鏡
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第二章
第二章
「そうなってしまえば」
「そうだな。それならだ」
ここで彼はあることを思いついたのだった。そしてまず妻に対して言った。
「鏡を持って来い」
「鏡をですか」
「そうだ、鏡だ。まだ残っているか」
「はい、こちらに」
こう言ってすぐに服の袖から鏡を出して来た。彼女がいつも持っている愛用の小さな鏡であった。それを夫に対して差し出したのである。
「こちらに。これで宜しいでしょうか」
「そうだ、これを二つに割るのだ」
「二つにですか」
「一つは私が持つ。そしてもう一つは御前が持て」
「私がなのですね」
「若し離れ離れになってしまったその時はだ」
妻の顔をじっと見ての言葉だった。この時にも彼女から顔を離しはしないのだった。
「互いにこの鏡をなくさないようにしよう」
「わかりました。この鏡を互いの証にするのですね」
「そうだ。そしてお互いが落ち着いた暮らしを送れるようになったその時は」
「その時は」
「鏡を市に売ろう」
次に言ったのはこのことだった。
「市にな。売ろう」
「市にですか」
「お互い生きてそれを見つけることができればよいのだ」
こう妻に言い含めるのだった。
「そうなれば再会できるからな」
「わかりました。それでは」
「去ろう。この国を」
「はい。今は」
こうして二人は共に都を逃れた。だが国が滅びる中で二人は本当に離れ離れとなってしまった。陳は滅び皇帝は井戸の中で震えているのを発見され投降が受け入れられた。隋軍の総司令官であった楊広はその投降を受け入れこれが陳の滅亡となった。中華は久し振りに統一され隋の時代になった。隋の治世は安定したもので二代の楊広が皇帝になった時はその世は安泰かと思われた。その楊広の重臣に楊素という者がいた。
一言に言えば陰謀を好み権勢を愛し贅を極め目的の為には手段を選ばない男であった。だが政治家としても軍人としても優秀なだけでなく文人としても知られていた。有事の際の決断と行動は果敢かつ的確でまさに大帝国の重臣たるに相応しい男であった。彼は多くの寵姫を持ちその数は千人にも及んでいた。酒を愛し家の者にも贅沢な生活を送らせていた。隋の都長安の己の家では日々楽しげに宴を開いていた。
「この世の極楽とはな」
「何処にありというのでしょうか」
「ここにあるのだ」
己の目の前にある美女達の舞や馳走や銀の杯にある美女を見ての言葉である。音曲と歌舞で場は飾られ色とりどりの花まであっら、その美女や名花に囲まれながら彼は贅を尽くした暮らしを送っていた。その日も同じで屋敷では今日も美女の嬌声とみらびやかな音が響いていた。だが彼はここでふと気付いたのだった。
「むっ、そういえば」
「どうされました?」
「あ奴がおらぬな」
楊素は宴の主の席で不意にこう言い出したのである。
「見れば今は。何処だ」
「あ奴といいますと」
「楽昌だ」
この名を出したのである。杯の動きも止まっていた。
「あ奴がおらぬ。何処へ行ったか」
「楽昌様といいますと」
「陳を滅ぼした時に手に入れたあの女だ」
「ああ、あの方ですね」
周りの者達もここで気付いた。
「あ奴がおらんではないか」
「用足しでしょうか」
「探せ」
ここで楊素は周りの者達に命じた。
「どうも気になる。よいな」
「探されるのですか」
「そうだ。わかったな」
「はあ。それでは」
「行くとするか」
「うむ」
周りの者達は主の思いも寄らぬ強い言葉に顔を見合わせたがそれに従った。こうして彼等は広い屋敷の中をくまなく探し回った。そして遂に彼女を見つけ出したのである。
すぐに主にこのことを伝えた。彼は宴の主の場でこのことを聞いていた。
「して何処にいたのか」
「厨房の裏でございます」
「そちらにおられました」
「厨房のか」
それを聞いた彼の目が鋭くなった。そしてさらに家の者達に対して問うのだった。
「それではだ」
「はい」
「誰と一緒であった」
「誰かとは」
「当然だ。何故厨房の裏なぞにいた」
彼はその鋭い目で家の者達に対して問うのであった。
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