剣の丘に花は咲く
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第十三章 聖国の世界扉
第七話 世界扉
前書き
タイトルを『赤い悪魔再び』にしようか迷った……。
明後日に教皇即位記念式典を迎える早朝―――士郎は清澄な空気に満ちる大聖堂の中庭に立ち、冷えた清らかな空気を吸いながら人心地を付いた。
腕を組みため息を吐いた士郎は、薄霧により靄がかった辺りを見渡す。
荘厳な寺院を包む朝霧の薄い白のヴェールを朝日が照らしたその光景は、感嘆のため息さえも飲むほどに神秘的な美しさに満ちていた。
「まったく、この国に来て落ち着く暇もないな」
文句を言う割には、その口元には満足気な笑みが浮かんでいた。感嘆の息を漏らしながら、細めた目で自然と人工物が調和したその奇跡の光景を見つめる士郎。
夜と朝の狭間の僅かな瞬間―――生まれ出てる一瞬の美。
その一瞬の美に見惚れる士郎に―――
「―――な、なら、きょ、今日ぐらい訓練を休んだって……」
―――汗と疲労に濡れた恨みがましい声が掛けられた。
「訓練と言うのは一日休めば、取り戻すのに三日掛かる。さて、今日休むのと明日五倍の訓練を受けるのとどちらがいい?」
「―――な、何で五倍?」
「普通三倍じゃないか?」
「サービスだ」
「いやいや五倍はないでしょ五倍は……と言うかそんなサービスはいらねぇ」
「……って言うかいくら何でもこんなとこまで来てまで訓練するのはちょっとどうかと……」
士郎を囲むように死屍累々と転がっているセイバーを除く水精霊騎士隊の騎士たちは、先程まで口から中程まで出ていた魂を飲み込むと、口々に文句を口にし始めた。
「なんだ? 何か文句でもあるのか?」
「「「「ノー・サーッ!!」」」」
士郎がギーシュたちを見下ろし鼻を鳴らすと、ギーシュたちは極度の疲労を訴える肉体に鞭を打ち立ち上がり一斉に敬礼を示す。
その様を見て士郎は『訓練の成果が出てきたな』と満足気に頷く。
「良し。なら早朝訓練の仕上げだ。大聖堂を百周―――始めッ!!」
「「「「サー・イエッサーッ!!」」」」
『水精霊騎士隊は最強だ~! 誰も彼もが道譲る~! 最強無敵の騎士たちさぁ~……!』煙る朝霧の向こうに、ドップラー効果を残しながら消えていく若き水精霊騎士隊たち。士郎はやれやれと肩を竦めると、朝の冷たい風に吹かれ薄れゆく霧から姿を現す都市ロマリアを見やり―――ポツリと呟く。
「……さて、そろそろ結論を出さねばな」
昼―――士郎は昼食を取るため、瀕死―――と言うよりも、もはやただの死体の如く転がっているギーシュたちを置いて食堂に向かっていた。食度に向かう途中、ぼうっとベンチに座り込み、何もするでなく空を見上げていたルイズと合流した士郎を呼び止める者がいた。
「―――ルイズ……それと、エミヤシロウ」
「ん?」
「何よ」
名前を呼ぶ声に士郎とルイズが振り向くと、そこには憮然とした表情を浮かべたアニエスが立っていた。
アニエスは二人が振り返ったのを見ると、顎を引いて大聖堂へと顔を向ける。
「二人共陛下がお呼びだ。教皇聖下の執務室でお待ちになっている。ルイズは“始祖の祈祷書”を持って直ぐに来い」
必要な言葉を最低限伝えると、アニエスは踵を返し大聖堂へと足を向けた。踵を返す際、士郎に一瞬睨みつけるような視線を向けたアニエスだったが、何も言わず無言で歩き去っていく。何の用事かも言わずにさっさと歩いていくアニエスの姿に、ルイズはムッとした顔を見せる。士郎は機嫌を損ねたルイズの頭を軽く撫でるように叩くと、アニエスの背中を追って歩き出し、ルイズも同じく士郎の背中を追って歩き出した。
カツカツと靴音高く鳴らしながら進むアニエスの背中を見つめながら、士郎は『ふむ』と一つ息をついた。アニエスの何時も以上のおざなりな態度に、むくれてグチグチと文句を口にするルイズを適当にあしらいながら、士郎は考えていた。
アニエスが素っ気ないのは何時ものことだが、今日は何処か様子がおかしい。余裕がないというか、焦っているというか、何時も以上に不安定な姿を見せるアニエスの様子に、士郎が何やら考えているうちに、何時の間にか三人は教皇の執務室の前にいた。士郎たちの前で、アニエスが扉をノックすると、直ぐに扉の向こうから『どうぞ』との教皇からの許可の声が聞こえてきた。許可を受けたアニエスが扉のドアを開く。扉の向こうには、椅子に腰掛けたヴィットーリオとその隣に立つジュリオ、そして少し離れた位置にアンリエッタとティファニアが立っていた。
「お呼びたてしまいすみません」
士郎たちが部屋に入り、扉を閉めると、ヴィットーリオは椅子から立ち上がった。その時、士郎の視界の端に、ヴィットーリオの指に嵌められた指輪が映った。
「その指輪は―――」
「え? ああ、この指輪ですか。これは“四の指輪”の一つです。そちらのアンリエッタ陛下のお持ちのものと同様の。つい先ごろ、二十年ぶりにわたくしの手元に戻ってきたのです」
掲げるようにして赤いルビーの指輪を士郎たちに見せつけるヴィットーリオ。炎を結晶化したかのような緋色に輝く指輪を、士郎は細めた目で見つめながら呼び出した理由をヴィットーリオに尋ねた。
「呼び出したのは、あの時の返事を聞かせて欲しいとの事ですか」
「ははっ……確かにあの時の返事はそろそろ聞かせて欲しいですが、今日、あなた方を呼んだのはまた違う用事ですよ」
何時もの如く慈愛に満ちた笑みを士郎向けていたヴィットーリオの目が、鋭く細められた。
「少し“虚無”についてお話しようかと思いまして」
「“虚無”についてですか?」
小首を傾げながらルイズが眉根を寄せた。
伝説の系統魔法―――“虚無”。記録では歴史上始祖ブリミル以降誰も担い手がいない謎に満ちた系統であり、歴史を研究する者の中には、“虚無”という系統は存在しないとさえ口にする者がいるほどに、“虚無”は謎に満ちた系統である。それは担い手であるルイズであってもそうだ。虚無について特別に詳しいというわけではない。いくら公爵家の娘とは言え、伝説の彼方にある“虚無”について知り用などないのだから。
だが、ブリミル教の教皇ならば、自分の知らないナニカを知っていたとしてもおかしくはない。もしや、そのナニカを教えてくれるのでは、とルイズの高まる期待は表情から見て取れる程であった。ヴィットーリオはルイズのそんな期待を感じたのか、微笑ましそうに口元に笑みを作ると小さく首肯した。
「ええ。そうですね、では、ミス・ルイズ。あなたは“虚無”に、他の魔法のようにそれぞれ系統に似たものがあるということを知っていますか?」
「“虚無”に系統ですか?」
勿論知らない。だが、何となく理解は出来る。もう一人の“虚無の担い手”であるティファニアの“虚無”は、自分の“虚無”とはまるっきり別物だからだ。それこそ別の系統と言える程に。
自分の言葉をルイズが理解したのを感じたのか、ヴィットーリオは小さく頷き続きを口にした。
「そう、あなたの“虚無”のように、直接的な“攻撃”としての力もあれば、敵を惑わす力もありますし、他にも様々な“虚無”が存在します。わたくしはその中でも、どうやら“移動”を司る“虚無”のようです。使い魔も似たようなものですね。『神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空』―――そう、歌にあるように」
「それでは、使い魔がミョズニトニルンであるガリアの担い手は一体どんな……あ、じゃあティファニアの方は―――」
「ええ、それも確かめるために、あなたには“始祖の祈祷書”をお持ちいただいたのです」
「確かめる、ですか?」
「そうです。では、アンリエッタ女王陛下」
『手はず通りに』と、ヴィットーリオはアンリエッタに顔を向け何かを促す。アンリエッタはヴィットーリオに頷いて見せると、自身の指に嵌めた指輪―――風のルビーを外し、ティファニアに差し出した。
「え? あ、あの、これは……」
差し出された指輪を前に、ティファニアが戸惑った声を上げる。
「あ、アンリエッタさま?」
「お受け取り下さい」
「え? で、でも……」
緊張と焦りに顔を赤くしたティファニアが身体を縮めて恐縮する。小さな子供のように震えて涙目になったティファニアを落ち着かせるようにアンリエッタは優しく微笑むと、目の前に震える震える手を自身の両手でそっと包むようにして握った。
「……どうか、受け取ってください」
「―――ぁ」
アンリエッタはティファニアの手を握る片方の手を開く。そこには、風のルビーの姿が。アンリエッタは自身の掌にある風のルビーを見下ろし、懐かしそうに目を細めた。
「この指輪は“風のルビー”……始祖の時代からアルビオン王家に伝わる指輪です。今ではもう、アルビオン王家の血筋があなたの他に全て途絶えた今、この指輪の持ち主として最も付さわしいのはあなたを置いて他にはいません。それに、あなたは“虚無の担い手”の一人。ならば、この指輪があなたの指にこそ嵌るのが道理と言えましょう」
「そんな大切なもの……それに、わたしは、エルフの……」
幸せに満ちたアンリエッタ声と、浮かべた笑みを見て、どれだけ指輪の前の持ち主の事を好きだったかを感じたティファニアは、そんな指輪を受け取れないと首を横に振ろうした。
「―――これは、わたくしの我侭なんでしょう」
「え?」
が、それはアンリエッタの何処か困ったような笑みと泣きそうな声により、自身の上げた戸惑いの声と共に止まった。
「この指輪の前の持ち主は、わたくしにとってとても大切な方でした。その方はとてもお優しく、わたくしの事も、そう……妹のように可愛がってくださいました。あの方にとって、あなたは妹のようなもの、なら、あの方も、この指輪があなたの手にあれば喜んでくれると思うのです。だから……これはわたくしの我侭でもあるのです」
「………………」
アンリエッタの浮かべた微笑みは、まるで氷細工のように美しく―――儚い輝きに満ちていた。些細な切っ掛けで、一瞬で溶け崩れてしまいそうな、そんな淡く脆い―――しかし美しい笑み。
ティファニアは、ただ、その笑みを前に何も言えず、ただ立ち尽くすだけで……。
「どうか、受け取ってくれませんか?」
「……わかりました」
だから、ティファニアには断る事が出来ず、頷く事しか出来なかった。
「……ありがとう」
「―――それでは、ミス・ルイズ。“始祖の祈祷書”をティファニア嬢に見せてあげてください」
ティファニアがアンリエッタから手渡された風のルビーを指に嵌めている姿を横目にしながら、ヴィットーリオはルイズに促す。
「え? 何故でしょうか?」
「あなたが持つ“始祖の祈祷書”―――“始祖の秘宝”と呼ばれるものは、虚無の魔法という宝が詰まった箱のようなものです。おさめられた“魔法”は、“始祖の秘宝”によって違います。そして、その箱を開けるための鍵が、今ティファニア嬢が指に嵌めた“指輪”なのです。ですから、ミス・ルイズ。あなたの手にあるその“始祖の祈祷書”をティファニアに見せてあげてください」
自分の手にある“始祖の祈祷書”を見下ろしたルイズの脳裏に蘇る言葉―――『必要があれば読める』、デルフリンガーが言っていたのを思い出す。
しかし、それは自分以外の担い手も同しなのだろうか?
当たり前に浮かぶその疑問を感じたのか、ヴィットーリオはルイズに笑み浮かべ肯定する。
「“四の担い手”であれば、“秘宝”はそれが何者であっても応えてくれます」
そういうものなのだろうか、とヴィットーリオの言葉に頷きながら、ルイズは促されるままティファニアに“始祖の祈祷書”を差し出した。差し出される“始祖の祈祷書”から顔を上げると、ティファニアは逡巡するようにルイズ、そしてヴィットーリオの順に視線を向けた。
「その、頑張って……?」
「さあ」
何となく応援するルイズの声援を受けながら、ティファニアはヴィットーリオに促されるまま“始祖の祈祷書”を受け取る。深く息を吸い、吐くと同時にページを開いた。
勢い身構える皆の前で、ティファニアは“始祖の祈祷書”のページを一枚、一枚と捲っていく。
そして、広い部屋の中に響いていたパラリ、パラリとページが捲られる音が、唐突に止まった。
誰かのゴクリと唾を呑む音が響いた。
「え、えっと、その、何か書いてあった?」
「何も……書かれていません」
ティファニアが首を横に振りながら答えると、ヴィットーリオが一歩前に進み出た。
「どうやら、あなたにはまだ“時期”が来ていないのでしょう。心配なさらずとも、いずれあなたにも読む事ができますよ。さあ、それでは次はわたくしの番です」
ヴィットーリオの言葉に安堵の表情を見せるティファニア。ティファニアの手から“始祖の祈祷書”を受け取ったヴィットーリオは、しかしその場で開く事はなく、顔を上げ士郎に視線を向けた。
「ですが、その前に少しあなたにお尋ねしたことがあるのですが―――ミスタ・シロウ」
「―――ほう」
その瞬間―――執務室にピリリとした電流に似た何かが走った。
「そうですね。迂遠な言い方ですと、誤解や―――誤魔化される事がありますからね」
ヴィットーリオの顔から微笑が消え―――冷たささえ感じられる真剣な顔が現れる。
「エミヤシロウ―――あなたは異世界から来たのではありませんか」
「い、異世界?」
「―――っ」
「なっ―――どうして」
「……」
戸惑う者、困惑する者、驚愕する者、様子を伺う者、様々な感情が入り乱れる中―――当事者である士郎は変わらず腕を組んだ姿で静かな視線をヴィットーリオに向けていた。
「否定はしないのですか?」
目を細め、口の端を曲げた形だけの笑みを浮かべたヴィットーリオが、士郎に問い掛ける。笑っているのに笑っていない。まるで笑みを浮かべた人形のようなそれに、しかし士郎の表情は微動だにせず、ただ小さくため息を一つついた。
「無駄なことはしない主義でな、貴様がそう言うからには、それなりの根拠と証拠があるということだろう」
「ちょ、シロウ、聖下に対してその言い―――」
「構いませんよミス・ルイズ。先程よりもこちらの方がわたくしには好ましいですから―――先程までどうも壁のようなものを感じていましたからね」
貴人に対する言葉使いとは思えない士郎の乱暴な言動に、ルイズが慌てて声を上げるが、それを止めたのは当の本人であるヴィットーリオだった。ヴィットーリオは口元に微かな笑みを浮かべると、士郎に向かって笑いかけた。
「では、話を戻しますが、あなたは“異世界”から来たという事で間違いはありませんね」
「―――さて、それはどうかな」
とぼけたような声で応え首を捻る士郎に、笑みを浮かべるヴィットーリオの頬が小さくピクリと動いた。
「それは……どう言う意味でしょうか?」
「なに、ただ俺は否定も肯定もしないと言っているだけだ。そもそも俺が何処から来たか等わかっても何の意味がないだろうに」
「いいえ、そうは思いません」
肩を竦める士郎に、ヴィットーリオは首を大きく左右に振ってみせた。
「ほう、それはどうしてだ」
「もし、あなたが“異世界”から来たのだとしたら」
士郎の目が鋭くヴィットーリオを貫く。刃物に似た視線を受けたヴィットーリオは、口元に浮かべていた笑みを深くし―――
「―――帰りたくはありませんか? 元の世界に」
―――誘惑する悪魔のように囁いた。
「な、に?」
「「―――ッ!?」」
士郎が目を見開き、驚愕の声を上げる横で、声のない悲鳴を上げるルイズとアンリエッタ。
身構えるように士郎がヴィットーリオに向き合い、探るような視線を向ける。
「それは……どういう意味だ」
「言葉通りですよ」
ヴィットーリオは何時もの通り慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、取引を持ちかける悪魔のように甘い声で士郎に囁く。その代償は何かを告げる事なく―――。
「帰りたくはありませんか、あなたが元いた世界に」
「……お前の言った通り例え俺が異世界から来たとしても、その手段がない以上、その問いに意味はない」
囁きを、士郎はキッパリとした声で切り捨てる―――が、ヴィットーリオは目を丸くした後カラカラと笑い声を上げた。
「ははは……何を言っているんですか? 先程あなたが自分で言ったではありませんか」
「何を―――」
「わたくしがここまで言うということは、それなりの根拠とかがあると言うことですよ。例えば、そう―――異世界に繋がる魔法がある―――とか、ね」
ニヤリと笑い告げたヴィットーリオの言葉に対し、
「―――ッ!!?」
ルイズは息を飲み、
「っ、そう、きましたか」
アンリエッタは苦虫を噛み潰したような顔になり、
「……“虚無”、か」
士郎は、納得がいったように小さく頷いた。
「ええ。先程ご説明した通り、わたくしの“虚無”は移動に特化しているようですので」
「あると、言うのか―――異世界に渡る“虚無”が」
「今はありませんが、そうですね……それも直ぐに使えるようになると思いますよ……そう、例えば―――今、この時かも―――」
士郎の問いにヴィットーリオが手に持った“始祖の祈祷書”を開きながら応えた―――その時、
「―――しれませんね」
ヴィットーリオが開いたページから眩い光が溢れ出した。
突然現れた光を皆が手や瞼で遮る中、唯一人ヴィットーリオだけが敬虔な面持ちで受け止めていた。太陽や炎、魔法の光とも違う光に照らされたヴィットーリオは、その現実離れした美しさと合わさりまるで伝説に謳われる聖人のようであり、そのあまりの神々しさに打たれたかのようにジュリオはその場で膝をつき頭を垂れた。
伝説に語られる“虚無”の新たな魔法を会得する瞬間を前に、士郎たちはただ息を飲み立ち尽くす。
だが、その胸中に広がる思いは各自で違った。
ルイズは不安―――ヴィットーリオが言っていた事が真実であるならば、士郎が帰ってしまうかもしれないと―――。
アンリエッタは警戒―――前々からヴィットーリオが何かを企んでいるのは予感していたが、元の世界に帰るための手段を餌に、一体何を要求するつもりなのかと―――。
ティファニアは戸惑い―――目まぐるしく動く事態を把握出来ず、ただただ混乱するだけで、未だ自身の思いが定まってはいない―――。
そして士郎は―――複雑に絡み合った思い。
戸惑い、喜び、警戒等と様々な思いが次々にわき上がるそれを胸の内で押し殺しながら、噛み付かんばかりの強さでヴィットーリオを睨みつける。
様々な感情と思いが渦巻く中、ヴィットーリオは開いた“始祖の祈祷書”のページに浮かび上がるそれを読み上げた。
「中級の中の上―――“世界扉”」
―――ユル・イル・ナウシズ・ゲーボ・シル・マリ……。
開かれた“始祖の祈祷書”から溢れる光が執務室を照らす中、朗々と響く“詠唱”の声。
期待と、不安と、恐れが入り混じった空気が漂う中、ヴィットーリオの詠唱が―――
ハガス・エルオー・ペオース……。
―――とまった。
虚無魔法の威力は、詠唱の長さに比例する。そしてそれは、消費する魔力の量も同じ事が言えた。
詠唱が終わると同時に、開かれた“始祖の祈祷書”から漏れる光が収まり―――ヴィットーリオは懐から取り出した杖を振り下ろした。
宙の一点目掛け振り下ろされた先に、ポツリと小さな点が生まれた。透明な輝きを放つその光の粒は、徐々に大きくなり―――やがて手鏡程度の大きさでその成長が止まった。
「これって……鏡?」
「―――いや、違う」
ルイズが呟いたそれを、士郎が否定する。
鏡のように見えたそれは、しかし明らかに違った。何故ならば、映し出された光景が違う。それは、士郎には見慣れた光景。
天を突くような高い塔が無数に立ち並ぶ―――それはこの世界では有り得ない―――高層ビルが立ち並ぶ都市の光景であった。
皆が食い入るように鏡のようなナニカに映し出される光景を見つめる中、ヴィットーリオは自身の魔法が成功したことに満足気に大きく一つ頷いた。
「それに映し出されているのは、ここではない遠い何処か―――異世界です。この世界こそが、時折この世界に現れる“場違いな工芸品”と呼ばれる物が生まれた世界です」
「―――そして、エミヤシロウの世界でもある、ですよね」
鏡のようなナニカの前に立つヴィットーリオの後ろで、ジュリオが士郎に笑いかける。
「わたくしは以前からこの世界について知っていました。それと言うのも、わたくしが初めて会得した“虚無の魔法”は、この“世界”の光景を映し出す魔法でした。ただ映し出すだけで、他には特にこれといった力のない魔法でしたが、今回はどうやら違うようですね。そう、何故ならば、この魔ほ―――」
「あ?」
「え?」
「なに?」
「っ、聖下!?」
ヴィットーリオが新たに会得した魔法の詳細について語ろうとしたのを、ルイズたちが上げた戸惑いの声が遮った。
「? どうかしましたか?」
ルイズたちの視線は自分の背後。つまりは虚無魔法で生み出した“世界扉”に向けられていることに気付いたヴィットーリオは背後に顔を向け、
「―――え?」
戸惑いの声を上げた。
自分が生み出した“世界扉”に映し出されている光景に、奇妙な揺らめきが生まれていた。それは段々と大きくなり、映し出される光景は既に何が映っているのか想像すら不可能。
「魔力切れ?」
ルイズの言葉を、使い手であるヴィットーリオが否定する。
「確かに必要最低限の魔力しか込めてはいませんでしたが、これは―――何かが違います」
戸惑いの声が混乱に変わる―――その直前、
「―――あ」
「映っ、た?」
“世界扉”に像が結び新たな光景が浮かび上がった。
その光景を前にして、各自の胸中にまた新たな思いが浮かび上がるが、その中でも最も強かったのは、以外にも―――
「―――まさ、か」
士郎であった。
波打つ湖面のように歪んでいた鏡面が収まった後、ハッキリとした線で描き出されたのは何処かの部屋。虚無魔法で生み出した“世界扉”から、一人用のベッドと本棚の他に数える程度の家具しか見えないが、そう広い部屋でないのは確かだろう。木目調の落ち着いた雰囲気を感じられるが、何処となく怪しげな気がするのは、奇妙な形の器具や注射器等が机の上に置かれており、何かの実験室のようにも見えるからだろうか。
「何処よ? ここ?」
「何かの実験室のようにも見えますが……」
唯一の明かりである蝋燭の炎に浮かび上がる部屋の中を見渡していたルイズたちの目が、不意に一点に集中する。視線の先に浮かぶのは、誰か女性のシルエット。
「人?」
「女性……でしょうか?」
ルイズたちが目を細めその詳細を確かめようとした―――瞬間。
『ちょ、ちょっと待って。何でこんなのが映ってるのよ? って言うか何、これ? えっと、もしかして……“こすぷれ”ってやつ? でも……何でドレス? うわっ、派手な服……どこぞの教皇様じゃないんだから……って、何か普通に高そうな……いやまさか……いやいやいやいや、ない―――ないわねそれだけは。じゃあ、ここは……って言うか肝心のアイツは何処よ。アイツが映らないと意味ないじゃない? まさか失敗……ちょ、ちょっと待って、待ちなさい―――三百万―――っ!! 三百万も使ってコレ? うっかりってレベルじゃないわよっ!! ここまで期待させて間違いでしたじゃ許さないわよッ!!?』
「「「―――ッ!?」」」
「っ」
声が聞こえた。
突然聞こえてきた女の声に、ルイズたちがただ純粋な驚愕を見せる中、唯一人士郎だけが何処か懐かしげな色をその顔の中に忍ばせていた。
“世界扉”の向こうから聞こえてくる女の声は、近くでありながら何処か遠くから話しかけられているような、そんな奇妙な違和感が感じられた。
謎の女の脅しとも悲鳴ともつかない絶叫に目を白黒させながら聞いていたルイズたちであったが、怒声と共に蝋燭の明かりが届かずシルエットだけしか見えなかった女の影が、“世界扉”に近付き拳を振り下ろしてきた。
ドスンと言うよりも、ドガンッと言うべき音が響く中、謎の声の主である女の顔を蝋燭の明かりに照らしだす。
「―――これは」
「へぇ」
「わぁ」
「―――あ」
「―――え?」
感嘆の声の中に―――戸惑いが二つ。
視線の先にあるのは、“世界扉”の向こうの世界。
淡い光に浮かび上がるは、一人の若い女性。
それも、際立って美しい女性であった。
人間離れした美しさを持つ反面、何処か儚げな雰囲気が感じられるヴィットーリオやティファニアとは違い、ある種の力を感じさせる美しさを持つ女性であった。
濡れたように滑らかな黒髪は小さな蝋燭の明かりに照らされ、夜空に輝く無数の星の煌きを見せ。ほんのりと色付いた滑らかな肌は、見る者をまるで誘うように吸い寄せる。柔らかな赤い唇は、まるで紅薔薇の蕾のようだ。
しかし、その数多くの魅力の中、最も目を引くのは黒曜石の如き輝きを見せる瞳。
見る者を引き寄せずにはいられない強い意志を感じさせるその目を大きく見開きこちらを見つめている。
「……彼女は一体?」
“世界扉”を発動させたヴィットーリオが、疑問の声を上げた時、女の瞳が涙に潤んだ。
『―――いた』
誰かを探すように彷徨っていた視線が士郎を捉え、女の口から歓喜の声が漏れた。
先程まで十分以上に美しいと感じていたが、それがまだ彼女の魅力を半分でもなかった事をヴィットーリオたちは知った。萎れかけていた花が時を巻き戻すかのように瑞々しく花開くかのような奇跡を目の当たりにしたかのように、息を飲んでその光景を見つめる。
『何よ……やっぱり生きてるじゃない……元気そうで……全く、心配かけ―――あれ?』
―――だが。
『ちょっと、待って……まさか……』
それも長くは続かなかった。
『また、なの……―――ッッこのッ! 人にこれだけ心配かけさせてっ!! その間にあんたはまた女を作ってッ!! しかもこんな小さ―――……え? ちょっと待って。ほんとに小さい……は? ちょ、本当にいくつなのよこの―――……え?』
士郎を見つめる女の目が、不安気に士郎の袖を引くルイズの姿を捉えた瞬間、純真な乙女のような美しく優しげな笑みを浮かべていた女の顔がみるみるうちに歪み、頭を掻き毟りながら怒声を上げ始めたのだ。
清純な聖女から一転して嫉妬に狂った般若へと変貌した女の姿に、知らず皆の足が一歩後ろに下がった。それは女の視線を一身に受ける士郎も同様であり、それどころか女が天を見上げ雄叫びを上げるかのように絶叫し視線が外れているのを良い事に、こそこそと逃げ出している始末であった。
ヤクザの事務所の金庫破りをしているかの如く、士郎は女の視界から隠れるため一歩一歩慎重に動いていたが、その慎重さ故の時間の掛かり過ぎが仇となり―――
『―――何隠れようとしてんのよアンタはっ!? 待ちなさいっ、待って! 待てコラッ!!』
士郎の不審な動きに気付いた女の声により呼び止められる羽目となった。
「―――ッっ?!」
士郎の足が条件反射的にビダリと止まる。もはや本能にまで染み付いた反応である。恐る恐ると士郎が顔を上げると、そこには段々と小さくなり始めた“世界扉”の姿があった。
『待て!! 逃げんなこのっ! このまま消えたらあんたまた実験に協力させるわよ! いいの!? また高度六百メートルから何の装備もなしでフリーダイビングする羽目になってもッ!!?』
握り拳程の大きさにまで縮んだ“世界扉”に噛み付かんばかりに顔を寄せながら、女は理不尽過ぎる脅しとしか言いようのない言動を士郎に向ける。
『ちょっとッ! 聞いてんのッ! って言うか、アンタなんでそんなところにいるのよッ!? アンタちゃんと分かってんの、そこは―――ッ』
優雅の欠片もない狂った犬のようにギャンギャンと吠え立てる女の声と姿は、“世界扉”と共に消失する。
残ったのは静まり返った執務室の空気だけ。
誰も声を上げず、視線も定まらないまま。しかし、あちこち逡巡するように揺れていた視線は、時間と共にある方向へと移動していく。その先にいるのは、苦し気に眉を顰めた渋面を俯かせる士郎の姿。
皆の視線に晒された士郎は、俯けていた顔をヴィットーリオに向け―――告げた。
「―――先程の返事だが、俺は元の世界に戻る気はない」
何処か弱々しげな―――
「……死にたくないからな」
―――引きつった笑みを浮かべて。
―――ロマリアの街並みを地平から昇る朝日が遍く照らし出す中。窓から差し込む光が閉じた瞼を撫でる感触に目を覚ました士郎は、ゆっくりとした仕草で確認するように周囲を見渡した後、身体をベッドから起こした。
軽く頭を振り、眠気を払った士郎は、ベッドに接する壁に備えられた窓を開け放ち、朝特有の冷たく澄んだ風を部屋の中に招き入れた。冷たいシャワーを浴びるように、冷え切った風に全身を晒した士郎は、閉じていた目を静かに開き、青く晴れ渡った空を見上げ。
「―――……はぁ」
重いため息を吐いた。
昨日―――教皇の執務室で行われた“虚無”についての話し合いは、教皇が目覚めた新たな“虚無”―――“世界扉”の異変により終了となった。
正確には、異変により生じた誰しも想像もしなかった事態が生じたことから、誰しも何が起きたか理解も説明も出来ず、そのまま混乱から自然に解散となったと言った方が良いか。ともかく、予想外の事態により話し合いは中途半端な形で終了となり、ルイズたちを呼び出した教皇の真意を図る事は出来ないでいた。誰しも何が起きたか理解できないまま執務室を出た後は、士郎の知る限りでは皆同じような行動を取っていた。
部屋に閉じこもったのだ。
あの時、一体何が起きたかを自分なりに理解するためか、執務室を出たルイズたちは、各自に用意された自分の部屋に閉じこもってしまった。それは教皇も同じであり、士郎たちが出た後、どうやらジュリオと共に執務室に篭もりっきりであるようだった。
唯一人、士郎だけが部屋に閉じこもる事なく、部屋に閉じこもったルイズたちの心配をするキュルケたちの相手をしていた。士郎は部屋に閉じこもったまま出てこないルイズやティファニアに声を掛けたが、ドア越しに『大丈夫』と言う一言を返されるだけであった。
そしてそのまま夜となり―――日が登り今に至ると言うことである。
結局士郎はあの後、ルイズたちとはまともに話すことは出来ないでいた。
教皇の作戦が明日に迫る中、こんな様子では流石に危険だと感じた士郎は、何としてでもルイズたちと話し合わなければと考えるが―――そう簡単にはいかないだろうとも思った。
特に、ルイズと―――アンリエッタ。
あの二人は何か様子が変であった。
ヴィットーリオやジュリオたちが“世界扉”の異常や、それにより映し出された謎の女性に対し戸惑う中、ルイズとアンリエッタの二人は、明らかに他の者たちとは違った感情を見せていた。
あれは、一体何だったのだろうか?
それもあって、昨日士郎は部屋に閉じこもったルイズたちに強く迫ることが出来ないでいた。
士郎が寝起き何度目かのため息を冷えた空気の中に落としかけた―――その時、ノックの音が響いた。
扉を開くと、そこには一日ぶりに見るジュリオの姿があった。士郎と目が合うと、ジュリオは左右の瞳の色が違う目を細めて笑みを浮かべる。
「おはようございます」
「……ああ、おはよう」
昨日の事がなかったかのように、何時も通りの笑みを浮かべるジュリオに、士郎は警戒心を上げながらも返事を返す。
「で、何のようだ? こんな朝早くから」
「ええ。あなたに少し―――お見せしたいものがありまして」
「俺に?」
「はい―――あなただけにです」
怪しげな光を灯らせた月目を細め、ジュリオは士郎に頭を下げた。
「―――随分と地下深くに潜るんだな」
「ええ、あまり人目に着く場所には置いておけないので、ああそこは少し脆くなっていますので気をつけて下さい」
「そこまで警戒する必要があるのか?」
「まあ、あなたも見れば納得していただけるとは思いますよ」
ジュリオに促され向かった先は、大聖堂の地下に存在する通路であった。大聖堂の奥に隠された扉の先にあった螺旋階段を下りた先には、人二人がギリギリ横に並べる程度の通路があった。地下特有の湿った空気を照らすのは、通路の壁に掛けられたかがり火だけ。ジュリオはかがり火の中から一本の火のついた薪を手に取ると、それを松明のようにかかげながら歩き出した。炎の揺らめく頼りげのない唯一の光に照らされた通路を、士郎はジュリオに先導され奥へと進んでいく。
「……ここは地下墓地か?」
「そうですね。大昔は地下墓地として使われていたと聞きますが……そこを今は別のものに利用させてもらっています」
「―――別のもの、か」
ジュリオと話している内に、通路よりも広い少し開けた場所に出た。円筒状に広がるそこは、四方に鉄製の扉が設置されている。年月の劣化による赤い錆びういた四方の鉄扉には、その上を大量の埃が積もり、明らかに長年ほうって置かれていたことが伺えた。長年放置されていたと見える割には、何重も鎖で巻きつけられたその施錠の状況は酷くアンバランスにも見える。士郎が無言で考えを巡らしていると、ジュリオはさっさと鉄扉を封印する鎖を止めている錠前の中に、手に持った鍵を差し込んでいた。バチン! と割と重くざらついた音を立てながら錠前が外れた。鉄扉に巻きついていた鎖が、戒めを解かれダラリと垂れ下がる。
後は扉を開くだけとなり、ジュリオは腕まくりをして気合を入れると、扉の取っ手を握り締め、一気に引っ張る―――が。
「……手伝うか?」
「え、ええ。お願いしてもよろしいですか?」
錆び付いてビクともしない扉に悪戦苦闘するジュリオに、暫らく様子を見ていた士郎が流石にと思い声をかけると、ジュリオは頬を掻きながら照れくさそうに笑いながら頷いた。士郎はそれに苦笑いで応えながら扉の前に立つ。士郎とジュリオが扉に手をかけ、同時に力を込める。
すると、先程までピクリとも動かなかった扉がバギッ! っと破壊音に似た音と共に開いた。扉の向こうに風が吹き込み、降り積もっていた埃が一気に舞い上がり、松明の光を反射させキラキラとした光を見せる。
開かれた扉の向こうには何も見えない。どうやらかなり広い部屋のようだ。ジュリオが持つ松明の明かりでは、扉の近くだけしか照らせていない。士郎の目が闇に慣れるより前に、ジュリオが松明を掲げ部屋の中へと入り、何やら壁を探り始めた。
「えっと、確かここら辺に……っよし、見つけた」
探し物を見つけたのか、ジュリオが喜色の声を上げると一斉に部屋に明かりが点いた。どうやら部屋には魔法のランタンが取り付けられていたようだ。突然の光に目が眩み、ボヤけた視界が元に戻ると、士郎は目の前に広がる光景に息を飲んだ。
「―――っ、これは……」
「どうですか? 驚いたでしょう」
ジュリオの得意気な声は耳に届かず、士郎はただ目の前に置かれたものへと手を伸ばす。硬く、冷たく、独特のツンっとした鉄の匂い。慣れたそれを間違えはしない。
銃―――だが、ハルケギニアのものではない。
「―――AK-47」
士郎は手に取った銃に視線を落とす。長いバナナ方の弾倉が特徴的な銃。
AK-47―――1947年式カラシニコフ自動小銃。
1947年にソビエト連邦軍が正式採用した歩兵用の自動小銃であり、その極めて高い耐久性、信頼性から、開発から数十年も様々な改良が加えられながらも現在まで多くの紛争地帯において使用されている小銃である。
士郎も何度となく使用した銃器であり、慣れた手つきで弾倉を確認すると、弾はしっかりと入っていた。AK小銃が置かれていた棚には、他にも様々な銃器が並んでいる。どれもハルケギニアのものではない、士郎のいた世界の銃器―――それが十数丁。現代の銃以外にも、ハルケギニアで使われているマスケット銃と同じ種類の銃もあった。中には錆が浮いているものやら明らかに壊れているものもあるが、数丁は使用に難はないと思われるものもある。
「これはそんな名前だったんですね」
「……ここは武器庫、なのか?」
棚に戻した小銃に手を触れながら感慨深げに頷いているジュリオをよそに、士郎は他の棚を見渡した。
銃器が置かれた棚の他にも、剣や槍等の武器が雑多に並べられた棚がズラリと並んでいた。共通する点は一つ。地球製の武器であること。手に持てるような武器の他にも、棚に並べられない大砲等の兵器の姿もあった。かつて魔法学院の宝物庫に“破壊の杖”として保管されていたロケットランチャーと同様のものもあった。その殆どが使用不可能な程に壊れているか、劣化しているかだが、中には先程の銃と同じく十分使用に耐えうるものもあった。
「その通りです。ここにあるものは全て、東の地で見つかったもので―――ぼくたちが“場違いな工芸品”と呼ぶ“武器”です。何百年も昔から、ぼくたちが放った密偵たちが、長い年月を掛けてエルフの目を盗み集めてきた代物ですよ。見つけ次第“固定化”を掛けて保存しているので、既に壊れていたもの以外は今でも使える筈です」
「―――東の地?」
士郎は大人一人分はあるだろう、床にごろり転がっているジェット戦闘機の機首に手を置きながら、ジュリオに問い掛ける。
「ええ、東の地―――正確に言えば、“聖地”の近くと言いましょうか、そこで、これらの“武器”は発見されました」
『そして―――』と言葉を続け、ジュリオは部屋の奥へと歩を進めた。
「あなたの“武器”はこれだけではありません」
ジュリオの後を付いていくと、部屋の奥に聳える油布が被せられた小山の前へと辿り着いた。微かに届く魔法のランプの明かりに浮かび上がるそれは、油布越しにも独特の圧迫感を感じられる。
「これは……」
士郎の目が訝しげに細まると、ジュリオが油布を掴み、一息に引っ張った。油布が地面へと落ち、床の埃が舞い上がる中、士郎は現れたソレを前に目を見張った。
「―――ティーガー」
禍々しいまでの破壊の威を放ち鎮座する鋼鉄の塊。
ティーガーⅠ―――タイガー戦車とも呼ばれる兵器であった。
8.8cm砲による精密な射撃、正面100mmの鉄壁の装甲。装甲火力ともに優れ、大戦においてはタイガー戦車を見かけただけで連合兵士が逃げ出す“タイガー恐怖症”が起きる程に恐れられた戦車である。
グレーのペンキが分厚く塗られた装甲に描かれた鉤十字のマークに手を当て、士郎はジュリオに向き直った。
「俺にコレを見せた理由は何だ」
「あなたに進呈するためですよ―――“ガンダールヴ”」
「進呈、だと?」
士郎が疑問の声を上げると、ジュリオはタイガー戦車をポンポンと手で叩きながらニコリと笑った。
「ええ、これら全ては、あなたのためだけに用意されたものです。こう言えばわかりますか? この部屋にあるものは全てあなたの“剣”であり“槍”です、と」
「“剣”と……“槍”?」
「シロウさんはこの歌を知っていますか?」
そう言い、ジュリオは歌い始めた。
聖歌隊の指揮を務めているというだけあって、その歌声は十分以上に優れたものであった。
―――神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。
―――神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。
―――神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す。
―――そして最後にもう一人……。記することさえはばかれる……。
―――四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……。
「……ああ」
かつて、士郎はティファニアが歌うそれを聞いたことがあった。
「あなたが全ての武器を扱うことが出来るガンダールヴで、ありとあらゆる獣を操るヴィンダールヴがぼく。そしてガリアにいるのがどんな“魔道具”でも使いこなすミョズニトニルン。まあ、最後の一人はぼくも良く知らないんですが……。それは今は関係ありませんね。ミョズニトニルンは……まあ、これも今はいいです。今はあなた。そう、ガンダールヴであるあなたの事です」
「ガンダールヴ、か」
「ええ、先程の歌にもある通り、ガンダールヴには片手それぞれに武器を持ちます。左手には大剣、右手には長槍」
「つまり、その槍とやらがこれと言いたいわけか」
士郎がタイガー戦車に視線を向ける。
ジュリオもタイガー戦車に顔を向け頷いた。
「ええ、かつて始祖ブリミルを守ったガンダールヴは、左手に持った剣で主を守りながら、右手の長槍で敵に攻撃を加えたと聞きます。その長槍とは、正確には槍そのものというわけではなく、その時代の最強の“武器”の事なんです」
「最強の“武器”、か。確かに、古代、槍は兵器の王とも呼ばれていたが」
「あなたもご存知の通り、強さと間合いは密接な関係にあります。間合いが遠ければ遠いほど、一方的に敵を攻撃できる。単純な事ですが真理の一つですね。単純にそうとは言い切れない事はありますが。そして、始祖ブリミルの時代、その最強の兵器が槍でした、が、現代は違います。今は槍よりも威力も間合いも遠い武器があります。そう、例えば“銃”、そして“大砲”等がそれですね」
ジュリオの視線が棚に置かれた数十丁の銃に向けられる。
「ですが、あなたの世界とは比べようもないみたいですが。ところで、シロウさんは疑問に思ったことはないですか?」
「何をだ?」
「あなたの世界からやってくるものが、何故全て“武器”なのかと言うことをです」
「……お前たちが知らないだけかもしれないぞ」
「そういう事もあるかもしれませんが、まずないとは思いますよ。先程も言った通り、何百年も昔から、密偵たちは“聖地”の近くで見つかる見慣れぬものは全てこちらに送っていますが、その中に武器以外のものはまだ見つかっていません」
「何故、そう言い切れる」
断言するジュリオ。だが、それはおかしい。剣や槍等はともかく、現代兵器の中には、この世界の人間が見て、武器だとわかるようなものがある。実際に魔法学院の宝物庫に保管されている“破壊の杖”等の例もある。
しかし、ジュリオは変わらず笑みを浮かべたまま士郎の疑問に応えた。
「簡単なことですよ。ぼくたちに分からないことでも、同じ世界の人なら簡単に分かりますからね」
「っ、それは、つまり―――」
「ぼくたちは過去、あなたと同じ世界から来た人間を見たことがありますから」
ジュリオの言葉に、士郎の脳裏に蘇る記憶。
魔法学院学院長オールド・オスマン―――彼を救った自衛官。
シエスタの曽祖父―――佐々木武雄。
どちらも士郎のいた世界からやって来た者たちだ。
「ん? 『人間も』と言うのならば、やってくるものが全て“武器”とは言えないだろ」
「正確に言えば巻き込まれた、ですね。“場違いな工芸品”は、時折聖地に開かられるゲートからやってくるのですが。そう、ガンダールヴのために、その時代最強の槍を贈るためにですね。そのゲートが開く際、希に人が巻き込まれて一緒にやって来ることがあるんですよ」
「―――っ」
確かに、思い至る節がある。
オスマンを救った自衛官はロケットランチャー。
シエスタの曽祖父である佐々木武雄は零戦。
どちらも“武器”の傍にいた。
―――しかし。
「……?」
なら、セイバーは?
彼女がこの世界に来た時、既に聖剣は湖の貴婦人に返した後であり、武器と呼べるものは何も持ってはいなかった筈。
―――どういう、ことだ?
士郎がふと浮かんだ疑問に思考を没頭させていると、ふと視界に左手に刻まれた命呪が目に入る。
そして思い出される言葉。
『これより我が剣は貴方と共にあり、あなたの運命は私と共にある―――』
―――まさか、な。
かつて聖杯を巡る戦争において、使い魔は召喚者の武器でもあった。
そして、セイバーがこの世界に来たのは、自分が召喚された後だと本人の話からは推測される。もし、異世界から来る“武器”が“ガンダールヴ”の為に来るのだとすれば、確かにセイバーは最強の武器とも言えなくもない。
―――流石にそれはない、とは思うが……。
自分の飛躍しすぎる考えに対し、苦笑を浮かべ頭を振り否定する士郎に、ジュリオの声が掛けられた。
背中越しに聞こえた声に士郎が振り返ると、ジュリオが部屋の入り口の近くに立っていた。話をするには明らかに不自然なほどに遠い距離。瞬間、士郎は嫌な予感を胸に抱いた。
「どうした。上に戻るのか?」
「ええ、ですが、その前に一つだけシロウさんに質問があります」
士郎はジュリオから目を離さず、僅かに腰を落とす。
いつ何が起きても直ぐに行動に移れるように、適度に身体を脱力させながら、息をゆっくりと吸う。
「質問、か」
「……もう一度あなたに聞きますが、ぼくたちと共に、聖地を回復するための戦いに加わってはくれませんか」
ジュリオの誘いの言葉に対し、士郎は―――
「それに答えるには、まず俺の質問から先に答えてもらわなければな」
「そう、ですか」
何故、教皇たちはそこまでして“聖地の回復”に拘るのか―――その答えを士郎はまだ聞いてはいない。
その答えを聞かなければ、士郎も安易に答えを出すことは出来ない。
士郎のその言葉に、ため息と共にジュリオは顔を下に向ける。
「どうしても……答えなければいけませんか?」
「何故、そこまで答えることを渋る。そこまでして隠さなければならないのか?」
「ええ。今はまだ、隠さなければなりません。ですが、その内誰もが知ることにはなるでしょう」
ゆらり、と顔を上げたジュリオが、士郎に笑みを向けた。
「っ」
松明と魔法の弱い光に浮かび上がるその美しい顔には、何時もと同じ笑みが浮かんではいるが、士郎はそこに悲しみと決意の意志を感じた。
「それまでには、けりをつけなければなりません。ですから、これ以上待つことは出来ませんし―――」
ジュリオは士郎に話しかけながら部屋の壁へと手を伸ばす。
「―――あなたに邪魔をされては困るのです」
瞬間―――ガコンッ、と何かの装置が起動した音が響く。
同時、士郎は自身の直感を信じ床を蹴りジュリオとの距離を詰める―――ことはできなかった。
「っ、な―――」
士郎の驚愕の声が上がる。
「―――にっ!?」
足下の床が―――無くなっていた。
一瞬の浮遊感の直後に、内蔵が持ち上がる不快感。咄嗟に下に向けた目には、暗い闇だけが広がって―――ない。
「これ、は―――!?」
無くなった床の代わりに広がる底なしの闇。
その中心―――自分が落ちる先には、銀色に輝く鏡のような……。
「―――ヴィットーリオォォッ!!」
「……どう、したらいいの」
窓際に移動させた椅子の上で、足を抱えながらルイズは窓の向こうに見える朝日が昇る光景をぼうっとした眼差しで見ていた。
足を抱えていない手持ち無沙汰の手を椅子の隣に寄せたテーブルに伸ばし、カップを掴み昨夜から何十杯目かのお茶に口を付けた。少しでも寝ようと、よく眠れると勧められたお茶を飲んでいるが、少しも眠くはならない。瞼を閉じても、眠気は迫らず、暗い闇の中には、その度に同じ光景が浮かび上がる。
殆んど白湯のお茶を機械的に喉の奥へと流しながら、ルイズは昨夜から何十回も繰り返し思い出していた光景を瞼の裏に映し出す。
「―――トオサカ、リン」
ヴィットーリオが唱えた虚無の魔法により現れた“世界扉”に映ったいた女性に、ルイズは見覚えがあった。
たまに見る不思議な夢。
その夢の中に、時々出てくる士郎が『リン』と呼ぶ女性。
夢の中で、士郎はその女性ととても親しそうだった。
いや、それ以上に感じた。
きっと、彼女は士郎が好きで、士郎もまた、彼女が好きなのだと。
……あの人……シロウに気づいた時、凄く嬉しそうだった。
目の縁が熱く濡れ、流れ出たものが頬を撫でる。
思い返す度、同じ問いがぐるぐると回るが、ルイズはそれに―――
「―――わたし」
―――元の世界に戻りたくはありませんか?
「……どうしたら、いいの」
―――答えることは出来なかった。
後書き
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