終えたら、私は師匠の傍近に帰還する」
「どうしてそうなる!?」
「何を述すか、師匠。私はグレイ・フルバスターの弟子なのだぞ?師匠の傍近に存在するのは整然の事局だ。安慮しろ、師匠に不興は被らない。弊害になると断決すれば登時に抹消する」
トン、と軽く自分の胸を叩いたパラゴーネは、それ以上言う事はないと言わんばかりに背を向け、クロノに両腕を伸ばした。クロノは迷うように目線を彷徨わせ、パラゴーネの手首を見る。
遠くに聞こえる馬車が近づく音に歯を噛みしめたクロノは、諦めたように息を吐いた。
「解った、オレはお前を逮捕する」
「クロノ!」
「それがオレの仕事だ。言っただろ、ナツ。オレは立場上、こういう奴は庇えない。ティア助けんのに力貸してくれた奴だとしても、だ」
何か吹っ切ったように軽い調子で頷いてみせたクロノに、噛みつきそうな勢いでナツが叫ぶ。それに言葉を返すクロノの青い目はどこか冷めていて、それ以上何も言えなかった。
と、クロノの後ろに馬車が停まる。
「隊長!」
「おー、来たか」
「来たかじゃありません!人に書類押し付けといて…」
「人聞き悪ィ事言うなって。“頼んだぞ”って渡しただけだろ、返事聞いてないけど」
「それを世間一般では押し付けたと言うんです!」
クロノより年上に見える男性の言葉をのらりくらりと避けつつ、次々に現れる馬車に「ご苦労さん」と声を掛けていく。
まだまだ隊長相手に文句を言い足りないらしいクロノの部下の男性は、クロノの前に立つパラゴーネに目を向けた。怪訝そうに顰められる眉に、パラゴーネの方がぴくっと震える。
「この人は?確か妖精の尻尾にこんな魔導士はいなかったはずですが……」
「コイツは血塗れの欲望のパラゴーネだ。手錠用意しとけ」
「!血塗れの欲望…!?」
クロノの口から飛び出たバラム同盟を担う闇ギルドの名前に、その場にいた隊員全員が驚愕から息を呑む。その空気に怯んだらしいパラゴーネは半歩下がるが、すぐに思い直したように足を戻した。
そんな彼女を見て苦笑したクロノは、「ああ、そうだった」と思い出したように付け加える。
「オレが捕まえた訳じゃねえ、コイツは自分から逮捕しろって言ってきた。つまり自首だ。書類にもそう書いとけよ」
「え?」
「は?」
投げ出すようにそう言って、クロノは欠伸を噛み殺した。驚く男性隊員とパラゴーネの反応に戸惑ったのか、クロノは首を傾げつつもう1度口を開く。
「だから、自首だって言ったんだよ。評議院に直接来た訳じゃねえが、オレが捕まえた訳でもない。てかオレは言われるまでコイツが闇ギルドの奴だって気づかなかったしな。ちゃんと書類に自首って書いとけよ、ラージュ」
「はあ…って、隊長!その書類を書くのは隊長です!」
「あれ、そうだっけ?」
ラージュと呼ばれた男性隊員に「そういやそうだったかもなー」なんて呑気に返して、クロノはナツ達に背を向ける。
まさか自首扱いされるとは思っていなかったらしいパラゴーネはしばらく呆然としていたが、ずしりと手首に感じる重さに意識を引っ張られた。顔を向ければ、見るからに重そうな手錠が付けられている。
「んじゃ、来てもらおうか」
「…了承した」
トン、と軽くパラゴーネの肩を叩いたクロノに頷き、パラゴーネは足を進めていく。
見た目よりかは軽く感じる手錠の重さに少し驚いていると、クロノの右手に淡い光が灯っているのに気づいた。見上げると、ニヤッと笑みを浮かべたクロノが「腕が折れそうだからな」と言い訳のように呟く。
「パラゴーネ!」
大声で名前を呼ばれた。
首を傾げながら振り返ると、魔力の少なさでふらつきそうなルーがこちらを見ている。支えようとするルーシィに「大丈夫」と返して、ルーは少し考えてから叫んだ。
「えっと…いろいろありがとう!全部終わったら、その……ギルドで、待ってるから!」
その言葉に、パラゴーネは大きく目を見開く。その当時はギルドにいなかったとはいえ、血塗れの欲望は彼にとっては何よりも許せない存在であるはずだ。だから、信じてもらえる事だけでも驚きだった。こんな、礼まで言われるとは思っていなかった。
言いたい事を言い切ったらしいルーは、まだこちらを見つめている。その目を見返したパラゴーネは、ふっと口元を緩ませた。
「再会を必ず。……ありがとう」
紅蓮の瞳を細めたパラゴーネは、それだけ言って背を向ける。
馬車の中に消えていく小さい背中を、ナツ達は何も言わずに見送っていた。
「でも良かったよね、クロノが担当で。自首扱いの事とかも減刑の対象らしいし、いろいろ情報提供してるから割と早く出て来られると思うってクロノが言ってたじゃない」
「みたいだね。前の立場とかここまで育ててもらった恩とかで言いにくい事もあるっぽいけど、傘下ギルドの情報は次々に出してるんだっけ?」
「容赦なく斬り捨ててるわね…」
どうでもいいと言わんばかりに傘下ギルドの情報を喋るパラゴーネの姿を思い浮かべて、笑い合う。きっと無表情で、淡々とした調子で話しているのだろう。
「早く出て来ないとグレイも元気なくなっちゃうしね。本人は否定してるけど、パラゴーネがいなくなってからちょっと元気ない気がするんだあ」
「オレが何だって?」
「うわあ!?」
ストローでグラスの中身をかき混ぜながら呟いたルーの背後から、白いコートを纏うグレイが声を掛ける。文字通り跳び上がったルーは「心臓に悪いよう!寿命が縮むじゃん!」と喚くが、それを無視してグレイはルーの隣に腰掛けた。
「パラゴーネの話してたの。で、ルーがパラゴーネがいなくなってからアンタの元気がないって」
「はあ?大して変わんねーだろ」
「そんな事ないよう!だって前はもうちょっと長くナツとモメてたもん!」
「それは関係ねえよ。ティアがナツ引っ張り出しただけだ」
「え?」
ほら、とつい先ほどまで自分達が喧嘩していた場所を指さすグレイ。確かにそこには喧嘩相手のナツの姿はなく、ギルド中を見回してもあのいろんな意味で目立つ姿はない。
「ホントだ、いない」
「だろ?突然入ってきたと思ったら“戯れてるトコ悪いけど、コイツ借りるから”とか言って引っ張って行ったんだよ。文句言われようが睨みで黙らせて、な」
「さっすがティア!目の力だけで人を黙らせるなんて凄いよう!僕も見習わなきゃ!」
「無理だと思うぞ」
「うん」
「酷い!」
小さくガッツポーズをして意気込むルーには悪いが、無理だろう。垂れたルーの目はどんなに力を込めて睨んでも“可愛らしい”の域を出ない。普段の幼さを感じる言動を知っていれば、尚更だ。
「うわああああんグレイの馬鹿ああああああ!」
「オレだけかよ!」
「だって僕ルーシィの事馬鹿なんて言えないもん!アルカ~!グレイが僕の可能性を否定するようー!」
「わっ、バカ!アルカ巻き込むんじゃねえ!アイツ今ミラちゃんといい感じの空気だろ!察してやれよ!」
「空気クラッシャーを侮るなかれ、だよ!」
……なんて言い合いを眺めるルーシィは、呆れたように肩を竦めた。
「遺品整理だあ?」
「そう。そろそろ手を付けないとマズいと思って」
行き先も知らされず引っ張られてきたナツは、ティアの言葉に眉を顰めた。
目の前に立つ一軒家は、今回の件があった後に「一人暮らしを始めようと思うの」と突然言い出したティアが現在住む家だ。
白い壁に焦げ茶色の屋根。真新しいその家の門を開くと、ティアはくるりとナツの方を向く。
「早く入って。蹴り飛ばされて入るのが嫌ならね」
1人暮らしを始めようと思うの。
その発言に荒れたのは言うまでもなくクロスである。命刀の副作用によってまだ怠さが残っているはずなのに、それを微塵も感じさせないいつもの調子で「姉さん行かないでくれええええええ!」と泣きついたのだ。シスコン恐るべし。
とはいってもティアの決意は固く、これから仕事を多くこなして適当にアパートの一室でも借りようと思っていたらしいのだが―――――姉の決意を知って、黙っていられるクロスではない。
それを知った彼はどうにか納得し、従者4人を集めてこう命令した。
『姉さんの新生活の為、資金を集めろ!』
まさかの命令に従者4人が引っくり返ったのは当然といえば当然だろう。とはいえ、主の命令がそうであるなら動くのが従者。動けない主に代わってハイペースで仕事をこなし、一軒家を買えるほどの金額を用意してみせたのだ(その後、4人は疲れ果ててギルドに顔を出す力もなかったが)。それを知ったギルドのメンバーは思った――――次アイツ等がギルドに顔出したら全力で歓迎しよう、と。
1日に最低3個の依頼をこなせばそれなりの資金が得られるし、どうやら彼等は貯金から少しずつではあるが出したようで、聞いたティアは珍しく申し訳なさそうだった。
更にクロスも動く。仕事に行けるような状態じゃない自分を恨めしげに呪い続けていたクロスは、暫くして家から何かを持ってきた。
『ふふ…ようやく出番が来たか。姉さんにもしもの事があった時の為に貯めていて正解だった!』
どこか得意げな顔で差し出された紙幣の束を、最初はティアも拒んだ。いくら弟が好意から渡してくれるとはいえ、かなりの大金である事に間違いはない。それを受け取るのにはやはり遠慮があって、首を横に振ったのだが―――流石に、「受け取ってくれ姉さん!俺は姉さんを応援したいんだ!」なんて言いながら涙目になられては、断る方が悪い気もしてきてしまう訳で。
17歳の青年が涙目で姉に縋りつく図ははっきり言って随分情けない様子ではあったが、結果的に姉の為になる事の為ならそこまでの行動はどうでもいいのがクロスである。どんなに情けない図になっていようと、姉にさえプラスになる事があればそれでいい。
そこまで言われては流石のティアも困ったようで、半ば押し付けられるように受け取ったのだ。
―――――という訳で、従者達の努力と弟のシスコン魂によって購入されたと言っても過言ではないこの家で、ティアは1人暮らしを始めた。
いや、1人暮らしというのは少し間違っている。相棒のヴィーテルシアは最初から一緒に暮らす気満々で、少ない荷物をまとめて家の前で待っていたらしい。玄関の前で尻尾を揺らす相棒に最初は戸惑っていたティアだったが、まあ別に1人(1匹?)増えた所で変わらないか、と納得したようだった。
そんなヴィーテルシアは最近人間の男性姿に変身出来るよう練習を繰り返しているようで、家では練習と称して男性姿が多いらしい。まだ完全ではないが、少しずつ上達はしているようだ。
「ティア、このノートどこ置けばいいんだー?」
「そこの箱の中…ってさっき説明したばっかりなんだけど」
右手に持ったノートを振るナツに答えながら、ティアは別の箱を漁る。似たテイストの洋服を畳み直して箱に詰め、恋愛系の小説を中心とした本を別の箱にしまう。
2年前からずっと、イオリが死んだ事実を認められずにいた結果がこれだ。埃を払う程度の事は定期的にしていたが、実はまだ手らしい手は付けていない。今回の件でどうにか受け入れられた気がして、ずっと放っておいた遺品整理をしようかと考えたのだが、1人でやるには量が多く、とりあえず人手を探していた。
そこで目を付けたのが、飽きもせず喧嘩するナツである。力仕事が必要になれば役に立つでしょ、と扱き使う気満々で引っ張りだしてきていたりするのだが、それはティアだけの秘密だ。
「…なあ」
ふと、どこか迷ったような声色でナツが呟く。また1から分類の説明か、と思いながら顔を上げると、背を向けてノートやメモを整理するナツがいた。
分類に迷っているようには見えない。現に手は動いている。
「何」
「……」
「アンタらしくないわね。言いたい事あるなら言いなさいよ」
隠されてると余計気になるわ、と続けて、ティアは明るい黄緑のワンピースを畳む。これを着ているところは見た事がないが、余所行き用だろうか。そういえばさっきあの人らしくない、可愛らしさを重視したと思われるブローチがあったっけ。このワンピースに合わせてたのかな…なんて考えを頭の片隅に巡らせながら、ティアは気になってもう1度顔を上げた。
「ねえ」
「何であの時オレに言ったんだ?“力貸せ”って」
一瞬、言葉の意味が解らなかった。
そもそもそんな事言ったっけ…?と考えるくらいには忘れてしまっている。しばらく頭を捻らせると、ようやく思い出した。
―――――だから、力を貸しなさい。バカナツ
確かにそう言った。
勝てないと言われて、1人では無理だと自分でも気づいていて、だから協力を求めた。それが間違っていたとは思わないし、今更それについて聞かれるような事もなかったと思う。
小首を傾げつつ眉を顰めると、変わらず背を向けたままのナツが口を開く。
「炎と水じゃ相性悪ィし、お前竜人だろ?滅竜魔法が弱点なら、オレ以外の方がよかったんじゃねえかと思って」
バサバサと小さく音を立てて紙の束をまとめるナツは背を向けたままで、こちらから見えるのは背中だけ。時折動きに合わせて揺れる桜色の髪に目を向け、視線をその背中に移す。
何も考えていないように見えて実は誰よりも仲間を気遣う彼に、ティアはふっと笑みを零した。
「く、くくっ…」
「?」
「あははははははははははっ!」
「んなっ!?」
微笑むだけでは止まらず、遂には腹を抱えて笑い出す。床に転がってしまいそうになるのをどうにか堪えて、笑い過ぎて目に浮かんだ涙を指に乗せるように拭った。
しばらく笑い続けていると、心外だと言いたげな表情のナツがこちらを見ている。
「お前なあ……!」
「仕方ないでしょ、もうおかしくっておかしくって…」
「おかしい言うな!ずっと考えてたんだからな!?」
「ったく…珍しく頭使ったと思ったら、どうでもいい答えを出して来たわね」
「どうでもいいだと!?」
ナツの眉がぴくっと上がった。仲間想いの彼からすれば、ティアの「どうでもいい」発言には腹が立つのだろう。
けれど、本当にどうでもいい。
「だってもう過ぎた事じゃない。今更どうこう言ったって、私がアンタに声かけたのは変わらないんだから、うだうだ悩んだって無駄でしょうが」
もちろん、属性の相性も考えた。弱点である滅竜魔法の使い手が味方とはいえ増えるのも、本当は避けたかった。そりゃあ氷を操るグレイやギルド最強の女魔導士のエルザの方が相性はいいし、同じ元素魔法を使うアルカの方が動きは読みやすい。
それでも、ティアがナツに声を掛けたのには理由がある。理由もなしに、共闘を申し出たりなんてしない。
「それに、アンタが私を助けてくれるって話だったでしょ?……って、この話はあの時少ししたじゃない。何よ、忘れた訳?」
ずいっと覗き込むように顔を近づけると、その迫力からかナツは1歩後ろに下がった。帽子の奥の青い目がいつものように煌めいて、白い肌に映える。
腰に手を当て目の動きだけでナツを見上げるティアは、その体勢のまま口を開いた。
「そこまで考えてくれてるのはありがたいけど、必要ないわ。その程度のデメリットなら想定内よ。だから考えるのはここまで。まずは遺品整理を終わらせるわよ」
「……おう」
そう言ってすいっと離れて言ったティアは、しゃがみ込んで再び衣服を漁り出す。それに続いてナツも紙を片付け始めた。こういう細かい作業は苦手で、すぐに投げ出してしまいたくなる。が、そんな事をすればティアの怒りを買うのは解っている為、大人しく作業に没頭していく。
しばらくの沈黙。それを破ったのは、ティアの声だった。
「……アンタは私の背中を預かってさえいてくれればいいから。少しでも私を信じているなら、アンタの背中は私が預かってあげる。絶対に、勝たせてみせるから」
その言葉に振り返るが、ティアは変わらずイオリの服を広げては畳んでいる。
華奢な背中に笑みを零して、ナツは背を向けて紙を集めた。彼女の頭の中では、誰も理解出来ないような戦術や計算が巡っているのだ。だったら、それに突っ走っていくタイプのナツが口を出す必要はない。
考えも力も、全てを信じているからこそ、何かを言う必要はない。
「おう」
それだけ返して、2人はそれぞれの作業に没頭する。
窓の外に広がる光景に、シグリットは息を吐いた。そこにあるのは絶景―――ではなく、滅んだ街。
いや、正しくは“滅ぼした街”だろう。この街をここまで追い込んだのはシグリット達だ。無駄に人を殺すなとは命じたけれど、どうやら思った以上に人が死んでいる。
「すまないね、シグリット。想像以上に抵抗されてね…命令に背いてしまったが、少し消させてもらったよ」
杖を片手に歩み寄る夫に微笑んで、シグリットは思い出す。
あの後――――シャロンが倒れ、妖精の尻尾の勝利が絶対になった時。そうなるであろうと予想していたシグリットは、評議院が塔に乗り込む頃には既に姿を消していた。隣で微笑むエストも、“十二宮”の面々も。
“天秤宮”が抜けた事に落ち込むメンバーもいたが、元々仲間意識が高い訳ではないのが闇ギルドというもので、三日もしないうちに何事もなかったかのように動いている。エストも息子の事でいろいろと考えていたが、どうやら復活したようだ。
「仕方ないわ。邪魔しなければ何もしないと言ったのに邪魔をしてきたのは向こうだもの。それに、この街には“あれ”がある。結局、滅んでもらわないと困るのよね」
「言っている事がシャロン様のようになってるよ」
「やめて頂戴。あの女はもう私達の主じゃないわ」
エストの指摘に、不快そうに眉間に皺を寄せる。
闇ギルドと繋がり、歯向かう者を殺し……そんなシャロンが逮捕されないはずもなく、今は牢屋の中だ。彼女に力を貸す必要もなくなり、血塗れの欲望は自由に活動している。
「でも驚いたよ。まさかカトレーンの一族を潰す為に妖精の尻尾を巻き込むなんてね」
「私達だけでもよかったんだけど、兵は多い方がいいでしょう?それに、自分の知らない所で潰されてたらティア嬢に失礼じゃない。息子がお世話になってるんだもの、それくらいの気遣いは必要だと思って」
そう言ってクスクスと笑うシグリット。本当に彼女は残酷だと、エストは思う。
シグリットをここまで動かすのは、憎悪だ。闇ギルドになってまで叶えたい事があるから、どんな残酷な事も平然と遣って退けてしまう。あの日からずっと憎み続ける相手を消す為に、このギルドはある。
「それでどう?“あれ”は消せたかしら」
「大丈夫じゃないかな。事実、私の役割はなかったし」
「そう」
黒いコートの裾が風に揺れる。あの頃と同じコートはデザインは古いし全体的によれ始めている気がするが、エストはこれ以外のコートを着ようとしない。
その様子を「リーダーって意外に頑固だよねー」等と部下は言うが、シグリットは知っている。
彼がこのコートを好むのは、アルカといた頃を思い出せるように。最近、コートの下に着るトップスに白を選ぶ回数が多くなった事にだって、気づいている。
「マスター」
呼ぶ声に、シグリットは目線をエストから自分の前に向ける。
展開した魔法陣の上に立つ明るい水色の髪の少女は、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「何かしら、“十三番目”」
「現在カトレーン邸を評議院第一強行検束部隊が捜索中……どうしますか?」
「そうね…そろそろいいかしら」
シグリットが興味本位で手を差し伸べた彼女も、待っている事だろう。このままでは忘れ去られてしまうだろうから、そろそろ頃合いだろうか。
ふと横を見れば「いいんじゃないかな」と笑うエストの姿。
「…ええ、お願いするわ。ちゃんとクロノヴァイス様をお連れして。他の人はダメよ」
「了解しました」
こくりと頷いた少女は、魔法陣の中に消えていく。
再び窓の前に立ったシグリットは、微笑んだ。
「また会いましょう?妖精の尻尾」
「次に会う時には、私は復讐を終えているかしら」
それが聞こえたのは、同じ部屋にいたエストだけだった。
だだっ広い土地を、クロノは溜息を吐きつつ見回していた。
昨日から始まった捜索は、全くと言っていいほど進んでいない。人数はそれなりにいるのだが、土地が広すぎるのだ。
例えば、倉庫だけでも軽く十はある。他にも侍女や庭師といった使用人が暮らす建物に、ティアが暮らしていたという小屋。それ以外にも沢山の小屋や建物がある。本宅の全部屋を捜索するのに何時間も費やすような家は、厄介な事この上ない。
この家で暮らしていたクロノでさえ、全てを把握していないのだ。妹や弟を呼ぼうかとも思ったが、その考えはすぐに却下する。弟は動ける状態じゃないし、妹を呼ぶなんて以ての外だ。
「……広すぎて腹立ってきた」
ポツリと呟くが、それに答える声はない。隊員は皆、この広い土地を駆け回っている。こう表現すると遊んでいるようにも聞こえるが、実際には死に物狂いで捜索中だ。
そんな中クロノが何をしているのかといえば、彼は彼で仕事に勤しんでいる。用意された椅子に座り、大きな紙にカトレーンの地図を書いているのだ。大雑把に書かれた建物らしき四角に「第一倉庫」やら「昔飛竜飼ってた小屋」やら「使われてるの見た事ないけど多分必要な建物」やら書き込む作業は意外と大変で、元々デスクワークが得意ではないクロノには苦痛でしかない。
「くっそー、ラージュの奴…」
こういう時に限って、デスクワークが得意な隊員は体調を崩している。この部隊で1番クロノにあらゆる事を押し付けられているであろうラージュは熱を出してしまったらしく、そうなれば自分でやるしかないのだ。他の隊員に任せようかとも考えたが、任せる前に逃げるように行ってしまった。
「クロノヴァイス様」
「ん?」
青い髪をぐしゃぐしゃにして呻いていたクロノに声が掛かる。
声のする方に顔を向けると、明るい水色の髪が目を引く少女がこちらを見ていた。
「えーっと…アロマ、だっけ?」
「はい」
頷く少女の名は、アロマ・トゥーラ。カトレーンの家で働いていた侍女の1人だ。
明るい水色のボブヘアに、ロング丈のメイド服。ヘッドドレスで飾る頭はクロノの肩辺りにある為、立ち上がると見下ろす体勢になる。
事情聴取の為に連行された使用人達だったが、それはそれで大変だった。これほど広い土地を管理するのだから人数は多いだろうとは思っていたが、まさか百人近くいるとは。
分担していたものの、その全員を覚えているかと聞かれればそれは怪しい。彼女の事を覚えていたのは、クロノが担当した中で1番歳が近そうだったからであって、そうでなければ多分忘れているだろう。
「どうかしたのか?」
事情聴取を受けた使用人達は、今日の内に半分以上が釈放された。他はまだ聴取を受けている。
アロマも聴取を受け終った1人で、この土地に詳しい人間が1人でもほしいからと呼ばれた―――と、本人が言っていたのを思い出す。
ぐいっと体を伸ばしつつ問い掛けると、アロマはもう1度頷いた。
「こちらへ、来て頂けますか」
「?おう」
そう言って歩き出したアロマの後ろ姿を、不思議に思いながらもクロノは追いかけた。
「ここです」
アロマが足を止めたのは、倉庫の前だった。
つい先ほど、クロノが「第八倉庫」と地図に書いたその場所にアロマは入っていく。扉を開けて「どうぞ」とこちらを見るアロマに軽く頭を下げたクロノは、中に入った。
パタン、と扉を閉める音を背後に、クロノは辺りを見回す。
「……ここが、何なんだ?」
「先日、シャロン様が仰ったんです。“この倉庫には人を入れるな”と」
「それで?」
「命じられた通りに誰も入れませんでしたが…御覧の通り、ここはただの倉庫。用がない限りは誰も入りません。それなのにわざわざ“人を入れるな”と命じるのには些か引っかかって…もしかしたら、ここに何か隠すような事があるのかと」
「なるほど」
戸惑うような声色のアロマに頷き、もう1度辺りを見回す。庭師が使うであろうハサミや脚立、肥料が置かれたこの倉庫に、隠すようなものはなさそうに見える。
「何もねえな」
「はい。私の考えすぎかと思ったのですが…先日、ティア様がシャロン様と戦っている際、私は庭師に頼まれて肥料を取りに来ていたので、この倉庫の中にいたんです。外に出ようにも危ないので、戦いが終わるまで隠れていようと」
「賢い判断だな…で?」
「その時、声がしたんです。女性の声でした」
「声?」
疑問に思いながら、耳を澄ませる。が、彼女の言う“女性の声”は聞こえない。
「聞き間違いとかじゃなくて、か?」
「そう尋ねられると答えにくいのですが……確かに、聞こえました。“会いたい。会いたいよ”と呟く声でした」
ますます解らない。首を傾げていると、アロマが倉庫の中央付近に歩いていき、置いてあった樽を退かし始めた。
「お、おいっ」
これにはクロノも慌てる。
使用人達はこの土地の情報提供の為に呼ばれたのであって、捜索に直接関わる事は認められていない。もちろん、置いてあるものに手を出すのも禁止だ。
だからクロノは慌てているのだが、アロマはそんな事気にせず床を見つめている。
「聞いてんのかって……」
これでは怒られるのはクロノだ。上司の長い説教を思い浮かべてうんざりしながら声を掛け――――気づく。
「どうやら、声の主はここにいるようです」
そう呟くアロマ。
その視線の先には、取っ手がついた扉があった。取っ手を引くと、下へと進む階段が現れる。
「……マジかよ」
まさかの事態に、クロノは無意識に呟いていた。
何があるか解らないから、とアロマを倉庫に残し、クロノは階段を下りる。もしここに兵器の類いがあれば魔法で使い物にならなくすればいいか、なんて楽観的に考えているが、ここに人がいるのは確実だ。
アロマが聞いたという声の主がここにいる。それが敵なのか味方なのかは解らないが、どちらにせよ事情は聞かなければならない。
(まずは“何でこんな倉庫の地下にいるか”って聞くか…)
質問に優先順位を付けながら、階段を下り終える。
目の前には白っぽい大きな扉が1つ。それ以外には何もない。ドアノブも取ってもない扉をどうやって開ければいいのかと悩んでいると、目の前に魔水晶映像が現れた。
「えっと……シャロンの誕生日を入力しろ?」
その下に現れた数字を一瞥して、シャロンの誕生日を打ちこんでいく。覚えたい訳ではないが、毎年毎年大々的にパーティなんかしていれば嫌でも覚えてしまうのだ。クロノの下にも毎年招待状が送られてくるが、忙しさを理由に欠席している。
多分クロスもそうだろうし、ティアには招待状すら届いていないだろう。
「これでよしっ…と」
最後の数字を打ち終えると、ピピッと小さな音がした。それと同時に扉が横に開く。
扉と同じように真っ白な空間に、白すぎて目が痛くなる。置いてあるテーブルも椅子も、全てが白い。奥の方に扉が見えるが、それさえも白いという徹底ぶりだ。ただでさえ眩しい色である白が、部屋の光を受けて更に眩しい。
「何だここ……」
呟くが、答えはない。やはりアロマが聞いたという声は気のせいだったのだろうか。扉が開く音がしても何もないという事は、そうなのだろう。
(気のせいか…そう解れば、とっととこの白いトコから出て……)
「……クロ君?」
足が、止まる。
いろいろと巡っていた思考が一瞬にして止まって、砕けて、消えた。
(何で)
真っ先に浮上した言葉はそれだった。有り得ない、嘘だと喚くクロノが自分の中にいる一方で、本当である事を望む自分もいる。
その呼び方をするのは、1人だけだった。からかうようにそう呼ぶ人もいたけれど、クロノがこの呼び方を許した相手は、今も昔もたった1人。
(嘘だ)
その声は、クロノが知るそれで。6年前を最後に隣から消えた、彼女の声で。
「クロ君なの?……クロ君、だよね?」
死んだはずの声が、呼ぶ。
彼女だけに許した愛称で、あの頃より少し大人びた声色で、クロノは呼ばれる。
隣から突然姿を消した彼女の、柔らかなソプラノ。当時より落ち着きがあるけれど、間違える訳がない。
この声で、この愛称で、クロノを呼ぶのは―――1人だけなのだから。
(嘘じゃ、ない)
信じたい思いと信じられない思いを半分ずつ抱えて、クロノは振り返る。評議院の制服の白いマントが、動きに合わせて揺れた。
その青い目が、映す。
揺れる、セミロングの黒髪。
艶やかな黒に彩りを添える、淡い桃色の花飾り。
桜色のロングカーディガンから覗く、白いスカート。
特別整っている訳ではないけれど、どこか透き通るような魅力を持つ顔立ち。
「…ナギ……」
震える声で呟いた、恋人の名。
もうこの世にいないはずの女性は、目を潤ませて頷いた。
「クロ君……!」
堪えきれずに涙を流すナギの体を、よろけながらも受け止める。首に回った腕は確かにあって、それに気付いた瞬間クロノの頬を涙が伝った。
ナギの背中に腕を回し、抱きしめる。
「ナギ…お前……生きてたのかよ…!」
「うん……生きてる。私、死んでないよ…ここに、いるよ」
噛みしめるように呟かれた言葉に、クロノは抱きしめる腕に力を込めた。
ナギの話はこうだった。
6年前、“話がある”と呼び出されたナギは、何者かによってカトレーン邸へと連れ攫われた。その後目を覚ましたナギを待っていたのは、当主シャロン。
『あなたのような低俗の女は、クロノヴァイスに相応しくないわ』
相手が誰かも解らないままにそう告げられたナギは、まず魔法を封じられた。そして―――――暫くして現れた災厄の道化の面々によって、ナギはボロボロに傷ついた。
血で汚れていない箇所を探すのが困難なほどに全身が赤く染まり、痛みの度に絶叫して声も嗄れ、このまま死ぬんだと絶望しかけていたのだという。
が、次に目を覚ました時、ナギはこの部屋にいた。
全身にあった傷は跡すら残さず癒えていて、問題なく体は起こせるし歩く事も出来て、声も問題なく出る。訳の解らないままに戸惑っていると、現れた赤い髪の女性がこう言った。
『大丈夫、ここにいる限りは安全よ。またあんな目に遭いたくなかったら、暫くここにいる事をお勧めするわ』
その言葉は本当で、ここにいる限りは何も起きなかった。洋服は時々同い年くらいの少女が届けに来てくれたし、食事も同じように届けてくれた。突然行方不明になって周りに迷惑をかけているだろうとは思っていたが、どうしようもなかったらしい。
それはそうだ。下手をすればナギは死んでいたかもしれない。生きていてくれただけでも十分だ。
――――そして、先日。
戦いの音に気づいて、ナギは見つけてほしいと願った。
「……という訳なの」
ナギの説明に、クロノは「そうか」と頷く。
“赤い髪の女性”というのは血塗れの欲望のギルドマスター、シグリットだろう。まさか闇ギルドのマスターに恋人を助けられるとは思わなかった。
「……ねえ、クロ君」
さて、これをどう上に報告するか……なんて考えていたから、ナギの声に反応するのが少し遅れた。腕を解きクロノの正面に立つナギは、少し悩んでから意を決したように口を開く。
「クロ君って、恋人いるの?」
「……はあ?」
随分マヌケな声が出た、と自分でも思う。が、これは仕方ない。
だってクロノの恋人は、目の前にいるナギなのだ。そのナギに「恋人はいるのか」と聞かれるなんて、はっきり言っておかしい。
どうやらクロノの言いたい事に気づいたらしいナギが、慌てて言葉を付け足す。
「あ、あのねっ…6年も経ってるし、クロ君も新しい彼女がいるのかなー……って」
どこか不安そうに問いかけるナギだが、クロノからすれば頭を抱えたくなるほどの事態だ。
ナギがいなくなって6年。告白される事がなかったと言えば嘘になる。だが、その全てを“彼女がいるから”と断り続けるほどにはナギを愛しているクロノに、新しい彼女なんているものか。
「…あのな、ナギ」
「うん」
ポン、と肩に手を置きどうにか口を開いたクロノに、やや硬い声で答えるナギ。今の質問で一気に体力を削られたような気分だが、今はそれに打ちひしがれている場合ではない。
「今から結構な事言うが、驚くなよ。ついでに引くな」
「う、うん」
「……オレはな」
もう片方の手も、ナギの肩に置く。クロノの言う“結構な事”に表情が強張るナギを真っ直ぐに見つめ、クロノは続ける。
「この6年、お前以外の女と付き合うなんて考えた事は1度もない。ずっと、ナギだけを愛してる」
これは本当だ。微塵の嘘も入っていない。
真っ直ぐにこちらを見つめる青い瞳を見つめ返すナギは、その言葉の意味をゆっくりと噛みしめ、理解する。どうにか理解し終えた瞬間――――ぼんっ、と効果音がつきそうな勢いで、ナギは赤くなった。
目の前で突然赤くなったナギに、クロノは戸惑う。
「お、おい?どうした、大丈夫か?」
「……クロ君って本当、時々無自覚にイケメンだよね」
「?何の事だ?…もしかして、何かマズい事言ったか?」
「私の心臓にとってマズい事言ったよ……」
心臓ばくばくで死にそうだよ、と呟きながら、ナギはどうにか顔を上げる。火照った頬に両手を当てていると、左手にクロノの手が重なった。
前を見ると、愛おしそうにこちらを見つめるクロノがいる。重なった手を降ろし、クロノの肩に乗せると、少し驚いたように目を見開いた。右手も肩に乗せ、小さく首を傾げる。
その仕草に「うあー…」と呻いたクロノは、空いた右手でナギの髪に触れた。
「おかえり、ナギ」
そう言って笑う、クロノに。
ナギも笑って、言葉を返す。
「ただいま、クロ君」
――――――白い部屋で、2人の姿が重なった。
『お疲れ様、十三番目』
「いえ」
その頃――――倉庫を離れ、カトレーンの土地からも離れていくアロマは、耳元に手を当てていた。頭に直接響く声は、笑うように続ける。
『あなたには今回影でよく働いてもらったわね。グレイ君のコートを届けたのも、あなたでしょう?』
「あれは頼まれましたから」
『ああ……ザイール君、だったかしら?』
シグリットの声が、愉快そうに歪む。声だけでも解る歪みに、アロマは表情1つ変えない。
『今頃どうしているかしらね、彼は』
「へー、やっぱりザイールいなくなったんだ」
「ムサシもいないデス」
「いやあ、アイツは刀に吸収されちゃったんじゃないのー?」
悲しい末路だねえ、と口では言いながらも、“死の人形使い”のマミー・マンはニヤニヤとした笑みを消さない。彼女が人の最期を笑うのはいつもの事だ。
“天候を司る者”のセスは、カーリーブロンドを揺らしてマミーの隣に座る。
「ま、予想通りかな。そうでしょ参謀ちゃん」
「大体は。ザイールさんは元々このギルドに長居する気はなかったようですし、ムサシさんの方も……」
音1つ立てずに現れた“宙姫”ルナ・コスモスに驚く素振りも見せず、マミーは「やっぱりかー」と笑う。
そんな彼女とは対照的にどこか落ち込んだような表情のルナは、沈痛な面持ちで口を開く。
「私の策が違っていたら…ザイールさんはともかく、ムサシさんは……」
「んな事言ったって仕方ねえだろ。もう終わっちまったんだ。殺し損ねた獲物に用はねえし、死んだ奴なんざどうでもいい」
吐き捨てるように言った“極悪なる拘束者”ヒジリ・ファルネスに同意するように頷いたのは、“太陽の殲滅者”シオ・クリーパー。殲滅担当の彼女には共感出来る点があったようで、変わらない眠そうな顔で宙を見つめる。
「そのー、通りー。死んだー、奴はー、殲滅ー、してもー、面白くー、ないよー」
「それは解るかなー。やっぱりさっ、死に怯える顔っていつ見ても無様なんだよねえ…ま、アタシはそれを求めてるから人間殺すの好きだけど」
くつくつと笑うマミーを止める者はいない。少し前までは「少し自重しろ」等とザイールが止めていたが、もう彼はこのギルドにはいない。
「全員集まってるようだね」
そんな空気の中現れたのは、災厄の道化のギルドマスター、ジョーカーだった。
オッドアイを煌めかせる彼は、告げる。
「血塗れの欲望からの指示だ。“白き遺産”について調べろ、とね」
その言葉で、道化師達は動き出す。
黒ずくめの彼は、歩いていた。
顔を黒い布で隠し、目元だけを見せて、彼は歩く。行く宛てはない。目指す先もない。
―――――罪を償ったら、シュランちゃんに会いに来てくださいね。
―――――シュランちゃんと一緒に、ジュビアも待ってますから。
それを思い出して、笑みを浮かべる。その笑みは自嘲に近い。
罪を償ったら、と彼女は言った。一緒に待っているとも、言った。彼が大切にするあの少女と、一緒に。そしてそれに、必ず会いに行くと言った。彼女は聞いていなかっただろうけど、確かに言ったのだ。
けれど、彼はそれから逃げている。会う事から、逃げている。
(滑稽だ、本当に)
会いたかったはずなのに、彼女に近づいてはいけないと彼の中で何かが告げていた。彼女には今の暮らしがある。そこに、少し関わっただけの自分が入り込むスペースなんてない。
慕う彼の傍にいて、まだ馴染めていないけど居場所もある。そこに自分が入れば、彼女はきっと思い出すだろう。あの辛かった日々や、傷ついた記憶を。
「……!」
ふと視界に飛び込んだ影に、顔を上げる。
「ザイール・フォルガさんかしら?」
「……そうだが、何の用だ」
咄嗟に右手に魔力を込め、鋭い目で睨みつける。が、目の前の女性はその程度では怯まず、余裕たっぷりの笑みをそのままに1歩近づいた。
警戒を解かないザイールに、女は言う。
「あなた、私達の力になる気はない?」
どうやら全て終わったようだね。
収まる形に収まってくれて嬉しいよ。
……え?僕が誰かって?
そうだなあ…僕に固有の名前はないんだけど……。
傍観者とでも呼んでくれればいいよ。
僕はこの名の通り、常に全てを傍観しているからね。
いや、正しくは傍観する事しか出来ないんだけど……まあ、細かい事は置いといて。
彼等は彼等の日常に戻っていった。
ある青年はある少女の隣にいる幸せを噛みしめて。
ある少女はいつかの日を夢見て。
ある2人はお互いに背中を預け合って。
ある青年は大切な少女を取り戻して。
ある女性は復讐に憎悪を燃やして。
ある青年はある女性に手を差し伸べられて。
ある組織は求めるそれを追いかけて。
僕はまた、いつまでも愛される平凡を傍観する。
……けれど、何も終わってなんてないんだ。
終われば何かが動き出す。そして何かが始まれば、その何かにはいずれ終わりが来る。
だからこの世界には、明確な“終わり”なんてないんだよ。終われば始まるし、始まれば終わる。
だから、彼等はまた動き出す。
――――――まあ、その時までは暫く“終わっていられる”だろうね。
始まりが来るまでは、その先に続きなんてないんだから。
さて、傍観に徹しようか。
彼等の世界はいくら見ても飽きないなあ。
それじゃあ、今日はこの辺で。
……え?最後に僕の正体を教えてほしいの?
僕は傍観者だよ。
ただ世界を見つめ続けるだけの、本当の意味での傍観者。
この答えで満足してもらえたかな?
それじゃあ、またいずれ。
後書き
こんにちは、緋色の空です。
今年初の更新!皆様あけまして――――と言いたいトコだけどもう9日なので止めます!
ROE編、これにて終了です!何か最後に新キャラ登場しましたが、遂に終了です!
ここまで読んで下さった読者の皆様、本当にありがとうございます!実は傍観者の細かい設定決まってません!←じゃあ何で出した
この次はエドラス編……の前に、オリキャラのキャラ説を書き直します!主要・準主要キャラに1話分ずつ使って、細かく書いていくつもりです。因みに他のメンバーはギルドごとにまとめたりします。
そこで!
主要・準主要キャラのキャラ説にて、彼等の制作秘話や裏話を語る気でいます!あんまり批評が多かったらやめます。
なので、読者様方からの質問も受け付けようかな、と。私の拙い文章じゃ伝わってない事もあると思うので。
という訳でオリキャラに関する質問募集です!
記念すべき第1回はルー!
感想・批評・ルーに関する質問、お待ちしてます。
ルー
「来なかったらどうするの?」
その時は……諦める!
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