三つのプレゼントの恋
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2部分:第二章
第二章
1.アメジストのネックレス
アメジストのネックレスを買った信吾はそのまま待ち合わせ場所に向かった。暫くして美智子もやって来た。ブラウンの厚いコートにくすんだ赤のマフラーを身に着けている。コートの下には黒いブーツが見える。黒く長い髪を下におろしている。まだ幼さの残るふっくらとした可愛い顔である。えくぼまである。
「御免、待った?」
「いや、別に」
待ったといってもちょっとだけである。気にはならない。それに彼もプレゼントを選ぶのにかなり時間をかけていてもう来てやいないかと内心焦っていたのだ。そういうこともあって態度は穏やかであった。
「じゃあ何処行くの?」
「そうね。カラオケなんてどうかしら」
「カラオケなの?」
「駄目?」
そう話を振られて今一つ納得出来なかった。折角いいプレゼントを用意してきたからもっといい場所に行きたかったのだ。
「他の場所にしようよ」
彼はそう提案してきた。
「他って何処に?」
「そうだね。美術館とかさ」
何気なくそう提案したが実は自分でも何故ここで美術館と言ったのかは謎だった。どういうわけか奇麗な場所に行きたかったのである。
「どう?」
「美術館ね」
美智子はそれを聞いて目を少し上に向けて考える顔をしてきた。
「街のだけれどさ」
信吾はまた言う。
「どうかな」
「いいわね」
幸い彼女もそれに頷いてくれた。
「じゃあそこにしましょ。それで」
「うん」
「丁度今絵画展やってるのよ」
「そうなんだ」
「だからね。行きましょうよ」
美智子はにこやかな顔になっていた。
「実は前から行きたかったのよ」
「えっ」
これは信吾にとって思わぬイレギュラーであった。それを聞いて思わず声を漏らしてしまった。
「いいタイミングよね」
「う、うん」
答えはしたがまだ戸惑いがあった。それは美智子にもはっきりとわかった。
「それじゃあね」
「いいね、そこで」
「ええ、いいわ」
こうして美術館に向かうことになった。美術館は人が多かったがその絵画展がよかった。信吾もその絵がやけに気に入ってしまった。
「どうかしら、この画家の絵は」
「いや、これは」
その絵の中の一つをじっと見ながら言う。実に不思議な絵だった。
空に浮かぶ巨大な岩石の上に城がある。上半身は魚だが下半身は裸の女であったりする。一度見たら忘れられないような実に不思議な絵ばかりであった。
「何か凄いね」
「シュールリアリズムよ」
美智子は笑ってこう言った。
「シュールリアリズム」
「絵の一派の一つよ。日本語で言うと超現実主義」
「超現実主義」
「ほら、普通に有り得ない世界ってわかるわよね」
「うん」
それは一目でわかる。どう見ても普通に有り得る世界ではない。まるで幻想の世界のような絵ばかりなのである。
「だからそう言われるのよ」
「そうだったんだ」
「これはね。ルネ=マグリットの絵よ」
二十世紀中頃のベルギーの画家である。このシュールリアリズムの大家である。
「ふうん」
「他にもダリとかいるけれどね。今日はそのマグリットの世界なのよ」
「何だか」
その絵を見ながら述べる。
「凄いね。夢を見ているみたいだ」
「でしょう?だから好きなのよ」
美智子はにこりと笑ってこう述べた。
「この人の絵が。高校の授業で習ってからね」
「そういうえば君美術やってたんだよね」
美智子のその言葉で思い出した。
「高校の時は美術部だって」
「そうよ。最近描いてないけれどね」
だがそれに対する返事は少し残念そうなものであった。
「どうして?」
「何かね」
苦笑いを浮かべて答える。
「描きたいって思うものがなくて」
「そうなんだ」
「仕方ないわよね。描きたいものがないと」
どうしようもないと言いたげであった。
「やっぱり」
「描きたいものがあればいいんだね」
「まあそれはね」
顔を元に戻して答えてきた。
「そうだけれど」
「そうなんだ」
「何時かこんな絵が描きたいけれどね」
マグリットの絵を見てまた述べる。
「今だと無理よね。そもそも描いてはいないんだし」
そう言いながら苦笑いを浮かべた。浮かべるしかなかったと言うべきであろうか。美智子の諦めきれないような苦笑いが信吾の心に残っていた。
絵を見終わってから美術館を出る。それから夕食を終えて二人で夜道を歩く。夕食は美術館の近くにあったレストランだ。そこで洒落たフランス料理とワインを楽しんだ。高そうだと思ったがそこは思ったよりずっと安くてラディカルな雰囲気の店で二人は軽い気持ちで食事を楽しむことができた。
夜道を二人歩く。美術館の周りは奇麗に整えられていて何か歩いているだけで様になる場所であった。二人は今そこを歩いていたのである。
また美術館の前に来た。信吾はそこでふと思い出した。
そして美智子に声をかける。何かいきなりといった感じであった。
「ねえ」
「何?」
美智子もそれを受けて彼に顔を向けてきた。二人は丁度美術館の門のところで立ち止まってしまった。
「あのさ」
「うん」
話の切り出しはどうにもぎこちないものであった。信吾は自分でそれを失敗したと思った。だがもう止まることはできなかった。言い出したら最後までいくしかないのである。
「プレゼントだけれどね」
「ええ」
「実はさ、お店の人と考えてね」
彼は言う。
「プレゼントこれにしたんだ」
そう言うと懐から何かを取り出してきた。それは紫の箱であった。
「ほら、これ」
その箱を開ける。するとそこからあのアメジストのネックレスが姿を現わした。
「アメジストの」
「うん、君の誕生石だったよね」
信吾は言う。
「だからさ。これにしたんだ」
実際は迷ってしまったのだがそれは隠していた。
「どうかな、これで」
「いいの?これ」
美智子は信吾の顔を見て問うてきた。
「こんなのもらって」
「君の為に買ったんだよ」
その言葉と優しい笑みが彼の何よりの言葉であった。
「だからいいんだよ。いや、貰ってくれないと困るよ」
「そうなの。じゃあ」
「うん、受け取って」
「有り難う」
美智子はそれに応えた。そしてその箱を受け取った。
ネックレスを手に取ってみる。それを前にかざしてみる。それは電灯の光の中で薄紫の淡い光を放ってきらきらと輝いていた。
「奇麗・・・・・・」
「気に入ってもらえた?」
「私紫って好きなのよ」
その言葉が何よりの好意の証であった。
「だから」
「そうなの。よかった」
「ねえ」
美智子はそのアメジストを眺めながら信吾に声をかけてきた。
「何?」
「お返し、何がいいかしら」
「お返しって」
「何かね、思いついたのよ」
美智子は言う。
「絵とかじゃ駄目かしら」
「絵!?」
「ええ。このアメジストのネックレスを見ていると思うのよ」
今美智子の心にこの上なく美しい絵が描かれようとしていた。
「絵を描きたいって。それでね」
「僕に」
「どうかしら、それって」
「僕の為の絵だよね」
信吾はそれに尋ねた。
「その、僕の為に描いてくれる」
「そうよ。いい?」
「嘘みたいだよ」
美智子の顔を見て応えた。
「そんなことって。今まで誰にもそんなもの贈られたことってないから」
「だって私もそれしかないから」
美智子も言う。
「絵しか描けないから。それで」
「うん、お願い」
信吾は言った。
「じゃあそれでね」
「わかったわ。じゃあ」
美智子はにこりと笑ってそれに頷いた。
「この美術館とアメジストの絵をね」
「うん、楽しみにしているよ」
そんな美智子の言葉が何よりも嬉しかった。アメジストは信吾の気持ちまで幸せにしてくれたのであった。このうえない宝になったのであった。
三つのプレゼントの恋 完
2006・11・18
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