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クルスニク・オーケストラ

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第一楽章 嵐の後の静けさ
  1-2小節

 医療黒匣(ジン)での治療が終わってから、リドウはまたカウンター、ジゼルは俺のいるほうのボックス席に来て、俺の正面に座った。

 ジゼルはまずGHSの液晶を俺に見せた。
 メール画面。送信者は、ヴェル・ルゥ・レイシィ。

「無事脱出の旨を伝えるメールです。追って事務連絡で暫定責任者をリドウ先生としてどう動くかの指示が届きましたわ」

 なるほど。リドウがさっき言ったプラスとやらはこれか。

「今は社長、ディールにて対策室の迎え待ちだと。残念、ニアミス。もうちょい手前で脱出してくれてたらリトライできたのに」
「何なら今からディールまで行ってくるか? 走って」
「冗談上手いねえ、も・と・室長?」

 そこやけに強調するなこいつ。俺の失脚がそんなに嬉しいか。嬉しいんだろうなリドウなら。はあ。


 ――《俺たち》のルールは4つ。一人一つ考えて合わせた。内一つが、「仲間に嘘をつかない」。
 一見して素晴らしい標語だが、これを穿つと、「嘘を言わなければ、仲間を騙すことは禁じない」となる。


「大体、俺をオトリにした時点でやることがセコイんだよお前は。チャンスは一度だから失敗するなと言っといただろうが」
「じゃあオトリにしてくれと言わんばかりのタイミングで列車に乗ったお前は何だよ」
「あれは……弟の初出勤がテロとたまたま重なって」
「弟さんを心配して思わず飛び乗ってしまったんですのよね」
「ブラコン」
「リドウせんぱいストレート過ぎです! ユリウスせんぱいも剣をお抜きにならないでください!」

 双刀を手にカウンターのリドウに迫ったがジゼルに間に割って入られた。チッ。

「まあ『テロに乗じて社長暗殺』はダメ元でしたから。せんぱい方もあまり気にせず、次の一手を考えましょう? ね?」

 その台詞には肩を落とした。リドウも珍しく同じく、だ。俺とリドウの所作が重なるなんて滅多にないぞ。

 お前、自分が現場にいなかったからってなめてるだろう。あの時は俺なりに本当に実行する気でいたんだぞ。……ルドガーに時計が渡らなければ。

「最大の反省点は、列車テロでおそらく社長も、わたくしたちの結託をお知りになったことですね。これでわたくしもリドウ副室長も、社長の手の上のサル確定ですわ」
「ハッキリ言うなっての。……ここからはあの男を出し抜くより、俺たち自身の命確保を優先して対策していかなきゃいけなくなったのが痛いね」
「わたくしたちはよろしいじゃありませんの。全員が戦闘エージェントです」

 糾弾にも似た眼光が俺とリドウを射抜く。

「ですが、あの子は――ビズリー社長の最も傍近くに侍っているのに、戦う力がありませんのよ? 社長ご自身が人間離れしてお強かったから、あの子は戦う術を修める必要がなくて……」

 徐々にジゼルの声から威勢のよさが消えていく。

「《彼女はクルスニクの宿業にはちっとも関係ない人なのに》……」
「ジゼル、()()()()()
「っ! 申し訳ありません、わたくしってば」

 ――基本的に、人ひとりの体には一つの意識しかない。だが、ジゼルは違う。事情は省くが、ジゼルの中には20以上の《別人》がいる。
 多重人格とか可愛いものじゃない。本当の意味で全部がジゼル・トワイ・リートに根ざさない別人。

「ええと、何の話でしたかしら」
「俺たちは今後、分史対策室側だから、ユリウスはどうするかってトコ」
「そう、でした。すみません。ええと、室長はですね、ええっと、そのう……」
「テロの首謀者に仕立てあげる予定。これからは逃亡生活だとよ」

 おいこら。サラッと人の人生を180度変える発言をするな。そもそも俺はテロとは無関係――であっても証拠をでっち上げるのがビズリーって男だったなあチクショウ。

「社長のご意向ですの。弟さんの器を見極めるためには、室長には警察に捕まらずに逃げ回ってもらわなければならない、と。追跡や移動制限は、GHSの開発者の室長には通用しないと、社長もご存じですから。適任ですわ」

 ほら見ろ、やっぱりビズリーだった。

 ああ、くそ。ルドガーには知られるわ、テロリストの濡れ衣を着せられるわ。今日は厄日だ。

「わたくしは室長の逃亡の幇助を命じられています」
「いいのか、俺にしゃべって。その分だと密命だろう」
「室長にお教えするのは、()()()()()()の室長を慕う方々の総意です。わたくしは一人、《彼ら》は5人。多数決では敵いません」
「どの口が言うんだか」
「ええ。言ったのはまぎれもなく、わたくしの口ですわ。ですから帰社したら正直に社長と秘書官に報告するつもりです」

 リドウの皮肉もどこ吹く風。
 自分に不利な内容を迷わず告げる潔さ。半分分けてほしいと何度思ったことか。

「んじゃ、そろそろ行ったら? 元室長。早めに出ないと、ドヴォールの朝は早いぜ」
「言われなくとも行ってやるさ。これ以上お前と同じ空気は吸いたくないからな、『副』室長」

 明日でない今ならお前はまだ副、つまり俺の部下だ。どう呼ぼうと自由だろう? してやったり。

 席を立ってジゼルを見下ろす。

「――ジゼル。堂々と弟のそばにいられるなら、弟を頼む。クルスニクの秘密に触れすぎないようにしてくれ」

 それはつまり、時歪の因子(タイムファクター)があればルドガーではなくジゼルに破壊してくれと頼んでいるも同然で。

 ジゼルはエージェントの中でも特異だ。時歪の因子(タイムファクター)破壊は、普通の骸殻能力者とは異なる弊害をジゼルにもたらす。
 それを近くで見てきてなお、俺はルドガーを最優先にして、ジゼルを損ねる命令を出す。

「社の方針に(もと)らない限りで承ります。――室長はよいように動かれてください」

 ジゼルが立ち上がって敬礼した。

「《《《《《ご武運を。無事のご帰還を心待ちにしております》》》》》」

 はあ。まったく。しばらく離れ離れになるんだから、見送りの言葉くらいジゼル自身で言ってくれてもいいだろうに。
 部下に慕われるのは上司冥利に尽きるが、俺個人としてはお前の声を聴きたかったよ。

 まあ、しようがないか。

 これがジゼル・トワイ・リート。クルスニクの《歴史》を一身に背負う「記録」エージェントなんだから。 
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