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横浜事変-the mixing black&white-

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殺し屋は身近なところにいるという皮肉をケンジは知らない

翌日 山垣学園

 10月も下旬になり、とても過ごしやすい日々が訪れた。数週間前までは夏の()だるような暑さが続いていたのに、今ではすでに冬服への移行が終わり、生徒達は鮮やかなブルーのブレザーに身を包んでいる。

 文化祭が残り一週間に迫った校内は全体的にざわつきムードで、普段以上に授業を聞いていない生徒が多い。教師も浮ついている生徒達を叱るのだが、彼らには彼らの楽しみがあると許容しているのか、お咎めも数回程度で終わる。とはいえ、それも文化祭が終わるまでの話で、その後の教師陣は皆一様に鬼へと変化するのだが。

 そんな中、ケンジは学校において漫然とした日々を送っていた。一見真面目そうに黒板を見ているが、授業内容は左耳を通って右耳へと抜けていく。呪文のような数式も無駄に目立つ世界史用語も彼の頭には残っていない。昨日も午前中は無断欠席して、帰りのHR後に担任から学校についていろいろ説諭された。

 ――あれから仕事、一回もないなあ。

 ケンジが暮らすもう一つの世界は、山下埠頭での一件以来何の音沙汰もなく途切れている。すでに何日か経っているが、携帯にそれ関係の話が回ってくる事は一度もなかった。

 それと時折忘れそうになる『殺し屋の電話番号』。これについては幼馴染が殺されたあの日以来、一回も事件が起きていない。誰かが殺し屋統括情報局に嗅ぎ付けられる前に証拠を隠滅しているのでは、とも考えたが、そこまで有意性のある事ではないと結論を改める。しかし、ここまで動きが見られないとなると、犯人を特定するのは難しくなってきた。殺し屋をやっているという情報は確実なのだが、いまだに横浜のどこかにいるとは限らない。もしかしたら復讐を恐れて地方へ逃げてしまったかもしれない。

 ――いや。

 ――まだ諦めちゃダメだ。それに今は辞められる時期じゃない。

 自分が所属する組織が誰かに狙われているという話を思い出し、ケンジはなおも目を教師へと向けながら、意識だけは遠い世界に投げ込む。

 赤島や宮条の話によれば、前回の戦闘とヘヴンヴォイス護衛任務は敵に嵌められた可能性が高いと言う。裏の目的を達成するために邪魔者である自分達を別の場所に誘導し、敵と交戦させた。敵――すなわち裂綿隊は黒幕に関与し、時間稼ぎの命を受けており、その任務を達成している。つまり今のところ全てが黒幕の思惑通りに進んでいるかもしれないのだ。

 これらは赤島の仮説であり、山下埠頭事件を現在検証中の警察からの報告が来ないと明確にはならない。だがこの推測が本当なら、この先かなり危険な戦いになってくるのは間違いないだろう。

 そうして意識を内界に集中させていると授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。担当教師が教室を出て行き、クラスは一気に雑多な雰囲気へと色変わりする。ケンジは次の準備をしてから机に突っ伏して寝ようと考え、すぐに行動に移そうとしたのだが――

 「……暁」

 「え?」

 突然後ろから自分の名を呼ばれ、それに身体を半身にさせて答える。そして相手の顔を見て、ケンジは驚きと困惑を隠せなくなった。

 何故なら、その人物はクラス編成して一度も喋った事の無い相手だったのだから。

 「田村君、だよね?」

 自分の記憶が間違っていないか恐る恐る尋ねると、相手――田村要はズボンのポケットに手を突っ込みながら頷いた。

 「そう。で、ちょっと話したい事あるんだけど、今いいか?」

 ――話したいこと?僕なんかやらかしたかな?

 田村要はクラスの優等生であり、クールな性格と端正な顔立ちが女子に人気な完璧男子だ。けれど自分から誰かに話しかけたり、他人と仲睦まじく会話している場面はほとんど見た事が無い。常に無表情で何を考えているのかも分からず、男子からはあまり良く思われていなかったりする。

 ――まあ、僕もそんなに大差ないだろうけど。確実に違うのは能力の差だね。

 とりあえず何か言葉を返さないといけない。周りも普段口数の少ない二人の生徒が邂逅したという事で、密かに視線を向けていて少し居づらい。ケンジは断る理由も無いかと足早に答えを出した。

 「いいよ。でもここは人が多いから、外に出ない?」

 「そうだな」

 二人は簡単に話を済ませて教室を出て行く。後に残されたのは女子の何かを期待するような黄色い声だけだった。

*****

図書館

 山垣学園は他校に比べてまだ新設校で、設備は申し分無い清潔さと綺麗さを保ち続けている。これが偏差値の低い高校で不良が溜まっていたとしたら一か月後には教室の窓やら扉が破損していた事だろう。幸い山垣学園は数年で偏差値を上昇させ、入学してくる生徒も真面目な人種が多い事から、今日も平和な学園生活を体現させていた。

 大学のキャンパスさながらの第一校舎に入る図書館は4階にあり、街を見渡せる大きな窓を持つ勉強スペースは放課後になると生徒で埋め尽くされる。

 3時限目を終えたばかりで図書館に生徒の姿は見えない。普通の高校の倍近くはあるだろう本棚は同じ角度と同じ通路を形成し、整然と並んでいる。ゴシップ記事や一般小説、果てには理系の専門書籍まで豊富なジャンルを兼ね揃えており、進学校だからこその力をまざまざと見せつけられた。

 「じゃ、そこ座るか」

 要はそう言って後ろを歩くケンジを促した。勉強スペースとして生徒達に重宝される場所。今は誰もおらず、二人の生徒だけがこの場を支配していた。横浜市街のパノラマが広がる圧倒的スケールを横目に、要が会話を切り開いた。

 「いきなり呼び出してゴメン。ただ一つ気になる事があってさ」

 「気になること?」

 訝しげな表情で復唱するケンジを前に、要は顔付きを変えぬまま言った。

 「君、最近夜出かけたりしてない?」

 「え?ああ、うん。出かけてるよ」

 戸惑いながらも即答した温和な少年に、要は逆に拍子抜けしてしまった。

 ――え、そんな簡単に肯定出来るか?あー、やっぱり俺の勘違いじゃ……。

 要がケンジを呼び出した理由。それは自身の中に深まる謎を解明するためだった。

 ホテル『ニューグランド』、そして山下埠頭。殺し屋統括情報局との激突の最中に垣間見えた、暁ケンジらしき人物。心中では絶対違うと唱えておきながら、どうしても完全に打ちのめせない。

 最初は『アイツ』に聞こうかと迷った。最近入った新人で片手撃ちするキレ者。殺し屋統括情報局の人間である『アイツ』ならすぐ解答を教えてくれるだろう。だが殺し屋に堅気である人間の名前を口にするのは気が引けた。『アイツ』の正体を知っているだけに、下手したら面白がって殺しかねない。どこも八方塞がりだと悟った彼は、実際に本人と話すしかないと決断し、今に至る。

 ――勘違いならそれでいい。敵が同じクラスにいるなんて、集中して勉強なんて出来やしない。

 鉄仮面の裏でそう思いながら、要はもう一押し必要だと一気に踏み込んだ質問をする。

 「数日ぐらい前暁に似たような人を見かけたもんだからさ、一体何してるのかなと思って」

 そう言っていきなり過ぎたかと少し反省する。さすがに怪しまれるかと思った要だが、返ってきた言葉は意外なものだった。

 「ああ、それはバイトだよ。僕の母さん放任主義だから、夜にバイトしていいかって聞いたら普通に承諾してくれたんだ。田村君も働きたい時は言ってよ。僕から店長に話通せるし」

 「え?あー、ありがとう。でも親はバイト禁止だって言っててやらせてくれないんでね。今は学業にでも精を出すよ」

 「え、バイト出来ないの?でもその分何でも出来るんだもんなあ、田村君は凄いね」

 純粋に賞賛の目を向けてくるケンジに、要は愛想笑いを浮かべながら結論を弾き出した。

 ――こんな普通な奴が殺し屋なわけないな。『アイツ』に聞かなくて正解だった。

 ――……。

 ――何だ?この感覚。

 要は自身の心に湧く何かを感じ取って心中で首を傾げた。どこか懐かしさがあり、そして嬉しくも思えてしまう曖昧な感情。だが今は気にする必要はないと、彼はそれを意識の中から放り出した。

 やがて授業開始二分前になり、要はケンジと一緒に図書館を出て教室へと足を向けた。次の授業である物理基礎の教材はすでに用意してある。一方で何の用意もしておらず慌ただしく動くケンジを見て、思わず笑みを浮かべてしまう。それは彼に対する苦笑いであり、自分に対する呆れだった。

 ――にしても全く、無駄な時間だったよ。

 ――けど一番無駄だったのは、俺の感情だ。

 たった今ケンジを見て無意識に笑っていた自分すらも馬鹿らしい。途中から笑みの意味を切り替えたのはそれが理由だ。自分は人間関係を無駄なものとして切り捨てる存在。それなのに――

 ――今頃になって、俺は人との関係を取り戻したがってる?殺し屋の俺が?

 まず自分の心に嘘を吐かず、瞬時に浮かび上がった理論を心中で唱えてみた。そう考えること自体恥ずかしくて馬鹿馬鹿しかったが、それを欲しがっている自分がいるかもしれないという可能性が彼自身をさらに苛立たせる。

 ――どんなに頑張っても振り向いてくれなかった。それが悔しくて悲しかった。それなのに、俺はまだ諦めてなかったのか?人との繋がりってやつを。

 ――下らない。単に暁の優しい性格に触れて気が狂っただけだ。

 結局自分の内側に蓋をして考えを全面否定する要。そうでもしないと、自分が今まで送って来た人生が無駄に見えてしまうからだ。

そこからは頭を勉強モードに切り替え、モヤモヤする感情と殺し屋としての自分を一度スリープした要。彼は最後まで気付かなかった。

 暁ケンジは純粋に殺し屋を『バイトとして』見ていて、要が本気なら実際に誰かに話を付けてしまっていたという事に。復讐を原動力にするケンジにとって殺し屋としての日常は復讐、学校に次ぐ三番目の存在なのだ。

 そんな捻くれた理論を内に秘めているとは知らずに、要は心に(わだかま)っていた疑問を勝手に霧散させた。

 『新人』『片手撃ち』という二つの特徴を持つ殺し屋との殺し合いを心の底から楽しみにしながら。

*****

放課後

 今日もバイトは休みのようだ。報告会議は次の土曜日と決まっているのだが、その間に仕事は一個も入っていない。とはいえ、今週はまだ始まったばかりで今日は火曜日。連絡が入り次第行けるように準備をしておいても損はないだろう。

 ――今日は早く帰って寝よう。さっきまで寝てたけど、まだ眠いや。

 午後の授業は全部寝て過ごした。気付いた時にはもうHRで、隣の女子が申し訳なさそうに起こしてくれた。人柄は良いのだが、授業に対する姿勢が人一倍ダメなので教師からの評価は十人十色である。

 ケンジは重たい(まぶた)を擦りながら校舎を出た。途端に放課後の陽射しが彼の視界を激しく揺さぶり、思わず目を細める。彼は右手を額辺りに(かざ)して少し先にある校門へと歩き出したのだが、突然後ろから誰かに衝突され、勢いよく前方に倒れる。

 「うわぁ!」

 情けない声と共に身体を地面へと叩きつけられたケンジ。しかし柔道の時間で習った前受け身が偶然発動し、腕が綺麗な八の字型を作り出した事で腹の衝撃を免れた。とはいえ、コンクリートに肘先から手の平まで思いきりぶつけたので、痛みはそれなりにあった。

一体誰なのかと顔を横にずらすと、そこで相手と目が合った。

 猫さながらのくりっとした目の奥には僅かに鋭利さを孕んだ瞳を輝かせ、化粧っ気の無い肌は陶器のように染み一つない。茶髪がかったナチュラルボブは緩やかなウェーブを描き、白い首周りを流れる。そんな読者モデルでもやっていそうな八方美人がケンジの至近距離にいた。

 「……」

 「……」

 ケンジ達を中心に、昇降口付近を取り巻く空気が凍り付いた。誰も言葉を発さず、動きもせずに二人の様子を凝視している。まるで運命的な出会いをした男女の行方に固唾をのんで見守るかのように――

 しかしそれは紛れもない幻想だった。

 「……ねえ、アンタ誰に向かってぶつかってきてんのよ!こっちは忙しいのに、こんなクソどうでもいい出会いなんかいらないのよあたしの時間返せバーカ!」

 「……。……え?」

 「何ボケーっとこっち見てんの?ホントにキモいんですけど。あ、もしかしてあたしの美貌に見惚れちゃってる?でも残念!あたしには心に決めてる運命の人がいるの。アンタみたいな童顔童貞ヤローには微塵も興味ないの!」

 「え、あ、はぁ」

 マシンガンのような勢いで連射される暴言に、ケンジは怒るどころか単純に驚いてしまった。見た目はかなりの美人で、男子が二度振り向くのは確実だろう。しかし口を開けば、その印象は鉄球で破壊されるビルよりも早く瓦解する。

 ――こんなにギャップを感じる人、初めて見たかも。

 減らず口から生まれるたくさんの罵倒を眼前で浴びながら、ケンジはどこか遠い場所を見つめるようにしてそう呟いた。

 女子は自身が相手の腰辺りに乗っている事に気付き「あーごめん、影薄くて身体見えなかった」と言ってから立ち上がった。ケンジもそれに習う。

 そこで再び訪れた空空漠々たる時。互いに目を合わせながら、何か口にする事もない。何か行動を起こすわけでもない。そんな奇妙な感覚を前にした男女は互いに運命を感じ――

 だが、そんな甘い季節は二人の間に存在しない。

 「もしかして、このまま踏まれたかった?アハッ、そうよね。アンタめっちゃMっぽい顔してるもん」

 「いや、別に踏まれたくなんて……」

 「あっ、もしかしてあたしのお尻に触れちゃってドキドキしてる?ホンット男って見っともない」

 「むしろブヨブヨしてたっていうか……」

 しまった、とケンジが慌てた時にはもう遅かった。彼は一度女子から目を逸らし、一拍置いて目を合わせる。そして彼は本物の恐怖を味わった。

 昔から、美人が怖い顔をしているのが何より恐ろしいと言われているが、まさにその通りだった。目の前で憤怒の形相を浮かべている美女を見てケンジは背筋を棘で貫かれたような錯覚に陥る。

 「……今アンタ、何て言った?」

 「えっと、別に何も」

 「早く言わないと殺すわよ……?」

 「ひいいい……」

 あれ僕って殺し屋なんじゃ、と自分を奮い立たせる事すら出来ずに、ケンジはクルッと半回転して校門へと走り出した。あまりに突然だった相手の行動に女子はポカンと口を開けていたが、

 「逃げるなんて卑怯じゃないのよこの弱虫ヤロォォオォオオオ!」

 美人らしかぬ激語を校舎に残し、スカートの裾が乱れるのも惜しまずに彼女はケンジを追いかける。

 そんな男女のやり取りを見ていた女子テニス部の2年生でケンジと同じクラスの二人は、ごく自然な流れで言葉を口に出した。

 「いやー、暁君やるねぇ。あの玉木先輩を挑発するだなんて」

 「普段大人しそうだからそういうタイプだとは考えてなかったよ。けどさ、お尻ブヨブヨって……」

 彼女達の会話も空気と一体になって消えていき、その場に放課後の平穏が帰ってくる。

 二人の殺し屋が互いの正体に気付くのは、もう少し先の話。
 
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