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四重唱

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第十三章


第十三章

「その仕事を進んでしていたのです」
「つまりそのお父上の血を引かれているから貴女は」
「父は。最低の人間でした」
 少なくとも人として褒められたものではないかも知れない。仕事だからやるのでも命じられたからやるのでもないのだから。確信犯であったのだから。
「私は子供の頃から自分の家に何でもあるのが不思議でした」
「他の家には何もないのに」
「はい」
 共産主義国家では優等生であっても物資の質は悪かった。だがマゾーラの家は違っていたのだ。
「他の家にはない西側のものがふんだんにあって」
「それはそうした理由からだったのですね」
「そうです。しかも父は賄賂を取り」
 これは何処にでもある話だ。よいか悪いかは別にして。悪いと言えば悪い話になるものであるが。
「時には弱みを握ってそれを要求していました」
「秘密警察ではよくあることでは?」
「だからこそです。父はそれを笑顔でしていたのです」
「それが許せませんか」
「はい。その父ももう」
 実は彼女の父親はもうこの世の者ではない。東西ドイツ統一後ある若い女性と一緒に乗っていた車が事故を起こし亡くなっているのだ。その女性は妻ではないことは言うまでもない。
色々と奇怪な事件であり車に細工がしてあったとも言われているがそれが誰の仕業かはマゾーラも母も知らないことである。
「この世にはいませんが」
「それでも許せませんか」
「私自身も」
 マゾーラは言う。
「それをずっと知らずに父を尊敬し、その贅沢の中に身を浸していたのですから」
「他の人達を苦しめ、売って、脅して手に入れた贅沢で」
「そうです。私の全てはその忌まわしい贅沢で穢れています」
 そう自分を定義付けるのだった。
「そんな私が。どうして誰かに愛されるなどと」
「フロイライン」
 ヒルデガントはそうして自分を卑下するマゾーラに対して声をかけた。これまでになく優しい言葉で。
「はい」
「人は。誰でも同じなのです」
 そう彼女に語りはじめた。
「同じ。それは」
「御聞き下さい」
 また彼女に言った。拒もうとする彼女に対して。
「貴女は今はお父上のそうしたことを許せませんね」
「絶対に」
 それはすぐに出た。許せる筈がなかった。
「どうして。そんなことが」
「そのお父上はどんなお父上でしたか?」
「えっ!?」
 今のヒルデガントの言葉に思わず顔を上げた。そうして彼女の顔を見たのであった。
「どんなお父上でしたか。お話下さい」
「少なくとも私の前では優しい父でした」
 言われるままに答えた。それも正直に。
「一度も厳しいことを言ったことなく。私が泣いていたら慰めてくれて」
「とても心優しい方だったのですね」
「他人を散々欺いて陥れてきましたが」
 そうは言っても。自分に対しての優しい顔も思い出すのだった。
「それでも。私には」
「そういうことです。人は皆同じなのです」
「同じですか」
「そうです」
 そこでまた言うのだった。
「人には誰もが清らかな顔と醜い顔があります」
「二つの顔が」
「貴女のお父上は確かに人として許されぬ罪を犯しました」
 それは事実だ。彼女も否定できない。
「ですが。それと共に優しいお父上でした」
「その二つで相殺されると仰りたいのですか?それは」
「いえ、そうは申しません」
 ヒルデガントはそれは否定した。
「それは貴女も同じだということです」
「私も、ですか」
「そうです。貴女が忌み嫌うそのお父上の血が醜いものとするならば」
 あえてそれを出してから。また言う。
「貴女が本来持たれているその純粋な性格、それは清らかなものです」
「それをどうされるのですか?」
「私はそれを愛します」
 彼女は言った。
「私をですか」
「そう、貴女の本来持たれているものを。それを愛するのです」
「私にそんなものは」
「御自身では気付かれないものです」
 また穏やかな声で彼女に述べるのであった。
「清らかなものには。醜いものには気付いても」
「そうなのでしょうか」
「自分では中々わかりません。しかし他人から見れば違います」
「では私は」
「貴女のお父上のことはわかりました」
 それも受け止めるのであった。本来は彼女のものではないと思いつつも彼女のものとして。彼女がそれを望んでいるのであるから。
「ですがそれもまた受け取らせて頂けませんか」
「それもですか」
「そうです」
 それもまた受け止めると言うのだった。
「是非共」
「それでも。宜しいのですね」
「ええ」
 また頷く。
「私は。そうして貴女と共にいたいのです」
「本当に私で」
 また同じことを言ったが今度のは先の言葉とは少し言葉のニュアンスが違っていた。それもまた意味があったのをヒルデガントは感じていた。
 
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