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真・恋姫無双 矛盾の真実 最強の矛と無敵の盾

作者:遊佐
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群雄割拠の章
  第五話 「わたしは彼と、添い遂げる」





  ―― 孫策 side 漢中 ――




 扉を開けたわたしの目に見えるのは、二人の女性。
 片方は、少しやつれた関羽。
 そしてもう一人は――もはや死にかけた姿の劉備。

「……無様ね」

 ふいに口に出る言葉。
 わたしの言葉に、劉備の傍にいた関羽が(まなじり)を上げる。

「き、貴様……っ! 桃香様に向かって……」
「無様だから無様といったのよ、関羽ちゃん。貴女も何よ、その姿は。流行病でもかかったのかしら?」
「ぬかせぇっ! 孫伯符! 私はともかく、桃香様を侮辱することなど許さん……っ!」

 言葉は激しいが、口調が伴わない。
 明らかにやつれているのが誰の目にもわかる。

「あら? 今の貴女に私がやられるとでも? 見くびらないで欲しいわね……そんなヨレヨレの姿で、一体何を吠えるというの」
「ぐっ……」

 今の関羽では、自慢の青龍偃月刀すら満足に扱えないでしょうね。

「無様、と言ったのは、なにも劉備ちゃんだけのことではないのよ?」
「貴様……」
「音に聞こえた美髪公、関雲長のそんな姿。誰も見たくなかったでしょうね」
「うあああああああっ!」

 わたしの挑発に、やつれて力のない関羽が飛びつく。
 武器も持たず、足取りもおぼつかず、力のない拳を握って。

 けど……ごめんね。

「フッ!」
「がっ!」

 今の関羽の拳など、目を閉じていても躱せる。
 そのまま掌底で関羽の胸元を打ち付け、関羽は壁に叩きつけられた。

「貴女はそこで見ていなさい」

 そう言って劉備の傍へ。
 力なく虚空を見る劉備は、何も反応しない。
 心が……死んでいる。

「劉備ちゃん……貴女は、なにをしているのかしら」

 わたしは劉備を見る。
 そのやつれた姿など、見たくはなかった。
 これが劉備玄徳?
 これが黄巾の乱で名を馳せ、連合で力を見せつけた、梁州の王?

 これが……私が認めた、あの人の……?

「こんなところで、力なく横たわって、貴女は一体何をしているの?」
「………………」
「わたしは……こんな情けない女に、盾二を預けた覚えはないわよ」
「………………い」

 劉備の口が、ようやく少しだけ動く。
 見れば、その死んだ目が、ようやく少しだけ光が灯る。

「あなた……に、は、わからな……い……」
「わからないわね……わかりたくもないわ。盾二にフラれた貴女なんか」
「……っ!」

 その目に、光が宿る。

「盾二は正しいわね。こんな貴女相手に……いえ、こんな場所にいつまでもいるべきじゃなかったのよ。離れて正解」
「………………いせい、してください」
「? 訂正? なにをよ」
「梁州は……皆が築き上げた……場所……」
「ふうん。ほとんど盾二が考えて、その手腕でなければ成し得なかったのに?」
「………………」
「盾二に頼りきり、盾二に任せ、盾二一人に重責を追わせ続けた。それが今の梁州じゃないと?」
「………………」
「そう見えても仕方ないじゃない。だって……盾二がいなくなった今の梁州の惨状を見れば!」
「!?」

 劉備の表情が動く。
 初めて……この部屋に入って初めて、劉備の死んだ顔に表情が視えた。

「盾二が作り上げたものを、たった数月で壊そうとしている貴女が、一体何を言うの?」
「………………」
「たった一人の天の御遣い……その人が去ったら、その作り上げた都が砂塵のごとく消える。そんな砂上の楼閣にしようとしている貴女が、一体何を言うのかしら?」
「……っ」

 それは悔恨。
 劉備の表情は、悔しさに満ちたように唇を歪めている。
 そしてその眼に、溢れるような涙が流れた。

「……いじけて、力なくして、今度は泣きべそ? こんな甘えん坊に……わたしは盾二を託した覚えはないわ」
「貴女……には、わからない」

 劉備が、力の入らない体に力を込め、起き上がろうとする。
 生まれたての仔馬が、必死で立ち上がるように……

「面と向かって……さよならと言われた……私の気持ちは……わかるわけがないです!」
「………………」

 ええ、そうよ。

「わからないわよ。そんなの……誰もわからないわ」

 私は劉備に背を向ける。

「貴女以外……さよならも言ってもらえなかった他の誰にも……わかるわけもない」
「……!」

 劉備の身動ぎする音が聞こえる。

「……だからわたしは、追うわよ。さよならを言われていないわたしは」
「………………」
「例え盾二を見つけて……拒絶されてもついていくわ。貴女の代わりにね」
「………………」
「たった一言で、語り尽くしてもいない相手を諦めるほど、わたしの恋心は腐ってないわ」
「えっ……」

 そう……わたしは、彼が好き。
 どうしようもなく……諦めると誓ったにも拘らず。

 貴女が彼を手放すというなら……

「貴女がそうして泣くだけで動かないなら……わたしがもらうわ」
「あ……っ」
「盾二に嫌われても……わたしの想いは変わらないから」

 再度、劉備に振り返る。
 これは――宣戦布告。

「盾二はわたしがもらうわ。たとえ、わたしの全てを捨ててでも」

 今までの孫策伯符は、今日――死んだ。
 そして生まれ変わるのよ。

「わたしは彼と、添い遂げる」

 そう……わたしは。
 今、一人の女として。

 全てを投げ打って彼を追うと決めたのだから。




  ―― 関羽 side ――




 ………………敵わない。
 私は、初めてそう感じてしまった。

 壁にもたれたまま、その姿を見る。
 その女性に……女に。

 一途に自らの愛する人を求める、その姿に。
 完全に敗北したと……悟った。

 その人は……強く光る眼差しで桃香様を見つめ。
 そして踵を返し――部屋を出て行った。

 私は……私は、あんな風にご主人様を想っていただろうか。

 いや。
 自身のすべてを投げ打って、あの人を追おうとしなかった私に、そんな想いは……なかったのだ。
 私が抱いていた恋慕の情など……まやかしに過ぎなかったのだ。

(そうだ……私は姿を消したご主人様を追おうともしなかった。桃香様の事だけしか頭になかった……そんな私に、孫策殿が眩しく見えた)

 そうか……私は、すでに諦めていたのだ。
 ご主人様を……
 北郷盾二という……天の御遣いを。

 一人の男を……

 自然と、目から何かが溢れ出る。
 ああ、そうか……私は。
 私こそ、彼を……
 ご主人様を、一方的に見限ってしまったのだな。
 彼を……彼の想いを、信じもせずに。

 そんな私に、彼を想う権利など……ありはしないのだ。

「は……ははっ……」

 無様だ。
 そのとおりだ。

 私は……人として、女として。
 義も情も全て。

 あの人に……孫策伯符という女性に。
 負けたのだな……

「………………っ!」

 ギシッ、という音が聞こえた。

 それは、桃香様の寝台から聞こえた音。
 それに気づき、顔を上げる。

 そこには――

「と、桃香……様」

 見たこともない、桃香様の顔。
 青白い顔、痩けた頬、細く痩せ衰えた躰。
 けど、目だけが。
 その瞳には、今までにないほどの強い光が輝いて――

「あいしゃ……ちゃん」
「桃香様……」
「……ご飯を、持ってきて」

 桃香様が。
 この二月の間、力なく横たわるだけだった我らの義姉が。
 倒れそうな躰を必死に両腕で支えながら、懸命に立ち上がろうとしている。

「桃香、さま……」
「……負けない」

 呟く唇から、歯を食いしばり、噛みちぎった血が流れる。
 それでも痛みを力に変えるように、懸命に自身の躰を起こそうとする。

「ご主人様は……渡さない」
「桃香……さ……」
「あの人に……負けたくない」

 ……なんという、想い。
 桃香様は……この義姉は。

 私の想いなど到底及ばない程に。
 ご主人様を……北郷盾二という人を。

 愛して……いるのだ。

「ご主人様……盾二さんは、私に立てと……言ったの……」
「………………」
「自分の足で……自分の理想を叶えるために……自ら立てと……突き放した……」
「………………」
「わかってた……わかっていたけど……認めたくなかった……捨てられたくなかった……ぜんぶ、全部私の甘え……」
「………………」
「でも、それじゃあ……あの人に負ける……あの人が盾二さんを……」

 寝具を握る、桃香様の手に力がこもる。

「やだ……やだ……やっぱり、やだ……諦めたくない……諦めきれない……盾二さんを……好きだという想いを……こんな想いのままで……」
「………………っ」

 この方は……やはり私が認めた方だ。
 ドン底まで落ちても、這い上がろうともがく。

 全てを諦めようとした私などとは比べ物にならない。

 この人だからこそ……私は。

「私ができることは……梁州をまとめること。盾二さんが……いつ戻ってきてもいいように、帰る場所を……護ること。だから……」

 桃香様は、その強い眼差しで、私を見る。
 ああ、私は、私には。
 まだ……この人がいる。

「愛紗ちゃん……ご飯、持ってきて」
「………………はいっ!」

 私は涙が溢れた。




  ―― 孫権 side 漢中近郊 ――




「…………お姉様。今、なんておっしゃいました?」

 時刻はすでに夜。
 煌々と月の光が照らし出す夜に、お姉さまは漢中から戻ってきた。

 梁州の急報に、私とシャオ、そして冥琳を連れ、兵もたった騎馬兵千のみを護衛に幾里も駆け抜けた。
 ようやく辿り着いた梁州の街道の安全さに驚きつつ、街道を警備していた梁州兵に取次、お姉さまは一人で漢中へと入っていった。
 そしてその夜――皆を集めた月明かりの下で、お姉さまは突然の言葉を吐く。

 私は思わず、耳を疑った。
 その目の前にいる、我が最愛の姉に再び尋ねた。

「……もう一度言うわ。私を死んだものと思いなさい」

 見上げる姉は、厳しい顔のまま、先ほどと同じ言葉を口にした。
 その言葉に、よろっと身体が(かし)ぐのを感じる。

「な、なに、を……」
「お、お姉様!? 一体何を言っているの!?」

 私の隣にいた孫尚香――シャオが叫ぶ。
 その叫びも当然だ。
 シャオが叫ばなければ、私が叫んでいた。

「言ったとおりよ。本日を持って、私は隠居。孫呉におけるすべての権限を蓮華に譲るわ。今後は蓮華を王として孫呉を纏めなさい」
「突然そんなこと言われてもわかんないよ! 一体、何がどうしてそうなるの!? おねえさまは、まだ若くて元気じゃない! せっかく家族揃って母様の夢を叶えたっていうのに!」

 そう、そうだ。
 孫呉の復活は成り、揚州一帯は私達の手に戻った。
 これから街を、民を導いて強い国を作り、家族が笑って暮らせる国を作ると。
 その新たな夢に歩き出そうとしていたはずなのに。

「そうよ。孫呉の復活は成った。母様の夢は果たした。だから……わたしはわたしの夢を追うことにしたわ」
「お姉様の……夢?」

 私の言葉に。
 お姉様は悲しげな目で……けど、決意を秘めた目で、頷いた。

「好きな男を……何にも変えられない人を、生涯かけて追うわ」
「…………それは、天の御遣いか」
「冥琳……」

 一緒にいた冥琳の、低く籠もった声が聞こえた。
 こんな冥琳の声を、私は初めて聞いた。

「……ええ、そうよ」
「っ!」

 冥琳の手が動き、お姉様の胸倉(むなぐら)を掴み上げる。
 そのまま自らの顔の傍へと引き寄せた。

「私達の夢は! 家族が笑って暮らせる国は! 私達二人でこれから作る夢を捨てろというのか!」
「……………………」

 冥琳の激昂する姿など、本当に始めてみた。
 ここにはいない祭がいれば、もしかしたら見たことがあるのかもしれないけど……

「冥琳。それは孫呉の復活で……成ったわ」
「まだだ! まだ笑って暮らせる国など程遠い! そもそもあの男に与えられた国だぞ!? 勝ち取ったわけじゃない! それを自分たちのものにするには、これから作ることが大事ではないのか!?」
「それでも……それでも、孫呉は復活したわ。そして、統治者としての器なら……わたしより、蓮華のほうが優れている」

 ……私が、お姉様より優れている?

「そんな……そんなことありません! お姉様に比べたら、私なんて孺子にも劣ります!」
「……自分を過小評価しないで、蓮華。貴女の器はわたしも冥琳も、そして母様さえも認めていたところよ」
「そんな……」

 私なんて……そんな器など、ない。

「……蓮華様の事は確かにそうだ。孫呉の明日を担う方だと誰もが思っている。だが! 今お前が隠居し、孫呉を去ることに何の意味がある!」
「わたしの為よ」
「………………っ!」

 バンッ、と音がする。
 あの冥琳が……お姉様を、平手で打った……?

「それで……全てを捨てるのか。私を……孫呉を……捨てるというのか!」
「…………ええ。わたしは、盾二のために、自分の全てを捨てるわ」
「っ!」

 再度、お姉様の頬が叩かれる。
 その唇から、一筋の血が流れた。

「私は! 私はお前に全てを……自分の全てを託して……今まで何のために働いてきたと思っているのだ!」

 冥琳の頬に、涙が流れる。
 歪む冥琳の顔は、初めて見る悔し涙だった。

「…………………………」

 お姉様は何も言わない。
 ただ冥琳を見据え、その瞳から目を逸らさず、ただなすがままに立ち尽くしている。

「これから……これからだろう……私と、お前と、蓮華様たちで……孫堅様の夢を……」
「…………………………」

 冥琳が、お姉様の胸で泣く。
 まさしく慟哭のように。
 でも――

「……それでも」
「!?」

 お姉様の言葉は――拒絶。

「それでもわたしは、盾二の元へ行くわ」
「ああ…………あああああああああああああああっ!」

 バキッ、という音が響く。
 平手ではなく、拳での殴打。

 本来ならば避けられる冥琳の拳を。
 お姉様は……その身に受けた。

 よろけて膝をついた冥琳の手が、お姉様の胸倉から離れる。
 お姉様は頬を腫れ上がらせながら……目だけは変わらず、私達を見た。
 その決意を秘めた――瞳のままで。

「そんな……断金の交わりと言われた、冥琳とお姉様が……」

 シャオが驚愕した声で呟く。
 私も同じ思いだ。

 お姉様と冥琳だけは、決して離れないと思っていたのだから。

「……冥琳。わたしにはもう、貴女に言える立場でもないけど……蓮華をお願い」
「…………………………」

 冥琳は嗚咽を漏らしたまま、顔をあげない。
 お姉様は、その冥琳を見ながら、両のまぶたを閉じた。

 まるで頭を下げ、許しを請うように……私には、視えてしまった。

「蓮華。わたしのことは道中、病で死んだことにでもしてくれていいわ。何なら賊に殺されたことでもいい」
「な……何を言うのですか! お姉様が……たとえお姉様が孫呉を一時的に去ったとしても! また戻って……」
「ダメよ。私はもう、孫呉に戻る気はないわ」
「お、お姉さま……」

 その決意の瞳。
 お姉様は――

「お、おねえさま……やだよ……シャオ、おねえさまと別れたくないよ……」

 シャオは、涙でくしゃっと顔を歪ませたまま、お姉様にすがりつく。
 けど、お姉様はそのシャオの頭を撫でて――しゃがみこんだ。

「……ごめんなさい。あなた達の想いはすごく嬉しい。でもね……でも、それでも……わたしには、盾二のことを忘れられないの」
「グスッ……おねえさまは……おねえさまは、シャオ達より……家族より、その人を選ぶの!?」
「……ええ。そう、決めたの」
「う……うう……うわあああああああああん!」

 シャオが号泣する。
 お姉様は、そのシャオに頭を下げて……立ち上がった。

「いつか……いつかシャオにも、自分の全てを捨ててもいいと思える人が……できるかもしれない。その時は……心のままに動くのよ」
「やだよぉ……おねえさまぁ……おねえさまぁ……」
「……ごめんね」

 そう言って、シャオから手を離すお姉さま。
 その時、私はようやくお姉様が本気で今までの全てを捨てるのだと、本当の意味で理解した。

 お姉様は、家族も友も、今までの全てを捨てて。
 たった一人の男だけを追うのだと。

「お姉、さま……」
「……蓮華。許してくれとは言わないわ。全部、わたしのわがままだもの……ね」
「どうしても……行くのですね」
「ええ。私にはあなた達がいた。冥琳もいた。家族がいた。けど……わたし達を救ってくれたあの人は……盾二は今、たぶん、一人だから……」

 梁州という強大な国を作り上げた天の御遣い。
 対価も受けず、わたし達のために揚州という念願の地を袁術から取り返した男。
 その北郷盾二という男は……孫呉の復活を代償に……私達から大切な姉を奪おうというのか。

「お姉様は、まさか……自らを人身御供にするおつもりですか!?」
「……勘違いしないで、蓮華。盾二は何も求めないわ。コレはわたし自身が決めたことよ。わたし自身が望んで、彼のもとに行く。たとえ彼に拒絶されてもね……」
「そんな……それなら私が! お姉様の代わりに私がこの身を!」
「だから。勘違いしないで、蓮華。わたしは、わたしのために。盾二を本当に愛しているから、誰にも譲りたくないの……例え、あなた達にでも」
「お姉、さま……」

 ……人を。
 人というものは、人を愛することで、人にここまでさせることが出来るというの?
 愛とは、一体なんなのか。

 私には……わからない、理解できない。

「……ならば、我らは梁州に報復せねばならない」

 地の底から聞こえてくるような声。
 それが(うずくま)る冥琳の言葉だと、私は直ぐには気づけなかった。

「冥琳……」
「あの男が、私から……蓮華様たちからお前を奪うというなら、梁州の一切を滅ぼして取り返す。それでも……いいのだな」

 冥琳の瞳が、暗く鈍く光る。
 これが最後通告――そう冥琳の目が語っている。

 でも……お姉様の目に宿る、決意の光は――揺るがなかった。

「好きにすればいいわ」
「……っ!」
「梁州にはもう、盾二はいない。いるのは捨てられた女だけ。それで貴女の気が済むなら……勝手にやりなさい。それは梁州と揚州の問題。わたしと盾二の問題では……ないから」
「………………ぐっ」
「そのせいで孫呉の民が傷ついても……孫呉の民から恨まれても、わたしにはもう、関係がないわ」
「!?」

 その言葉に、冥琳の目が見開かれ……がくっと肩を落とした。
 そう……お姉さまは、本当に全てを捨てたのだ。

「今なら盾二が国を捨てたのもよく分かる……たった一人がいなくなっただけの国なんて脆いもの。本当は、誰か一人いなくなった程度で揺らぐような国を作ってはいけないのよ。それは孫呉も同じ……一人に頼るだけの国になど、ただ一代の夢と変わらないわ」
「ただ一代の……夢」
「跡を託すことが出来る人を育て、脈々と血を受け継がせていく……そういう国じゃなきゃ、本当の国じゃないわ。わたし達は……それを知っていたはずよ、冥琳」
「………………」
「蓮華を、小蓮を、私の跡を継がせる為に今まで鍛えてきた。今が……その時よ」
「お姉……さま」
「おねえ……ぐずっ……さまぁ……」

 お姉様の瞳は、変わらず決意を秘めた眩しいまでの輝きを持っている。
 けど、その表情は、本当にすまなそうな……悲しみを湛えているようにも見えた。

「わたしは……本日を持って、貴女にこれを譲ります」

 そうしてお姉様が私に差し出した物。
 それは――

「……南海覇王」

 孫呉の王の象徴にて、母様の形見。
 その剣が……私の前に差し出される。

「受け取りなさい、蓮華。これは貴女が受け取るものよ」

 お姉様の言葉。
 これを受け取ったら、本当に……本当にお姉様はいなくなる。
 孫策伯符は……私達の姉は……本当に天の御遣いの元へ行ってしまう。

 私はざわめく胸中に戸惑いながら顔をあげ、お姉様を見た。
 その顔は――

「……………………」

 その顔を、目を見て、不思議と自身の心が落ち着いた。
 何故かは……私にもわからない。
 ただ気がついた時、私は……南海覇王を、受け取っていた。

 その重さを……その身に深く受け止めながら。





 そして、お姉様は。
 孫呉から姿を消した。




  ―― 劉表 side ――




 あれから一月……儂は梁州へと向かっている。
 だが、その足取りは決して軽くはない。

 やもすれば……儂は全てを台無しにせざるを得ないかもしれないのだ。
 正直、気が滅入る……いや、気が滅入るどころではない。
 身を切る思いといっても大げさな話ではないのだ。
 それ程に気が重くさせる状況といえる。

 そもそも、あの盾二が梁州を出て行ってしまった事自体、その遠因が儂にあると気づいたのだ。
 それは、儂が自分の息子達を差し置き、盾二を半分以上本気で養子に仕立てようとしていたこと。
 今考えてみれば、なんてうかつなことをしたのだと思わざるをえない。

 盾二に惚れ込んでいたのは事実。
 本当に儂の後継者にしたかったのも事実。
 だが、それを連合の公の場で言ってしまったのがそもそもの間違いだった。

 盾二がいなくなってようやく気づいた……あやつに重圧を与えていたのではないかと。
 いや、あやつならそんな重圧も厭わず、本当に儂の息子になってくれるかもしれないなどと、ありもしない妄想を本気で信じ込もうとしていた自覚がある。

 冷静になって考えてみれば、儂はなんという愚かなことをしたのか……
 自ら自分の身内に争いの種をまき散らしていたのだと、今更ながらに悟った。

 そして劉備の嬢ちゃんについても、儂は勝手に盾二と結ばれるものだと思っていた。
 だから盾二を自分の息子にした上で荊州牧とし、劉備の嬢ちゃんと婚姻させれば万々歳……などと。
 勝手な妄想で盛り上がっていたのだと……

 そもそも劉備の嬢ちゃんは劉氏。
 儂はいつのまにか劉備の嬢ちゃんを、自身の親戚のような気になっていた。
 年寄りのおせっかいとして暴走してしまった……ここ一月、そんな考えが儂の心中を駆け巡る。
 劉備の嬢ちゃんのことも、そして盾二のことも、勝手な思い込みで……

 だがそれでも。
 それでも儂は、盾二に多大な期待をしていた。
 あやつならば……あやつならば、この女尊男卑の世の中で。
 一際輝く天の星として、歴史に名を残すと思っていたのじゃから……

「……景升様」
「むっ?」

 ふと、騎乗した状態で物思いに耽っておった儂に、配下の兵から声がかかる。
 気がつけば、森の小道の中。
 木洩れ陽が眩しい。

「あと数里で梁州の街道に入ります。近くに小川がありますが……一一度休憩いたしませぬか?」
「むっ……そうじゃな。儂も喉が渇いたわい」

 やれやれ。
 本当に気が滅入っておる。

 儂は小川の近くで馬から降りた。
 小川のせせらぎに光が反射して眩しく見える。

(嬢ちゃんの状態次第では……本当に三州同盟は解消になる。できればそうはなってくれるなよ……)

 劉備の嬢ちゃんとて、その器はまた天下の大器。
 盾二という光に隠れていたが、あの嬢ちゃんの徳は高祖に迫るものがある。
 だからこそ、盾二の力と嬢ちゃんの徳が合わされば天下無双となるはずじゃ。

(じゃから嬢ちゃんや……儂を失望させんでくれ。盾二に去られた今、儂の希望は……)

 そうして水を手で掬おうと小川に手を指し入れ――

 ズブッ

 不意に……背後で音がする。
 背中が熱い。
 なにかが……背から腹に……

「グフッ……」

 口から何かがこみ上げる。
 手に落ちたそれは、戦場でよく見てきた色。

 それは――(あか)

「なっ………………」

 首を少しだけ後ろに向ければ、先程の兵。
 その後ろにも剣を抜いた我が配下の兵が――

「……あなたがいけないのです。あなたが、荊州に乱を呼んだ」
「な……に……」

 背中から剣が引き抜かれる。
 儂は、腹から溢れる血を抑え、小川に倒れこむ。
 さほど深くない小川に前のめりに倒れた後、苦しさに仰向けになる。
 腹から流れる血は、小川の流れに乗って下流へと朱に染め始めた。

「ぐっ……きさ……まら……な、なぜ……」
「あなたがそれを言いますか。後を継ぐべきお子様をないがしろにし、他人を自分の後継者に仕立てようとした貴方が」

 その兵の言葉に目を見開く。
 その場にいた兵の全てが、剣を抜き、儂を冷たく見下ろしていた。

「以前から貴方は劉琮様を後継者に指名していた。長兄の劉琦様は病弱であるがゆえに。だが、ここ数年の貴方はどうだ。天の御遣いなどというふざけた存在に傾倒し、自身の息子をないがしろにする始末」
「………………」
「ここにいる我らは劉琮様、劉琦様、それぞれを推している本来は反目する者達。だが、それでも天の御遣いなどという存在を荊州の主などと認めないことは一致している」
「…………ぐ」
「このことはお二人のご子息は存じません。我らが勝手に相談し、決行したこと。今のあなたに、荊州牧たる資格などない」
「………………」
「自身の子より他者を後継者に指名する……親族の方々はそんな貴方を見限ったのですよ」

 ……そうか。
 儂の家族は、儂を見限ったか。

「……ふ、ふふ……」
「……おかしいですか? それとも気が触れましたか?」
「ふ……いや、自嘲しただけよ」

 そうじゃな……儂は、儂の方こそが……家族を見限っておった。
 息子より盾二を選んだ時点で、儂は親として失格なのじゃから……

「計画したのは……蔡瑁や張允あたりか……の」
「……さて。それを知った所で死にゆく貴方にはどうでもいいことでしょう。泰山府君の元で、精々悔やみなさるがよろしかろう」

 目の前にいた兵が右手で合図をする。
 その後ろにいた何人かの兵が、すかさず儂に刃を突き立てた。

「グ……」
「貴方は道中で病死したことになる。流行病は怖いことですな」

 血に染まる視界。
 鳥と虫の鳴き声が耳に反響する。
 水面に映る陽の光が、まるで死出の旅路の送り火のように視えた。

「すま……じゅ……じゅん……じ……」

 儂のようにはなるな……
 それだけを祈りながら。

 儂の意識は、闇に沈んだ。
 
 

 
後書き
今週中にもう一話いけるかどうか……ちなみにストックはありませんw 
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