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ブルーホリデー

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第一章


第一章

                   ブルーホリデー
 有坂久代には今悩みがあった。それは女にしかわからない悩みであった。
 ここ暫く来るべきものが来ない。それであった。
「何か最近あんたおかしいわよ」
「そうかしら」
 勤めている百貨店のジュエリーショップで同僚にもこう声をかけられていた。
「別にそうじゃないけれど」
「一体何があったのよ」
 久代とその同僚の渡辺淳美は従業員用のトイレで話をしている。久代は大柄でしっかりとした体格である。どちらかといえば肉感のある感じだ。それに対して淳美は小柄で痩せている。髪の色も久代が茶色で淳美が黒であり実に対象的だ。ただ目元はどちらも二重で大きくそれが似ていると言えた。
「そこまで暗いなんて」
「実はね」
「ええ」
 久代はここでふう、と一旦溜息をつきながら淳美に言うのであった。
「来ないのよ、あれが」
「あれがって?」
「生理が」
 それが理由なのであった。ここでまた暗い顔を見せてきた。
「来ないのよ。もうそろそろ来てもいいのね」
「それってつまり」
 淳美はそれを聞いて事情がわかった。女でなくともわかることであった。
「あれ?できたってこと?」
「そうかも。だからこうして」
「できたって。あんたまだ」
「結婚するつもりはないわよ」
 それははっきりと言うのであった。顔も顰めさせている。
「今はまだ。そんなことは」
「そうよね。やっぱり」
 二人は化粧を整えている。話の内容のせいか久代の動きが普段より鈍かった。
「まだ二十四だっけ」
「あんたと同じ歳じゃない」
 久代はこう淳美に言い返した。
「同期で入って。そうでしょ?」
「そうよね。そういえばそうだったわ」
「思い出したでしょ。そうよ、二十四よ」
 自分の歳をまた言ってみせてきた。
「結婚はもう少し先にって考えているから」
「じゃあ結婚しないで産めば?」
「それも嫌よ」
 これは久代の個人的な考えであった。
「やっぱり子供ができたら結婚しないと。駄目よ」
「できちゃった婚でもそれでもね」
「だからよ。本当にできていたら」
 またそれを考えるのであった。暗い様子で。
「結婚しなくちゃいけないじゃない」
「彼氏はどう考えているの?」
 淳美は今度はそれを尋ねてきた。頬にファンデーションを当てながら。
「そこんところはどうなの?」
「さあ」
 それに対する久代の返事は随分心許ないものであった。
「どう考えているのかしらね」
「何よ、それ」
 今の久代の言葉に淳美は呆れた顔を見せてきた。
「彼氏の気持ちも大事じゃない。それもなしで一人で悩んでも何にもならないわよ」
「それはわかっているわよ」
 久代もそれに応える。少し怒って顔を彼女に見せたので唇がずれてしまった。それを鏡で見てまた顔を顰めさせるのであった。
「しまった」
「なおした方がいいわね」
「ええ、これはね」
 淳美に応えて実際にそれをなおす。唇の出過ぎた紅が消えたが久代の心はまだ戸惑いが色濃く残っていたのであった。
「とにかくよ」
 久代はそのうえでまた言う。
「言えないのよ」
「何でよ。言わないとどうしようもない話じゃない」
 相手あっての話だ。だからこれは当然であった。だがそれでも久代はまだ渋っている様子であった。
「それでどうして考えているのよ」
「言えないのよ」
 久代はこう答えた。
「どうしてもね」
「言えないって?またどうしてよ」
「彼、そういうの言ったらどうなるかわからないから」
 久代は今度は目を顰めさせた。それと共に手の動きが止まった。
「不安なのね」
「ええ。まさかとは思うけれど」
 ここで心の中を不安が覆い尽くしたのであった。
「別れるとか言い出したらどうしようかしら」
「その時は無理にでも責任取らせなさい」
 随分強気な淳美の言葉であった。
「そんな男許していたら駄目よ」
「あんた、気が強いのね」
「女はそうじゃなくちゃ駄目よ」
 今度ははっきりと言い切ってみせた。
「そんな男許していたらいけないに決まってるでしょ」
「それはそうだけれど」
「それによ」
 ここで淳美はまた言うのであった。
「今度は何?」
「あのね、久代」
 鏡に久代の方を見上げる淳美が映っていた。それは彼女自身もわかっていた。その鏡の姿を意識しながら話をするのであった。
「それにあんた彼氏だけれど」
「ええ」
「あんたが選んだんでしょ?」
 それを彼女に問うのであった。
「性格は間違いなくいいからって。それでだったわよね」
「ええ、そうだけれど」
 久代もそれは自分で認めるのであった。実は彼女が今の彼氏と付き合うようになったのはその優しく穏やかで丁寧な性格を見て自分で告白したからだ。意外と積極的に攻めたのである。少なくともその時はだ。
「だったら。自分の目を信じなさい」
「私の目を」
「それによ。彼氏を」
 ここでまた淳美は言う。
「確か。名前は」
「前川清司よ」
 彼氏の名前を言ってみせた。
「そうよ、前川君。彼を信じないの?」
「別にそうじゃないけれど」
「だったら信じなさい」
 淳美の言葉は言い聞かせるものになっていた。少し怒ってさえいた。
「そうじゃなければ何なのよ。そうでしょ」
「ええ、まあ」
 頼りない言葉だがそれに応えるのであった。
「そうよね、やっぱり」
「そういうこと。じゃあ決まりね」
 淳美は強引に話を終わらせるのであった。それと共に今化粧も終わった。
「それじゃあそういうことでね。いいわね」
「え、ええ」
 久代は戸惑いながらそれに応えた。
「じゃあそっちのお化粧が終わったら戻るわよ。いいわね」
「ええ」
 こうして化粧を終えてトイレを出る。久代はこの場はその悩みを忘れることにした。しかしそれはその彼氏との一緒になった帰りでまた再発するのであった。
 
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