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横浜事変-the mixing black&white-

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プロローグ

 
前書き
最初が決め手と言われますが、この物語の最初は地味です。 

 
 街は常に表裏一体だ。湧水のように絶えず漏れ出す出来事を全て受け入れ、自分の胃袋に収めてしまう。まるで、それが自然の摂理とでも言うかのように。

 でも、もし片方の世界がもう一方の世界を飲み込んでしまったら、街は一体どういう反応をするのだろう。いつも通り受け入れるのか。それとも暴走を起こした片方を喰らって、元の平穏を自ら再生させてしまうのか。

 答えはまだ藪の中だ。

*****

午後22時頃 横浜駅付近の公園

 「ねえ、これ本当にやるの?」

 「当ったりまえでしょ?目の前に謎があるのに黙ってられないもん!」

 「でもさ、正直危ないじゃん。止めておこうよ」

 「ケンジはホント臆病者だよね~。合気道やってたんじゃないの?」

 「それとこれとは話が違うって」

 制服を身に(まと)った男女が公園のベンチに座って会話している。傍から見れば軽く妬心が湧くような絵面だ。それに加え、時間帯や薄暗い公園が舞台である事を含めると、考えようによっては淫行に走った学生に思われても仕方ないかもしれない。

周囲の人気(ひとけ)は時間が経つにつれて減りつつある。駅から近いとはいえ、大通りを離れれば下町の路地のような空虚さしかない。時折サラリーマンや部活帰りの学生が通る程度で、公園には男女以外誰もいなかった。

 「もう一度考え直そうよ。噂にしては悪質だし」

 「何言ってんのケンジ。殺し屋なんているわけないじゃん。ま・さ・か、怖いの~?」

 「こ……怖いよそりゃ。もしホントに電話番号をプッシュして現れたら腰抜けちゃうかも」

 「そこは嘘でも怖くないって言ってよ。男の子でしょ?」

 「君が活発すぎるんだよ……」

 男――暁ケンジは隣にいる幼馴染を斜眼し、無意識に嘆息する。彼女はいつもこうだ。不可思議な事や面白そうな事があると興味津々になって、答えを見つけようと奮迅する。その時の頑固さは筋金入りだ。

 そんな幼馴染に幼い頃から振り回されてきたケンジには、この後の結末が分かる。

 ――どうせ、最後には飽きるんだよね。

 彼女の特徴は好奇心旺盛なだけではない。熱が冷める速さが尋常ではないのだ。

 最初は真実を掴み取るのが楽しいのかと思っていた。だが、彼女と一緒にいるうちにそれが間違っている事に気付いた。どうやら『何かを発見する事』が彼女を突き動かすエンジンとなっているらしい。答えはおまけのようなものなのだ。

 ケンジは目をキラキラ輝かせながら手元の紙切れを見ている幼馴染を見て、もう一度吐息を漏らした。

***

 それは、噂と真実の狭間にあるような内容だった。

 『横浜に殺し屋がいる』。近頃横浜で密かに話題になっているネタだ。横浜に住んでいるケンジ達の耳にも勿論入っている。だが、あくまで会話の話題として捉え、現実的には考えていなかった。

 だがネットや週刊誌ではその存在が露見されており、中にはそれらしき人物が監視カメラに映ったというリアルすぎるネタも上げられている。しかし、動揺した住民の暴動が起きかねないと忌避した横浜市長直々の撤回指示により、出回った情報にはロックが掛けられた。

そんな中、最初の噂から少し経った街に新たなネタが浮き上がって来た。

 それは『殺し屋の電話番号』だった。情報のソースは不明。いつの間にかネットに出回っていたらしい。

 この番号をプッシュすると本当に殺し屋と接触出来て、自分が殺してほしいと思う人を本当に殺してくれる。それがこのネタの説明のようなものだ。

 もちろん遊び半分で電話した者が現れた。とはいえ、実際に殺し屋と思われる人物が接触してくる事はなく、体験者が面白がってそれをネットに拡散したため、掲示板などは様々な書き込みで埋め尽くされた。

 殺し屋をコケにする言葉、元から信じていない人による非難の言葉、実際にいたら殺してほしいと本音を零している言葉……共通しているのは、皆がネタとして扱っている事だ。誰も実在するという選択肢を手に取ろうとはしない。逃避しているのか、果ては本当にいるわけがないと断言しているのか。どれにしろ、それらの反応は至って普通であると言える。

 そうして僅かな時間が経った現在――横浜の街は泰然とした調子で回り続けていた。今や殺し屋の話題は徐々に薄れつつある。その一番の理由としては、実際に電話を掛けたのに誰も来なかったという事実がネットを中心に出回ったからだろう。虚実と受け取った彼らは、自然と会話から殺し屋というワードを扱わなくなった。

 結局、住民を三者三様に蠢かせただけの殺し屋は街を揺さ振る事すら敵わず、ネットの海の中に沈み込んだ。

***

 しかしケンジの幼馴染は違った。彼女は自分の住む街に現れた『未知』に興奮し、すぐに情報収集に取り掛かった。その時の顔は喜色満面に溢れ、人生に新たな希望を生み出したように晴れ晴れとしていた。

いつもは発見するだけで8割方満足して答えを出す事には恣意的なのに、今回はやけに気合いが入っていた。それが逆にケンジの不安をかき立てていた。

 殺し屋の話題が希薄になっているのに、彼女だけはこのネタに食い付いていた。クラスの女子からいろいろと注意されていたが「大丈夫!死にゃしないから!」と彼女は平べったい胸を張りながら答えていた。しかし迫力があったのは確かで、女子達は気圧されてそれ以上言わなくなってしまった。

 ケンジも今回ばかりは関わりたくないと思いながら、やはり終始彼女の隣にいた。そんな彼を見て、クラスの男子からは「お前、ちょっとは言いたい事言わなきゃダメだぞ?」と心配されたりして、我ながら情けなく思った。

 けれど、ケンジにとって殺し屋の存在有無などはどうでも良い事だった。彼は単に彼女自身が心配なのだ。幼い子供のように突っ走る幼馴染の歯止めになりたい。合気道を何年か習っていたが、別段身体が強靭なわけではない。むしろ平均より痩せていて、本当に相手を鎮圧出来るか不安なぐらいだ。

 それでも、彼は彼女のために尽くしたかった。良い顔をしたいなどという下心があるわけではない。ただ、ケンジは彼女の毎日を壊されたくないだけなのだ。

 自分のためではなく、それでいて自分の意思で。

 「じゃ、ちょっと電話してみるね!」

 ハッと我に返ると、彼女はニコニコしながら右手に持つ紙切れに書いてある番号を携帯に打っていく。まずい、と判断したケンジは咄嗟(とっさ)に彼女の手を掴もうとした。しかし彼女はそれをスルリと躱し、自慢げな顔を浮かべながら携帯の画面を見せてきた。

 「なっ……」

 彼女の携帯はすでに発信中の画面を映していた。ベンチから立ち上がってケンジから隙間を作った彼女に、彼は慌てて声を上げる。

 「ちょっと!それヤバそうだから止めた方が良いって!」

 「まだビビってるの?ネットの書き込みにもあったじゃん。掛けても来ないってさ」

 「確かにそうだけどさ、ワンパターンとは限らないだろ?」

 「ケンジもしかして、殺し屋信じてるの?……っと、繋がった」

 最後の言葉にケンジは声を失った。繋がった。すなわち殺し屋が幼馴染と会話しているのだ。茫然と立ち尽くす彼の視界に、普段と変わりない笑顔を浮かべる幼馴染の顔だけが映る。

 「……はい、はい。……そうです。殺してほしい人がいるんですけど」

 物騒な単語を吐き出しながらも、彼女は余裕の面持ちで手順をクリアしていく。そこでケンジは自分の膝がガクガク震えている事に気付いた。

 それから数十秒後、白いマフラーを首に巻いた幼馴染は通話を終わらせ、いつの間にかベンチに腰を付いていたケンジに近付いてきた。

 「終わったよ」

 「終わったよって……どうして君はそんなに強いの?何かコツとかあるの?」

 ずっと楽しそうにしている彼女を見て、呆れ混じりにケンジは聞いてみた。だがそれは、本音からの質問であった。
何故電話を掛けた本人がケロッとしていて、様子を見ていた自分がこんなにも怯えているのか。自分は弱虫だという自覚はあるが、だとしても彼女の対応は不気味なほどに自然すぎた。もし秘訣のようなものがあるなら聞いてみたいと思っていたら、それが口から漏れてしまったのだ。
 すると「うーん」と唸ってから彼女は言った。

 「簡単だよ。自分は強いって思えばいいの」

 「自分は、強い?」

 「そ。上手く説明出来ないけど」

 「……だとしたら、君はやっぱり凄いな」

 「そう?私は私のために動いてるだけだから、そう言われても実感湧かないなぁ」

 ――自分のために動く、か。

 目の前にいる彼女の呟きを聞いて、ケンジは胸の奥で反芻する。何故だろうか、その言葉はやけに心の中に響いた。何だか重くて、けれど安心感がある。首元まで答えが出掛かっているのに上手く吐き出せない。そんな曖昧な感覚が彼の思考を一時的に停滞させる。

 「どうしたの?ボーっとしてないで帰ろうよ、ケンジ」

 「えっ。あぁ、うん。そうだね」



 そうして幼馴染は殺された。 
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