三色すみれ
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第二章
第二章
彼女の名を桜森真琴という。遼平のクラスメイトでもある。クラスではしっかり者として知られている。それに対して遼平はお調子者である。
「それでは芝居にならないだろうが」
「そうかなあ」
だが遼平はそれでもお構いなしといった感じであった。
「だってさ。ヘレナは桜森さんじゃない」
「それがどうした」
ジロリと遼平を見上げて言う。かなりきつい視線である。
「だったら最初からそれでいいや、僕はね」
「何が言いたい?」
あらためて遼平に問う。
「そもそも若田部、御前はだな」
「僕は?」
「一つ一つの動作や発言が軽い。男の子というものはもう少し己を重んじてだ」
「別にそんなのどうでもいいや」
しかし遼平はそういったことには一切お構いなしであった。平気な顔である。
「僕はヘレナが好きなんだし」
「ヘレナがか」
「というか桜森さんが」
その軽い調子で言うのだった。
「好きなんだけれど」
「愚かな話だ」
その言葉をすぐにばっさりと切って捨てる真琴であった。
「そんなことを言っても何も起こりはしないぞ」
「あらら、冷たいなあ」
「冷たいも何もだ」
本当にその冷たい態度で言葉を続ける。
「では聞くが私がハーミアだったらどうしたのだ」
「その時はハーミアにさ。夢中に」
「最後までか」
「うん、最後まで」
あっけらかんとした調子で述べた。相も変わらずといった調子で。
「それは駄目なのかな」
「駄目に決まっている。結局何も考えていないのだな」
今度は少し軽蔑する目で遼平を見上げた。視線の鋭さときつさがさらに増している。
「よくそれでシェークスピアをやろうとするものだ」
「シェークスピアはやる気って先生が言ってるじゃない」
杉岡先生がである。つまりは先生の受け売りの言葉である。
「だから僕もいいんだよ」
「それでいいのか」
「うん、全然」
態度はずっと変わらない。
「それに」
「それに?」
「桜森さんだって僕とずっと一緒にいたいんだよね。だから演劇部に」
「それはない」
一言であった。
「それだけは絶対にない。安心しろ」
「またまたそんな」
信じようともしない遼平であった。
「照れ隠しにそんなこと言って」
「御前は人の言ったことが理解できないのか?」
遼平に対して怒った顔を見せた。
「前から思っていたが」
「ううん、わかってるよ」
しかし遼平はへらへらとした様子で真琴に言葉を返す。少なくとも全然反省なぞしてはいないのはその態度でわかることであった、
「わかってるけれどさ。桜森さんはわかっていないじゃない」
「私がか」
「そうだよ。ほら、わかっていない」
「一体何のことだ」
真琴は本当に何が言いたいのだ御前は、と顔に書いていた。彼女は嘘がつけない真っ正直な性格である。だから感情もまた顔に出るのである。
「そう言われてもわからないのだが」
「僕はわかってるからいいよ」
遼平はそのへらへらした顔で軽く述べる。
「真琴さんが僕を好きだってことがね」
「いい加減にしないと殴るぞ」
半分本気の言葉であった。
「そんなことばかり言っていると」
「ほら、顔が赤い」
むっとした真琴に対して言う。軽い突っ込みであった。
「やっぱりそうなんだ。桜森さんは僕のことが」
「あのな、御前はいつもそう言うが」
本気で頭にきてきたので声を荒いものにさせてきた。
「私は御前のそうしたいい加減なところにいつも」
「あっ、二人共」
ここでライサンダー役の二年の同級生が二人に声をかけてきた。
「何かな」
「何だ?」
二人は同時に彼に顔を向けた。
「そろそろだから。演技に入って」
「了解」
「わ、わかった」
やはり遼平は軽い返事であり真琴は堅苦しい挨拶になっていた。ここにも二人の個性の違いがはっきりと出ていたのであった。
「それじゃあ。やろうか」
「演技中はふざけるなよ」
「わかってるって。ハーミア、考えなおしてくれ」
遼平はすぐにディミトリアスになった。見事な変身であった。
「僕の正当な権利を認めてくれ」
「まあ美しいですって?」
そして真琴も。ライサンダーとハーミアのリハーサルの後で自分の役に入る。
「ディミトリアスの心を捉えるのにはどうすればいいの?」
彼女も見事な演技であった。リハーサルだというのにもう本番のようであった。二人は芝居の間は見事にそれぞれの役に入っていた。そしてそれは部活が終わってからもであった。
「いやあ、お見事お見事」
杉岡先生は大道具を手伝った後で生徒達を前にして彼等を褒めていた。
「俺からは何も言うことがないよ、本当に」
「そうなんですか」
「ああ。この調子でやってくれたらいい」
笑顔で太鼓判を押す。かなり能天気な感じであったが。
「是非な。じゃあ今日はここまでだ」
「はい」
こうして解散となった。真琴は一人で帰ろうとしたがそこに遼平がやって来たのであった。
「待ってよ」
「待つつもりはない」
真琴は横に来た彼に冷たく言い放った。もう辺りは夕暮れも終わりかけで夜の闇が近付いてきていた。家々は黒に近くなっていて空は赤が濃くなり次第に黒くなっていた。何もかもが赤から黒になろうとしている時間であった。
二人はその中を並んで歩いていた。といっても遼平が無理矢理ついて来ているのであるが。二人の前にあるそれぞれの影はかなり長くなっていてそれが消えようとしている夕暮れと街の電灯に照らされていた。
「さっさと帰れ」
「あれ、デートは嫌なんだ」
「断る」
やはりまた一言であった。
「私は男とデートする趣味はない」
「冷たいなあ、っていうか素直じゃないなあ」
「あのな」
今の素直じゃないという言葉に反応して自分の左にいる遼平をむっとした顔で見るのであった。
「どうして御前はそう思うのだ?」
「素直じゃないのは本当じゃない」
しかしそれでも遼平は言う。
「本当はデートできて嬉しい癖に」
「勝手に人の気持ちを捏造するな」
そう遼平に対して言う。それと同時に彼の少し着崩した青い詰襟を見る。対する真琴の服はスカートの丈までも端整に着られた黒とエンジ色のセーラーであった。この学校の制服である。
「全く。服装もいい加減なら言葉もいい加減だな」
「そうかな」
遼平はその言葉にとぼける。
「僕は普通だよ」
「そのだらしない格好でか」
「うん」
あっけらかんと答える。
「少しふざけてるだけで」
「そのふざけているのが駄目なんだ。そもそも部活の時もだな」
「真面目にやってたよ」
しかし彼はこう言い返す。
「やる時はね。そうじゃないの?」
「それはそうだな」
悔しいがそれは認めるしかなかった。彼女にとっては残念なことに。そうして電灯に少しだけ照らされている彼の顔を見上げるのだった。
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