異伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(ヴァレンシュタイン伝)
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異聞 第四次ティアマト会戦(その5)
帝国暦 486年 9月16日 ティアマト星域 ブリュンヒルト ラインハルト・フォン・ミューゼル
反乱軍は撤退した。反乱軍は十三日の午後から帝国軍中央部隊、右翼部隊からなる主力部隊との間で混戦状態になった。そしてほぼ二日間戦い続け帝国軍、反乱軍共に疲弊した。俺の艦隊が攻勢に出たのはそれからだ。横列展開していた艦隊を再編すると反乱軍に対して後方からの中央突破戦法をとった。
反乱軍は堪えきれずに前方の帝国軍主力部隊になだれかかる様に移動した。もし帝国軍主力部隊に十分な余力が有れば、反乱軍を前後から攻撃できただろう。だが帝国軍主力部隊はそれまでの戦闘で疲れ切っていた。反乱軍を叩く事が出来なかった。むしろ崩れかかり救援を求めてきたほどだ。結局俺の艦隊が高速移動し反乱軍の艦隊を左下前方から叩く事で撤退に追い込んだ。
帝国軍は今、艦隊を再編している。再編が終了次第この星域を撤退することになるだろう。
「閣下、ロイエンタール提督、ビッテンフェルト提督、ミッターマイヤー提督が来艦されました」
「うむ」
キルヒアイスは人前では俺の名前を呼ばない。色々と気を遣ってくれる。その事にはいつも感謝している。それほど待つこともなく、三人の分艦隊司令官が艦橋に現れた。長時間の戦闘で疲れているはずだがきびきびとした歩調で近づいて来るのが見ていて気持ち良かった。
互いに敬礼を交わす。
「ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤー」
「はっ」
「卿らの戦い振りは見事だった、満足している。これからも卿らの才幹と技量を生かして欲しい……、私のために」
俺の言葉に三人がそれぞれの反応を見せた。ロイエンタールとミッターマイヤーは目を鋭く輝かせ、ビッテンフェルトは笑みを見せた。俺は嘘を吐いてはいない。彼らの戦い振りは見事だった。俺がこれから先上に行くには是非とも必要な人材だ。帝国のためではなく、俺のためにその能力が必要だ。
「はっ」
「閣下が元帥府をお開きになるときにはなにとぞ我らをお忘れなく」
「小官もそれを楽しみに待っております」
三人が口々に答えた。大丈夫、彼らは俺と伴に歩いてくれる。キルヒアイスを見ると穏やかに笑みを浮かべて俺に頷いた。キルヒアイス、俺は頼りになる味方を手に入れた。
ミュッケンベルガー元帥から通信が有ったのはそれから二時間ほど後の事だった。疲れ切った様子の元帥から嫌々と言うほどではないが誠意など欠片も感じられない讃辞を貰った。気持ちは分からないでもない。こっちを利用しようとして逆に利用されたのだ。面白くは無いだろう。
まあ文句を言われるよりはましだ。何よりも向こうもこの勝利が俺の力で得たものだと理解しているし、それを認めたという事が大事なのだ。これで上級大将への昇進も確実になった。あと一つで元帥になり元帥府を開く。だがそれで終わりではない、その先が有る……。
キルヒアイスと伴に私室に戻った。ソファーに並んで座りゆったりと寛ぐ。疲れた体にソファーの柔らかな感触が気持ち良かった。
「勝ったな、キルヒアイス」
「はい、ラインハルト様はお勝ちなされました」
「俺が勝ったんじゃない、俺達だ。そうだろう、キルヒアイス」
「はい」
俺達は勝った。反乱軍にだけじゃない、ミュッケンベルガーの罠からも勝った。そしてその事はこの会戦に参加した者誰もが理解したはずだ。彼らには昨日までの俺と今の俺は違って見えるだろう。誰よりもミュッケンベルガーがその事を理解しているに違いない。俺達は勝った。
「一つ気になる事が有る」
「フレーゲル男爵の事ですね」
「そうだ、一体何を考えているのか……」
お互いに顔を見合わせた。キルヒアイスが躊躇いがちに口を開いた。
「ラインハルト様と関係を改善したいと考えているのでしょうか?」
「さあ、どうだろう」
キルヒアイスの声は半信半疑といった響きを帯びている。それ以上に俺の声も半信半疑の響きが有った。一体フレーゲルは何を考えているのか……。
帝国暦 486年 9月22日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
イゼルローン要塞に着くと改めてミュッケンベルガー元帥に呼ばれて今回の戦いでの働きを褒められた。会戦直後の讃辞に比べれば幾分はましだっただろう。二度も褒めるという事は後ろめたい事が有るからに違いない。俺を罠にはめようとしたことを騒いでほしくないという事か。もしかすると俺の実力を認め、関係を改善したいのかもしれない。だが無駄な事だ、いずれその地位は俺が貰う。
キルヒアイスと伴に自分に用意された部屋に戻ろうとするとフレーゲル男爵に会った。
「上手く切り抜けたようだな」
「卿のお蔭だ、礼を言わせてもらう、感謝している」
俺の言葉にフレーゲル男爵は少しも感銘を受けた様子を見せなかった。詰まらなさそうにしている。
「礼には及ばぬ。……まあ気を付ける事だ、卿は敵が多い。これが最後とは思わぬことだ」
最後は冷笑を浮かべ嫌味っぽい口調だ。どうもおかしい、好意を見せたかと思うと突き放したような態度を取る。何故だ?
「何故だ? フレーゲル男爵。何故私に好意を示す?」
「卿が知る必要は無い事だ」
「……」
会戦前にも同じ会話をした。“卿が知る必要は無い”、つまり理由は有るのだ、気まぐれではない。そしてあの時も、今も同じように無表情になっている……。
当たり前の事だが俺が納得していないと思ったのだろう。フレーゲル男爵は微かに笑みを浮かべた、冷笑だ。
「納得は出来んか……、まあそうであろうな。……教えても良いぞ、教えて下さいと頼むならな」
そう言うとフレーゲル男爵は笑い声を上げた。奴の目が、俺がそれを出来ないだろうと言っている。いけ好かない奴だ、こいつに頭を下げるなど真っ平御免だ! 全く話にならない。
「……フレーゲル男爵、教えていただきたい」
フレーゲル男爵もキルヒアイスも驚愕している。何で俺は“教えていただきたい”なんて言っているんだ? これで理由が詰まらなかったら手加減無しで殴ってやる! そうだ、そのために俺は頭を下げているのだ。
「……分かった、良いだろう、教えよう。但し、ここでは拙い。私の部屋に来い、こっちだ」
男爵が歩き出す、その後を俺とキルヒアイスが続いた。先を歩くフレーゲル男爵が突然可笑しくて堪らないといったように笑い出す。そっくり反って笑う頭を思いっきり叩いてやりたかった。
フレーゲル男爵の部屋に入ろうとするとキルヒアイスが自分は外で待つと言いだした。男爵は差別意識の塊みたいな男だ、平民であるキルヒアイスが部屋に入るのを嫌がるに違いない、そう思ったのだろう。だが意外な事にフレーゲル男爵がキルヒアイスも部屋に入れと言った。
俺が驚いているとフレーゲル男爵が意地の悪い目で俺とキルヒアイスを見た。
「卿と部屋で二人きりなど御免だな。どんな噂が流れるかと思うとぞっとする。私はいたってノーマルなのだ」
「こっちこそ卿と二人きりなど御免だ!」
よりによって何を言い出すのだ、この馬鹿は。俺とおまえが……だと? 気でも狂ったか!
「なら問題は無い、二人とも入れ」
男爵が部屋に入り俺、キルヒアイスが後に続いた。
部屋には俺達よりも先に人が居た。フレーゲル男爵の付き人らしい。男爵はその男に部屋に出ている様に命じた。
「ミューゼル提督は今度ローエングラム伯爵家を継承される。だが元は賤しい出なのでな、貴族の義務も誇りも知らぬ。よって私が教える事にした。飲み物を用意してくれ、水で良い、それを用意したらお前は外で待っていろ」
殴ってやろうかと思ったが我慢した。男爵の狙いが分からないわけではない。表向きはそういう事にしておこうという事なのだろう。しかし妙に上機嫌なフレーゲル男爵を見ると不愉快だった。そんな俺を見て男爵がニヤニヤ笑っている。こいつ、わざとだな、俺を不愉快にさせて喜んでいる。
ソファーに座って水の用意を待つ。付き人は水の入ったグラスと水差しを用意すると部屋を出て行った。フレーゲル男爵が水を一口飲む。飲み終わるとこちらを試す様な視線を向けてきた。
「今回の一件、誰が絵図を描いたと思う?」
誰が絵図を描いたか……。コルプト大尉の一件が原因とすれば考えられるのはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯だが……。
「私に遠慮はいらん、伯父上の名を上げても良いぞ」
「そうしたいが、それだと卿の事が説明がつかない。リッテンハイム侯か?」
俺の答えにフレーゲル男爵が笑い出した。
「卿は単純だな」
「……」
喧嘩を売ってるのか、この野郎。睨みつけたがフレーゲルは気にする様子も無かった。忌々しい奴。
単純という言葉を考えるとリッテンハイム侯ではないようだ。他に誰かいるという事か……、それともやはりブラウンシュバイク公? フレーゲルは何らかの考えが有ってそれを邪魔している?
「残念だが伯父上も関係もないぞ。今回私がここに来たのは伯父上の命令によるものだ。不本意だが卿を救えとな」
「……」
“伯父上も”と言った。つまりリッテンハイム侯は無関係という事だ。自分が貴族達に嫌われている事は理解している。しかしブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯以外にもミュッケンベルガーに働きかけて俺を押さえつけようとした人間が居る、一体誰が……。
いやそれ以上に不可解なのはブラウンシュバイク公が俺を救うためにフレーゲルをここへ寄こしたという事だ。一体何故俺を救おうとする? コルプト大尉の一件で俺には不快感を抱いているはずだ。本来なら俺を救おうとするなどあり得ない。そしてフレーゲルもその命令に大人しく従っている……。
一体何が起きているのだ? キルヒアイスを見た、彼も困惑した表情を見せている。俺達の知らないところで何かが動いている……。“卿が知る必要は無い事だ”、あの言葉は貴族達の間で密かに争いが起きているという事か、そしてその争いに何らかの形で俺が絡んでいる……。
考え込んでいるとフレーゲル男爵の声が聞こえた。
「卿はヴァレンシュタイン少佐の事をどの程度知っている?」
「ヴァレンシュタイン少佐? ……少佐は有能な士官だが」
「そうではない、彼女の素性についてだ」
彼女の素性? 妙だな、何を気にしている? その事が今回の件に関わりが有るのか?
「少佐の両親がある貴族に殺されたという事は知っている」
「それだけか?」
探る様な口調と視線だ、不快感よりも困惑した。
「……他に何かあるのか?」
「……」
「彼女は有能な士官だ。それで十分だろう」
フレーゲル男爵が俺をじっと見ている。そして一つ溜息を吐いた。ムカついたがそれ以上に居心地の悪さを感じた。
「ミッターマイヤー少将を救うには彼女の進言が有ったはずだ、違うか?」
「……いや、違わない」
「にも拘らず卿は少佐について何も知らぬ……。暢気な事だ」
「……」
フレーゲル男爵は何時になく生真面目な表情をしている、反論できなかった。せめてこいつが嫌味でも言ってくれれば……。
「有能で役に立つならそれで良いか……。それは人間に対する扱いではないな、道具に対する扱いだ」
「……」
そんなつもりは無い、声に出したかったが出なかった。フレーゲル男爵がキルヒアイスに視線を向けた。俺も釣られたように隣に座るキルヒアイスに顔を向けた。
「その男もそうなのか」
「違う、キルヒアイスは親友だ、私自身だ!」
フレーゲルを睨んだ、彼はこちらを観察するような目で見ている。嫌な目だ、何となく気後れした。
「まあ良い、卿の事だ。私には関係ない」
フレーゲル男爵が視線を逸らすと呟いた。
水を一口飲むとフレーゲル男爵が話し始めた。
「私が少佐の事を知ったのは八年前の事だ。相続問題に絡んで両親を殺された……。愚かな話だ、平民が貴族の相続問題に絡めばそうなる可能性は高い。何を考えているのか……。同情はしなかった」
「……」
また少佐の話だ、やはり今回の一件に彼女が絡んでいる。しかし、一体何が有る?
「その後だった、両親を失った彼女がヴェストパーレ男爵に養われることになったと知ったのは」
「ヴェストパーレ男爵? 男爵夫人のお父上か」
俺の問いかけにフレーゲル男爵が頷いた。
「そうだ、少佐の父親、コンラート・ヴァレンシュタインはヴェストパーレ男爵家の顧問弁護士だった。その縁で引き取られたらしい」
男爵夫人とはそれなりに親しくしている。しかし、そんな話は聞いたことが無かった。もしかすると少佐と男爵夫人は仲が悪いのか……。キルヒアイスも不思議そうな表情をしている。フレーゲルはそんな俺達を見て皮肉な笑みを浮かべた。
「どうやら知らなかったらしいな」
「……それで」
「彼女を初めて見たのはヴェストパーレ男爵の葬儀の時だ。少佐は喪主である男爵夫人の傍にいた。本来ならその場所は男爵夫人にとって最も近しい親族の立つ場所だ。血縁関係の無い、まして平民の彼女が立つ場所では無い。妙だと思ったが相手が男爵夫人だ、そういう事も有るかと納得した」
それが事実だとすれば男爵夫人とヴァレンシュタイン少佐はかなり親しいという事になる。しかし男爵夫人も少佐もそんな事は一言も漏らしていないしそぶりも見せていない……。むしろ故意に触れないようにしているように見える……。またキルヒアイスの顔を見た。キルヒアイスも考え込んでいる。
「卿はヴァレンシュタイン少佐がビッテンフェルト少将の下に配属された理由を知っているか?」
「詳しい話は知らない、……上層部の意向が有ったと聞いているが……、卿は知っているのか?」
「いや、私も知らぬ。よほどの事情が有るらしい。……だが別な事なら知っている」
思わせぶりな口調だ。フレーゲル男爵の顔にはどこか面白がるような笑みが有った。
「憲兵隊に所属していた彼女を艦隊勤務に転属させるためにある貴族が動いた……」
「貴族?」
思いがけない言葉だ。呆然として問いかける俺にフレーゲル男爵が頷いた……。
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