ドリトル先生と伊予のカワウソ
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第十一幕その十
「子供みたいなところが多くて」
「抜けてるところもね」
「僕達も不安で仕方がないよ」
「全くよ」
「世の中のところに疎いのよね」
トートーも言ってきました。
「何かと」
「先生、生活の知恵も大事よ」
ポリネシアの今の口調はぴしゃりとしたものでした。
「だからそうしたこともね」
「身に着けないといけないんだね」
「先生は確かにいい人でね」
だからこそ皆もいつも一緒にいます、先生の友達として家族として。先生はお友達としても家族としても素晴らしい人であることは事実です。
ですがいい人でも欠点はあります、それでポリネシアも言うのです。
「尊敬出来るけれど」
「いや、尊敬はしなくてもいいよ」
「まあ聞いて。私達がいてもね」
それでもだというのです。
「世の中のことは知っておくに越したことはないわ」
「日常生活のこともだね」
「まるで子供だから。そこがまたいいにしても」
人間として親しみが持てることは事実だというのです。
「世の中のことはもっとね」
「勉強してなんだ」
「苦手にしてもね」
それでもというのです。
「気を付けてね」
「ううん、そうしてるつもりだけれどね」
「そこで努力しないとどうしようもないよ」
ジップの今の言葉は少し厳しいです。
「先生は努力してるから先生だよ」
「僕なんだね」
「そうだよ、とにかくね」
「日常生活のことも」
「やっと紅茶を自分で淹れられる様になったから」
実はこのことも中々出来なかったのです。いつも動物の皆がお茶を淹れてあげて一緒に飲んでいたのです。
「だからね」
「その他のこともだね」
「勉強してね」
「わかってるよ、もっとね」
「そういうことでね」
「ただ先生はね」
老馬も先生に言います、けれど老馬の言う口調は穏やかです。
「乗馬は出来るから」
「馬に乗れないと辛いからね」
「自転車は」
「そっちも何とかね」
出来てきているというのです。
「乗られる様になったよ」
「そうだよね」
「つまり努力だね、まあ僕はね」
先生はここで自分のことも言いました。
「天才じゃないからね」
「先生は努力家だよね」
「そうだよね」
チープサイドの家族もこのことを彼等同士でお話しました。
「いつも勉強してて」
「悪いところは気付いたらなおそうとしてね」
「努力家だよね」
「おっとりしていても」
「鋭敏とかね」
そうしたものはとです、先生はご自身で述べました。
「僕はそうじゃないよ」
「だよね、じゃあ」
「先生は努力家になるのかな」
「努力はしていきたいね」
ここでも自分をそうだと言わない先生でした。
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