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横浜事変-the mixing black&white-

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狩屋達彦は目の前の少年に得体の知れない感覚を掴み取った

 殺し屋達の集いが行われた日から二週間が経った。あれからケンジの日常にはハードでアブノーマルな時間が加わった。

 それは週に5回の狩屋による殺人強化訓練だ。学校が終わったら直行で関内の廃ビルに向かう。人を簡単に殺す方法や銃を持って行動する際の歩き方、筋トレなど、殺し屋として働くための基礎知識や体力を身体に染み込ませていく日々。それらがケンジには全て非現実的で、狩屋の口から溢れだす内容にビビりまくっていた。

 最初の頃は当たり前で、何も出来なかった。初の特訓日、狩屋に渡された練習用の拳銃を見ただけでビクビクし、ナイフを握っただけで手が震えた。何故か気が遠くなるような感じがしたかと思ったら、実際に軽く失神してしまっていた時もあった。

 「お前さぁ、そりゃねえよ……」

 さすがの狩屋も慰める以上に呆れて笑っていた。彼も普通の人間には刺激があるであろう事は了承していただろうが、ここまでだとは想定していなかったようだ。それほどまでにケンジの怖がりようが酷かったのである。

 「す、すいません……。やっぱり実物は存在だけで迫力があるというか……」

 「……いや、これ実戦でさえ使われない旧式の拳銃だから。ドラマとか映画でも警察(ポリ)が持ってるしよ」

 「それとこれとは話が違うんですよ。持ってみると重いし」

 「そりゃ、弾入ってるからなぁ」

 そんな炭酸が抜けた飲料のように気の入っていない会話ばかりが繰り広げられていたが、二週間経っただけでケンジは見違えるほどに成長した。

 元々運動を得意としていなかったために、体力増加は拳銃やナイフ以前の問題だった。狩屋は殺し屋に必要なのは持久力と集中力だと語った。それを少しでも早く、確実に身に付けるために彼特製のオリジナルメニューをこなしていった結果、

 「……てっきりどこかで挫けて止めると思ってたんだけど、お前意外とやるじゃん」

 狩屋は驚いた顔をしながらケンジを称賛した。

 普段は制服を着ているので身体の線が浮かんでいないのだが、Tシャツのみになるとすぐに分かった。

 確かに元来の細身は変わっていない。だが過酷な持久力メニューと体幹トレーニングが功を成したのか、腹部辺りが引き締まっていた。普通ならば2週間という短期間でここまで相違点がはっきり識別出来るのはあり得ないだろう。ましてやケンジは肥満体質ではない。それだけで彼がどれだけの苦行を乗り越えてきたのかが伺える。

 「んじゃ、後は銃の扱い方だな。ほれ、持ってみ」

 軽い調子で二週間前と同じ拳銃をケンジの前に差し出した。彼は少しの間を空けてから、やがてそれを右手で掴んだ。その手は全く震えておらず、ケンジの身体の一部に組み込まれたかのように泰然と握られている。これは特訓の成果か、それとも自分の中で拳銃が畏怖する存在ではなくなった証拠か――

 ――きっと後者だね。

 狩屋は金髪をわしゃわしゃしながら確認を取った。

 「前に教えた撃ち方、覚えてっか?」

 「はい。覚えてます」

 「なら、あそこ狙って撃ってみな」

 そう言って狩屋が指さしたのは、夕陽の光が飛び出している窓に取り付けられた的。二人のいる場所からは5メートルほど離れており、的の中央が光の反射で視認しづらくなっていた。恐らく意図的に仕組まれたものだ、とケンジは心中で呟いた。

 「実戦では敵の姿を完全に捉えられない可能性が高い。今とほぼ同じだ。違うのは相手が動かないってことだけ。俺めっちゃ優しいわ~」

 呑気な事を言いながら近くのドラム缶に座って、ケンジに鉛のように重たい言葉をぶつける。

 「さあ、暁ケンジ君は復讐を遂げるために次のステージに進めるのでしょうか?銃を撃てるのでしょうか?確実に、綺麗に、無情に決められるのでしょうかぁ?」

 挑発とも受け取れるその言葉にケンジは何も返さない。そのままじっと的を黙視していたが、やがて銃を持った腕を弧を描くように前に向けていった。銃口は真っ直ぐ的を向き、そのまま射撃体勢に入る筈だったのだが――


 「?おい、お前何してんだ?」

 狩屋が自身の金髪を手でわしゃわしゃと掻きながら、つまらなさそうに相手に問う。だが黒Tシャツの少年は彼の問いに答えなかった。彼は身体を半身にするような姿勢で右腕を突き出し、銃口を的に向けている。それだけ見れば玩具の銃を掲げてポーズを取っているようにしか見えない。しかしこの体勢では中心は愚か、的にすら当てられないだろう。発砲された反動で肩が上がるというのは誰もが知っている常識だ。

 「……シカトかよ。ま、細けぇことは気にしない主義だからいいけどさ。でも、これには絶対答えろ。暁、お前まさかそんなカッコつけた態勢から撃とう、だなんて考えちゃいないよな?」

 「……まさか、そんなわけあるはず――」

 その瞬間、建物内に乾いた音が一回だけ響いた。狩屋は自分と目を合わせずに会話していたケンジの後頭部に注目していて、何が起こったのか正確に処理しきれていなかった。唯一理解できた事と言えば、今の音がサプレンサーを装備した事で発砲音のボリュームを激減させた練習用の銃から生じたものだという事だった。

 そしてそれを改めて解釈した上で、狩屋は的の方に向かってのそりのそりと歩き出す。このときケンジがどんな顔をしていたのか、確認するだけの余裕はあまりなかった。

 ――窓が割れた音はしなかった。空発か?いや、弾はちゃんと充填してあった。……まさか。

 狩屋の脳裏に一つの可能性が浮かび上がる。だがそれは殺し屋として納得し(がた)いものだった。もし本当に自分の予測が的中していたらと考える度に、脳内に埋め込まれた銃の一般論がその蓋然性を否定してくる。

 ――まさか、そんな筈ない。もし、もしも本当だってんなら、こいつは、こいつは――。

 そして、オレンジ色の光が遮られた位置から窓に掛けられた的の様子を見て、彼は確信した。

 ――こいつは、稀代の殺し屋かもしれない。

 「ハハッ……クハハハッ!おもしれえ、おもしれえな暁ケンジ!」

 「……え、その」

 「なんつー弱気な面してんだ、さっきの挑発的な態度はどこいったんだよ。そんなんじゃ俺みたいにカッケ―男になれないぜ!」

 「はぁ」

 気の抜けた返事をするケンジに「今日はもう終わりでいいから帰って休め」と言っていつもより早めに帰宅させる。数分後、瓦礫や壊れた重機が建物内部の半分以上を占める空間に金髪男の呻いた声が響いた。

 「八幡さん、アンタとんでもないヤツ連れてきてくれたよ。普段は大人しいクセして、実は根性あって、真面目で……おまけに人を殺す技術をあっさり身に付けちまった。アンタは言われても信じないだろうよ」



 「そんなアイツが片手で拳銃撃って、普通の対人戦闘よりも少しだけ距離のある位置から的のど真ん中に当てたっていう、どうしようもない事実をさ」

*****

山垣学園は横浜駅から徒歩数十分の市街地内に位置する私立高校だ。数年前に設立されたばかりの新設校で、各施設は近隣の高校よりも充実しており、破損箇所や自然災害などによるダメージはほとんど受けていない。また、大学のように大きな校舎からは横浜駅周辺を中心に沿線や高速道路を一望できるのも特徴の一つで、生徒達の憩いの場として機能している。

 偏差値は年々上昇傾向にあり、入学率は厳しくなる一方だ。駅から近い分通学に便利なうえ、放課後になったら繫華街に繰り出せるというお得な面を考えると、とても充実した立地条件を揃えているといえるだろう。

 それでいて私立校として学業には力を入れており、自主学習用の施設が用意されていたり、夏休みに無料講習が受けられたりと、保護者からの支持も獲得している。まさに『出来る』学校だ。

 そんな風紀の安定した高校に通うケンジだったが、彼は別にこの学校に対して何かこだわりがあるわけではなかった。

 受験生だった当時、まだ新設校として知られていた山垣学園はあまり受験の対象にされていなかった。偏差値は中の下、学内での雰囲気などもあまり知れていなかったからだ。学校説明会などがあっても、半分ほどの受験生は他校を選んでいた。

 そんな中、もう半分の受験生の4割近くは山垣学園を受験した。ケンジもその一人で、理由は『新しい学校なら合格しやすいだろう』という安直なものだった。他の生徒も大半はそれが理由だというのがなかなかに面白かったりする。人が楽をする時に考える事は大抵同じ内容であるようだ。

 結果、ケンジは山垣学園に合格し晴れて高校生になった。それが一年半前のことだ。

 ――まさか一年半で人気が上がって入りにくくなるとは思わなかったけど。

 6限目の保健体育の内容を上の空で聞きながら、ケンジは心中でぼそりと呟いた。本来なら男子は体育館で卓球の予定だったが、他クラスとの授業進度の影響で筆記授業となったのだ。女子は通常通り校庭で持久走らしい。

一番窓際の一番後ろというベストポジションに座る彼は、窓の先に広がる景色に目を移していた。校舎内に立つ木々で景色が塞がっているところもあるが、それでも彼の目には僻遠(へきえん)の地にそびえ立つ横浜マリンタワーが微かに映っている。ここからの距離はかなりあるが、他の遮蔽物に邪魔されなかった結果、奇跡的に先端部分が視認出来るのだ。

 ――最近、本当に変わったなあ。

 そこで頭に浮かんでくるのは、もう二週間以上が経ったあの日。殺し屋に大事な人を殺され、それなのに何故か殺し屋に誘致されて、彼らの会合にまで参加してしまった非日常の2日間。そして今は自分すらも殺し屋になるための訓練を受けている。

 ――僕は一体どこに向かって走ってるんだろう。

 繰り出されるのは一日に何度も脳裏に浮かぶ曖昧模糊な自問。狩屋が作成した鬼畜メニューをこなしている時にふと思ったのが始まりだった。

 ケンジは一度やると決めた事にはほとんど変更点を加えたりしない、初志貫徹な人間だ。責務を適当に放り投げて知らず顔をしたり、あっさり白旗を上げて諦めたりするのを好まない。だからこそ本気で彼女の死を悼み、悲しみ、殺意を覚えた。それらは行動として昇華され、今の状態に至る。

 しかし、と彼はもう一度自分に問う。しかし、これは果たして本当に意味があるものなのか?彼女が自分に頼んできたわけでもない。八幡の言葉に乗せられたわけでもない。自分が取ってきた行動は紛れも無く自分の意志だ。

 ――でもそこには意味が込められていない。そんな空っぽな考えだけで僕は人を殺せるのかな?

 ケンジは頬杖を突く姿勢を解除し、顔を俯かせながら一人思案する。その目には明確な不安と迷いが色を帯び、耳朶を打つ音さえも自身の中から取り出していた。

 ――人を殺す。やっぱり僕には敵わない事なのかもしれない……。

 そのまま上半身を机に突っ伏して軽く眠ろうとしたケンジだったが――突然後頭部に衝撃を加えられた事で身体が不自然に振動を起こした。

 「わっ!」

 「お前、まさか俺の授業で寝るだなんて馬鹿げた事はしない、よな?」

 「……はい、しません」

 「なら良いんだ。でも次に机を枕代わりにしてるところを見かけたら……ま、生徒を脅すのもなんだから言わないさ」

 「大丈夫です、授業受けます」

 引きつり笑いを浮かべながら体育の教師を上手い具合に退けたケンジ。教師が黒板の方に向かって歩いていく後ろ姿を見ながら、心の奥底で安堵する。

 ――しまった、あの生徒指導の先生は寝るだけで反省文を5枚書かせる鬼だった。そっぽ向いて授業聞いていないところを咎められなかっただけ運は良かったね。

 その教師は10月なのに運動用のアンダーアーマー一枚で、腕に纏わりつく筋肉やうっすらと浮かび上がる腹筋が物理的な面でも危険な事を知らせていた。そんな物騒極まりない男教師は右手に持った教材を見ながらチョークで人の神経系についての用語を書いていく。そして気怠げそうな声を無駄に張り上げて言った。

 「体育なんてのはな、見て感動して覚えりゃ良いんだ。意味なんて必要ない。ルールを頭ん中で理解する力とやる気さえありゃ誰にでも出来る。それこそ英単語とか歴史なんかは意味が分からないと解き出せないし、楽しめない」

 教師にとっては6限目辺りで限界に達するであろう生徒達の集中力を強制的に呼び起こすために放った言葉なのかもしれないが、たった今教師によって眠気を散逸させられたケンジにはその言葉の効果は絶大だった。

 続いて教師は言葉を吐き出していく。

 「だから体育が苦手だって言ってる奴は損してるよ。確かに体格差とか身体能力はみんな違うが、ぶっちゃけそんなの関係ない。根性論に聞こえるかもしれんが、そんなのはやる気の問題だからな。何かを頑張ろうっていう意志を貫けば、運動音痴でも良い結果が望めるってわけだ。無駄が無くていいだろ?」

 ――……!

 ――確かにそうだ。それに、今の僕にも言える事かもしれない。

 ケンジの心に、曇天が消え去っていくような感覚が芽生えた。彼はもう一度外に目をやって心中で唱える。

 ――意味なんて必要ない。見て考えて、自分の意志で行動する。

――意志は必ず結果を伴う。手段や方法という仲間と一緒に。

 だからこそケンジは約二週間で見違えるぐらい変わった。普通ならあり得ない速度だし、内容も初心者の彼からすれば挫折してもおかしくなかったと狩屋は言っていた。けれど、それをクリア出来たのは何かを遂げようとする意志があったからだ。目的もなく何かに取り組む事ほど無駄で無茶な選択はない。

 ――なら僕は意味を無駄なものとして考える。そうすれば僕の戸惑いは消える筈だ。

 ――……もう戻れないね。

 もう一度外に目を向ける。少年は頭から重たいゴミが取り除かれたのを感じながら、同時に頭が冴えていく感覚を掴み取った。まるでこれからが本当の始まりだと悟っているかのように。
 最後に唱えた一言は、これまで住んでいた世界に対する永別の言葉のように儚げで、どうしようもなく残酷だった。 
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