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四重唱

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第四章


第四章

「貴女のことは今でも愛しています。しかし」
「あの娘ね」
 そうヒルデガントに述べた。
「わかっているわ」
「すいません。隠すつもりはなかったのですが」
「だから。いいのよ」
 またヒルデガントを慰めた。
「お互い。そもそもが許されないことだから」
「お互いに」
「私も貴女も。許されない愛を育んできて」
「それでも一緒にいて」
 ヒルデガントは言う。
「私はもう。その愛に疲れたの」
「私が至らないばかりに」
「いえ、違うの」
 そうではないと言うのだった。これは事実であった。
「世間の言葉もあったし。主人への愛もあるし。それに」
「それに?」
「もう。秋を感じだしたのよ」
 静かな言葉だった。だがそこに含まれているものはあまりにも寂しく、そして悲しいものであった。
「秋、ですか」
「そう言うと同じよね」
 ハンナはその寂しさを悲しさをそのままにヒルデガントに述べた。
「元帥夫人と。全くね」
「ええ」
 元帥夫人はマルシャリンのことである。日本ではこの二つの名で呼ばれる役なのである。正式名称はやたらめったら長いのは貴族だからである。
「そうしたところも。だからもう」
「終わりにされるのですか」
「丁度いいと思うわ」
 ハンナは告げた。
「もうね。時間なのよ」
「終わる時間ですか」
「夢は何時か醒めるもの」
 ハンナの言葉は寂しい響きを持っていた。それと共に達観もあった。その二つの色を併せ持つ言葉でヒルデンガントに告げる。それはヒルデガントの心にも響くものであった。
「そうよね」
「ええ」
 そしてヒルデガントもそれに頷くのだった。頷くしかなかった。
「私は。貴女から離れて」
「新しい愛に生きるといいわ」
 優しい声になっていた。全てを包み込むような。
「私は。それで」
「貴女の居場所に帰られるのですね」
「もうね。同じになってしまったの」
 ハンナはまたヒルデガントに言うのだった。
「あの元帥夫人と同じに」
「同じなのですか」
「そうなの。本当に時計も止めてしまう時があるわ」
 顔に秋が深まっていく。ウィーンは秋ではないのに彼女だけが秋になっていた。それも終わりかけの、寒く寂しい秋であった。
「家の中の時計という時計をね。止めても仕方ないのね」
「それはやっぱり」
「それも彼女と同じなの」
 元帥夫人と同じだというのだった。
「老いていくのが怖いの。愛を感じられなくなるのが」
「愛をですか」
「老いていくと心も変わるのよ」
 哀しい達観の色が今度は彼女の心を支配したのだった。それがまた声と顔にも出て彼女を覆ってしまうのだった。そして彼女はそれを拒むことがない。受け入れるだけであった。
「愛を感じなくなっていくのよ」
「まさか」 
 ヒルデガントはそれを否定しよとする。しかしハンナはその彼女にまた告げる。
「それはね。まだ若いから」
「若いから」
「貴女もオクタヴィアンもまだ若いからなのよ」
 薔薇の騎士の主役の一人である。メゾソプラノが歌う役であり役のうえでは少年となっている。だが演じるのは女であるからそれが不倫相手となっている元帥夫人との間にえも言われぬ妖しい愛の絵を映し出させているのである。
「それがわからないのは」
「そうでしょうか」
「そうよ。だから私は」
 さらに俯いて。言葉を出す。
「もうこれで」
「終わりにされるんですか」
「最後の舞台で。終わりにしましょう」
 舞台に生きる人間として言う。自分達の役になりきっていた。
「いいかしら、それで」
「・・・・・・はい」
 ヒルデガントもまた沈痛な声と顔であったが頷いた。やはりここでもそうするしかなかったのだった。彼女も辛かったがそれ以上にハンナの辛さがわかっていたからだ。想い人を粗末にできるようなヒルデガントではなかったからだった。
「それで。終わりにしましょう」
「けれど今夜はね」
 そのうえでハンナは言うのだった。
「二人で。いいかしら」
「はい」
 ヒルデガントはその申し出を受けた。受け入れたのだった。
「御願いします、それで」
「有り難う」
 ハンナは彼女に礼を述べた。そうしてゆっくりと席を立ち上がるのであった。
「行きましょう」
「こうして二人で夜を過ごすのも。あと僅かですね」
「そうね。あと少し」
 ハンナはその言葉にまた顔を俯けさせた。
「あと少しだけれど。けれども」
「ええ。それでも」
 ヒルデガントも立った。そうしてハンナの横に来た。こうして見れば美青年と貴婦人のカップルに見える。しかしそうではないのはやはり舞台での二人と同じであった。
「一緒に過ごしましょう」
「その僅かな時間を」
 二人はそのまま部屋に消えた。そうして朝まで同じ時間を過ごした。その朝は夜での話の時と同じであった。あのココアをまた向かい合って飲んでいたのであった。
「これも同じですね」
「そうね」
 ハンナはヒルデガントの言葉に頷いた。二人はホテルの白く気品のある部屋の中で白いテーブルに座っている。ハンナはネグリジェでありヒルデガントはガウンである。それぞれ同じ白い色であったが着ているものが違っていたのだった。二人の後ろにはベッドがある。そこは二人の跡で少し乱れたままになっていた。
「これもね」
「舞台でも飲みましたね」
 ヒルデガントはそのココアを右手に持って呟く。寂しげな笑みで。
「このココアを」
「舞台だけじゃなかったわ」
 ハンナはそう彼女に言葉を返した。
 
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